「……帰ったか」
気が付けば、部屋に残されたのは俺と一つの死体だけ。近くにあった椅子に腰掛けると、背もたれに体重を預ける。どうせ夜明けまではまだ時間があるのだし、少しばかり休んだところで咎められはしないだろう。そこまで考えて、ふと気が付く。
(……なんでこんなに身体が重いんだ?)
やったことと言えば、エーリヒの件の焼き直し。己を餌にぶら下げて、挑発して、最後に一発引き金を引くだけの簡単な仕事。むしろ俺を恨む人間を合法的に始末できる、役得と言ってもいい仕事だ。実際引き金を引いたあの瞬間までは特段何も感じていなかったのに。今俺の身体にのしかかる疲労感は一体何なのか。
(どいつもこいつも……何も知らないくせに、英雄だの人殺しだの好き勝手言いやがって……)
この女の言い分も理解はできる。息子の死の原因が実は同じ国の人間にあったと聞けば、それに対し復讐心を抱くのは自然なことだろう。よりにもよってあの戦いを引き起こしたクルセンド共和国、そのスパイの協力者になり下がっていなければ、申し訳ないとは思ったのだが。
だが、俺たちだって命は惜しかったのだ。例え味方を巻き込んだとしても、ああしなければ自分たちが死んでいたかもしれない以上、あの時の選択は間違っていない。間違っていないに決まってる。己にそう言い聞かせすと、床から例の写真立てを拾い上げ……もう一度、床に放り投げた。
(……ここから署は遠いし、死体を見張りなしで放置するのはまずいから……巡回中の警務部の人間を捕まえて、署へ応援要請をしてもらうか。その後は部長にAEIの件も含めた報告をして、どうせ握り潰される書類を書いて……巡回まであと二時間くらいはあるから、それまではこの家に手掛かりがないか確認を続けよう。この調子だと、今日は家に帰れないか……)
仕事のことで頭を埋め尽くすと、余計な迷いが上書きされて消えていくのを感じる。それでも、幾らかの雑念が頭に残った。エーリヒの生前の姿、その遺骸、そしてティーナの姿が。
「……どのみち、今日は帰らない方がいいか」
おそらく今の状態の俺を見たら、彼女は何かと心配し気を遣うだろう。ただでさえ最近は迷惑をかけてばかりなのに。この仕事を終わらせて、ほんの少し休みでも貰ったらきっと元に戻るはず。大した悩みもなく、毎夜夢に起こされることもなく……ただティーナの隣で、静かな幸福感を感じられていた頃の自分に。
(………………仕事が終わったところで……イリスもエーリヒも帰ってこないし、俺の英雄扱いは変わらないのに)
一瞬よぎった考えに知らないふりをして。仕事に戻るため、俺はゆっくりと椅子から立ち上がった。
薄黄色の草原の上に、四人の子供が倒れていた。全員同じカーキ色の軍服姿で、同じように荒い息を吐いて。疲労困憊を絵に描いたような彼らを見下ろして、俺は”隊長としてのフォール・ヴァルトルーデ”に戻る。
「よう、死人ども。罰走お疲れ様」
「「「「………………」」」」
どうやら四人共、言葉を返す体力もないようで。彼らの隣に腰を下ろして、何となしに夕陽を眺めること数分。最初に体力を取り戻したらしいディルクが、半ば這うように宿舎の方に戻っていった。水、水……と呟くその様子は、砂漠を彷徨う旅人を想起させる。
「……あの、隊長……?」
一瞬、誰の声かわからなかった。四人しかいない自分の部下の声を間違えるなど、普段は決してあり得ないことだが。それでも迷うほどに、その声は掠れ切っていた。
「……どうした?エーリヒ」
「前、言ってましたよね……タリオンに入るまで、ほとんど家から出ることなかったって……」
「ああ、実際そうだったけど。親が出してくれなかったし」
「……じゃあ、なんで……」
そこから先は声にならなかったが、三人の顔を見ていれば言いたいことは大体わかる。『それならなんで、平然と身体能力で自分たちを凌駕するのか』みたいなことを聞きたいのだろう。実際今日の訓練でも、遅れていたイリスとエーリヒを切り捨てれば俺たち三人は規定タイムをクリアできたのだ。多分俺一人なら、もっと余裕で。
「……なんでだろうな。なんかもう……たまたま、そういう身体で生まれたとしか言いようがないな」
間違いなく、彼ら三人にとって何の参考にもならない回答。それを最後に草原から人の声が消える。やがて回復した順に、ニュートとエーリヒが宿舎に戻っていく。最後まで側に残ったイリスも、すぐに去るだろうと思っていたのだが。
「……なあ、イリス?まだ動けないなら負ぶっていこうか?」
気が付けば、太陽の端が地平線に差し掛かろうとしていて。あんまり遅れるとまた罰走送りになる、と危惧する俺に、彼女は一拍置いて。
「……その、隊長。一つ、お尋ねしてもいいですか?」
まだ掠れたか細い声で、そう問うた。
「……あんま長くならないなら、いいよ」
「ありがとうございます……その、隊長から見て……私って、どう……ですか?」
青色の瞳に真っすぐ見据えられ、少し悩む。かなり曖昧な質問であるし、それ故答えようはいくらでもある。ただ、事実上の人払いをした上でこうして尋ねられたのだから、真剣に答えないといけないとは思った。
「……頭は切れる。間違いなく、この隊ではぶっちぎりで一番。俺と違って、感情や衝動に引っ張られることもないし。ただ、体力面ではまだちょっと、かな。女だからってのもあるだろうし、努力してるのはわかってる……つもりだけど。けどとにかく、お前を副官にしたことは後悔してない」
タリオンという、軍の奇妙な部隊にスカウトされて。いざ入ってみたら、第六感を発現しているから、とかいう理由で突然隊長という立場と同年代の”部下”を持たされて。副官は選ばせてやるから決めろ、と言われて慌てて選んだのが彼女だった。それまでに話した数人の中で、一番頭が回って冷静そうというふわふわした理由だったのだが。それでも、今までその選択を悔やんだことはなかった。多分彼女と組めたのは俺の虚無みたいな人生の中で一番の幸運だろう。
「……本当ですか?むしろ邪魔だとか、足手まといだとか……」
「ない。というか待て、誰かに言われたのか?」
「いえ……ですが、そう思われても仕方ないかと。ニュートもディルクもエーリヒも、目的があってこの部隊に身を置いてるじゃないですか。上からの評価を人一倍気にしている彼らからすれば、私の存在は……」
イリスの言葉に、数日前の会話を思い出す。ニュートは家族に認められるため、ディルクは軍人として出世する夢のため、エーリヒは金のためだったか。単に家出したかっただけの俺とは違い、皆ちゃんとした理由があるんだなぁ、と感心に近いものを覚えた記憶がある。それを思うと、イリスの自責感情にもある程度納得はいくが。
「……けどやっぱり、お前は必要だよ。大体ニュートだって想定外の何かに弱いし、エーリヒは臆病っていうか……好機を逃すタイプだし、ディルクは単純に頭が足りないし。俺はよく頭空っぽのまま動くし、あと人付き合い下手だし。皆何かしら足りてないんだよ。だからこうして、訓練で最下位取って罰走喰らってるわけだし」
「まあ、そうですが……」
「まだ隊分けしてから二週間なんだし、今の結果を引きずる必要もないさ。俺はこれから……ヴィルの隊も、ハルトの隊も、リーゼもラセンも超えて、一番の隊になるつもりだから。そのためにお前が必要なのは間違いないんだから……多分お前がいなかったら、俺はどっかで理性失ってろくでもないことするし。だから……期待してるよ、イリス」
「……ありがとうございます、隊長。これからも、一層……精進しますね」
ようやく立ち上がった彼女は、銀色の髪を靡かせながら微笑んだ。ようやくいつも通りの彼女が戻って来たことに安堵しながら、並んで宿舎への道を歩き出して。
「……そういやさ、イリス。お前は何のためにタリオン来たの?」
この前話したときは、就寝時刻になったせいで彼女の番は回ってこなかった。地味に気になっていたことを追求すると、彼女は少しばつが悪い顔をして。
「……んー……なんていうか、あんまり楽しい話ではないんですけど……」
唸る彼女に時折目をやりながら歩く。結局、彼女が口を開く前に宿舎は目の前まで近づいていた。この場で聞くのは諦めるか、と心を決めた直後、彼女は数歩駆けて俺の前に躍り出る。
「……じゃあ、こうしませんか?私たちのデルタ分隊が、何かの訓練で一番になったら。そうしたら、私がここに入った理由を話します。どうでしょう?」
「……まあ、お前がいいならいいけど……しばらく先にはなりそうだなー……」
最初の競争訓練で最下位という、中々にキツイスタートを取ったこの隊にとっては。他の隊……特にぶっちぎりで一位を取ったラセンの隊に追いつき、追い越すのは夢のまた夢に思える。けれども、だからこそ面白く感じるのも事実で。
「まあいいさ……どうせ、あいつらに偉そうな顔されるのは嫌だしな」
「それもそうですね……まあとにかく、これからもよろしくお願いしますね、フォール隊長!」
その一言を最後に、彼女の顔が急にぼやけていく。拭い切れない名残惜しさを感じながら、俺は意識を彼女から……己の思い出から切り離した。
瞼を抉じ開けた先に見えるのは、煽るような瞳で俺の額をつつく金髪の女。テーブルから持ち上げた右手で雑に払い除けると、彼女の表情から笑みがすっと消えた。代わりに表れたそれが怒りなのか心配なのかは、俺には判別できない。
「……酷い顔」
「黙れクソ店員……さっさと片付けに戻れよ、お前は」
吐き捨てたその言葉はピアノの音に掻き消されて、きっと眼前の彼女にしか届かなかっただろう。幼子の教育に良くない言葉使いだとは自分でも思うので、それ自体は好都合なのだが。
「大体、俺の顔色が最悪だったとしてもお前には関係ないだろ」
「あなたの顔色が悪かったらティーナが心配する。ティーナの心労が増える。それは認められない」
「……なあソラ、それは俺が……」
隣のテーブルを拭いていた彼女は、こちらに振り返ると首を傾げた。いつもの皮肉っぽさの抜けた、年相応とも言えるその姿に、言いかけた言葉が急速に口内で萎んでいく。
「……悪い、忘れてくれ」
「……その言い方が一番性格悪い。教えろ、何を言おうとしたのか」
「忘れろっつっただろ……年下の女に言う事じゃない、それだけだ」
「口説こうとしてたなら殺すけど」
「ティーナに惚れた後にお前に惚れろと?不可能だろそんなこと」
「ならいい。ティーナより魅力的な女なんてこの世に存在しないから」
些か失礼なことを言った自覚はあるのだが、ソラにとっては自身がとやかく言われることよりもティーナが高く評価されたことの方が重要らしい。いくら友人とはいえ、一体ティーナの何がこいつをここまで惹きつけてやまないのか。ティーナに惚れ切っているのは俺も同じだが、男の俺がティーナに執着するのと女のソラが執着するのでは話が違うだろう。その感情の根本に何があるのか、知りたいような知りたくないような……ある種の恐ろしさを感じながら、テーブルの掃除を続けるソラをぼんやりと見ていて。ふと、こめかみの辺りに熱っぽい感覚が走った。
「……誰?」
視線を辿るように顔を動かすと、窓の外で見覚えのある赤髪が揺れた。驚きと申し訳なさが入り混じったような表情でこちらに一礼する少女を、見間違うことなどありえなかった。共にスパイを追いかけて、共に協力者の民間人を撃ち殺したのもまだたったの一週間前なのだから。そこまで考えてから、ようやく自分が置かれた状況を理解する。
「……お前の事嫌いになりそうだよ、ミラン……」
窓越しに、決して本人には届かぬ恨み言を呟いて。ソラの名を呼びながら窓の外を指差すと、彼女は俺と外のミランを交互に見て首を傾げた。
「……誰?浮気相手ならナイフ持ってく……」
「ただの仕事相手に決まってんだろ……!」
「いいの?よりによってティーナが居るときに……あなたとの仲がバレたら面倒では?」
「承知の上だ、いいから頼む」
不承不承といった表情で出入り口の方に歩き出すソラ。その後ろ姿に安堵の息を吐いてから首筋の汗を拭う。テーブルに散らかした書類を慌てて確認するも、特段隠す必要があるものは見当たらない。嫌な記憶を思い出したせいか少々喉の渇きが酷いが、後でソラが何か持ってきてくれることに賭けよう。まだ鈍い頭でそんなことを考えながら、古びたドアを押し開けるソラを眺めていた。