ファインダーを覗き込むと、世界はいつも少しだけ嘘をつく。
夕陽が私立水明館高校の校舎を真っ赤に染め上げ、影をどこまでも長く引き伸ばしている。
グラウンドからは、練習を終えた野球部員たちの威勢のいい声や、スパイクが土を蹴る音が遠く響いていた。
俺――橘蓮(たちばな れん)は、旧校舎の屋上フェンスに身を乗り出すようにして、愛用の眼一眼レフカメラのシャッターを切った。
カシャ、という軽い金属音が静寂に落ちる。
液晶画面を確認すると、そこにはどこにでもある高校の、ありふれた放課後の風景が切り取られていた。
だが、俺の胸にはいつからか、喉に刺さった小さな魚の小骨のような、言葉にできない違和感が残っていた。
この街は、この学校は、綺麗すぎるのだ。
構図をバッチリと決めた絵画のように完璧で――そしてどこか、不自然な静寂を孕んでいる。
「ねえ、蓮。またそんなところで黄昏れてるの?」
背後から聞き馴染んだ声が掛けられた。
振り向くと、そこには幼馴染の浅倉葵(あさくら あおい)が立っていた。
夕陽を浴びて橙色に透けるショートカット。
首にかけたタオルで濡れた髪を拭きながら、彼女は屈託のない笑顔を向けてくる。水泳部の練習が終わったばかりなのだろう。
「黄昏れてるんじゃない。写真部の正当な活動だよ」
「部員、蓮ひとりしかいないのに? あ、でも今日から違うんだっけ!」
葵はポンと手を叩くと、いたずらっぽく微笑んだ。
「聞いたよ? 生徒会から『屋上の不法占拠をやめないなら正式な部活にしなさい』って怒られて、変な部活作ったんでしょ」
「変な部活じゃない。『トワイライト・クラブ』……校内の日常の記録と、ちょっとしたトラブルの調査をする部活だ」
「それ、ただの雑用係じゃない?」
呆れ顔で笑う葵の横顔を、俺はなんとなくファインダーに収めた。
ファインダー越しに見る葵の瞳。そして、その背景に聳え立つ旧校舎の時計塔。
時計の針は、17時45分を指していた。
その瞬間――。
ハッと息を呑むような感覚が胸を刺した。
風が、ピタリと止まる。
木々の揺らぎも、遠くのグラウンドから響いていた声も、まるで再生ボタンを押して一時停止されたビデオ映像のように、一瞬だけピタリと世界から消え去った。
夕暮れの影が、地面に貼りついたように動かない。
「……ねえ、蓮?」
葵の声で、世界は再び動き出した。
ザァッと風が吹き抜け、グラウンドから掛け声が戻ってくる。
ほんの一瞬の出来事。時間にして、わずか一秒にも満たないラグ。
「……葵。お前、今、何か変な感じしなかったか?」
「え? 何が?」
「いや……風が止まったというか、世界が止まったような……」
「なにそれ。蓮、最近写真の撮りすぎで疲れてるんじゃないの?」
葵はクスクスと笑う。
だが、俺の胸のモヤモヤは消えなかった。
この現象は今日が初めてではない。17時45分。この時間になると、俺の感覚はいつもおかしな違和感を捉える。まるで、この世界そのものが「作られたレプリカ」であるかのように。
「それよりさ、蓮」
葵は少し表情を曇らせ、首にかかったタオルをキュッと握りしめた。
「噂で聞いたんだけど……旧プールで怪奇現象が起きてるって、本当?」
「旧プール? ああ、体育館の裏にある立ち入り禁止のあそこか」
「うん。夜になると変な音がするとか、水面がおかしくなるとか……生徒会でも問題になってるんでしょ?」
「詳しいな。これから生徒会長の霧島さんに呼ばれて、その調査を頼まれるところなんだ」
「……そうなんだ」
葵の瞳が、一瞬だけ揺れたのを俺は見逃さなかった。
何かを怖れるような、あるいは何かを隠そうとするような、暗い影。
いつも明るい太陽のような葵からは想像もつかない表情だった。
「葵? どうした?」
「ううん! なんでもない! じゃあ私、部室に荷物取りに戻るから! また明日ね、蓮!」
葵は弾けたように笑うと、背を向けて走っていってしまった。
遠ざかる彼女の背中を見送りながら、俺は手の中のカメラを握りしめる。
夕陽が沈みかけ、影が長くなっていく。
17時45分の違和感。旧プールの怪奇現象。そして、葵の見せた謎の表情。
点と点がつながっていない不揃いな幾何学模様のように、俺の日常は少しずつ、だが確実に歪み始めていた。
この日常の裏側に隠された「何か」を解き明かすために、俺の『トワイライト・クラブ』としての最初の放課後が始まろうとしていた。