掟の底食い 作:ちわわのちくわ、
こっそり修正だと気にする方がいるかもなんで書いときます
他にもあるかもですけど許して
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波飛沫が吹き付ける岩礁の近くに、二人の底のねぐらがあった。
「……いきなり、何を言い出すの」
怪訝な顔でナミが聞き返す。
モアは誰だっけ、といった顔。ビビにはさっぱりだが、ステューシーの深刻な口ぶりに黙って耳を傾ける。
「チュウとムーモは、あなたたちが反旗を翻す前に姿を消した。大声で、この村から誰も出られないと宣言した後に。時系列的にはまだアーロンたちが圧倒的優勢にあったのだから、ナミちゃんたちを恐れて逃げたわけではない。能力を使い無数のコウモリで島全体を監視していたから、これは事実として扱ってちょうだい」
「わたしが聞きたいのは、なぜそんな話を蒸し返すのかって事。確かめようがなかったんでしょ? 海の中の事は」
「ええ、だから行方不明の話はここでどうしようもなく断絶している……真相は海の中。話を変えるわね」
船が小さな波を受け、僅かに傾き浴槽から湯がこぼれる。
「あなたの航海術と知識、天気を読む天資は本当に素晴らしいわ。グランドラインで経験を積めば、いずれ間違いなく世界一の航海士となるでしょうね」
「……おだてたって一ベリーも出ないわよ」
「事実よ。わたしだってこれまでにかなりの数の海を越え、優秀な航海士を数多く見てきたわ……その上でね、どうしても一つだけ、納得のいかないことがあるの」
「なによ」
ステューシーの雰囲気が変わった。ひび割れた薄氷の上に、音を立てずに素足を降ろすような躊躇いと恐れ。
「モアくんに聞いたのだけど、初めて出会った時、あなた、海の上で遭難していたって……本当かしら?」
「……そうだけど? 世界政府の人間がべた褒めしてくれる優秀な航海士様も、ミスくらいするものよ」
「いいえ、
「はあ? なにか言いたいの?」
「だから、ありえないのよ。あなたのような天才がイーストブルーで迷い遭難することなど……海賊を不意打ちする為に装うならともかく、本来はあっていいはずがないわ」
「そういう考え方、好きじゃないわね。イレギュラーなんて海の上じゃいつだって起こりうるわ。あの時は慌てて逃げてて、空腹だったし、水も底を突いてた。それも加わって正常な航路判断が出来ていなかっただけかもしれないでしょ。いい? ありえない、なんてことはこの世に無いの!」
「モアくんはカームベルトの出身よ」
「ありえ──」
ナミは反射的に言葉を返そうとして、途中で固まった。
航海士としての知識が警鐘を鳴らす。それだけはありえない。
カームベルトは風も海流も存在せず、超大型の巨大海王類たちが巣くう人類不可侵の海だ。海軍のように船底に海楼石を敷き詰めた軍艦でもない限り、帆船で生き残るなど不可能。ましてやあんな、出会った時のボロ船では。
「そこに浮かぶ、常に重い海霧に覆われていた小さく痩せた島……そこからどうやって、彼はあなたとイーストブルーで出会うことが出来たのかしら?」
「それは……」
思考が追いつかない。そうだ。自分自身が遭難したこと自体、自分の腕にかけて信じがたい出来事だったのだ。たしかにその時は
「わたしはね、絶対に遭難するはずのないナミちゃんと、絶対にカームベルトを抜けられるはずのないモアくんを引き合わせた何者かがいたとしか考えられないの」
「……なんなのよ、それ」
薄気味悪い鳥肌が立つ。
ステューシーはナミの怯えた瞳を一瞥すると、視線をゆっくりと下へと落とした。湯船に浮かぶ丸い乳房、浴槽の下、船底の下、港の向こう、沖の中、暗く深い海の底へ。
ぶんどり号の遥か下にピタリと追随してきたであろう、見えない巨影に向かって。
「おそらくは、海霧を操る超大型の海王類……底食いと呼ばれている」
それまでぼーっとしていたモアは、ステューシーに空虚な視線を向ける。ビビは知らない顔に固唾を飲んだ。
「なんで、わっかんないわよ! ……海王類がモアとわたしを引き合わせた……? 話が見えない」
「言いたい事はわかるわ。海王類が人間の意図を汲んで動くことは無い。仮説に仮説を重ねるようで悪いけれど、逆に考えてみて。もし海王類が、唐突に、生態に反す不自然さで、二人を引き合わせなければならない要因があったとするなら?」
人間の意志を貫徹する強制力、対象の世界の規則を歪めてしまう不条理性、生き方そのものを刷新してまう力があるとすれば。
ナミはモアを抱える腕に力を込めた。
たしかに、カームベルトからモアを離脱させる存在は海王類以外いない。そこには他の生命など……
「ココヤシ村で聞いたモアくんの願いは『多くの人間に会いたい』というものだった。偶然か、無意識のうちにか……どこかのタイミングで底食いに対してその類の文言の掟を立てていたのかもしれない」
馬鹿馬鹿しい、とナミはその考えを一蹴しようとした。だが確かに、奪ったばかりのぶんどり号で夢を尋ねた時に同じ事を言っていた。それが根底としてあるのなら……
「いつからそう考えるようになったの?」
「サンディ島に近づいたとき海ネコに会ったわよね? 比較的おとなしい事で知られる海獣が、こちらを一瞥すると逃げるように離れて行った。その時、可能性は高いと思った。海ネコはおそらく、底食いを感知した」
それは論拠に乏しいが、もとより人間に海の中の事を知るすべは無い。
ナミは慎重に推論を重ねる。
理屈は通ってはいる。底食いとやらが他の海王類を退けるほどの強さや大きさを持っているのなら、モアの安全を確保する事は可能だろう。
海獣より遥かに巨大な海王類ならほんの少し回遊するだけで大きな海流を生み出し、カームベルトから抜けさせることなど容易い。イーストブルーなら、ナミの船の航路を狂わせてモアのもとへ引き寄せることすら。
とは言え、しかしこれは他だの机上の空論。確かめようの無い現実に対してそれらしい理由を添えているだけだ。
カームベルトを抜けたというのも、あれほど小さなボロ船だから海王類に感知されなかっただけかもしれない。ナミの遭難も、たまたまアクシデントが起きただけとも取れる。
結論が出ないナミに、ステューシーは続けた。
「チュウとムーモの消息に話を戻すわね。彼らは大声で村を孤立させたと宣言した。それはつまり、モアくんのもっと多くの人に会いたいという願いを真っ向から邪魔する行為だと思わない?」
「だから食われた? でもあそこは海王類が泳ぐには浅すぎる」
「おそらく沖に出たのだと思う。その後の海の見張りはアーロンパークに戻って来たから」
一拍置いて、モアの目を見る。
「モアくん、先に謝っておくわ。仕事と自己の目的で、わたしはあの島であなたの事を調べた。ごめんなさい。けれど知らない事もある。だから、思い出してほしいの。掟が壊れたあの夜、誰も知らない、船で外に出た後、あなたが立てた掟を」
「おれはあの夜、海の上で……」
モアは言葉に詰まった。
あまりに静かで逃げ場の無い海が思い起こされる。舟板がきしみ、何かが下に潜んでいる気がした海が。
けれど。
ナミと出会えたのは、きっと海に消えた彼女が頼みを叶えてくれたからだと思っていた。ずっと。
彼にとってそれは触れれば壊れてしまう柔らかな繭に包まれていて、だからそっと、胸の奥深くへと大切に仕舞い込まれていた。
しかし「あの島以外の場所に行きたい、あの島の人間以外の人に会ってみたい」という頼みを叶えたのが底食いだとすれば……
ビビは短く息を呑み、ステューシーは痛みを堪えるようにふっと視線を伏せた。
「あ。なんだ、これ」
モアの頬を、音もなく一筋の雫が伝い落ちる。
当の本人は、自身の瞳から落ちたその正体がなんなのか知らない。
拭おうと思ったが、身体はうまく動かない。
たしか、ココヤシ村でナミが同じような事になっていた。
「モア?」
ナミが深刻そうに、顔を覗き込む。
「急に、なんなんだ。おれは、底食いがいてほしくなかったのか? そんな事は、どっちでもいいと思ってたけど」
船を漕ぎ出した時、底食いがいたとしても島の外で死ぬのなら、それはそれで構わなかった。結果的に無事に外でナミと会った時、底食いはいないのだと思ったが。
その程度だったはずなのに、なぜだかその存在をほのめかされると胸が苦しい。
ナミがステューシーに何か叫んでいるが、それよりも心境の変化が気になって逡巡する。
底食いの実存は、底の必然性を補完する。
なぜなら底食いはあらゆる耐え難き苦痛を望み、底は
ただそれだけの普遍的現実。
一貫して彼は底である事に不平不満は無かった。産まれ落ちた時より定められた掟であり、世界を動かす規則でしかない。
そんな当たり前のことが──
「そうか……おれはもう、底になりたくないんだ。それが今、わかった。だからか、これが出るのは」
片時も満たされず、苦しみ続ける入れ物になってしまえば、ナミと出会い、そこから得た全てを失う。失いたくなくて、それがひどく恐ろしくて、目から零れ落ちてゆくのだろう。
「目を逸らさないで!! 自分が不用意に人の過去を抉ってるって、わかってるんじゃないのッ!?」
「ナミ、ステューシーは悪くないよ、怒らないでくれ」
「だって、モア……」
釈然としないナミはしかし、怒りの矛先を向ける場所がない。
「本当にごめんなさい。でも伝えなければならなかった。仮に、事実だとすれば、掟が人間以外にも立てられるのならば、海王類さえも……」
危険なのだ、あまりにも。
悪魔の実の能力を逸脱し、届きかねない、世界を亡ぼすと言われる古代兵器にさえ。
それを考えれば、人間に作用する程度なら世界に露見しても構わないほど。
今まで以上に慎重になる必要がある。
だから例え傷つけるとしても伝えなければならない。
「そういう事なら……納得はする。ごめんなさい、急に怒鳴って。その……びっくりしちゃって、初めて見たから、モアが泣いてるの」
「わたしもいきなり踏み込み過ぎたと思ってる。モアくんに甘えていたわ……ごめんなさい」
ひとまず和解が済んで、ビビはほっとした。
「ステューシー。おれは確かに海の上で、あの島以外の場所に行きたい、あの島の人間以外の人に会ってみたいと言ったけど、何かがおれの掟に従ってカームベルトって所を抜けさせたとしても、底食いがいるかどうかはわからないけど」
目を閉じる。一人の遺体が鮮明に思い浮かぶ。
薄汚れて酷く痩せこけ、全身に無数の傷跡が刻まれていて、けれど月光に照らされた顔は薄く満たされていて。
「けどおれとナミを引き合わせたのは、たぶん別の人の力だと思う」
「あ、モアさんが笑ってる」
「あら本当、珍しい。というか初めて見たわね」
「え!? それホント!?」
ナミが慌ててぐるりとモアの身体を回して自分に向けるがいつもの顔だ。
「ちょっとぉ、わたしにも見せなさいよ!」
「おれもどうやったかわからない、ビビたちに言われて、そうなんだって感じだから」
「残念ね、可愛かったのに」
うふふと余裕ぶってからかうステューシーに、ナミは「あーそー」と半目を向ける。
「ビビ、ちょっとステューシーの股を広げて、思いっきり」
「こう?」
「え、ナミちゃん? ビビちゃんも、ちょっと素直すぎないかしら」
何という事だろう。世界政府のエージェントと言えど風呂の中では王女の細腕にされるがまま。
ナミはジグヤジーの石片を手に取り、邪悪な笑みを浮かべる。
「モアを泣かせたぶんのお仕置きがまだだったのを思い出したわ」
「ちょ、ちょっと待って、それはもう許してくれたんじゃ」
「わたしは許したわ。でもモアはまだ許してない。と思う」
ナニをするつもりなのか、手に取るようにわかってしまったステューシーは珍しく狼狽している。
「えい」
ナミがジグヤジーを漬ける。その瞬間、指向性を持った気泡と水流が無防備な股に向かって吹き出す。
「ん゙ん゙ーー!? それっ、やめてぇえ!」
「いい気味ねぇ! いっつもベッドでモアと一緒に弄んでくる仕返しよっ!」
「あの、ナミさん、モアさんが溺れてるけど……」
「わあしまった! つい」
その後、モアの産まれた島について彼の口から明かされ、それを聞いたナミとビビが憤怒していた。それはもうめちゃくちゃに。
あれこれと文句を言う二人を尻目に、ステューシーはモアを見やる。
(底食い、か)
底にある絶望を食う、あの村に伝わる伝承。
『掟が壊れて、底食いが放たれたんだって』
あの子供の言葉は、案外正しいのかもしれない。
ふっ、と口元を緩める。
少なくとも、わたしたちの絶望を食べてくれたのだから。
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ローグタウン海軍支部の休憩室。充満する煙の向こうで、スモーカーは新聞をめくっていた。
雑多な情報が並ぶ尋ね人、告知欄に目を滑らせ、ふいに彼の眉根が不機嫌そうに寄せられる。そこに記載されていたのは、見慣れた電伝虫の識別番号だった。添えられた文面は、借用物の受け渡しについて。
「おいたしぎ。この番号、お前のじゃないか?」
昼食の弁当をパクついていたたしぎの背中が、あからさまにギクッと跳ね上がった。
「え、ええ……あ、はい。まあ……そうみたいですね」
「どんな奴だ、そいつは」
冷や汗を流す部下の様子に、スモーカーは葉巻をふかしながら尋ねる。心当たりがあるなら手を貸してやろうかという、不器用な気遣いだった。
「えーと……傷だらけなんですけど、ちょっと、かなり整った顔立ちで……刀が好きで、すごく落ち着いた感じの人で、優しくて……」
刀マニアの偏った主観が入った説明はいまいち要領を得ない。どうせ優しいというのも、刀蘊蓄を黙って聞き流されたのを傾聴してくれていると勘違いしただけだろう。
スモーカーは忘れる事にして、パラパラと紙面をめくった。すると国際面の大きな写真が視界に飛び込んでくる。
「こいつか?」
言って新聞を広げて突きつけると、たしぎはメガネの座りを直しながら紙面を検めた。
「ん~~……あ、この人ですよ!」
パッと顔を輝かせるたしぎ。だが、スモーカーの顔色は対照的にどんどん険しくなっていく。
その写真の男の上には、大きな見出しが躍っていた。
『アラバスタに恵みの雨を降らせた英雄! ビビ王女と婚約か!? 王族に迎え入れられる奇跡の男!?』
飛ばし記事特有の「!?」が付いた、コンプライアンスの隙間を縫うギリギリの怪しい見出し。
そこに写っているのは間違いなく、アラバスタ救国の渦中の男、モアだった。
「え……お、お、王族……!?!?」
たしぎが素っ頓狂な声を上げる。スモーカーは咥えた葉巻を噛みつぶしそうになる。
「なんだお前……とんでもない奴に貸りを作っちまったんじゃねえか?」
一国の王女の婚約者候補(仮)であり、救国の英雄。そんな奴と自分の部下が個人的に繋がっているなど、嫌な予感しかしない。特にたしぎという点が厄介そうだ。
「あ、いえ……貸りというか、その通りで、返さなきゃいけないんですよね」
「あ?」
たしぎは申し訳なさそうに言うと、少し待ってくださいと自室から一振りの仕込み刀を抱えて来てスモーカーの前に差し出した。
「なんだ、前に宿舎で持ってるのを見たなそれ。オモチャか」
「ところがですね……これを、こーして、あーすると……ほらっ!」
得意げな顔をしたたしぎが細工を素早く操作し、一気に鞘を抜いて見せる。
途端に、室内を漂う煙の勢いがかすかに衰えた。冷や汗がスモーカーの額を伝う。
「……こりゃ、海楼石じゃねえか!!」
「えへへ、そうなんです! しかもただの海楼石ではなく……しっかり鍛えてあるんですよ!!」
「海楼石を鍛ただと……!? んなもん、どうやって……」
スモーカーの思考が停止しかけた。いや頭が痛い。
「それは私にもさっぱりです……! いつかこれを打った刀匠にお会いして、お話を聞きたいです」
たしぎはうっとりと刀身を見つめ、ほれぼれとため息をつく。
スモーカーの頭痛は限界に達していた。額に青筋が浮かぶ。要するにこのドジな部下は、対能力者用のカウンターとしても、歴史的価値としても物騒な代物を、現状は王族関係者? から借りパクしたまま放置していたのだ。
「……で、これはいくらぐらいするもんなんだ……」
いくら個人の貸し借りとはいえ、場合によっては、部下の管理不足どころか海軍の威信に関わる。いや、下手をすれば懲戒免職どころの騒ぎではない。
するとたしぎは、ムッと不満そうに眉をひそめた。
「値段なんかつくわけないじゃないですか! これはワノ国の国宝として、しかるべき美術館に厳重に飾られて然るべき逸品です!! ベリーという数量化可能な尺度で図ろうとすること自体がこの芸術に対する露悪的な消費と言っても」
ごつッ!!
「いだっ!?」
熱弁をふるうたしぎの頭に、スモーカーの重い拳骨が落とされた。涙目になりながら頭を押さえる。
「能天気なこと抜かしてんじゃねえ! 荷物をまとめろ! 休憩を切り上げて、すぐに出航だ!!」
「麦わらの一味ですか!?」
「アラバスタに決まってんだろ! いや麦……アラバスタだ! とっとと返すぞ、そんな刀。持ってるだけ厄介すぎる」
荷物をまとめに走るたしぎの背中を睨みつけながら、スモーカーは新しい葉巻に火をつけた。
(……クソが、ここんところ面倒ばかりだ)
つい先日、麦わら海賊団を名乗る一行がローグタウンで大暴れした後、海賊らしくグランドラインを目指して発った。
だから追ったのだが、どうも麦わらの一味はロクな航海士がいないらしい。
イーストブルーのまったく別の島で、海賊のクセに悪党をシメたと報告があり、結果的に先にグランドラインに入ったスモーカーたちはカームベルトを突っ切ってイーストブルーに戻り、いったん補給の為にローグタウンに帰港したところだ。
そして偶然か意図的か……たぶんたまたま辿り着いたのだろうが、再びリバースマウンテン付近で一味らしき船を見かけた者がいたらしいので、今度こそ麦わらはグランドラインに到達しただろう。面倒なので、もうそうであってほしい。
なので、スモーカーからすればグランドラインへの再度突入は一石二鳥。けどなんだかあまりお得な気はしない。たぶん損してる。
それにしても、とため息交じりの煙を吐き出す。
海軍曹長が、王族だかなんだか分からない人物から国宝級の刀を借りっぱなしにしているという事実。相手の出方によってはたしぎの首が飛ぶだけでは済まない。海軍の面目は丸つぶれだ。
海楼石の武器は、特にロギア系の能力者に対して有効に働く。
覇気と呼ばれる意志の力を扱う技術を体得し、それを武器に纏えば同等の効果があるが、そここそが海楼石の利点だ。覇気は無尽蔵ではないし、武器に割く覇気を別に回せる。
また、通常の武器では能力や腕力によって容易に、纏った覇気が途切れた隙を突かれて破壊されかねないが、海楼石を破壊する事は難きを極める。
能力跋扈するこの海において壊れない事は、なによりも信頼がおける。
「う~む」
スモーカーは腕を組んでソファに浅く座りなおし、天井を見上げた。
なんだかずいぶんと面倒なことになっている気がする。
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船出のための物資を手配している間、ナミは単身レインベースへと足を運んでいた。当面の航海資金を稼ぐためである。
レインディナーズは入り口に鎮座していた悪趣味な巨大ワニの像が撤去されている以外、かつてと何も変わらぬ熱気と喧騒に包まれていた。
イカサマの後にバックレれば、カジノ側からすれば彼女が共犯者であることは明白だった。しかし確たる証拠がないのをいいことに、ナミは持ち前の図太い神経で堂々と卓に陣取り、あれよあれよという間に荒稼ぎしてチップの山を築き上げていた。
「これはこれは、
背後からかけられた声に振り返ると、イブンが以前と変わらぬ平静な態度で立っていた。彼が恭しく手で示した先、中央フロアのハイリミットテーブルではオドが静かにカードをシャッフルしている。
「あら、カジノマネージャー直々のお誘いとは、嬉しいわ」
「その役職は廃止され、今は支配人を務めております」
(てことは副支配人が現オーナーかしら。どちらにしろ挑戦状ってわけね。受けて立とうじゃないの!)
腕が鳴るわと意気揚々と乗り込んだナミだったが、オドは紛れも無く本物だった。小さな勝ちは拾えるのだが、勝負の波をことごとく躱され、気づけば少しずつ、しかし確実に手元のチップが目減りしていく。
(まいったわね。実際に卓に着くとこいつ……いままでカモにしてきたやつとは違うわ)
「……この辺りで、手仕舞いになさってはいかがですか。お客様」
ナミが視線を上げると、オドは静かな双眸でこちらを見据えていた。
「この国を救っていただいた対価としては少々少ないかもしれませんが……いつぞやの
オドの視線が、ナミの手元に残されたチップの山へと向けられる。現在の持ち金は、きっちり8000万ベリー。
おおよそ察しているのだろう。この国に突然降った恵みの雨と、クロコダイルの態度の急変。その裏側に、彼女たちいることを。
「元オーナーの首と同じ額です……手打ちにするには、悪くない数字のはずだ」
(……なるほどね。チップの額まで完全にコントロールされてたってわけ)
これ以上粘ってもカジノから勝ちをもぎ取ることはできないだろう。むしろ、綺麗に身包み剥がされるだけだ。カジノ側の意地と、国を救われたことへの敬意。その両方を加味したギリギリのラインがここなのだと、ナミは受け取った。
「そういえば、あの夫人はどうしたの? ほら、飲んだくれの」
「国に帰った。夫の会社を乗っ取るとか言って、怖い笑顔で。あれは、やるぞ」
「なにそれ、面白そうじゃない」
ナミはふっと笑みを浮かべた。
「キャッシュアウトをお願い」
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ナノハナの港は、救国の英雄を乗せて出航する船を見送るアラバスタの国民たちの歓声に包まれていた。
遠ざかる喧騒を操舵室で聞きながら、ステューシーがふと口を開く。
「そう言えば、この新しい船の名前はどうするの?」
「うーん、そうねぇ」
操舵輪の傍らに立つナミは考え込んだ。
「ぶんどり号の次はどうしようかしら……」
(……ぶんどり号、ね)
ステューシーは内心でそっと溜め息を吐いた。以前の関係なら、ナミの船なのだから何でもいいと思ったが、命運を共にする今、寝起きする船がそんな物騒かつ奇天烈な名前になるのだけは、さすがに勘弁してほしい。
「ナミちゃんっぽいイメージの可愛らしい名前がいいんじゃないかしら? 例えば……そう、オレンジとかそいうイメージの」
手遅れになる前に、ステューシーは大人の微笑みを浮かべてそっと平和的な誘導を試みた。
「わたしっぽい……? そうねぇ」
ナミはブツブツと呟いた後、ポンと手を打って満面の笑みで宣言した。
「んー、ねこ、猫。決めた! ねこそぎ号よ!」
「…………」
より凶悪になってどうするの。
ステューシーは言葉を失い、額を押さえて諦めた。
モアという名を与えたのもナミだと聞いているが、あれは本当に、天地がひっくり返るほどの奇跡だったのだと静かに悟った。
まあいい、と切り替える。
「それより紹介したい人がいるの。急になっちゃったけど、彼女も一緒に行くわ」
しなやかな足取りで姿を現したのは、ミステリアスな雰囲気を纏った美女だった。
揺れる艶やかな黒髪、吸い込まれそうな切れ長の瞳。そして何より、薄手の衣服の上からでもはっきりと分かる豊満な胸としなやかな脚。その場の空気が一瞬だけ静まり返る。
「初めまして。ニコ・ロビンよ……これからよろしくお願いするわ」
涼やかな、それでいてどこか影を帯びた声音で静かに名乗った彼女を見て、ナミがポンと手を打った。
「あ、カジノの支配人」
とナミ。レインディナーズで潜入していた時に一度だけ見た事がある。あいつは仕事をしないと、よくオドが愚痴っていた。
(ん……ちょっと待って。ま~~た美人で胸のデカいやつが仲間になるの? ていうか、大丈夫かしら……? ビビも乗ってきてヤリまくりでしょうし。なんだか色々と居づらくならない? わたし我慢するつもりないんだけど)
「あ、ポーネグリフを見に来た人」
とビビ。ステューシーと付き添い、深刻そうな顔で眺めていたのを思い出す。
わー、おっぱいが大きい。
とモアは口に出さないデリカシーを覚えていた。
「モアくんとナミちゃんには話したけど、わたしの目的は、将来において世界政府からある人を救う事にある」
これはビビを含め、情報を共有する事で改めて仲間として加わるという儀礼的な弁でもある。誰もが言わずともステューシーの意を汲んだ。
「名はベガパンク。クローンであるわたしの生みの親、彼の知的好奇心は世界政府が禁ずる空白の百年の解明に及ぶ。今までのわたしはそれが露見した時に備えていたのだけど、やり方を変えてみる事にしたの」
え、ん? ちょっと待って、間になんか……うん? まあ話の途中か……
この時ビビだけは、ステューシーが、いやステューシーとロビンがやろうとしている事にいち早く気が付いた。だからポーネグリフを……。
「世界政府が抹殺対象とするのは、空白の百年を探ろうとする者。なら、誰よりも先に解明し曝露すれば他の者はその罪を負う事は無くなる。だからわたしがその先駆者となる」
「ごめんちょっといい? さすがに、ごめんだけど」
ナミが割って入る。
「えっと整理させてね。ステューシーが助けたいベガパンク? って人は空白の百年? っていうヤバい秘密を知ろうとしてて、それが政府にバレると殺される。だからステューシーはそれに備えてベガパンクを物理的に守るのではなく、誰よりも先に秘密を世界に解き明かし、公然の情報とすることで秘密を探る意味を失くし、結果的にベガパンクを助けたい? ってこと、で合ってる?」
「ええ」と、にっこりと笑ってステューシー。
「それだと最終的にあんたが世界政府に狙われない?」
「ええ」
「っていうかわたしたちも?」
「ええ」
「ひょっとしてアラバスタの件より危ない?」
「ええ」
ナミは天を仰ぎ見る。終わった──
ビビが真剣な面持ちで言った。
「ベガパンクさんより先に真実に到達する為に必要なのが、ロビンさんという事ね」
「そう。彼女は空白の百年の手掛かりとなるポーネグリフを完全解読できる、おそらく世界でただ一人の人間。けた外れの知性を持つベガパンクにも出来ないでしょうから、勝算はあるわ」
ロビンが帽子を脱ぎ、口を開く。
「わたしとしては真実を知るのが重要なのであって、先駆者としての名声はいらない。とはいえ世界政府の人間と組むのは皮肉なものだけどね……まあ、それを言ったら王女様としても元バロックワークスのわたしと船を同じくするのは複雑でしょうし」
「ええっ! ロビンさんはバロックワークスだったの!?」
「ふふ、ミス・オールサンデーで通ってたわ。名前くらいは聞いた事があるんじゃないの? ミス・ウェンズデー」
「っく、かつての敵と仲間になるなんて……」
眉間にしわを寄せ、拳を握りしめる。
「ビビも最初は敵だったけど」 とモア。
「ロビンさん、一緒にポーネグリフを探しましょう! おー!」
「ていうかわかってるの、ビビ。めちゃくちゃヤバいわよ、この二人がやろうとしてる事」
「うーん、でもまだ世界政府には二人の企みを知られてないから、こっそりやればいいんじゃない?」
バレなきゃいいだろみたいな精神を一国の王女から聞くとは思わなかった。
「あのね~お菓子をつまみ食いするのとは訳が違うのよ」
「大丈夫よ、きっと」
ビビが安心させるように、にっこりと笑う。
「わたしだって、一緒にお菓子をつまみ食いするつもりでアラバスタの命運をみんなと共にするつもりじゃなかったもの。きっとうまくいくはずよ!」
不思議と、ビビが口にすればその通りになる気がする。王女の持つ威厳とでも言えばいいのか。不確かではあるものの身体の底から自信が湧いてくる。
「ま、こうなるか」
ナミは半ば諦めかけて頭をかき短く嘆息する。
「モアは?」
「おれは嬉しいよ、ステューシーが秘密を明かしてくれて。だから最初から意見は変わらない。ステューシーの大切な人を助けるのに協力する」
「ん、あんたならそう言うでしょうね。じゃ、とりあえず当面はポーネグリフってやつを探す旅にしましょうか。ある程度の目星は付いてるんでしょ? ロビン」
「いいえまったく」
面白がるように首を振るロビンに、ナミは「おっけ、わかった」と頷くばかりだ。他にどうしようもない。
「本当にいいの? ナミちゃんは。これから先は、わたしの手に余る敵も出てくるわよ」
「乗り掛かった舟って言うか、もう乗って航海中だし。そもそもステューシーの腕自慢は眉唾物だし……それに、わかってて聞いてるでしょ?」
シニカルに笑うナミに、ステューシーは小さく肩をすくめて答えた。
「さあて、とりあえず一分の後の南風を捕まえるわよ、モア! 帆を張って! どうせ世界中の海図を作るつもりだったんだから、ポーネグリフもどこかで見つけるでしょ!」
ねこそぎ号は真っ白な波の尾を弾きながらグランドラインの海を進んでいく。
沖に出ると、否応なく底食いの事を思い出した。
大浴槽でモアが語った言葉も。
『けどおれとナミを引き合わせたのは、たぶん別の人の力だと思う』
ナミは密やかに穏やかな笑みを浮かべ、海に眠る彼女をいとおしんだ。
わたしとモアを出会わせてくれて、ありがとう──
掟の底食い 完