むかし、むかし。
あるところに、とても優しいお爺さんがいました。そのお爺さんは、少しおちょこちょいのようです。今日もまた『おむすび』を転がしてしまっています。
おや?
家族がピクニックに来ています。とても楽しそうですね。
「‥うまいのぅ‥うまいのぅ‥‥なぁ、うまいのぅ」
私達は親子三人、仲良くピクニックに来ていた。
「‥‥ハァ‥‥ハァ、疲れたよーー!」
「運動しておくべきだったかな?」
「パパァーーー、遅いよーー!」
あの人とあの子のやりとりに少しクスッと笑みがこぼれた。
「じゃあ♪ 少し休憩にしましょうか」
「賛成ーーー!」
「えーーー、ママ僕まだ歩けるよ、パパ、もっと歩こうよ!」
元気いっぱいに先を走り回る、あの子の背中と、情けない声を上げながらも嬉しそうに、笑っているあの人の顔。
木漏れ日が優しく降り注ぐ、どこにでもある、本当にただ、ただ幸せな私たちのピクニック
すると山道の
コロリ コロリ
斜面から
コロリン コロリン
と何かが転がって来ている
休憩している夫の元に、それは真っ直ぐと転がって来た。
「おっとっと‥‥‥?」
夫は少し驚きながらも、足元でピタリと止まった『それ』に吸い込まれるように手を伸ばす。
まだ息を切らしたままの夫の手が、草むらの中に転がってきたそれを、そっと拾い上げた。
「これは、なんだろう?」
不思議そうに、それを持ち上げて、夫は手の中で転がしている。
「なに、なに!パパ!ママ!僕にも見せてーー!」
あの子は夫の手元を覗き込もうと、瞳を輝かせ、背伸びしながら、無邪気に飛び跳ね回っている。
そんな二人の様子に少し可笑しくなり「フフッ‥‥なんだろうねぇ?」と微笑み、いつもの日常の景色が愛おしく思った。
それが何か、分からなかったので、私達はここで休憩の準備を始めた。だが、私は水筒をさっきの川に忘れていることがわかった。
「あなた、さっきの川で水筒を忘れたみたい」
「少し取りに行ってくるわ」
「おいおい、一人じゃ危ないみんなで行こう」
「大丈夫よすぐそこの川なんだから、でも心配してくれて嬉しいわ♪」
「僕もーー!僕もー!いくーー!」
「あら、少し行くだけだから、パパといい子で待っててね。あなたこの子のことお願いね」
そう言って、私は川まで水筒を取りに行くために、二人のいる場所を後にした。
後ろからは、「うーーー」と頬を膨らませるあの子の可愛い声と、「よし、じゃあパパと一緒遊ぼうか」という夫の優しい声が聞こえてくる。少し名残惜しさを感じながら、私は水筒を取りに二人に一時の別れを告げた。
父視点
俺は、あの子と一緒に遊んで待っていようと思ったら、一人で探検に行きたいと言い出した。
「おーい、あんまり遠くに行くなよーー!」
「わかったーー!」
ガサッ
「‥あぁ、すいません落とし物を見ていませんか?」
ビクッ
「おぉ!うん?お爺さんどうしたんですか?」
「‥あぁ、すいません。
じつは、大切なおむすびを、うっかりおとしてしまいまして、この辺りでみていませんか?」
小柄なお爺さんは腰をかがめ、人当たりの良い笑みを浮かべて、申し訳なそうに、俺に尋ねてきた。
その時、俺はハッとした
さっき自分の足元に転がり落ちてきた「それ」を慌てて、お爺さんに見せる。
「‥あ!あの?もしかして、これのことですか?」
「‥あぁ、おぉ!それです!それですじゃ」
「‥あぁ、見つかってよかったわい。本当にありがとうございます」
「ほんと見つかって、よかったですね」
お爺さんは、何度も嬉しそうに頭を下げながら、俺の手元にある「それ」を、まるでお宝でも扱うように、大事に両手でそっと受け取った。
ーーお爺さんは、何処までも優しそうな目をしながら、こちらを見て笑っている。
「‥あぁ、本当にありがとうございます。‥‥‥そうじゃ、『お礼』をしなければな」
「いえいえ、悪いですよ拾っただけなのにお礼だなんて」
「‥あぁ、いやいや『お礼』は、しなければな‥‥‥はて、何がいいだろうか?」
お爺さんは首を傾げ、本当に困ったように、けれどどこまでも優しそうな顔しながら考え込んでいる。
「いえ、本当に悪いですし大丈夫ですよ」
俺が、そう言いながら、遠くにいるあの子のことを見た。
「‥あぁ、そうじゃ!」
するとお爺さんは、まるで良いアイデアを思いついたかのように、ポンと手を叩いた。
「‥うん?」
「どうしたのですか?」
「‥あぁ、いやいや『おむすび』を拾ってもらった『お礼』はしなければいけない、それが山のルールなのじゃ」
お爺さんはそう言って、クシャッと嬉しそうに笑った。
その顔はどこまでも温和で、山の良心のように見えてくる。
「それは?どういう事ですか?」
「‥あぁ、だからのぉ『お礼』にとびきりおいしい、『おむすび』をご馳走しようと思ってなぁ」
「パパーー、これ見てーー、とったのーー」
「あ、帰ってきたのか、ほらお前もこのお」
シュ ブチッ
母視点
「‥‥え?」
「あら?今なにか聞こえたような?気のせいかしら」
「‥‥‥ハァ、良い空気ね」
私は川に水筒を取りに行ったついでに、せせらぐ水の音、小鳥のさえずり、フワァと優しく吹く風の匂い、綺麗に透き通る水を眺めていた。
そんな心地いい空気に、身体がスッと軽くなる様に感じて、大きく深呼吸しながら、ゆったりしていた。
「もう少し経ったら、あの子達のもとに帰らなくちゃ」
「ママーー!」
「うん?」
「あら?あの子の声だわ、どうしたのかしら」
「ママーー!見つけたーー!」
あの子は私に抱きつき、涙目になりながらこちらに、一生懸命訴えかけ何かを喋っている。
「ママーー!あのね、あのね、パパがねお昼寝しちゃってね!お顔がね!なくなっちゃったの」
「ど、どういうことなの?落ち着いて、ゆっくりでいいから、教えてね」
あの子を落ち着かせるために、同じ目線に合わせゆっくりと話を聞いた。私の言葉に少し落ち着いたのか、深呼吸してゆっくりと話し出した。
「あのね、お爺ちゃんがきてね。パパがねいきなり寝ちゃったの!」
「ど、どういうこと?」
「と、とにかくきて!」
あの子はちっちゃい体で、私の裾を掴みながらあの人がいる場所へと急ぎ足で連れて行こうとする。
「わ、分かったから!ちょ、ちょっと待ちなさい!」
しばらくすると、休憩していた場所が見えてくる。だが、開けた場所なのに、あの人の姿だけが見当たらない。もしかして何か大変なことが、あったんじゃないかと。私は慌てて叫ぶ。
「あ、あなたーーー!」
「どこなのー!」
「ぱぱーーーー!」
すると、どこからともなく不気味な音が聞こえてきた。グチャと何かを握りつぶす様な音が、草むらの奥から鳴り響いている。
「あ、あなた?」
私は、あの子の片手をしっかりと握り、草むらへと恐る恐る手を伸ばす。そこには、小柄なお爺さんが、座り込み背中を向けながら、何かを握っている。まるでおむすびを握る様に。
「あ、あの!」
ポトッ
何かが、お爺さんの手から滑り落ちる。
「あ、あの?何かおと」
「ーーーへ?」
それは、あの人がいつもかけているメガネだった。壊れている。欠けている。でも、私がプレゼントしたメガネに間違いはなかった。
音がまた、鳴り響く。
こねこね
グチャ ブシャ
にぎにぎ
ブチャ グシャ
「あ、あぁ」
(逃げないと)
あの子の片手を思いっきり掴み、無理矢理一緒に走りだした。
(早く!速く!遠くへ!)
ふっと、後ろを振り返った。あの人の姿は見当たらない、ただ壊れたメガネが落ちている。それだけのはずなのに。
「ま、ママ!い、痛いよ!」
「も、もっとゆっくり走ってぇーー!?」
あの子の痛がる声を無視して、森の中を全力で走り抜ける。自分の息が上がることも無視して、あの子の声も聞かないふりをして、ただ『あれ』から逃げるために走り続ける。
「‥‥は‥はぁ、はぁ!」
息を切らしながら、ようやく駐車場が見えてきた。
(助かった!)
ぽん
「‥‥あ」
「‥あぁ、そんなに急いでどうしたのだ?」
「‥あぁ、まだ、挨拶もしてないではないか?それに、息子さんも息を切らしているではないか?」
余りの恐怖に私はドサっと、座り込んでしまった。あの子を守るために、抱きつこうと。
ーーーあれ?
「お、お爺ちゃん?こんにちは!」
な、なんで?あの子が『あれ』の側に?ど、どうしよう?早く!『あれ』から離さないと!?
「‥あぁ、こんにちは。いい子だねぇ」
「う、うん!ありがと!!」
「ま、ママーー!褒められたぁ!」
だ、だめ。
「まって!この子はそんなにいい子じゃない!」
「‥あぁ、そんないけませんよ?こんなにも立派で、優しい子の何処が、いい子じゃないと言うんですか?母が子を否定してはいけませんよ」
『あれ』があの子の頭を撫でている。ただ、優しそうに、それが酷くぶきみに映る。
「‥ママァ、僕ってそんなに悪い子だった? ごめん‥なさい」
あの子は、自分が悪いと思い泣きそうになりながら聞いてくる。
ボソリ
「‥あぁ、こんなにもいい子で素晴らしいですね。ぜひ『お礼』をしなくてはいけないねぇ」
『あれ』を刺激しない様に、あの子と共に逃げるために。早くこっちにきて!
「違う!ちがうの!あなたが悪い子なんて微塵も思ってないのよ。だからゆっくりとこっちにいらっしゃい」
「‥うん!ママ、だーーい」
シュ ブチッ
(よ、よかった。これで助かる。)
あの子の体だけが私に抱きついてきた。そこにはあるはずのあの子の笑顔がなかった。
「‥あぁ‥‥‥あぁぁぁぁ!!!!」
「‥あぁ、これで『お礼』すべき人には、『お礼』がすみました。‥あぁ、お母さんすぐ近くとはいえ、山道は危険です、気をつけてくださいね」
その老人が持つ手には
こねこね
バキッ グシャ
にぎにぎ
ブチッ ニチャ
笑顔で溢れていたあの子の頭だけがあった。
ただ、ただ泣き叫ぶ私に、この声だけが、何故かよく響いた。
「‥あぁ、これで彼らに『お礼』ができる」
自分だけが、助かった。あの人と大切な我が子を置いて、私は虚ろな目で『そこ』を見てボソリと呟いた。
「あぁ、あの瞳は、農家が麦を見る優しく大らかな、何処までも優しいお爺さんの瞳だったんだ。」