血と嘘塗れの英雄譚   作:ブラートフィッシュ

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壊れた歯車はそれでも

 朝日が僅かに覗き始めた頃。二十人ほどの青年たちが身を潜める山腹に、一つの人影が近づいた。それを目敏く見つけたブロンドヘアーの女は彼に駆け寄ると、勢いのままに抱き締めた。

 

「フォール……!」

 

「……リーゼ……生きてたんだ」

 

 冗談めかして言ったフォールの声には力がない。あまりに笑えないそれに、彼女――リーゼロッテ・エクセラーは腕の力を強めて答えた。同年代の男を凌駕するその膂力に、彼が耐えられたのはほんの数秒だったが。

 

「……そっちは何人死んだ?」

 

「三人。だから……イリスを足して、四人。残った二十三人が、タリオンの全戦力」

 

 ハルトに聞いたのか、と問うようなフォールの視線に、彼女は無言で頷く。仲間との会話すら億劫そうな普段の彼を思うと、イリスの訃報をわざわざ伝えたのは随分親切な行動に思える。同じ思考に至った二人だが、それを口にすることはなかった。

 

「それはそうと、指揮官は一緒にいるのか?」

 

「いない。下手するともう死んでるかも」

 

 その回答に、フォールは思わず足を止めた。タリオンの指揮官含め、今回の訓練の責任者である大人は、アルファ・ガンマ・エプシロン分隊と同じ宿舎に滞在するはずだった。何故はぐれた、と問い詰める彼の耳元に顔を寄せたリーゼロッテは、

 

「……共和国が攻め込んでくる一時間……一時間半くらい前にね、市庁舎の人間に呼び出されたの。彼らが帰って来る前に宿舎が攻撃されたから、合流は諦めて逃げ出したんだけど……どうにもタイミングが怪しいでしょ?」

 

 周りに漏れない声でそう囁いた。

 

「ロザイア市の上の方に内通者がいると……?」

 

「なーんかこっちの宿舎が優先的に狙われたような気もしてさ。それも考えると、私は、可能性はあるなって。ラセンとヴィルはほとんど決めつけてるけど」

 

 僅かに唇を尖らせるリーゼロッテに、フォールは一言も返さなかった。視線を下に向け、不必要に落ち葉を強く踏みつけながら。

 

「……内通者……ロザイア市の、上の方……上…………」

 

 誰に向けるでもなくそう吐き捨て、ぼんやりと歩を進めるフォールに、彼女は何も言えなかった。やがて近づいてきた二人に、他の隊員らは疎らな視線を向けた。その多くが疲労と絶望に満ちており、血や涙の痕が残る者もいる。

 

「……よう」

 

 そんな中でも、その二人――ヴィルフリート・クリューガーとハルトナーは至って平静といった様子で手を振る。

 

「……まあ、お前が死ぬわけないか、ヴィル」

 

「当然だろ。それより探してたんだ、フォール。ちょっと偵察に行きたいんだが、付き合ってくれないか?」

 

「は?」

 

 ヴィルフリートの提案に嚙みついたのは、フォールではなくリーゼロッテだった。眉を吊り上げながら二人の間に割り込んだ彼女、その圧に押し負けるようにヴィルフリートは一歩下がった。

 

「今帰って来たばかりのフォールにそれを頼むの?正気?どうせ彼の第六感で索敵しようとか考えてるんだろうけど、そもそも……」

 

「……いいよ、リーゼ」

 

 少女の肩に触れて、フォールは静かに呟いた。

 

「俺も少し気分転換したいし。まあ何かあったら、ヴィルのこと囮にして帰って来るからさ」

 

 そう言って微笑する彼の瞳の奥で何かが揺れる。それを目の当たりにしたリーゼロッテは、逡巡の末小さく頷いた。

 

「……私はラセンが変なことしないか見張っておく。一応言っておくけど、全員生きて帰って来ること」

 

「……了解」

 

「んな心配すんなよ、リーゼ。俺たちならどうにでもなるさ」

 

 そう言い放ち立ち去るハルトナーとヴィルフリート。彼らの影のように無言で後に続くフォール。三人の姿が傾斜の向こうに消えるのを見届けてから、少女は一人ため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「……この辺りでいっか」

 

 軽薄な口調で呟くヴィルフリート。彼らが足を止めたそこは、背の低い木々が多く身を隠すには困らない場所だった。フォールとハルトナーが周囲の枝や葉を集める中、ヴィルフリートは一人街の方を見下ろしながら深呼吸をする。

 

「…………ちょっと集中するから、周りは頼む」

 

 ヴィルフリート・クリューガーの第六感、それは超人的なまでの視力。普通の人間が望遠鏡を使っても見えないものでも、その双眸をもってすれば容易に捉えることができる。その代償として他の感覚は鈍り周辺の認識すら覚束なくなるので、索敵兼護衛としてフォールとハルトナーが追随しているのだった。

 

「いいから早くやれ、役に立たないならお前から殺すぞ」

 

「相変わらず人使いが……まあいいや」

 

 口を閉じたヴィルフリートの瞳孔が開く。身動き一つせず街の中心部を凝視する彼は、やがて薄ら笑いを浮かべて囁き始めた。

 

「……あれが市庁舎か。侵入はされてないのか?結構人が残って……おっと、上の方に何人か…………ラッキー、こっち向いてるじゃん。ちょっと読んでみるか……」

 

 完全に自分の世界に入ったヴィルフリートに、二人はため息を吐いた。どうにか黙らせたいのは山々だったが、現在ヴィルフリートの聴覚はほとんど機能していないので、隣で何を言ったところで無駄である。そうこうしているうちに、彼は視界の誰かの会話を読唇しているのだろう、役者のような気取った口調で話し始めた。

 

 

 

 

 

「……降伏しかあるまい」

 

 ロザイア市長、レオポルト・フォーゲルは憂鬱そうにそう呟いた。

 

「……やむを得ませんか」

 

「仕方ないだろう。我が市の駐屯部隊は壊滅したようだし……あれを向けられてはどうしようもない」

 

 市長と副市長の視線の先、窓から見える小高い山の中腹。そこに設置された八門の大砲は、全て市庁舎の方に向けられている。本来は川の向こう、仮想敵国である共和国に向けられているはずの砲台。それが自分たちに向いていることから、市長たちは帝国軍の敗北を悟った。

 

「共和国に交渉する気があるならそれに乗るしかないだろう」

 

「……ですが独断で降伏したことが露見すれば、政府上層部は……」

 

「知ったことか……!ここにいない政府よりも、目の前の共和国をどうにかしないといけないことくらいわかるだろう!」

 

 白い口髭を揺らして、レオポルトは副市長にそう詰め寄った。彼も、副市長――モーリス・アイスリーも、市庁舎にいる他の人間も、一つの大きな苛立ちを抱えていた。

 

 共和国軍の奇襲の直前に姿を消した、軍の上官たち。ある士官の証言では、彼らは『市庁舎の人間に呼ばれた』と言い残し姿を消したという。しかし、市長も副市長も全く心当たりはない。考えられるのは、市庁舎の誰かが偽の招集命令を作成し、彼らを誘き出し抹殺した可能性。仮にそうだとしたら、それを実行したのは誰で、今はどこにいるのか……誰もそのことを話題には出さなかったが、疑惑は市庁舎内に深く浸透し、共和国軍に抗う気力を奪っていた。

 

「……駐屯部隊無しでは抗戦は不可能だ。我々は共和国に降伏する、向こうの代表を呼べ」

 

「かしこまりました。ところで……例の、子供たちはどうします?タリオンとかいう名の」

 

 モーリスの言葉に、レオポルトは舌打ちしながら椅子に座り込んだ。ロザイア市に駐屯している軍とは違い、特殊部隊であるタリオンはロザイア市の麾下にはない。ということは、市が彼らに責任を持つ必要もないということで。

 

「……見捨てろ。二十にもならない青二才共だ、放置しておけば勝手に全滅するだろう」

 

「かしこまりました、ではそのように」

 

「……待て、そういえば……君の息子が転がり込んだ部隊も、たしか……」

 

 市長の言葉に、モーリスの口元が僅かに歪んだ。それは”歪んだ”と評するにはあまりに小さな変化だったが、普段の彼を鑑みれば大きな変化と言うべきものでもあった。

 

「……タリオンが街に入る前に名簿は確認しましたが、私の息子の名はありませんでした。それに……あれはもうアイスリー家の人間ではないので」

 

 自分の後継者になるはずだった。そのために教育していたというのに、家を抜け出して軍人に落ちぶれた”彼”を思い出して、モーリスは歯軋りする。そのまま足音荒く部屋を出ていく彼を、レオポルトや他の職員は無言で見送る。

 

 自身の息子が『フォール・ヴァルトルーデ』と名を変えて生きていることを、彼は知らなかった。

 

 

 

 

 

「ん-、ちょっと面倒かもな」

 

 そう呟いて、ヴィルフリートは伸びをする。実際、彼が読唇した内容は彼ら、引いてはエーデ帝国にとって限りなく不都合だった。

 

「ロザイアの正規軍が負けたならどうしようもないか……予定通り鉱山の方に逃げる?」

 

「……鉱山?」

 

「知らないのか?この街の裏側、山を幾つか越えた先に石炭の鉱山があるんだよ。線路に沿って行けば迷わないし、とりあえず援軍が来るまでそこに隠れようかってさっき話しててな」

 

 ヴィルフリートの説明を聞いても、フォールはどこか虚ろな瞳で街の方を見つめるだけ。それとは対照的に、ハルトナーは明確に不満を表に出しながら息を吐いた。

 

「……さっきも言ったが、逃げてどうにかなるのか?」

 

「んなこと言われてもなぁ……それが最善ではあるだろ。ぶつかっても生還する可能性なんか……」

 

「……ないことはないだろ」

 

 溢れるように呟いたフォールに、二人の視線が集まる。けれどもフォール自身はじっと街を見下ろし続けるだけ。その真意を図ろうとした二人は、やがて揃って市庁舎に目を向けた。

 

「……ああ、あいつを殺したいのか?お前のクソ親父を」

 

 僅かに身じろぎしたフォールの反応は、ハルトナーの推測が正解だと物語っていた。

 

 ロザイア市の副市長であるモーリス・アイスリーという男が、フォール・ヴァルトルーデの父親である。その事実を知る者は数少なかったが、ヴィルフリートとハルトナーはその少数派だった。『自分の後継者として自分以上の人間に育てるため、幼少期から一室に監禁しひたすら勉強だけさせる』……フォールの口から語られたモーリスの行いについて当初二人は半信半疑だったが、彼と時を過ごす中でおそらく本当なのだろうと悟っていた。それを考えれば、彼が駆られる殺意もそれなりに理解できるものだった。だからといって、おいそれと頷ける話でもなかったが。

 

「……やっぱやれるんじゃないか?」

 

「だから落ち着けよフォール、殺すにしたって方法が……」

 

「方法ならあるだろ」

 

 そう言うと、フォールは不意に背後の一角を指した。三人から見ると傾斜に隠れて何も見えないが、その向こうには砲台が位置している。本来は共和国に対する備えとしてノーク川の対岸に向いているはずの砲台が。

 

「あのカス共が言ってたんだろ、あの砲台は今市庁舎に向いているって。なら残りの全員であの砲台を奇襲し奪還、そのまま撃てばいい。タイミングさえ……”共和国の代表”とやらが市庁舎にやって来るタイミングに合わせて撃てば、敵の上層部もまとめて皆殺しにできる」

 

「…………は?」

 

 ヴィルフリートの口から力の無い声が漏れた。ハルトナーも目を見開いてフォールを見つめて硬直する。それほどまでに、彼の言葉は常軌を逸していた。

 

「皆殺しって……あいつらは、今市庁舎にいるのは帝国の人間だぞ?一応味方なんだが」

 

「味方?まだ生存している俺たちを切り捨てて、保身のために敵に降ろうとしているあいつらが味方だと本気で思ってんのか?」

 

 真っ向から己に噛み付くフォールに、ヴィルフリートは思わず一歩下がった。時折奇行に走ることはあれど、フォールはタリオン内では常識人であり、ブレーキ役だった。その彼に詰め寄られて、僅かに錯乱しながらヴィルフリートはもう一人の親友に目を向ける。どうにかフォールの暴走を押し留めるために。

 

「…………俺はフォールに賛成」

 

 そして、その目論見はいとも容易く砕かれた。

 

「あの市長は今や帝国を売った裏切り者だ、それを消すのを躊躇う理由はないだろ。それにそもそも俺は逃亡案に反対だ。逃げる先は例の鉱山くらいしかないし、そこも袋小路。フォールがそれなりにマシな対案を出した以上、俺はそっちに乗る。そしてヴィル、お前も乗れ」

 

 瞬く間に二対一に追い込まれ、ヴィルフリートの首筋を冷や汗が伝った。 

 

 彼の目には、二人の親友が正気を失っているように見えた。そしてそれは間違ってはいなかった。仲間を殺されたこと、自分が人を殺したこと、そして自分もいつ殺されるかわからない戦場にいること。それらは確かにフォールとハルトナーの精神を蝕み、狂わせてはいたが、それはヴィルフリートも同じだった。そこに親友二人との言い争いを避けたいという心理が働き、徐々に揺らぎ始める。

 

「……ヴィル」

 

 底冷えするような声と共に、フォールの持ち上げた拳銃がヴィルフリートに向けられる。

 

「お前は俺に銃を突き付けられ脅された。故に飲むしかなかった。仮に咎められたとしても、そう言い張れば少しはマシになるだろ」

 

「……咎められなかったら?」

 

「悪しき共和国軍を打ち払った英雄として、良い空気は吸えるんじゃないか?」

 

 その言葉に、ヴィルフリートは俯いて考え込む。ほんの数秒の思考の末、彼が浮かべた笑みには確かな野心が覗いていた。それは、銃口を向けられている人間とは思えないほどに力強い物だった。

 

「……いいぜ、乗ってやるよ。けど、ラセンとリーゼがどう出るか」

 

「まあ、問題ないだろ。ラセンは多分乗ってくるし……最悪、数の力で押し切ればいいさ」

 

 唇の端を吊り上げながら呟くフォールの瞳は、どこまでも澱んでいた。

 

 

 

 

 

「……攻撃!?」

 

「二度も言わせるな、エーリヒ。急いで準備しろ」

 

 分隊長五人の会議の結果、フォールの攻撃計画は実行に移されることとなった。だがそれは、少なくない反対を半ば強引に抑え込んでのものでもあった。

 

「ですけど隊長、我々は肉体的にも精神的にも消耗していて……」

 

「言っただろエーリヒ、二度も言わせるなと」

 

 冷たい声で吐き捨てたフォールに、エーリヒは息を呑んだ。上官と部下という関係とはいえ、フォールがこれほど冷酷に接してきたことはエーリヒの記憶になかった。

 

「消耗しているのは向こうも同じだ。ロザイア駐屯軍が壊滅し、タリオンが切り捨てられた今、共和国軍は油断しているはず。そこを突けば俺たちでも勝てるし、そうするしか生き残る術はない」

 

「……隊長、それは」

 

「もういいだろ、エーリヒ」

 

 銃の整備の手を止め、ニュートは深々と息を吐く。それは苛立ちの発露にも見えたし、諦観の漏出にも見えた。

 

「……お前だって嫌だろ、尻尾を巻いて逃げるのは。あいつらはイリスを殺したんだ、どんな手を使ってでも復讐すべきだ」

 

「ニュート……」

 

 納得のいかない表情であったエーリヒも、やがて諦めたように彼に頷いた。ディルクは一言も発さなかったが、それはフォールに従うと暗に告げているようなものだった。フォール一人説得するだけでも困難なのに、ニュートとディルクまでも向こうに回っては勝ち目はない。それを悟れないほど、エーリヒは愚かではない。

 

(この人は……隊長は、一体どこへ向かうのだろう)

 

 フォールから滲み出た狂気が、ニュートたち周囲の人間を塗り潰していく。その光景を幻視しながら、エーリヒは銃を担ぎ直す。せめて、己が尊敬する上官であり友人であるフォールを守るために。

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