血と嘘塗れの英雄譚   作:ブラートフィッシュ

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奇妙な来訪者

 ウェルトハーツ。エーデ帝国第三の都市にして、通称”芸術の都”。幾つもの劇場やホールなどが立ち並び、大通りをできたばかりの路面電車が走る。大貴族から中流階級の人間まで数多の人間が演劇や音楽を楽しむために街を歩き、その横を学生たちが足早に通り過ぎていく。そんな瀟洒な街の中に、飾り気のない建物が一つ。

 

「身分証を」

 

 指に挟んだそれを渡すことなく申し訳程度に掲げると、係員は特に確認することなく頷いた。無骨な雰囲気を放つ警察庁ウェルトハーツ署のドアを開けると、足早に自分のデスクに向かう。

 

「……なんでいるんですか」

 

 警務部特別警務課という、僻地と言っても過言ではない部署。色々あって今は俺しか在籍していないその空間には先客が居た。それも、こんなところで油を売っている暇はないであろう人間が。

 

「……相変わらず時間ギリギリだな」

 

「他の人はどうだか知りませんけど、僕は同僚の顔見るよりは恋人の顔見てる方が楽しいんですよ。外で手を繋ぐのも憚られる身だと余計に」

 

 そう吐き捨てると、彼……警務部部長、エマヌエル・ギーゼンは目を逸らした。その反応にため息を吐くと、空の机に鞄を投げ出し椅子に腰掛け。そこでようやく、最近は山のように積まれている書類が無いことに気が付く。

 

「……来たばかりですけど、帰ってもいいということですか?」

 

「お前に仕事だ、フォール。それもかなり面倒なものが」

 

 それだけ言い残すと、彼は踵を返して部屋を後にする。俺一人になった部屋の中で暫し考え込むも、ここから逃げ出すいい感じの口実など思いつくわけもなく。

 

「……仕事変えよっかな」

 

 他に行く当てなどまるでないのに。せめてもの抵抗でそう呟くと、放り投げたばかりの鞄を回収して彼の後を追った。

 

 

 

「…………寝不足か?」

 

 勤務時間が始まったばかりだからか、廊下には人気もほとんどない。追いついた俺の顔を覗き込む彼になんと答えるか悩む間に、扉を三つほど通り過ぎた。タイプライターの金属音、電話交換手に何かを怒鳴る同僚の声が耳障りに感じる。

 

「……まあ、正直に言えば」

 

「飲み歩きでもして……たわけないか。となると、あの女とおたの……」

 

「少々夢を見てただけです。それもろくでもない部類の」

 

 よくわからない邪推を重ね続ける部長に釘を刺すと、彼は肩をすくめながら視線を前に戻す。もう二年ほどの付き合いになるが、相変わらず掴みどころのない人間だ。やりやすいというわけでもないが、一番マシな上司なのは事実なので何も言えない。

 

「それよりも仕事の話が聞きたいのですが……半年ぶりに私を呼ぶほど、警務課は人手不足には思えない。何があったんです?」

 

「……お前をご指名でな」

 

「誰がです?まさか署長とか言いませんよね?」

 

「違う、もっと上……いや横か?そもそも指揮系統が別だから……」

 

 珍しく歯切れの悪い様子で、彼は廊下の奥の部屋――警務部長室の扉を開いた。中央に置かれたテーブルと四つの椅子、そのうちの一つには少女としか言いようのない人間が腰かけていた。おそらく俺よりも四歳か五歳ほど年少と思わしき彼女は、扉の音に反応してこちらを見上げる。その瞳はどこか挑戦的で、けれども楽しそうでもあった。

 

「まあ隠しても仕方ないから話すが……ミラン・スフレイヴェル。AEI……帝国維持委員会の人間だ。そして、これからお前の仕事相手になる」

 

「……こんな子供が?」

 

 言ってから、失言だったかもしれないと思う。彼女に失礼と思ったのではない。彼女の年齢を、よりにもよって俺が指摘するのが滑稽だと気付いたのだ。とはいえ二人はそうは考えなかったのか、はたまた考えなかったふりをしたのか。ともかく部長は自分の椅子を引き、少女は立ち上がるとこちらに歩み寄った。

 

「初めまして、”帝国の英雄”――フォール・ヴァルトルーデ銀盾尉。お会いできて光栄です」

 

「……お前とお前の上が何を考えているかは知らないが。仕事を成功させたいなら、俺をその名で呼ばない方がいい」

 

「そうですか……ではよろしくお願いします、フォールさん。ああ、私のことはミランと呼んでください。姓は呼びにくいとよく言われるので」

 

「奇遇だな、俺もよく同じこと言われるよ」

 

 差し出された右手を、ため息交じりに差し出した右手で握る。そうして触れた生意気な少女の手は、ほんの少し熱く感じた。

 

 

 

「先日、ウェルトハーツ市庁舎の職員の一人が我々に逮捕されました。名はハンネス・エンベルト。罪状はクルセンド共和国への内通の疑い」

 

 出されたティーカップを持ち上げながら、ミランという名の少女は語る。短く揃えられた赤髪を揺らしながらカップを傾けるその姿は、割と様になっているように見える。一応話は聞いてやりながら視界の端で部長を見ると、無表情で新聞に目を落としているところだった。

 

「共和国から派遣されたスパイだったのだろう、というのが我々AEIの意見です。その彼が、最近このウェルトハーツで誰かと接触していたようで。その誰かを捕縛することが、私に命じられた任務です」

 

「……一介の警察官からすると、ご自由にどうぞとしか言いようがないんだが」

 

 安物の紅茶が喉を滑り落ちていく。軍にいた頃、週に一度くらい朝食に出てきた粗悪な紅茶を思い出した。それでもないよりはマシと我慢しながら飲む俺に、彼女は少し疲れたように微笑んだ。

 

「協力して調査に当たれと、上がフォールさんをご指名なので。ロザイアの戦いは勿論、エーリヒ・プラッテ殺害事件、斬殺卿事件など、あなたの実績は枚挙に暇がありませんから。ああ、ここの署長の了解は取りましたからご心配なく」

 

 新聞を持つ部長の手が僅かに震えた。俺の持つティーカップの水面も同じように揺れた。それだけ、今のミランの発言は重大な意味を含んでいた。

 

「……だとしても理解に苦しむ。その捜査はAEIがやればいいだろ、わざわざ管轄外の警察官を巻き込む意味はあるのか?」

 

「……まあ正直に言うと、AEIは今帝都にかなりの人員を割かれていまして。こんな些細な事件には私一人しか割けず、けれども十五歳の小娘一人には荷が重い……そこで、あなたを補佐に付けて強引に解決しようとしたのではないでしょうか。まあ実際の所、上の真意なんて私のような下っ端にはわからないっすけど……」

 

 軽薄な口調。十五歳の少女が口にするにはあまりに似合わない内容。この国の歪みを象徴するような姿に内心ため息を吐きながらティーカップを傾ける。

 

(というか、十五歳って言ったよなこいつ……ロザイアの件で子供を動員することに軍は懲りたってのに、AEIは何考えてるんだか……)

 

 俺より四つも年下という幼い身で、国家規模の任務に駆り出される彼女に同情を感じ。それと同時に、今の彼女と同じような歳の頃の自分がやったことを思い出して頭が痛くなる。なんとも複雑な心情でミランを見つめていると、視線に気づいたらしい彼女は首を傾げた。

 

「どうかした……しましたか、フォールさん?」

 

「いや……俺が呼ばれた経緯に関しては理解した。納得はしてないけど」

 

「まあ、でしょうね……」

 

「……で、お前と正式に組む前に聞きたいんだが……お前、俺の事どこまで知ってる?エーリヒの件を知ってるなら、それなりに機密情報にも触れられる立場なんだろ?」

 

 あの事件は一般には報道されていない。より正確に言うなら、”エーリヒ・プラッテという人間が殺害された”という最低限の情報以外は。その犯人や動機、そしてその事件にフォール・ヴァルトルーデが関与したということは全て徹底的に伏せられたのだ。それだけの機密情報を事も無げに口にしたこの女は、それなりの地位にあるということだろうか。目線は動かさずとも、部長の注意も俺たちの会話に向いているのが手に取るようにわかる。

 

「…………AEIの情報部は優秀なので、帝国内の重要人物の情報は大抵揃っています。今回の任務にあたり、フォールさんの経歴も一通り確認したんですが……なんというか、その大部分が隠されていまして」

 

 大きく息を吐きながらティーカップを置いた彼女は、探るような視線をこちらに向ける。

 

「軍に入隊する前の情報が何一つ無いのはいいとしても……ロザイアの戦いのページなんて、ほとんど何も書いてなかったんですよ?『フォール・ヴァルトルーデはロザイアの戦いにてクルセンド軍を相手に活躍し、戦後国民から英雄として称賛された』とか、ほんとにそれくらいしか。それならどう活躍してなんで英雄扱いされたかを書けって思いません?エーリヒ・プラッテ殺害事件は最初から最後までほとんど黒塗りだったし……ああ、斬殺卿事件のページは問題なく読めたっすね。十六人の犠牲者を出した連続殺人犯を殺害し、帝国臣民を恐怖から救った……あれは英雄と呼ばれるのも納得です」

 

「…………一応誉め言葉として受け取ってやる」

 

 可能な限り乱雑に流してやったつもりなのに、眼前の少女は興奮冷めやらぬ様子で微笑を崩さない。まるで俺に敬意を持っているかのようなその仕草に、背筋を冷たいものが走る。年端もいかない子供たちの戦闘力だけを鍛えた結果生まれたのが、タリオン――昔の俺たちだとするなら。演技力など諜報向けに鍛えた結果が目の前の彼女なのだろうか。過去の自分と会話しているかのような気味悪さに一層寒気が増す中、俺の心中など知らんと言わんばかりに彼女は言葉を紡ぐ。

 

「まあそんな訳で、あなたと一緒に仕事できることは光栄ですし、結構嬉しいんですよ?あなたからすれば知ったことではないでしょうけど……」

 

「ああ、全くだ」

 

「でしたら手早く終わらせてしまいましょう。あなたはAEIのよくわからない任務から解放されて、私は上からそれなりに良い評価を頂戴できる。それでお互い文句はないでしょう?」

 

 不敵な笑みを浮かべながら再度右手を差し出す彼女。一瞬の躊躇いの後にその手を握り返すと、彼女の頬が僅かに緩んだような気がした。

 

「……では申し訳ありませんが、私は諸々報告することがあるのでこれで。任務に関してはこちらの書類に全て記してありますので、確認をお願いします。あとこれは……まあ、つまらないものですが」

 

「……これ何?」

 彼女が差し出した小箱に首を傾げると、彼女は年相応な微笑と共に、

 

「チョコレートです。帝都の有名な菓子店の一品で……私の上司から、帝国の英雄と仕事するなら土産の一つくらい持って行ったほうが良いと言われまして……もしかして、迷惑でしたか?」

 

 上目遣いでそう答えた。

 

「……いや、まさか。ありがたく貰うよ」

 

「いえいえ、お気になさらず。それでは……また明日、お会いしましょう。場所なども全て先程の書類にありますので」

 

 俺と部長に頭を下げると、瞬く間に部屋を後にするミラン。まるで嵐が去った後かのような、奇妙な沈黙が部屋を覆う中、不意に伸びた部長の腕が俺の手から小箱を奪い取った。

 

「………………」

 

 何か言うのも怠く感じて無言で眺める俺の視線を完璧に無視し、彼は小箱を開けると中のチョコレートを一つ摘まんで口に放り込んだ。一度彼から視線を外し、ミランが押し付けて来た書類に目を通す。それを一周するに至ってもなおも無言を貫く部長にしびれを切らして、不愉快ながらこちらから口を開くことにした。

 

「……どう思います?」

 

「……それはあの女に対してか?それともお前の今回の任務についてか?」

 

「どちらでも構いませんが、どちらでも同じでは?」

 

 チョコレート片手に新聞から視線を上げそうにない彼。欠伸を噛み殺しながら机の書類を引き寄せ、通常の業務に戻る。山と形容するには少々大げさな、丘のように積み重なったそれが半分ほどになった頃、ようやく彼は口を開いた。

「……お前、最近政府に睨まれるようなことしたか?」

 

「まさか。そもそも何もしてない……というか、させてもらえていないんで」

 

 語気を強めながら軽く睨むと、彼は再び視線を落とした。俺が斬殺卿事件……あの殺人鬼と殺し合って以来、現場から外されて書類漬けにされているのは全て署長の意向によるものなので、この人に怒りをぶつけたところで意味はないとわかってはいるのだが。

 

「別に私は、一介の警察官に過ぎませんから。それなりに働いて、普通に税金も払ってる、ただの十九歳の男です」

 

「……まあ、だろうな……あとはまあ、お前の女が政府のお偉いさんと何かあったとか……ならありえなくもないか」

 

「……は?」

 

「悪い、冗談だよ。大体まともな神経の人間なら、お前の名前が出た時点で尻尾を巻いて逃げ出すのが落ちだ。お前の恋人だってそれくらいわかってるだろ」

 

「……それは私が英雄呼ばわりされているからですか?」

 

「……仮にお前がそう呼ばれていなかったとしても、俺はお前の機嫌を損ねたいとは思わないな。英雄扱いされてるなら尚更、ってのは否定しないが」

 

 フォール、と短く呼ばれて顔を上げる。久しぶりに目を合わせた部長の眼差しは、容疑者を前にしたときのように真剣で。思わず唾を飲んだ俺に、彼は低い声で尋ねた。

 

「本当に担当する気なのか?はっきり言って、お前には何の関係もない話だぞ?普通は捜査部に振られる話だろうし」

 

「だとしても、指名されたことは事実ですし。言ったでしょう、私は一介の警察官だって。上からの命令を拒否できる公務員が何処にいますか?」

 

「……用心しろ。今回の話はあまりにきな臭い。共和国のスパイ疑惑にわざわざお前を駆り出す理由なんて俺には思いつかんが……お前を消すための罠でもおかしくない。最悪の場合、あの女に背中撃たれるくらいは覚悟しておけ」

 

 冗談など一欠片も含まれていない声に無言で頷く。数秒間を空けて頷き返した部長の手が伸びて、俺の手元に置かれた書類を抜き取る。

 

「今日はもう帰れ」

 

「いいのですか?」

 

「言っただろ、お前の機嫌を損ねたくはないって。面倒な仕事の前なんだ、書類よりは恋人の顔の方が見たいだろ」

 

「別にそれは今に限った話ではないですが……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 ペンの類を鞄に押し込んで立ち上がり、部屋の扉に手をかける。あとはそれを押し開けるだけ、というところで背後から声がかかる。

 

「このチョコレート、悪くないな。数日経っても俺が生きていたら恋人と一緒にでも食え」

 

「……わかりました。ありがとうございます」

 

 振り返りはしなかった。ただ署の廊下を歩く時も、建物を出て大通りに出た時も、彼の言葉が妙に耳にこびりついていた。特に、”俺が生きていたら”のあたりが。

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