とある科学の反射魅了   作:モリーマ

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第1話

 食蜂操祈は、その瞬間、自分の身に何が起こったのかを正確には理解できなかった。

 

 常盤台中学の超能力者、学園都市第五位《心理掌握》。記憶の読み取りと書き換え、感情の操作、人格への干渉、意識の切断、さらには遠隔操作に至るまで、人間の精神という曖昧で複雑な領域を自在に扱うことのできる彼女にとって、自分自身の精神状態を観察し、その変化を把握することは呼吸と同じくらい当たり前の行為だった。だからこそ、どれほど微細な違和感であっても、それが自分の内側に生じたものであるなら、見落とすはずがなかった。

 

 学園都市のあちこちに、いざという時に自分の目や耳として利用できる人間を作っておく。その日も食蜂がしていたのは、それだけの、彼女にとっては特別でも何でもない作業だった。

 

 対象となったのは、柵川中学の制服を着た女子生徒――相沢由良。

 

 能力判定はレベル0。成績も身体能力も特筆するほどではなく、裏社会との目立った接点もない。能力開発を受けている以上、完全な一般人ではないにせよ、学園都市第五位である食蜂操祈がわざわざ強い関心を向ける理由など、本来ならどこにも存在しない少女だった。

 

 リモコンのボタンを押し、《心理掌握》を通して由良の意識へ触れる。

 

 能力そのものは何の問題もなく成立し、由良の意識へ侵入して必要な情報を拾い、命令を残すこともできた。能力を弾かれた感覚もなければ、別種の精神系能力から妨害された痕跡もなく、食蜂自身が認識できる範囲では、すべてがいつも通りに終わっている。

 

「……あらぁ?」

 

 にもかかわらず、食蜂はその場で小さく瞬きをした。

 

 由良の横顔を見ているだけで、妙に胸の奥がざわついていたからだ。

 

 かわいい、と唐突に思った。

 

 もちろん、客観的に見ても整った顔立ちではある。しかし、それだけで説明できる感覚ではなかった。制服のリボンが少し曲がっているから直してあげたい、髪をもう少し整えればもっと似合うだろう、この子は昼に何を食べているのか、きちんと栄養のあるものを摂っているのか――本来なら自分とは何の関係もないはずの事柄が、次から次へと思考に浮かび始める。

 

「……何よぉ、これ」

 

 しかも、その感覚に嫌悪はない。むしろ、自分から由良へ近づき、その生活へ関わっていきたいという方向へ感情が傾いているからこそ、精神干渉系能力者としての食蜂には、それがひどく不気味だった。

 

 すぐにその場を離れ、自分自身の精神状態を念入りに確認する。

 

 すると、相沢由良という一個人へ向けて、明らかに不自然な感情の偏りが形成されていることが分かった。

 

 単なる好意ではない。

 

 そばに置きたい。世話を焼きたい。守りたい。困っているなら助けたい。自分を頼ってほしい。そして可能ならば、自分だけを特別な存在として見てほしい。

 

 親愛、庇護欲、恋慕、執着と呼ぶべき感情が互いに複雑に絡み合い、それらが本人の意思とは無関係に、すでに精神の根深い部分へ食い込んでいる。

 

 食蜂は即座に解除を試みた。

 

 原因となった記憶と感情の接続を切り分け、感情強度を抑制し、認識を書き換え、自己暗示に近い形で由良への関心そのものを遠ざけようとする。しかし、どの処置にも成立した手応えはあるのに、由良をもう一度思い浮かべた途端、それまでとほとんど変わらない感情が、何事もなかったかのように蘇ってきた。

 

「…………嘘でしょう?」

 

 手段を変えて二度、三度と試しても結果は変わらず、むしろ解除を繰り返すうちに、「原因不明の精神干渉を受けた以上、この少女から距離を取らなければならない」という理性的な判断と、「由良ちゃんと離れるなんて絶対に嫌」という感情が、自分の内側で真正面から衝突し始める。

 

「ちょっと待ってよぉ……」

 

 翌日には、由良が昼休みに何を食べているのか気になった。

 

 三日後には、柵川中学の校門付近を通った際、偶然を装って姿を確認していた。

 

 一週間後には、連絡先を交換していた。

 

 その時、由良は当然のように尋ねた。

 

「そういえば、何て呼べばいいんですか?」

 

 食蜂は一瞬だけ考えるような表情を浮かべ、それから、なぜかひどく楽しそうに笑った。

 

「名前なんていいじゃなぁい」

 

「いや、よくないと思いますけど」

 

「私のことは、お姉様って呼んで?」

 

「嫌です」

 

「即答!?」

 

 それ以降も、由良が名前を尋ねるたびに、食蜂は「お姉様でいいでしょう?」と繰り返して押し切った。

 

 もちろん、素性を隠しておかなければならない事情があったわけではない。強いて言えば、食蜂操祈と名乗れば、学園都市のレベル5に詳しくない由良であっても、いずれ周囲から第五位であることを知り、妙な距離を取られる可能性はあった。

 

 だが、そんな理屈よりも大きかったのは、もっと単純で、もっとどうしようもない欲求だった。

 

 食蜂操祈は、相沢由良から「食蜂さん」と呼ばれるより、「お姉様」と呼ばれたかったのである。

 

 一か月後。

 

 食蜂は自室のベッドの上で枕を抱え込み、仰向けになったり横向きになったりしながら、自分でも制御できない妄想と格闘していた。

 

「由良ちゃんに、お姉様って呼ばれたらぁ……」

 

 脳裏では、由良が少し照れたように視線を逸らしながら、それでもこちらを見上げている。

 

『お姉様』

 

「――ッ!」

 

 食蜂は勢いよく枕へ顔を埋めた。

 

「ダメダメダメダメ、これは能力影響力。明らかに正常じゃないわぁ。私が年下の女の子を妹扱いしたくて、一人でこんなことになってるなんて、どう考えてもおかしいでしょう?」

 

 そう自分へ言い聞かせたところで、しばらく沈黙し、やがて枕から半分だけ顔を出す。

 

「でもぉ……妹って、いいわよねぇ……」

 

 再び顔を沈めた。

 

 さらにしばらくすると、今度は別の妄想が浮かんでくる。

 

「二人きりでパジャマパーティーとかぁ……」

 

 由良と同じ部屋で夜更かしをし、普段なら話さないようなことを話しているうちに、眠くなった由良が自分の肩へ寄りかかってくる――そんな場面まで容易に思い描けてしまう。

 

「――ふおっ」

 

 枕を抱く腕に力が入った。

 

「貸切スパなら、誰にも邪魔されないしぃ……」

 

 そこまで考えたところで、自分の鼻息が明らかに荒くなっていることに気づき、食蜂は枕を抱えたままぴたりと動きを止めた。

 

 どう考えてもおかしい。

 

 異常であることは、誰より自分自身が理解している。

 

 それでも、何度《心理掌握》を用いて原因の除去を試みても、由良への感情は消えなかった。それどころか、「これほど努力しても消えない」という事実だけが日々積み重なり、抵抗する気力の方が先に摩耗していく。

 

 そして、ある夜。

 

 食蜂操祈はベッドへ仰向けに転がり、天井を見つめたまま長い沈黙を続けた末、一つの境地へ到達した。

 

「……もう変態でいいんだ……」

 

 こうして学園都市第五位は、一人のレベル0によって、誰にも知られないまま静かに壊れた。

 

     ◆

 

「へえーっ! じゃあ御坂さんって、本当に自販機蹴るんですか?」

 

「ちょ、佐天さん!? 初対面でそこ聞く!?」

 

「だって初春から聞いたんですよ。都市伝説みたいで気になってて」

 

「初春ぅ!」

 

「わ、私ですか!?」

 

 休日のファミリーレストランで、美琴の抗議に初春飾利が肩をすくめ、佐天涙子が面白そうに笑う。その隣で、相沢由良は運ばれてきたアイスティーのストローを袋から取り出しながら、目の前に座る常盤台中学の二人を静かに眺めていた。

 

 第三位、御坂美琴。

 

 そして風紀委員でもある白井黒子。

 

 二人とも名門・常盤台中学の生徒であり、一方の由良と佐天は、同じ柵川中学に通う同級生にして、能力判定では揃ってレベル0だった。

 

 その共通点を佐天が面白がり、いつの頃からか二人は、自虐半分、仲間意識半分で自分たちのことを「レベル0同盟」と呼んでいる。

 

「いやあ、やっぱりレベル5ってすごいよねえ、由良ちゃん」

 

「そうですね」

 

「我らレベル0同盟からすると雲の上の存在ですよ」

 

「同盟員二名しかいませんけどね」

 

「いいの。少数精鋭だから」

 

「レベル0を精鋭と言い張るの、かなり無理ありません?」

 

「相沢さんまで何の話してんのよ……」

 

 美琴が呆れたように口を挟み、初春が横で苦笑する。

 

 由良はそんな美琴を眺めながら、少しだけ考え、それから素直な感想を口にした。

 

「でも、よかったです」

 

「ん?」

 

 美琴がアイスコーヒーから顔を上げる。

 

「常盤台の人が、全員あの人みたいなわけではないんですね」

 

「……あの人?」

 

 美琴が首を傾げた瞬間、佐天の口元に、ろくでもないことを思いついた時特有の笑みが浮かんだ。

 

 由良はそれを横目で捉え、嫌な予感を覚える。

 

「佐天さん」

 

「はい?」

 

「今、何か言おうとしてますよね」

 

「いやいや、別に?」

 

「その顔で誤魔化せると思ってます?」

 

「御坂さん、実は由良ちゃんって――」

 

「佐天さん」

 

「常盤台のお嬢様と援助交際してるんですよ♪」

 

「してません!」

 

「常盤台の生徒に援助交際って何よ!」

 

 由良と美琴の声がほとんど同時に重なり、黒子が飲み物へ伸ばしていた手を途中で止めた。初春だけは「ああ……」と、何度か聞いたことのある話題らしく苦笑している。

 

「ちょっと佐天さん、言い方!」

 

「だって、お金もらってるじゃん」

 

「もらってません。断ってます」

 

「物は?」

 

「……たまに」

 

「食事は?」

 

「…………ご馳走になります」

 

「ほら」

 

「ほらじゃありません!」

 

「同盟員として事実を報告しただけだよ?」

 

「そんな活動内容の同盟じゃないでしょう」

 

「そもそも何をする同盟なのよ、それ」

 

 美琴の問いに、佐天と由良は同時に黙った。

 

 数秒後、由良が答える。

 

「……特に何もしません」

 

「じゃあ同盟じゃないじゃない!」

 

 どうやらレベル0同盟について追及しても何も出てこないと判断したのか、美琴は一度ため息をついたものの、先ほどの話は聞き流せなかったらしく、その眉を少しずつ険しくしていった。

 

「で、ちょっと待って。何なの、その援助交際って」

 

「だからですね」

 

 佐天は楽しそうに身を乗り出した。

 

「由良ちゃん、ちょっと前から常盤台のお嬢様に気に入られてるらしくって。街で知り合ったとか何とかで、会うたびに物買ってもらったり、ご飯奢ってもらったりしてるんですよ」

 

「いや、それ普通に怖くない?」

 

「私は最初、常盤台ではこういう付き合い方が普通なのかと思ってました」

 

「そんなわけあるか!」

 

 美琴は即座に否定した。

 

「そうなんですか?」

 

「そうよ! 何よその偏見!」

 

「だって、最初に知り合った常盤台の人があの人だったので」

 

 由良は真顔だった。冗談で言っている気配がまるでなく、それを見た美琴は頭を抱えそうになり、黒子は事情を聞き流せなくなったのか、警戒するように目を細める。

 

「相沢さん。その方とは、どういう経緯でお知り合いになりましたの?」

 

「街で声をかけられました。前に一度見かけたことがあるとか何とか言われて」

 

「その方のことは、何と呼んでいますの?」

 

「呼んでません」

 

「……はい?」

 

「本人は『お姉様って呼んで』って言うんですけど、嫌なので」

 

 黒子が黙った。

 

 美琴も一瞬だけ理解が追いつかなかったらしく、由良の顔をまじまじと見つめる。

 

「ちょっと待って。じゃあ名前は?」

 

「聞いたことはあります。でも教えてくれないんです」

 

「何でよ」

 

「『名前なんてどうでもいいから、お姉様って呼んで』って」

 

「どうでもよくないでしょうが!」

 

「私もそう言いました」

 

「そこで意見一致してどうすんのよ!」

 

 由良は少し考えてから、さらに付け加える。

 

「なのでスマホでは《お姉様候補》で登録してあります」

 

「候補なんだ……」

 

 佐天がぽつりと呟いた。

 

「本人が勝手に登録しました」

 

「怖っ!」

 

 それまで面白がっていた佐天の声から、露骨に笑いが消える。

 

「え、待って。私、そこまで聞いてないんだけど」

 

「言ってませんでしたっけ」

 

「援助交際ってからかってた私が言うのも何だけど、なんか急に笑えなくなってきたよ?」

 

 美琴も完全に真顔になっていた。

 

「ちょっと詳しく話して」

 

「詳しく、ですか」

 

「その人、普段あんたに何してんの?」

 

 由良は少し考えた。

 

 本人としては、特に隠していたつもりはない。ただ、自分の中では一つ一つが「ちょっと距離感のおかしい人だな」で処理されており、それらをまとめて他人へ話したことがなかっただけである。

 

「まず、お姉様と呼ぶように言われます」

 

 一瞬、四人が揃って黙った。

 

「……さっき聞いたけど、そこまで重要なのね?」

 

 美琴が慎重に問い返す。

 

「会うたびに言われるので」

 

「何で?」

 

「妹にしたいそうです」

 

「何で!?」

 

「知りません」

 

 美琴の声量が一段上がる。

 

 由良は気にせず指を一本立て、そのまま報告を続けた。

 

「あと、二人きりでパジャマパーティーをしようと、よく誘われます。それから、貸切のスパに行こうとも言われます」

 

「貸切?」

 

「はい。高級ホテルのやつです」

 

「二人で?」

 

「二人で」

 

 指がさらに一本増える。

 

「会っている時、たまに鼻息が荒いです」

 

 黒子の眉がぴくりと動き、佐天の表情から完全に笑みが消えた。

 

「それと、妹料というものを渡そうとしてきます」

 

「妹料って何よ」

 

「妹でいてくれるお礼だそうです」

 

「待ってくださいまし」

 

 黒子が低い声で口を挟む。

 

「金額は?」

 

 由良は答えた。

 

 その瞬間、テーブル全体から音が消えた。

 

 数秒後、佐天がゆっくりと由良の方を向く。

 

「……え?」

 

「はい」

 

「待って。それ、月?」

 

「会うたびにです」

 

「え?」

 

 佐天はもう一度、まったく同じ声を出した。

 

「断ってますよ」

 

「そこじゃない」

 

「一度、『そんな金額受け取れません』って言ったら、『じゃあ振り込みにするぅ?』って」

 

「そこでもない!」

 

 佐天はついに両手で頭を抱えた。

 

「え? あの人そんなにヤバいの?」

 

「佐天さん、あなた今まで何だと思ってましたの?」

 

「ちょっと距離感のおかしいお金持ちのお嬢様かなって……」

 

「私もです」

 

「相沢さんまで!」

 

 黒子は額へ手を当てた。

 

「由良ちゃん、レベル0同盟の相方として聞くけどさ」

 

「はい」

 

「これ、同盟員として真面目に心配するやつだよね?」

 

「佐天さんが真面目な顔すると、ちょっと怖いですね」

 

「今それ言う!?」

 

 美琴はそんな二人を横目にしながら腕を組み、由良の話を頭の中で組み立て直しているようだったが、聞けば聞くほど表情が険しくなっていく。

 

「他には?」

 

「毎日連絡が来ます」

 

「毎日?」

 

「はい」

 

「どのくらい?」

 

「朝に『起きたぁ?』。昼に『お昼ちゃんと食べたぁ?』。放課後に『今日はどこ寄るのぉ?』。夜に『お風呂入ったぁ?』。寝る前に『おやすみなさい、夢で会いましょうねぇ』です」

 

 佐天はしばらく何も言わず、その内容を頭の中で反芻した後、引きつった顔で呟いた。

 

「監視じゃん」

 

「ですよね」

 

「気づいてんじゃない!」

 

「最近ちょっと怖いなとは思ってました」

 

「最近!?」

 

 美琴がとうとうテーブルへ両手をついた。

 

「どう考えても最初から怖いでしょうが!」

 

「でも、悪い人ではないと思うんです」

 

「その台詞、今までの話聞いた後だと余計怖いわよ!」

 

 由良は困ったように首を傾げた。

 

 実際、食蜂は由良へ危害を加えたことがない。

 

 欲しいと言っていない物を買おうとし、頼んでいない食事を奢り、妹になってほしいと迫り、二人きりの宿泊計画を定期的に提出してくるが、嫌だと言えば一応は引く。もっとも、その引き方は諦めるという意味ではなく、数日後には条件を少しだけ変えて再提案してくる、というものだった。

 

「この間は、パジャマパーティーを断ったら」

 

「うん」

 

「『じゃあお昼から夜九時までなら泊まりじゃないわよねぇ?』って」

 

「怖っ!」

 

 佐天が今度こそ素で声を上げる。

 

「佐天さん、もう援助交際ってからかわないでくださいね」

 

「ごめん。これは本当にちょっと反省してる」

 

「ちょっとなんですね」

 

「いや、そこは同盟員として全面的に反省するけど! そんなガチだとは思わないじゃん!」

 

 美琴は深く息を吐いた。

 

 もう冗談で済ませていい話には聞こえない。

 

 少なくとも、由良本人が相手との距離感を正確に認識できていないことだけは明らかだった。相手に悪意がないという由良の判断が間違っていない可能性はあるが、それと異常な執着を受け入れていいかどうかは、まったく別の問題である。

 

「相沢さん」

 

「はい」

 

「とりあえず、しばらくその人とは距離取りなさい」

 

「距離ですか」

 

「そう。会わない。高い物も受け取らない。二人きりにもならない。連絡もしつこいなら、無理に返さなくていい」

 

「でも」

 

「でもじゃない」

 

 美琴は冗談を挟む余地を与えない声で、由良をまっすぐ見た。

 

「相手が常盤台だろうが何だろうが、嫌だと思ったら断っていいの。向こうが怒ったり、無理やり会おうとしてきたりしたら、アタシに連絡して」

 

「御坂さんに?」

 

「メールでも何でもいいから。その人が誰なのか分かったら、アタシが何とかする」

 

 レベル5第三位という肩書きを抜きにしても、美琴の言葉には人を安心させるだけの強さがあった。

 

 能力判定のたびに佐天と二人で「今回も無事レベル0同盟継続だね」「全然めでたくありません」と笑っている由良からすれば、レベル5など本来は自分とは縁のない、遠い世界の人間である。その一人がこれほど自然に自分を助けると言ってくれることが、由良には少し不思議で、それ以上にありがたかった。

 

 しばらく考えた後、由良は素直に頷く。

 

「分かりました」

 

「今度連絡来たらじゃなくて、今送っちゃえば?」

 

 佐天が言った。

 

「しばらく会えないって。ほら、同盟員として私も見届けるから」

 

「レベル0同盟にそんな権限ありましたっけ?」

 

「今作った」

 

「適当ですね」

 

「でも、その方が御坂さんもいるし安心じゃない?」

 

「それはそうですね」

 

 由良はスマートフォンを取り出した。

 

 連絡先の最上部近くには、ほぼ毎日のようにメッセージが届くせいで、嫌でも一番目立つ相手が表示されている。

 

 名前は《お姉様候補》。

 

 もちろん、由良がそう呼びたくて登録したわけではない。以前、食蜂本人が由良の端末を勝手に操作し、自分でそう設定した結果だった。

 

「何て送ればいいですか?」

 

「普通でいいわよ。『しばらく忙しいので会えません』とか」

 

「分かりました」

 

 由良はポチポチと文字を打った。

 

『すみません。しばらく会うのは控えたいです。連絡も少し減らしてください』

 

 少し考えた後、もう一文だけ付け加える。

 

『妹料もいりません』

 

「送りました」

 

「よし」

 

 美琴が頷く。

 

「これで変な反応してきたら――」

 

 その言葉が終わる前に、由良のスマートフォンが机の上で激しく震え始めた。

 

 ぶるるるるるるるるる。

 

 送信から、まだ三秒ほどしか経っていない。

 

「電話です」

 

「早っ」

 

 佐天が露骨に引いた。

 

 画面には《お姉様候補》と表示されている。

 

「出なくていいわよ」

 

「はい」

 

 由良が迷わず着信を拒否すると、その直後には再び端末がぶるるるるるるるるる、と震え始め、それも拒否した途端、ほとんど間を置かず三度目の着信が入った。

 

「…………」

 

 美琴のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「何なのよ、そいつ」

 

「いつもこんな感じです」

 

「いつも!?」

 

 三度目の着信まで拒否すると、今度はメッセージ通知が連続して鳴り始めた。

 

『どうしたのぉ!?』

 

『何かあった!?』

 

『私何かしたぁ!?』

 

『妹料!?』

 

『妹料が少なかった!?』

 

『増やすからぁ!』

 

 由良は画面を見たまま、淡々と報告した。

 

「……増やすそうです」

 

「見せなくていい!」

 

 美琴が頭を抱え、黒子も完全に要注意人物を見る目になっている。

 

「これは一度、風紀委員として事情を確認した方が――」

 

「由良ちゃん」

 

 黒子の言葉を遮るように、佐天が窓の外を見た。

 

「何ですか?」

 

「あれ」

 

 指をさされ、由良もそちらへ視線を向ける。

 

 通りの向こうに、見覚えのありすぎる金色の髪が見えた。

 

「……あ」

 

 その人物は走っていた。

 

 常盤台の制服姿のまま、普段なら到底そんな運動をするようには見えない少女が、髪を乱し、息を切らし、それでも周囲から向けられる視線など一切気にすることなく、こちらへ向かって全力で駆けてくる。

 

 距離が縮まるにつれて表情まではっきり見えるようになり、由良は、その少女がひどく焦った顔をしているばかりか、今にも泣きそうな目でこちらだけを凝視し、走りながら何事かを必死に訴えていることに気づいた。

 

 やがて少女が店の前まで到達し、自動ドアが開いた瞬間、その絶叫がファミリーレストラン全体へ響き渡った。

 

「由良ちゃあぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 周囲の客が一斉に振り返る。

 

「何でぇ!? 何でしばらく会わないなんて言い出すのぉぉぉ!?」

 

 金髪の少女は、突然集まった店中の視線など存在しないも同然に無視し、由良だけを見つめたまま突進してくる。

 

「妹料!? 妹料が足りなかったあぁぁぁぁぁ!? 分かったわぁ! 三倍! 三倍にするからぁ!!」

 

 由良は席に座ったまま、少し困った顔で片手を上げた。

 

「あ、あの人です」

 

 美琴は動かなかった。

 

 黒子も動かなかった。

 

 つい先ほどまで、二人は由良へ異常な執着を向ける「正体不明の常盤台生」を想像していたはずなのに、実際に現れた人物を目にした途端、その顔から表情そのものが抜け落ちたように硬直している。

 

 佐天だけが、そんな二人の反応を不思議そうに見比べた。

 

「知ってる人ですか?」

 

 美琴の口が、数秒かけてようやく動く。

 

「……食蜂」

 

「はい?」

 

「食蜂、操祈……」

 

 その名前を聞いた瞬間、今度は佐天の方が固まった。

 

 由良だけが、まだ状況を理解していない。

 

「有名な人なんですか?」

 

 美琴と黒子は、すぐには答えられなかった。

 

 学園都市第五位。

 

 常盤台中学最大派閥の女王。

 

 人間の精神へ干渉する能力において頂点に立つ、《心理掌握》の食蜂操祈。

 

 先ほどまで「名前も教えず、妹になれと迫り、高額な妹料を押しつけ、高級貸切スパへ誘い、毎日連絡を送り続ける危険な常盤台生」として語られていた人物が、よりにもよってその本人だった。

 

「えっ」

 

 ようやく意味を理解した佐天が、由良と食蜂を交互に見る。

 

「ちょっと待って。第五位?」

 

「……そうよ」

 

「食蜂操祈?」

 

「そうですの」

 

「その人が?」

 

「そうよ」

 

「うちのレベル0同盟員に何してんの!?」

 

「こっちが聞きたいわよ!」

 

 美琴が叫ぶ。

 

 その間にも食蜂は止まらない。

 

「由良ちゃぁぁぁん! お姉様を捨てないでえぇぇぇぇぇ!」

 

 美琴の頭の中で、先ほどまで聞かされていた話が一気につながった。

 

 お姉様と呼ばせようとする。

 

 二人きりのパジャマパーティーへ誘う。

 

 高級貸切スパ。

 

 妹料。

 

 毎日の連絡。

 

 時折、鼻息が荒い。

 

 そして今、店中の視線をものともせず、第五位本人が「捨てないで」と絶叫しながら、レベル0の少女へ向かって駆け寄っている。

 

 その隣で黒子もまた、常盤台最大派閥の女王として知っている食蜂操祈と、目の前で半泣きになっている少女とをどう結びつければいいのか分からないように硬直していた。

 

「……食蜂、操祈ですの?」

 

「……アタシが知ってる食蜂操祈は、少なくともこんなんじゃなかったわよ」

 

「奇遇ですの。黒子もですわ」

 

 その二人の目の前で、「こんなんじゃなかったはず」の第五位は、今にも由良へ飛びつきそうな勢いのまま両腕を広げている。

 

「由良ちゃぁぁぁん!」

 

 対する由良は、そんな食蜂を見ても取り乱すことなく、その荒い呼吸と乱れた髪をしばらく観察してから、小さく息を吐いた。

 

「……今日はいつもより鼻息が荒いですね」

 

「そこなの!?」

 

 御坂美琴の叫びが、ファミリーレストランの店内に響いた。

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