常盤台中学において、食蜂操祈という少女が持つ影響力は、単に学園都市第五位という肩書きだけで説明できるものではなかった。
校内にいくつも存在する派閥の中でも最大規模を誇る集団を率い、能力も立場も性格も異なる少女たちを自分の周囲へ集めている「女王」。そのうえ、人間の精神そのものへ干渉する《心理掌握》という能力の性質まで加わるのだから、彼女が椅子へ腰掛け、普段通りに微笑んでいるだけでも、食蜂操祈という存在が周囲へ与える影響は決して小さくない。
放課後を控えた午後。
校舎から続くテラスの一角では、いくつか並べられたテーブルを食蜂派閥の少女たちが囲み、その中心に食蜂本人が座っていた。白いクロスの上には磨かれたティーセットと小さく切り分けられた菓子が並び、穏やかな午後の茶会にも見えるが、交わされている内容はもう少し実務的なものだった。
「――それで、例の件なのですが」
「その子本人はどうしたいって言っているのぉ?」
食蜂はカップの取っ手へ指を掛けたまま、報告してきた少女へ視線を向ける。
「できれば大事にはしたくない、と。相手方も、こちらと揉めるつもりまではないようです」
「だったら、最初からこちらが圧力をかける必要はないわねぇ。向こうがうちの名前を勝手に利用したことだけ訂正させれば十分でしょう? こっちが大人数で押しかけたりしたら、正しいことをしているはずなのに印象だけ悪くなっちゃうじゃなぁい」
「では、その方向で伝えます」
「それと昨日の件とは分けて考えてねぇ。似ているようで事情はまったく違うから、同じ子たちにまとめて処理させない方がいいと思うわ」
「承知しました」
声音は柔らかく、語尾にはいつもの気怠げな響きがある。それでも報告する少女たちは真剣に耳を傾け、その傍らでは帆風潤子が手元のメモへ目を落としながら、女王の判断を具体的な役割分担へ落とし込んでいた。
「では、こちらは私の方で二人ほど選んでおきます。女王、続けてもう一件よろしいですか?」
「ええ、いいわよぉ」
食蜂は頷き、紅茶を一口含む。
その姿は実に優雅だった。
数日前、ファミリーレストランへ全力で駆け込み、相沢由良へ半泣きで縋りつきながら妹料の増額を申し出ていた人物と同一人物だとは到底思えない。
まして由良から「お姉様」と呼ばれるために白井黒子を証拠として利用しようとし、興奮のあまり呼吸を乱して「鼻息が荒いです」と冷静に指摘された少女の面影など、今の食蜂には微塵もなかった。
相沢由良が目の前にいなければ、食蜂操祈は極めて食蜂操祈らしかった。
本心を簡単には読ませず、他人をからかう余裕を忘れず、それでいて必要な時には集団の中心として判断を下す。派閥の少女たちが日頃から「女王」と呼び、その周囲へ自然に集まっているのは、単に《心理掌握》という能力を恐れているからではない。
そんな、いつも通りの午後だった。
「相変わらず大所帯ね」
テラスに面した通路から聞こえてきた声に、食蜂は紅茶を口元まで運んだまま、ほんの少しだけ瞼を上げた。
「あらぁ」
御坂美琴。
その一歩後ろには、白井黒子がいる。
二人の姿を確認しても食蜂はカップを置くことすらせず、いつものような含みを持たせた笑みを浮かべた。
「御坂さんじゃなぁい。珍しいわねぇ。こういう集団行動とは縁が薄そうなあなたが、わざわざこっちを気にするなんて」
「誰が気にしてんのよ。通り道だっただけ」
「あらそう? それなら安心したわぁ。てっきり、お友達の作り方でも見学しに来たのかと思っちゃった」
「余計なお世話よ!」
美琴の眉間にすぐさま皺が寄った。
食蜂はそれを眺めて満足そうに紅茶を飲む。
ファミリーレストランで見せた狼狽など幻だったとでも言わんばかりの余裕であり、周囲にいる派閥員たちも、この程度の応酬ならいつものことだとばかりに静観している。
「お姉様、この方のお相手などなさらなくて結構ですの」
黒子が当然のように美琴の腕へ絡みつこうとする。
「少なくともお姉様には、この黒子という誰よりも深く、強く、運命によって結ばれた――」
「はいはい」
「お姉様!?」
「相変わらずねぇ、白井さんも」
食蜂が小さく笑った。
「でも御坂さん、そこまで慕ってくれる後輩がいるんだからぁ、もう少し大切にしてあげたらどうかしら?」
「アンタにだけは後輩との距離感について言われたくないわよ!」
食蜂の眉が、ごくわずかに動く。
「何のことかしらぁ?」
「とぼけんな!」
美琴は反射的に声を上げた後、周囲を食蜂派閥の少女たちに囲まれていることへ気づいたらしい。何人もの少女が何気ない顔でこちらへ耳を傾けているのを認め、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「……まあいいわ。行くわよ、黒子」
「はいですの、お姉様」
二人がそのまま通り過ぎようとする。
食蜂も引き留めようとはせず、何事もなかったように次の報告へ意識を戻そうとした。
ここまでは、本当にいつもの常盤台だった。
その均衡をわずかに崩したのは、美琴のポケットから聞こえてきた短い電子音だった。
「ん?」
美琴が足を止め、スマートフォンを取り出す。
食蜂は見なかった。
向かいの少女が開きかけた資料へ視線を戻し、あくまでも自分には何の関係もない出来事だという態度を崩さない。
「どうしましたの、お姉様?」
「佐天さんからだ」
その名前を聞いた瞬間だけ、食蜂の意識がわずかにそちらへ傾いた。
佐天涙子。
柵川中学の少女であり、数日前のファミリーレストランにもいた人物。そして、相沢由良と「レベル0同盟」などというものを作っている同級生でもある。
もっとも、それだけである。
食蜂は表情にも手元にも変化を見せず、紅茶へ視線を戻した。
「何と?」
黒子が美琴の肩越しに画面を覗き込む。
「『今日、暇だったら放課後、みんなで遊びに行きませんか?』だって」
「まあ、それはよろしいですわね。初春も一緒ですの?」
「みたい。佐天さんと、初春と――」
食蜂はゆっくり紅茶を口へ運んだ。
「相沢さんも来るって」
ガチャリ!
陶器と陶器のぶつかる、妙にはっきりした音がテラスへ響いた。
それまで交わされていた小さな会話が止まり、美琴と黒子、そして近くにいた派閥員たちの視線が一斉に女王へ向けられる。
食蜂のティーカップは、ソーサーの上へ戻されていた。
ただし、普段の彼女ならまず立てないような音を伴って。
食蜂自身は微笑んでいた。
口元も姿勢も視線も完璧に整い、何も起きていない、今の音など単なる偶然だと全身で主張するような、普段以上に完成度の高い笑顔だった。
「……女王?」
帆風が心配そうに声をかける。
「何か?」
「いえ、今、カップが……」
「あらぁ?」
食蜂は自分の手元を初めて確認したような顔をする。
「少し置き方が雑だったかしら。ごめんなさいねぇ、続けて?」
「……はい」
あまりにも自然だった。
帆風は多少の違和感を残しながらも頷き、派閥員たちも、たまたま手元が乱れただけなのだろうと受け止め直しかける。
ただし、白井黒子だけは違った。
「…………」
黒子は食蜂を見る。
美琴を見る。
もう一度食蜂を見る。
そして口元が、ゆっくりと持ち上がった。
数日前のファミリーレストランで何が起きたのかを、この場にいる派閥員たちは知らない。
黒子は知っている。
たった今鳴った一音が偶然である可能性など、ほとんど考えていなかった。
「なるほど」
「黒子?」
美琴が訝しげに振り返る。
「どうしたの?」
「いえ、お姉様。黒子、少々興味深いものを見た気がいたしましたの」
「そう?」
食蜂が黒子へ視線を向ける。
「気のせいじゃなぁい?」
「そうかもしれませんの」
黒子は笑った。
「ところで食蜂さん」
「何かしらぁ?」
「先ほどのお誘い、由良さんもご一緒だそうですの」
「そうみたいねぇ」
「ずいぶん淡泊ですのね」
「あら。だって、ただ他校の子が御坂さんたちと遊びに行くだけでしょう?」
「そうですの?」
「それ以外に何があるのよぉ」
食蜂は首を傾げ、何事もないように紅茶へ口をつける。
黒子はしばらくその横顔を見ていたが、それ以上は追及しなかった。
「ふむ」
「何よ」
「いえ。別に」
「気味が悪いわねぇ」
美琴が二人を見比べる。
「何なのよ、さっきから」
「何でもありませんの、お姉様」
「本当に?」
「ええ」
黒子の顔は、明らかに何かを楽しんでいた。
「お姉様。せっかくですから、佐天さんへ参加人数をお伝えしておきましょう」
「まあ、そうね」
「では」
黒子はスマートフォンを取り出し、わざと食蜂にも見える位置で画面を操作する。
「『御坂美琴と白井黒子、二名参加。食蜂さんは相沢さんがいらしても興味がないそうですので、お誘い不要』と――」
「あら、それは余計でしょう?」
食蜂は笑ったまま言った。
黒子の指が止まる。
「おや?」
「どうして私が参加するかどうかを、わざわざ佐天さんへ報告する必要があるのぉ?」
「ですが、相沢さんにはご興味がないのでしょう?」
「私が誰に興味を持つかと、あなたが勝手に私の意思を他人へ伝えることは別問題じゃなぁい?」
「では、その方に『食蜂さんは来ません』と伝わっても?」
「事実なら仕方ないでしょう?」
食蜂は余裕たっぷりにティーカップを傾けた。
「私はこの後も予定があるもの。御坂さんたちの庶民的な放課後遊びにまで付き合うほど暇じゃないわぁ」
「……なるほど」
黒子の目が細くなる。
先ほどのティーカップの音を知っているだけに疑わしくはあるが、食蜂はそれ以上の綻びを見せなかった。
美琴も少し怪訝そうに尋ねる。
「アンタ、本当に来ないの?」
「あらぁ?」
食蜂は笑う。
「どうして御坂さんまで、私に来てほしそうなのかしら」
「誰が!」
「なら問題ないでしょう?」
「……まあ、そうだけど」
「だったら早く行ったら? あの子たちを待たせたら悪いでしょう?」
美琴はまだ何か言いたげだったが、食蜂はすでに自分のカップへ視線を戻している。
黒子も一度だけ食蜂を見た後、肩を竦めた。
「思ったより手強いですの」
「何が?」
「こちらの話ですわ」
「性格が悪いわねぇ、白井さん」
「食蜂さんほどではございませんの」
二人が笑顔で牽制し合った、その時。
美琴のスマートフォンがもう一度鳴った。
「あ、また佐天さん」
今度こそ食蜂は視線すら向けなかった。
帆風が開いていた資料へ意識を戻し、何も聞いていないような顔で続きを待つ。
「何と?」
黒子が尋ねる。
美琴が画面を見る。
「えーっと……」
食蜂は資料を見ている。
「『由良ちゃんが――』」
食蜂の指先が止まった。
「『食蜂さんも暇なら、誘ってあげたらどうですかって言ってます』だって」
「由良ちゃんが!?」
食蜂は立ち上がっていた。
椅子が小さく後ろへずれる。
「行くわ! 何時!? どこに集合なの!?」
「…………」
「…………」
「…………」
テラスが静まり返った。
食蜂は立っている。
片手はすでにバッグへ伸びている。
顔には、それまで維持していた含みのある女王の微笑など欠片も残っていなかった。
代わりに浮かんでいるのは、隠そうともしていない喜色だった。星形の瞳が分かりやすいほど輝き、口元が完全に緩んでいる。
「由良ちゃんが私を誘ってくれたのよね!? 本当に!? 御坂さん、何て書いてあるの? そのまま読んで!」
「……アンタ」
「早く!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
美琴の方が面食らっていた。
黒子も一瞬だけ呆気に取られた後、ゆっくりと食蜂の顔を見る。
「『食蜂さんも暇なら誘ってあげたらどうですか』って」
「やっぱり誘ってるじゃない!」
「正確には佐天さんへ提案しただけだけど」
「同じことでしょう!?」
「いや、結構違うと思うけど」
「で、何時!?」
「食蜂さん」
黒子が口を挟む。
「何!?」
食蜂が即座に振り向いた。
その返事の速さだけで、黒子の笑みはさらに深くなった。
「先ほどまでの余裕は、どちらへ?」
「…………」
食蜂が止まった。
そこでようやく、周囲から自分へ集まっている視線に気づいたらしい。
帆風。
派閥員たち。
美琴。
黒子。
全員が見ている。
食蜂はゆっくりバッグから手を離し、一度咳払いをすると、髪を整え、スカートの皺を払った。
「……まあ」
何事もなかったように微笑もうとする。
だが、失敗した。
口元がまだ少し緩んでいる。
「事情が変わったのよぉ」
「どう変わりましたの?」
「本人からお誘いがあったのなら、断る方が失礼でしょう?」
「ずいぶん嬉しそうですの」
「そんなことないわよぉ」
「つい今、『由良ちゃんが!?』と叫んでいらっしゃいましたけれど」
「白井さん」
「はい?」
「忘れなさい」
「無理ですの」
美琴がとうとう吹き出した。
「アンタ、今までの全部何だったのよ!」
「何がよぉ!」
「さっきまであんなに余裕ぶってたじゃない!」
「余裕だったわよ!」
「由良さんから誘われた瞬間、全部消えましたの」
「消えてない!」
「消えたわよ」
「消えましたの」
「二人してうるさいわねぇ!」
食蜂は顔を赤くしたまま言い返した。
だが、もう遅かった。
少し前までなら、黒子にどれだけ突かれても、美琴にどれだけ疑われても、何事もない顔で受け流せていた。それが「本人から自分も誘ってよいと言われた」という情報一つで、行きたくないふりも、女王としての余裕も、きれいに吹き飛んでしまった。
「……女王?」
帆風が恐る恐る声をかける。
「何?」
「この後のご予定は……」
「あ」
食蜂が固まった。
ようやく現実を思い出したらしい。
テーブルには途中の資料が残っている。
自分は今まさに派閥の相談事を処理していた最中だった。
数分前には、それを理由に同行しないとまで言っていた。
「……潤子」
「はい」
「残り、どのくらいだったかしら」
帆風は手元を見る。
「急ぎの二件は方針が決まりました。残っているのは、私の方でも判断できる確認事項が一件と、後日でも問題のない案件が一件です」
「そう」
食蜂の目に、見る見る光が戻る。
「じゃあ潤子にお願いしても問題ないわね!」
「ええ、それ自体は」
「お願い!」
「女王?」
「由良ちゃん待たせられないから!」
「また言った!」
美琴が指をさした。
食蜂の動きが止まる。
「今完全に言ったわよね!」
「聞きましたの」
黒子も即座に続く。
「『由良ちゃん待たせられないから』と」
「…………」
派閥員たちの視線が、さらに食蜂へ集まる。
もはや取り繕いようがない。
「……違うのよぉ」
「何が?」
「これは、その……」
食蜂の視線が左右へ動いた。
数秒考えた末。
「監督!」
美琴が顔をしかめる。
「は?」
「監督よ! 御坂さんが由良ちゃんに、また変なことを吹き込まないように私が監督する必要があるの!」
「今思いついたでしょうが!」
「最初から考えてたわよぉ!」
「その割には誘われるまで来ないって言ってましたのに?」
「状況が変わったの!」
「便利ですわね、その言葉!」
黒子はもう隠そうともせず楽しそうに笑っている。
派閥の少女たちも、誰一人として食蜂の「監督」という説明を信じている様子はなかった。
帆風だけは、その空気を察して女王の逃げ道を残すことにしたらしい。
「分かりました、女王」
「潤子!」
食蜂が救われたように振り向く。
「こちらは私にお任せください」
「さすが潤子ねぇ!」
「はい」
帆風は穏やかに微笑んだ。
「楽しんできてください」
「だから監督!」
食蜂が即座に訂正する。
しかし、もうその否定には一片の説得力も残っていなかった。
「それじゃあ行きましょう!」
食蜂は早々にバッグを手に取る。
美琴が呆れたように見る。
「何でアンタが仕切ってんのよ」
「時間は有限なのよぉ!」
「十分前まで一番行く気なかった奴が言うな!」
「今は行く気があるんだからいいでしょう!」
「開き直った!?」
食蜂はそこで、はっと口を閉じた。
「…………」
「今『行く気がある』って」
「御坂さん」
「何よ」
「今日のあなた、本当に細かいわねぇ」
「アンタが分かりやすすぎんのよ!」
黒子がくすくす笑う。
「食蜂さん、先ほどまでの女王然としたお姿はどちらへ?」
「白井さん?」
「はい?」
「今日のこと、覚えておきなさい」
「大変怖いですの」
「全然怖がってないでしょう!」
それでも食蜂の足取りは止まらなかった。
むしろ先ほどまでより明らかに速い。
三人がテラスから離れようとしたところで、黒子がふと思い出したように口を開いた。
「そうですわ、食蜂さん」
「今度は何?」
「由良さんにお会いした時は、また鼻息を荒くなさらないようお気をつけくださいまし」
食蜂の足が止まった。
派閥員たちの視線が一斉に集まる。
帆風も目を瞬く。
美琴は額へ手を当てた。
「黒子……それ今ここで言う?」
「あら、親切心ですの」
「白井黒子ぉ……」
食蜂がゆっくり振り返った。
笑顔だった。
だが、先ほどまで女王として見せていた余裕ある笑顔とは違う。
明らかに羞恥と怒りを、必死に笑顔の形へ押し込めたものだった。
「その話をこれ以上ここでするならぁ、あなたが普段御坂さんへどれだけ常識的な距離感で接しているのか、一つずつ検証してあげてもいいのよ?」
「望むところですの!」
「何で受けて立つのよ!」
美琴の叫びと同時に、黒子がいつものように美琴へ飛びつこうとし、美琴がその額を掌で押し返した。
「お姉様ぁ!」
「くっつくな!」
その光景を見た食蜂は、ようやく少しだけ普段の調子を取り戻したらしく、口元に含みのある笑みを浮かべる。
「あらぁ。白井さんを見ていると、少なくとも私だけが距離感について注意されるのは納得できないわねぇ」
「黒子とアンタを一緒にすんな!」
「お姉様、黒子は食蜂さんなどと比較にならないほど健全ですの!」
「どの口が言ってんのよ!」
三人の騒がしい声が、通路の向こうへ遠ざかっていく。
やがてテラスには、先ほどまでとはまるで性質の違う静寂が戻った。
派閥の少女たちは誰も、すぐには口を開かなかった。
最大派閥の女王。
学園都市第五位。
普段なら本心を見せず、相手が何を考えているかを先に見透かし、面白がる側にいる食蜂操祈。
その女王は、相沢由良が同じ場所へ遊びに行くと聞いた時、一度だけティーカップを鳴らした。
しかし、その後は何事もなかったように振る舞い、黒子に弄られても、美琴に問い詰められても、いつもの余裕を崩さなかった。
少なくとも。
相沢由良本人から、自分も誘ってよいと言われたと知るまでは。
「……女王、すごく嬉しそうでしたね」
一人の少女が、誰に言うでもなく呟いた。
誰も否定しなかった。
別の少女がおそるおそる帆風を見る。
「あの……帆風さん」
「はい」
「由良さんという方は、いったい……」
帆風は答えられなかった。
自分にも分からない。
少なくとも、食蜂本人から詳しく紹介されたことはない。
「私も、詳しいことは聞いていません」
「女王のご友人でしょうか」
「おそらくは、そうなのだと思います」
「でも……」
少女は言い淀む。
単なる友人という一言で、先ほどの女王を説明できるのだろうか。
帆風にも分からなかった。
派閥のナンバー2として食蜂の近くで過ごす時間は決して短くなく、気まぐれで他人を煙に巻き、ときには自分ですら振り回す女王の姿なら、いくらでも見てきた。
しかし、一人の少女から「誘ってもいい」と言われただけで、あれほど無防備な喜びを露わにする食蜂操祈を、帆風はほとんど見たことがない。
「……相沢由良さん」
帆風は小さく、その名前を反芻した。
視線を戻した先には、食蜂が使っていたティーカップがある。紅茶はまだ半分ほど残り、その横にはティースプーンが静かに置かれている。
そして食蜂が座っていた椅子だけが、勢いよく立ち上がったせいで、普段より少し後ろへずれていた。
帆風はそれらをしばらく見つめた後、静かに息を吐く。
「とりあえず、女王がお戻りになるまで、先ほどの続きを進めましょう。今日中に確認しておきたいものは、こちらで終わらせておいた方がよさそうです」
「はい」
少女たちがそれぞれ資料へ手を戻す。
「それから――」
帆風は少し迷った後、付け加えた。
「今日ここで見たことについては、むやみに外で話すのを控えてください」
今度の返事だけは、妙に揃った。
「はい」
食蜂操祈の威厳を守るため。
それも確かにある。
しかし、それ以上に。
普段の女王を知っているからこそ、少女たちはもう気になってしまっていた。
相沢由良。
現時点で彼女たちが知っているのは、名前と、どうやら他校の少女であるという程度。
それでも、その少女が女王にとって、少なくとも「その他大勢」と同じ位置にはいないらしいことだけは、説明されなくても十分に伝わっていた。