先生と〇〇   作:幻獣ハンター(ケモナー)

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第三話 先生×ネコ

 

 人間は弱い。

 

 そんなことは、医者をやっていれば嫌というほど分かる。

 

 転んで骨を折る。食事を喉に詰まらせる。風邪をこじらせる。酒を飲みすぎて肝臓を壊す。

 

 そして、医者に「大丈夫ですよね」と聞く。

 

 大丈夫かどうか分からないから診ているのだが、患者にそう答えると嫌われる。医者というのは、知識のほかに、多少の愛想を要求される仕事だった。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「キミも含めて、みんな弱いね」

 

 俺は隣を見た。白い髪。赤い眼。猫に似た耳と尾。

 

 その身体の一部は、今も俺の念で繋ぎ止められている。

 

 退院させたとはいえ、完治したわけではない。脳にも心臓にも、まだ俺の作った組織が残っていた。

 

 そんな患者から弱いと言われるのは、どうにも納得がいかなかった。

 

「一つ訂正しておく」

 

「何?」

 

「俺はお前より弱いかもしれんが、お前は今、俺がいないと困る」

 

「知ってるよ」

 

「なら、もう少し敬意を払え」

 

「先生、弱いのに?」

 

「弱い奴にも払え」

 

 患者は首を傾げた。本気で分からないらしい。弱肉強食のキメラアントらしいと自らを納得させた。

 

 俺は諦めて歩き出した。退院させてから半日。まだ街にも着いていない。隣の患者が好奇心で寄り道をしまくるのだ。外の世界が新鮮なのはわかるが、先が思いやられた。

 

     

 

 

 

 

 街へ出るまでに、二度ほど患者を見失いかけた。

 

 一度目は、鳥を追って木に登った。二度目は、道端で何かの気配を感じたらしく、藪へ消えた。

 

 どちらも俺が呼ぶと戻ってきた。戻ってくるのだから、まだましなのだろう。

 

 犬を飼ったことはないが、少なくとも犬なら首輪を買うことができる。こいつに首輪を提案した場合、俺の首がどうなるかは考えたくなかった。

 

「勝手に遠くへ行くなと言っただろ」

 

「遠くじゃないよ」

 

「俺から見えなくなった」

 

「先生の眼が悪いんじゃない?」

 

「お前の手足が消えても、俺の眼のせいにする気か」

 

 患者は口を閉じた。それから、俺の隣へ戻ってきた。距離制限というのは、なかなか便利な躾の道具である。

 

 もちろん、医者として患者を躾けようなどとは思っていない。思っていないが、何事にも限度というものがあった。

 

 街の入口が見えたところで、俺は足を止めた。

 

「その耳、隠せるか」

 

「何で?」

 

「目立つからだ」

 

「先生は目立たないの?」

 

「俺は普通の中年男だ」

 

「……普通?」

 

「そこに疑問を持つな」

 

 患者は自分の耳に触れた。白い耳が、指先を避けるように動く。

 

「隠すの、嫌だ」

 

「人間の街で騒ぎになりたくない」

 

「人間」

 

 その言葉を、患者は妙にゆっくり繰り返した。通りを歩く人々を見る。買い物袋を提げた女。荷物を運ぶ男。走り回る子供たち。

 

 患者の眼が、一人ずつを追っていく。

 

 俺には、道行く人間を見て何を考えているのか分からなかった。

 

 ただ、近くを通った男が患者と眼を合わせたとき、男の方が先に顔を逸らした。隣の患者は不思議そうに、その背中を見送った。

 

「……逃げた」

 

「お前が睨むからだ」

 

「睨んでないよ」

 

「じゃあ、見つめすぎだ」

 

「弱いね」

 

「だから、それを言うな」

 

 衣料品店を見つけ、俺は患者を連れて入った。

 

 フードのついた上着。ゆったりしたズボン。尾を隠せるよう、裾の長い服も選ぶ。

 

 患者は服を手に取るたび、匂いを嗅いでいた。

 

「いい加減やめろ」

 

「何で?」

 

「店の商品だ」

 

「匂いがする」

 

「そりゃ、するだろう」

 

「人間の」

 

「……買うぞ」

 

 店員が近づいてきた。

 

「お連れ様ですか?」

 

「ええ、まあ」

 

 患者が俺を見た。

 

「先生、ボクは――」

 

「試着室はどちらですか」

 

 俺は店員へ尋ねた。

 

 患者が何を言おうとしたのか、聞かないことにした。十分ほど後。

 

 フードを被った患者が、試着室から出てきた。白い髪の大半が隠れ、耳も見えない。尾も服の下に収まっていた。

 

 少なくとも、一目でキメラアントだとは分からない。

 

「どうだ」

 

 俺が聞くと、患者は袖を引っ張った。

 

「動きにくい」

 

「慣れろ」

 

「破いていい?」

 

「今から買う服だぞ」

 

「じゃあ、脱ぐ」

 

「破くな。脱ぐな。お願いだから着ろ」

 

「先生、注文が多いね」

 

「患者が言うな」

 

 店員が小さく笑った。患者の耳が、フードの下で動いた。

 

「……何?」

 

「何でもないですよ」

 

 店員は笑顔で答えた。患者はしばらく、その喉を見ていた。

 

 嫌な予感がし、俺はすぐに会計を済ませた。余計な事故は、起こさないに限る。

 

     

 

 

 

 

 

 街を出て、次の交通機関へ向かう道すがら、患者は何度も振り返った。

 

「何だ」

 

「人間、いっぱいいた」

 

「街だからな」

 

「みんな、あんなところに集まって何してるの?」

 

「暮らしてる」

 

「暮らす?」

 

「食って、働いて、寝る。たまに遊ぶ」

 

「それだけ?」

 

「それだけで忙しいんだよ、人間は」

 

 患者は考え込んだ。

 

「先生も?」

 

「俺もだ」

 

「先生は、いつ遊ぶの?」

 

「……最近は、あまり」

 

「じゃあ、ずっと働いてるの?」

 

「そういうことになるな」

 

「何で?」

 

 俺は歩きながら、空を見た。どうしてだったか。昔は、理由があった気がする。

 

 医者になりたかった。患者を助けたかった。

 

 自分の腕で、誰かの人生を少しでも長く繋ぎたかった。

 

 それがいつから、失敗を数える仕事になったのだろう。

 

「……ほかに、やることがないからだ」

 

「つまらなそう」

 

「そうでもない」

 

「嘘」

 

「お前は、医者の嘘を見抜くのが好きだな」

 

「先生、分かりやすいもん」

 

 俺は返事をしなかった。患者は少し先へ歩き、振り返る。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「ボク、何をしてたんだろうね?」

 

 また、その質問だった。俺は足を止めなかった。

 

「さあな」

 

「何か、しなきゃいけなかったんだ」

 

「そうか」

 

「誰かを探してたのかな?」

 

「……かもしれん」

 

 患者は俺の横へ戻った。

 

「先生についていったら、分かる?」

 

 俺は答えに詰まった。名前なら知っている。何をしていたのかも、少しは聞いた。

 

 だが、俺が知っていることと、こいつが知りたがっていることは、同じなのだろうか。

 

「俺は記憶の専門家じゃない」

 

「医者なのに?」

 

「医者にも専門がある」

 

「じゃあ、記憶の先生を探してよ」

 

「……考えておく」

 

「また、それ」

 

 患者は不服そうだった。俺も不服だった。

 

 こんなところで、あいつの記憶を取り戻す手助けをする約束など、したくなかった。

 

 だが、記憶障害の患者に「思い出さない方がいい」と言う医者にも、なりたくなかった。

 

 まったく。

 

 自分の仕事を嫌いになるには、十分な理由だった。

 

     

 

 

 

 

 事故は、唐突に起きた。最初に聞こえたのは、鈍い衝撃音だった。金属が擦れる音。続いて、短い悲鳴。

 

 振り返ると、交差点で車が一台、道路の端へ大きく傾いていた。トラックに横から追突されていのだ。

 

 タイヤが歩道への段差を乗り越え、車体が横転する。窓ガラスが砕けた。荷物が散らばる。

 

 瞬間に俺は走った。

 

「先生?」

 

「そこで待ってろ!」

 

 言い終える前に、患者の気配が横を抜けた。

 

 速い。

 

 あっという間に車のそばへ辿り着く。

 

 俺が追いついたとき、患者は横転した車を見下ろしていた。

 

「……人間、入ってる」

 

「分かってる。手を貸せ」

 

 運転席の男が呻いていた。意識はある。助手席には女。後部座席に、少女がいた。俺は少女を見た。

 

 小柄な身体。折れ曲がった座席。頭部と腹部から、血が流れていた。

 

「……くそ」

 

 俺は車内へ手を伸ばした。少女の呼吸は浅い。意識は無い。出血量も多い。

 

 ほかの二人も負傷していたが、今すぐ命を失いかねないのは、この子だった。

 

「おい、車を支えられるか」

 

 患者が俺を見た。

 

「これ?」

 

「そうだ。大きく動かすなよ。中に人がいる」

 

「……分かった」

 

 白い手が車体へ伸びた。車が、片手でいとも簡単に、わずかに浮いた。

 

「そのまま」

 

「うん」

 

 周囲に集まり始めた人間へ声をかける。

 

「救急車を呼んでくれ! 交通事故、負傷者は三人だ!」

 

 携帯電話を取り出した男が、慌てて頷いた。俺は少女へ向き直った。

 

 頭部、腹部の損傷。腹部は車の破片が刺さり大量出血。

内部にも傷がある。

 

 このまま搬送を待つだけでは、間に合わない可能性がある。

 

「……手術室を出したいところだが」

 

 俺はほかの二人を見た。

 

 ここで少女と一緒にシュレディンガーへ入れば、外に残した患者たちを診られない。

 

 それに、手術室へ入ったところで、問題が一つ残る。

 

 俺の念は、すでに別の患者へ大量に割かれている。

 

 

 今、車を支えているあいつだ。

 

 少女の腹部を補うには、足りない。俺は出血を抑えながら、考えた。

 

 一瞬、脳裏にピトーへの能力行使を中止するという案が浮かんで、すぐに消えた。

 

 目の前に新しい患者が現れたからといって、前の患者を壊していいわけがない。

 

 あの日と同じだった。判断を迫られている。

 

 俺は手を動かした。

 

 考えるのをやめたわけではない。考えながら、手を止めないことにした。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「この子、死ぬの?」

 

「……死なせたくない」

 

「できないの?」

 

「できることをやってる」

 

 患者が、車から手を離した。

 

「おい、待て――」

 

 車は倒れなかった。車の重心をかけ、安定させてから離していた。

 

 白い影が、少女のそばへ来た。赤い眼が、傷を見た。

 

 その瞬間。

 

 患者の動きが止まった。

 

     

 

 

 

「……あ」

 

 隣の患者が、小さく声を漏らした。俺は顔を上げた。

 

「どうした」

 

 患者は少女を見ていた。眼が、いつもと違った。

 

 俺を警戒するときの眼でもない。人間の強さを測るときの眼でもない。

 

 何かを、必死に探している。

 

「……先生」

 

「何だ」

 

「どいて」

 

「は?」

 

「ボク、これ……」

 

 患者が手を伸ばした。俺は反射的に、その腕を掴んだ。

 

「何をする」

 

 赤い眼が俺を見た。耳が伏せられる。

 

「……直せる」

 

「何?」

 

「前にも、こんなふうに……」

 

 言葉が途切れた。患者は、自分の手を見た。

 

「……分からない。でも」

 

 その身体から、念が立ち上った。俺は息を呑んだ。異様な気配だった。

 

 死体の上で見た、あの念に似ている。

 

 だが、違う。

 

 今度は、生きている患者自身の意思がある。念が形を取った。念人形。奇妙な姿をした、医療用の人形。

 

 見間違えるはずがなかった。

 

 あの日、欠けた脳と心臓を修復しようとしていたもの。

 

 俺が不足分を補ったあと、血液を巡らせ、心臓を動かしたもの。あれと、同じだった。

 

「……おい」

 

 患者は、答えなかった。

 

 眼が、少女の傷へ向いている。その手つきが変わった。

 

 つい先ほどまで、俺の処置を不思議そうに眺めていた患者とは思えなかった。

 

 傷を確かめる。損傷を見極める。修復すべき箇所へ、迷わず触肢を伸ばす。

 

 ただし、完全に自動で動いているわけではなかった。

 

 患者は、考えていた。何を先に直すべきか。どこを繋げば、次の処置ができるか。

 

 それを、自分で選んでいる。

 

「……先生」

 

「何だ」

 

「こっち、押さえて」

 

 俺は言われた箇所を見た。

 

 確かに、そこを押さえれば処置が進む。

 

 俺は手を動かした。

 

「こうか」

 

「うん。もう少し」

 

「ここはどうする」

 

「……待って。今、直す」

 

 人形が動く。少女の身体に、修復が進んでいく。

 

 俺は呼吸を確かめた。

 

 まだ浅い。脈も弱い。

 

 だが、さっきまでとは違う。

 

 救命できる可能性が、目の前に現れていた。

 

「……そうだ」

 

 俺は言った。

 

「そこを先にやれ」

 

「分かってる」

 

「出血は」

 

「今、止める」

 

「呼吸が浅い」

 

 患者は、ほんの一瞬だけ俺を見た。

 

「先生、うるさい」

 

 患者は、また少女へ向き直った。俺は自分ができる処置を続けた。少女の処置が軌道に乗ったことで、俺は残りの2人を見ることができた。

 

 少女の身体が、少しずつ戻っていく。目の前の俺の患者が、直している。

 

 俺が拾った、あのキメラアントが。

 

     

 

 

 

 

 

 少女の呼吸が落ち着いたとき、俺はようやく肩の力を抜いた。

 

 まだ、安心はできない。

 

 事故による損傷は、治療した瞬間にすべて終わるものではない。経過を見なければならないし、ほかの負傷者もいる。

 

 それでも。助かった。

 

 少なくとも、今ここで失われるはずだった命は、繋がった。

 

「……よし」

 

 俺は少女の状態をもう一度確認した。

 

 患者は、隣で黙っていた。あの人形は、まだそこにいる。

 

「お前、それ……」

 

 俺が言うと、患者は顔を上げた。

 

「何?」

 

「いつから使えた」

 

「……知らない」

 

「名前は」

 

「知らない」

 

「どうやって出した」

 

「……分からない」

 

 俺は人形を見た。医療用の念能力。

 

 しかも、ただ傷を塞ぐだけではない。

 

 俺が正常な細胞を基に代用品を作り、患者自身の回復を待つのに対して、こいつの能力は、損傷した身体そのものを修復している。

 

 医者として、念能力者としても、興味が湧いた。

 

 そして、人間としては、ひどく嫌な予感がした。

 

 記憶が戻り始めているのではないか。

 

「……何かを思い出したのか?」

 

 患者は、少女を見た。

 

「誰かがいた」

 

「誰だ」

 

「分からない」

 

「何をしていた」

 

「……守ってた」

 

 患者は胸元を押さえた。

 

「ボク、誰かを守らなきゃいけなかった」

 

 耳が伏せられる。

 

「その人が傷ついたら、直さなきゃいけなかった」

 

「……そうか」

 

「でも、誰だったのか分からない」

 

 患者は自分の手を見た。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「ボク、これができたんだね」

 

「ああ」

 

「先生と同じ?」

 

「……似てるところはある」

 

「先生より、上手?」

 

「調子に乗るな」

 

 患者の尾が、一度だけ動いた。

 

 だが、笑わなかった。赤い眼が、まっすぐ俺を見た。

 

「ボクは、何者なの?」

 

 俺は答えなかった。

 

 答えを知らないからではない。知ってしまったからだ。

 

     

 

 

 

 

 救急隊が到着した。

 

 俺は少女の負傷箇所と、それまでに行った処置を説明した。

 

 念能力による治療については、説明に少し苦労した。

 

 医者をやっていて、治療方法を説明するのに困ることは珍しくない。だが、「猫耳の患者が出した人形で修復しました」と正直に言うのは、さすがに難しかった。

 

 少女の搬送先を確認する。

 

 ほかの二人についても、分かる範囲で状態を伝えた。

 

 運転席の男は、担架へ移される途中で、少女の名前を呼んでいた。俺は、娘も搬送されることを伝えた。

 

 男は何度も礼を言った。俺は頷いた。

 

 礼を言われるのは、嫌いではない。

 

 ただ、今回ばかりは、俺が受け取るのも違う気がした。

 

 振り返る。

 

 患者は、少し離れたところで救急隊の動きを見ていた。

 

 白い耳が、フードから覗いている。

 

 俺は指で示した。

 

「耳」

 

「……あ」

 

 患者はフードを直した。救急車が去っていく。サイレンが、遠ざかった。

 

 俺は道端に座り込んだ。

 

 疲れた。

 

 ひどく疲れた。

 

 今日一日で、何度か人生を間違えた気がした。

 

 数える気にもならなかった。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「さっきの子、助かった?」

 

「ああ。今のところはな」

 

「ふうん」

 

 患者は、救急車が去った方角を見た。

 

「人間って、すぐ壊れるね」

 

「そうだな」

 

「先生も?」

 

「俺もだ」

 

「……でも、直せる」

 

 俺は顔を上げた。患者は自分の手を見ていた。

 

「ボク、直せた」

 

「ああ」

 

「先生も、直してた」

 

「それが仕事だからな」

 

「……仕事」

 

 患者は、その言葉を確かめるように繰り返した。やがて、俺の隣へ来た。

 

 近すぎない距離。

 

 手を伸ばせば届く。

 

 だが、どちらも伸ばさない。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「ボク、ついていく」

 

「……今さら何を言ってる。離れたらお前が困るだろ」

 

「それだけじゃない」

 

 俺は患者を見た。

 

「先生についていけば、思い出せるかもしれない」

 

 尾が、静かに揺れていた。

 

「ボクが誰だったのか。何をしなきゃいけなかったのか」

 

 俺は、すぐには返事ができなかった。

 

 こいつは記憶を取り戻したい。俺は、取り戻されたら困る。

 

 少なくとも、今は。

 

 記憶が戻れば、王直属護衛軍としての忠誠も戻るのか。

 

 人間への敵意も。ゴンをあそこまで追い詰めた理由も。

 

 それとも、今のこいつに、何か別のものが残るのか。

 

 分からない。

 

 俺には、分からないことが多すぎた。

 

「……先生?」

 

「好きにしろ」

 

「いいの?」

 

「どうせ、しばらくは離れられん」

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

 患者は、俺の顔を覗き込んだ。

 

「嘘つき」

 

「……患者に言われたくないな」

 

 この患者は、医者の診察には従わないくせに、こういうところだけ妙に鋭い。

 

「……お前の記憶については、もう少し調べる」

 

「ほんと?」

 

「ああ」

 

「約束?」

 

「医者に安易な約束をさせるな」

 

「……けち」

 

 患者は、少しだけ口を尖らせた。

 

 俺は立ち上がり、荷物を持つ。

 

 次の街へ行かなければならない。補給も必要だ。休息も必要だ。

 

 そして、次の患者も。

 

 もっとも、今は一人分の治療を終えたばかりだった。

 

 その治療を行なったのは、俺が最も警戒すべき相手だった。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

 軽やかな足音が、隣へ並んだ。

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