全てを話し終えると、部屋は完全な沈黙に支配された。俯きがちに座り込む彼女とは視線が交わらない。まるで俺の話を噛み砕くかのように、無表情でただ息をするティーナ。彼女がどんな結論を出すのか待つ俺の身体は、まるで怯えるように震えていた。
「…………フォール」
彼女の口から俺の名を聞くことなんて、もう何千回とあったけれど。隣から聞こえたその声は、どこか厳かな色を含んでいた。遥か高位から俺に宣告するようなその声が、本当に己の恋人のものか疑う。纏まらない思考、動かない身体。硬直する俺の方に向き直った彼女は、一つ深呼吸して。
「…………なんの、つもりだ?」
ベッドの座った俺を押し倒すように抱き締める彼女にそう問う。
「そう言われてもなぁ……んー……」
さっきまでの重々しい雰囲気をぶち壊す、子供っぽい声色。髪先で俺の頬をくすぐりながら考え込んだ彼女は、やがて。
「……ただ、そうしたいって思っただけかな」
どこか幼い顔で微笑むと、一層強く俺を抱き締めた。
「ずっと前からさ、気づいてはいたんだ。それこそ初めて会った、あの勲章授与式の時から。あの日ロザイアで、君が傷つく何かがあったって。新聞とかが囃し立てる英雄譚からは消された何かが。一体何なのか不思議だったんだけど……そんなことがあったんだ」
慰めるように俺の頬を撫でるティーナ。その柔らかい手つきに、痺れるような痛みが付き纏って離れない。
「……俺のせいで皆死んでいく。俺が下した命令でイリスは死んだ。俺が父親を殺そうとしたから、タリオンは半壊した。エーリヒが恨まれたのも、ディルクが酒に溺れたのもそのせいだ。斬殺卿事件だって、先輩二人を死なせて俺だけ生き残った。そして今度は、ミランまでもが死の危険に晒されている。俺がいなければAEIに拾われることもなかったあいつが」
「………………」
「……なあティーナ……これが俺の罰なのか?自分の親しい人間が、自分のせいで死んでいくのを見送り続ける……ミランの次は君かもしれない……今日だって、君が殺されていてもおかしくなかった……これがずっと、俺が死ぬ日まで続くのか……?」
その問いに、彼女は瞼を閉じて数秒沈黙する。再び緑色の瞳が露わになった頃には、彼女は俺から離れようとしていた。
「……あのね、フォール。君がロザイアでやったことが、全部正しいわけではないかもしれない。君たちが攻撃した市庁舎には、罪のない帝国の人もいたはずだから。けど、だからといって……君が罰を受け続けないといけない人間だなんて、私は思わない」
跳ねるように立ち上がった彼女は、薄暗い部屋を爪先で歩く。数歩進んでクルリと振り向くと、彼女の髪がベールのようにふわりと広がった。
「あの日、たくさんの人がロザイアで死んだ。その中には君が死に追いやった人……殺されても仕方ない共和国軍の人も、悪いことはしていない帝国の人もいたと思うけど……君たちが味方を巻き込んででも戦うことを選んだおかげで、共和国軍は撤退した。ロザイアを占領することも、そこから先に進むこともできなかった。そう考えたら、君が殺した人以上に、君が守った人もいるんじゃないかな。ロザイアの中にも、外にも」
柔らかい声で囁くティーナは、恋人に語るというよりは幼子を諭すようでもあって。
「私は戦争のことなんて何も知らないけどさ。あの戦いが起きた時点で、帝国の誰かが死ぬのは決まってたよ。君がやったのは、その人数を少なくすることと……その結果死ぬ人を変えたこと。それを”人殺し”と呼ぶなら……もう、どうしようもないよ。君が市庁舎に構わず逃げていたら、その時は『市民を見殺しにして逃げた』とか言われるんでしょ、きっと」
呆れたようにそう呟いて、彼女は俺の隣に戻る。僅かな間を空けてから放たれた彼女の声は、さっきまでよりも少し低く聞こえた。
「……それに、君が罰を受けないといけないにしても……もう、十分苦しんだよ。英雄として勝手に祭り上げられても文句も言わなかった。エーリヒさんを殺した犯人とか、ヘルマンって人に命を狙われたりもした。軍を辞めた後も警察として、皆のために働いて、斬殺卿っていう殺人鬼を命がけで倒した。それでもまだ足りないなんて言う人がいたとしても、私はそれを認めない」
それは暗に、俺に対して宣告しているようでもあって。厳格な慈悲を孕んだその声に、思わず呼吸が浅くなる。それに勘付いたのか、彼女は慌てて微笑んだ。
「……ごめんね、長々と喋って。私が言いたいのは……自分は苦しまないといけない、なんて君が背負い込んだり、諦めたりする必要はないんじゃないかなって。君は君が選びたい道を選んでいいんだよ。それがどんな道であっても……君が選んだ道ならきっと正しいし、私はそれを受け入れるから」
「……どんな道であっても?」
「うん。そうだなー……君がもし、何もかも。仕事も人間も、”英雄”っていう肩書きも全部捨てたいなら……その時は、一緒に逃げよ?他の街か、他の国か……いっそ、波の下でもいいよ。君が望むなら、どこへでも着いていくから」
一緒に買い物でも行かないか、とでも誘うような顔と声。己の過去も未来も全て、何の躊躇もなく預けながら微笑むティーナの姿は、どこか人間ばなれしているように見える。
彼女の言うことは魅力的だった。甘美ですらあった。この馬鹿げた肩書きを投げ捨てて、俺が“フォール・ヴァルトルーデ”だと誰も知らない世界で、ティーナと二人で生きていく。それはきっと幸せだろうし、新たに傷を負うこともないだろう。ミランの喪失の傷を最後に。
同時に、許されないとも思った。数多の人間を踏みつけ、犠牲にして英雄に仕立て上げられた俺が、今更それを捨てて逃げることなど。無理矢理着せられた栄誉とはいえ、そのおかげでティーナと出会え、こうして幸せを噛み締めていられるのだから。幸福と義務の狭間で揺れる俺の右手を、いつの間にかティーナは包み込むように握っていた。
「……一個、思いついてはいるんだ。コーションを失脚させて、ミランの命を助けて、ついでにスパイを殺す手を」
絞り出したその言葉に、隣に座る彼女は目を見開き、やがて細める。
「……随分と都合の良い話に聞こえるけど……それ、悩む理由あるの?」
「上手くいかないさ、きっと……スパイがそこにいる保証はない。いたとして、俺が勝てるかどうかはわからない。勝てたとしても、その結果コーションが失脚して、ミランが助かるかどうかも……AEIの内輪揉めに首を突っ込むわけだから、あいつらがもっと本気で殺しに来るかもしれない。そうなったときに危ないのは、俺だけじゃないから……」
俺の手の外側で、彼女の手が強く握られた。何かに怯えるように、彼女にしては強い力で。
「俺はさ、ミランのことはそれなりに気に入ってるんだ。それ以上に、死んでほしくないと思ってる。けど……俺が一番大切なのは君だから。ミランと君を天秤にかけられたら、迷わず君を取る。なのに……」
何故、俺は彼女を助けたいと思っているのか。あいつが幼いから?エーデ帝国という国家に、己の能力に振り回される彼女が哀れだからか?それとも単なる自責の念か?それらはティーナよりも優先させることなのか?
数多の選択肢が脳内に溢れ、絡まり、余白を埋め尽くす。終わりの見えない思考に囚われ沈黙する俺を、何も言わずに隣で見守っていたティーナだったが。暫し瞼を閉じた末に、ふっと顔を綻ばせて囁いた。
「行ってきなよ、フォール。ミランちゃんを助けに。そうしたいんでしょ?」
「……言ってる意味わかってるのか?それだと俺は、恋人を危険に晒してまで他の女を助けに行くことになるんだが?」
「うーん……そう聞くとちょっと複雑かも。君が死ぬかも、って考えれば怖いのも事実だし……けどさ、君はいつも夢に見てるんでしょ?イリスって人とか、エーリヒって人とか……昔のことを、今はもういない人を夢に見て、思い出して、苦しんでいるんでしょ……?」
「それは……」
「……君は優しいから。もしミランちゃんが殺されたら、いずれあの子のことも思い出して、また苦しむ。自分のせいで彼女は死んだんじゃないか、助ける方法はあったんじゃないかって自分を責める。そうして君は、少しずつ壊れていく」
不意に彼女の身体が揺れる。傾くそれを慌てて抱き留めると、やがて彼女は躊躇いながらもそっと体重をこちらに預けた。
「本当はね、全部忘れさせてあげたかったんだ。君の辛かった過去も、亡くした大切な人も……思い出さなくても済むくらいに、君を愛して、幸せにしてあげたかった。君は私を認めて、肯定して、愛して、母のことを忘れさせてくれたから……私も、そうしてあげたかったのに……」
「ティーナ……」
「……多分、私では力不足なんだと思う。君と恋人になって、こうして同じ家に住むようになっても、君が魘されて、苦しむことは変わらなかったから……ミランちゃんを見捨てるように喪ったその痛みを、私では消してあげられない……君が壊れるのを、止められない気がして……!」
次に彼女の口から漏れたのは、言葉にならない嗚咽だった。俺の胸に顔を埋めて啜り泣く彼女、その背を摩りながら、胸に響く鈍痛に小さく息を吐く。思えば半年前、あの斬殺卿事件の日もこうだった。俺はいつもいつも、彼女を泣かせてばかりで。
「……ごめんね、ごめんね……!君のこと、助けてあげたいのに……助けてもらったのに、返せない……役に立たない女で、ごめんなさい……!」
懺悔するように、悲痛な言葉を絞り出すティーナ。反射的に抱く力を強めると、腕の中で彼女の身体が強張るのを感じた。今にも割れてしまいそうな彼女を壊さぬように、安心させるように、静かに囁く。
「いいんだよ、ティーナ……君は何も悪くない。これは全部、俺があの日ロザイアで始めたことだから……その過去に決着をつけるのは、俺じゃないと。それに……」
彼女の身体をそっと遠ざけると、その両頬に手を当てる。涙に濡れ、悔恨に染まったようなその姿ですら綺麗に、愛おしく感じる。
「君はもう、俺のことを助けてくれたよ。だから、まだこうして生きてるし……生きて帰ってきたいと思ってる」
その言葉に、彼女はまだ泣いていたけれど。安堵したように穏やかな微笑みを浮かべる彼女の姿は、やはり何よりも美しかった。