血と嘘塗れの英雄譚   作:ブラートフィッシュ

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邂逅

「……フォール・ヴァルトルーデ銀盾尉、ですよね……?」

 

 病院の受付に陣取る女性は、彼の差し出した許可証と身分証を見比べ首を捻った。まあそうなるよな、とは思う。なんで帝国の英雄である警察官が、軍の許可証持って殴り込んでくるんだって話だし。

 

「許可証は拝見しました……ええと、本日はどのようなご用件で……」

 

「フィウム使用の責任者と話がしたい」

 

 彼の言葉に、女性は怪訝さを一層増しながらフォールの方を見つめた。時折私の方をチラチラと、助けを求めるように見てくる。とはいえ、彼以上に何か事情を知っているわけでもないので、ただ頭を下げるしかできない。

 

「……わかりました。ただ、彼は今診察中ですので、少しお待ちいただけると……」

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

 受付のその人に頭を下げて、私たちは待合室に戻る。第六感などなくてもわかるくらい、周りの人間の視線がフォールさんに向けられる。きっと彼の心中は、声を潜めもせずに自らの名を呼んだ受付の人に対する殺意で満ちているだろう。

 

「……顔固すぎっすよ」

 

「気のせいだ」

 

「そうっすね、そういうことにしましょうか」

 

 どこか子供っぽい彼の反応が可笑しくて。俯きながら笑いを堪える私に、忌々し気な舌打ちが降って来る。彼のことを”子供っぽい”と評していたティーナさんの気持ちが今なら少しわかる気がする。

 

「…………なんか失礼なこと考えてないか?」

 

「キノセイッスヨ、キノセイ」

 

「……ガキが」

 

「ガキっすよ。まだ十五ですから、私」

 

「…………ああ……」

 

 妙に遠い目をして、彼は私から目を逸らす。まるで私ではない何か……あるいは誰かに、思いを馳せるように。それが何か気になったものの、それを聞くことは叶わなかった。受付の方から現れた責任者らしい男性が、頭を下げてこちらに歩み寄ったから。

 

 

 

 

 

「……フィウムが、ですか」

 

 何に使っているのかもよくわからない部屋の中で。プロイスと名乗ったその男は、フォールさんの説明に渋い顔をした。

 

「確かに、我々はそれなりの量のフィウムを取り扱っていますが……だからといって、我々がスパイと繋がって……」

 

「それは百も承知です。私もどこかの犯罪者、どこかの裏ルートから流れている可能性の方が高いと思っていますし、そちらは別の人員が洗っています。その総当たりの一環としてここに訪れただけです」

 

 “別の人員”なんて存在しないのだが。あまりに堂々と嘘を吐きながら、彼は圧をかけるように男を見据える。それに押し負けたか、あるいは”英雄”に逆らうことなど出来なかったか。

 

「……わかりました。そういうことでしたら、我々も協力いたしましょう」

 

 彼は一度席を立つと、大きな地図を持ってきて机に広げた。極めて普通の、帝国全土を描いた地図の上をプロイスの指がなぞる。

 

「我々が使用しているフィウムは、基本的にルフト港から運ばれています。そこからロザイアまでは主要な道路を通って運ばれてきますので、途中で盗み出すのは至難の業かと」

 

「……その運搬を担っている業者が、奴らに横流ししている可能性ってありますか?」

 

「……あり得るとは。ですが、それは我々にはわかりかねますので……」

 

「では、病院に搬入された後は?」

 

「基本的に地下の倉庫で管理されています。それを取り出せるのは医師、あるいはその許可を得た看護師だけですし……清掃などの業務の際も複数人で行うように定められています。そのためある程度の量を盗もうとすれば、かなり長期間に渡って少量ずつ盗み続けないと……」

 

 彼の発言に、私とフォールさんは時折目線を交わしながら考え込んだ。今の話に嘘は含まれていなさそうだし、ひとまずこの人のことは信用するとして。

(医師か看護師がスパイの協力者だとしたら、結構前から潜入してないと駄目だし……運搬業者を抱き込んだ方が楽ではあるかな……けど時間がない以上、協力者はここに居てくれないと困るし……)

 

 片っ端から医師や看護師を尋問し続ければ、とりあえず答えは出せそうだけれども。あまりに力技であるその手に踏み切るかどうか悩みながら、隣に座る彼へ視線をやる。俯き気味にしばらく沈黙していた彼は、急に目を見開くと顔を上げて、プロイスを真っ直ぐ見据えた。

 

「……一つお聞きしたいのですが。この病院で、治療用にフィウムを処方された患者の名簿は存在しますか?」

 

「あれは……それなりに劇薬ではあるので。名簿は保管していますが、それがどうか……」

 

 そこまで言って、彼は目を見開いた。

 

「まさか、その患者の中に協力者が……」

 

「可能性はあるでしょう?処方されたそれを、服用したフリをして少しずつ抜き取った可能性は。その患者の中の誰かに、ウェルトハーツ含めこれまでのスパイの足跡と重なるものがないか……確かめる価値はあると思うのですが」

 

 ほんの少しだけ、嘘の気配を漂わせて。唇の端を吊り上げ、囁くように彼はそう語った。

 

 

 

 

 

 部屋を出た途端、前を歩くフォールさんが立ち止まる。その視線の先には五歳くらいの男の子の姿。よほど話しかけたいのだろうか、手を引く母親に抗ってずっと彼の方を見つめ続けている。新聞の中にいる英雄様が突然目の前に現れたら、まあこういう反応にもなるだろうか。

 

「…………」

 

「いいじゃないすか、話してきても」

 

「今仕事中」

 

「名目上は休暇中では?」

 

 恐ろしいほどに冷たい目で私を睨んだ彼は、やがて諦めたようにため息を吐き少年の方に向かう。プロイスは少し戸惑った様子を見せたものの、私に頷きながら歩を進めた。

 

「……そういえばっすけど、フィウムって何に……というか誰に使ってるんですか?麻薬ですから、そう簡単には使えませんよね?」

 

「ええ、おっしゃる通りです。特に当代の皇帝陛下は、あの薬の中毒患者が溢れることをかなり危惧しておられるので……」

 

 扉を開け、薄暗い雰囲気の廊下に入る。関係者専用なのだろうか、待合室とは異なり人の気配がまるでない。

 

「最も一般的な用法は、鎮痛薬としての使用です。大がかりな外科手術となると、フィウムなしではかなり苦労しますから……他にも慢性的な痛みや、咳止めなどにも。ですが当院では、神経症患者に対する投与が最も多いかと」

 

「……神経症?」

 

「我々……また軍の上層部は、戦争神経症と呼んでいます」

 

 プロイスの声が一層低くなる。彼の足取りは酷く重く見えるのは、階段を上っているからだけではないだろう。

 

「戦争は、人間の精神に対し著しい負荷をかけます。己が殺されることへの恐怖、他者を殺めることへの罪悪感……銃や大砲の轟音、上下関係が与えるストレス、皆無と言っていい娯楽、孤独感……それらに晒された人間の中には、次第に狂い、心身を崩していく者が現れます。我々が戦争神経症患者と呼んでいるのはそういった人間です」

 

 三階まで上った私たちは、再び廊下に出ると奥の部屋へと向かう。独特の匂いが漂うその空間に、彼の落ち着いた声だけが響き渡る。

 

「その症状は様々です。暴力衝動に駆られたり、酒に依存したり、引きこもるようになったり。睡眠障害や記憶障害もありますね。他者や物どころか、己の生存に対しても興味を抱かなくなる方もいます。それがもっと悪化すると、自ら命を絶とうとする方も存在します」

 

 鍵付きの扉を開いた先には、幾つもの棚とそこに積まれた書類の山が覗く。全部合わせれば四桁くらいの枚数にはなるのではないだろうか。プロイスはその内一つの山を取り出すと、慣れた手つきで捲り始めた。

 

「……近頃は大きな戦いも多いですから。ファイマル戦争、ゲルマ=トランの大反乱、少し遡ればロザイアの戦い……これらの戦いで神経症を患った人間は、まだ民衆の知るところとはなっていませんが。それでも軍は頭を悩ませ……フィウムなどの薬物による治療が可能かどうか、当院で試験しているのです。彼らを社会復帰させ……いずれは、再び戦場に送り込むことも目的として」

 

「……それ、上手くいっているんですか?」

 

「様々です。症状が緩和され、退院した例もありますし……依存する対象が酒からフィウムに変わっただけの例もあります」

 

 やがてひと束の書類を掴んだ彼は、残りの山を棚に戻すと部屋を後にした。慌てて追いかけながら、近づく彼の背に向けて口を開く。

 

「私みたいな素人には、そんな劇薬使ってまで無理に治すよりは……故郷とか、どこか静かなところで療養した方がいいような気もするんですけど」

 

「……なるほど。たしかに、そう主張する方は医師の中にも一定数います。ですが、それは難しいのです」

 

 立ち止まった彼は、周囲を見渡してから物悲しい顔でこちらを見つめる。その目は私を捉えながらも、私ではない誰かを憐んでいるようでもあった。

 

「戦争神経症を患った人間は、基本的に社会から排斥されます。軍務に耐えきれなかった臆病者、軟弱者として、 家族にすら拒絶され得るのです。そのような人間に、療養する最適な場などありません。だからこそ、この病院の最上階に入院しているのです。表向きは患者、実態としては軍の被検体として」

 

「………………」

 

「……そして、軍もそれを望んでいます。社会に臆病者の居場所がないほど、兵士はそう呼ばれ、扱われることを回避しようとし……結果として、戦場にしがみつくことになりますから。上官の命令を必死で遂行しようとする、使いやすい兵士として」

 

 

 

 

 

 やがて一階に戻った私たち。その視線の先で、フォールさんは少年に手を振り別れるところだった。やがてこちらに視線を戻した彼は、腰に手を当て深々と息を吐く。

 

「……で、目的の物は?」

 

「手に入りましたよ、ほら」

 

 プロイスから受け取った書類の束を渡すと、彼はそれを捲りながら……意味深に私を見つめた。

 

「……どうかしましたか?」

 

「……なあ、ミラン。極力視線を動かさないで聞いてほしいんだが……俺の斜め後ろくらいにさ、五人くらいいないか?」

 

「ああ……確かにいるっすけど」

 

 視線だけを一瞬振ると、看護師らしき女性たちが四人……五人ほど彼の方を見て何やら囁いている。その視線に、不快感の類は感じなかったけど。視線を戻しても、当の彼は書類を捲る手を止めようとはしない。

 

「まああなた有名人ですし……ついさっきまでも……」

 

「俺の記憶が正しければ。今感じてる視線の中に……一個だけ覚えがある。エンベルトの家で感じたものと同じ気配がする」

 

 すっと体温が下がる感覚。エンベルト宅で、捜査中の彼を見つめていた視線の主……それは、その夜私たちの追撃を振り切った、あのスパイ。彼の感覚を信じるなら、あの五人の中にスパイ本人がいるということになる。そんなことがあるのか、と疑いながらも、目線だけを動かして彼女たちを探る。

 

 その中の一人、かなり小柄な少女が目に留まった。小柄である以上に存在感が薄く、パッと見ただけでは見落としてしまうほどに儚げな風貌。人畜無害そうなその少女がどうして気になるのか、自分でもよくわからなかったのだが。不意に、脳裏にヘルマンの家の光景が甦った。

 

(……そういえば、あの家の窓ってかなり小さかったな……私ならまあ通れるけど、大人は絶対無理だし。そう考えると、あの娘の可能性もあるのか……?)

 

 十五の私より更に小柄なのだから、十三、下手すれば十二歳なのだろうか。そんな彼女に疑いを向けるのも少々申し訳ないが、自分の命が懸かっている以上四の五の言ってもいられない。彼女たちの方に向けて数歩近づくと、件の少女は明確に私を見据え、怯えたように他の看護師の陰に隠れた。

 

「ごめんなさい、ちょっと聞きたいことが……」

 

「きゃっ……!?」

 

 それは、何の変哲もない悲鳴だった。目の前に虫が降って来たとかその程度のありふれた悲鳴、けれどもそれは辺りの空気を一変させた。

 

 細い通路を通って走り去る少女。一瞬立ち尽くした周囲の看護師は、すぐにその通路を塞ぐように動いた。視界の端ではフォールさんも虚ろな目で立ち尽くしていて、その手から書類がこぼれ落ちた。私自身も僅かに立ち尽くしてしまったが、すぐに後を追おうと駆け出す。

 

「そこ退いてください、邪魔っす!」

 

「邪魔!?何考えてるのよ、マノンちゃんが可哀想じゃない!」

 

「可哀想!?まさか、あんたらも……!」

 

 無理矢理押し退けようとするも、小柄な私では肉壁に徹する四人を突破することは難しい。その間もこのクソ看護師どもは私を非難してくるし、待合室の人間からも野次が飛んでくる。

 

(何か……何かおかしい!数歩近づいただけなのに、ここまで噛みついてくるか普通!?こっちは英雄とその連れなのに、そうまでして彼女を庇う理由が何か……)

 

 こいつら全員が協力者なわけはなはずだが、だとすると一体何が起きているのか……混乱する私の背後で、カシャン、と何かが落ちる音が幾重にも響く。

 

「……神経症の患者は七階にいるって言ったな?」

 

「え、ええ……」

 

 プロイスにそう尋ねながら、彼はリボルバーの銃弾を抜き。床に散らばったそれには見向きもせず、代わりに何かを詰めると銃口を私に向けた。

 

「先行っててくれ、ミラン」

 

 響く銃声。辺りに漂う悲鳴と硝煙。そんな中、目の前に立ち塞がる看護師たちの身体が揺らいだ。

 

「もらったっす……!」

 

 空いた隙間に飛び込むと、左右の二人を突き飛ばして突破する。あの少女に遅れること数十秒、彼女が消えた通路を疾駆する私の背後で、彼は拾い上げた書類を手にし立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

「……あ、あの、今のは……!?」

 

「空包だ、気にするな。元々威力の高い物ではないし、七階までは聞こえない……はず」

 

 狼狽えるプロイスを黙らせるように、少し語気を強めて言う。飛び出したミランのことが少し気になるが、あの少女一人にそこまで戦闘力はなさそうだし、そこまで焦る必要もないだろう。どちらかというと、問題なのは俺の手の中の書類――そこに記された、一つの名前。

 

「それより聞きたいんだが……このページは戦争神経症患者の名簿だよな?なんで、ニュート・アークライトの名前が載っていて……なんで、死んだことになっている?」

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