稗田野サダミは猫の獣人である。
言うまでもないが、獣人というのは優れた生物化学の発展によって生み出された、大災害以前発達した科学文明の産物だ。人類が初めて遺伝子改造で生み出した人以外で人の言葉を話す人造生命体とされ、過去の歴史の中では差別や虐殺といった凄惨な歴史もあった。
このトラオムの世界では、獣人は星に住まう住民の四割ほどを占めていると言われている。その為、街に出かけても見かけることの多い種族である。
かつて、とある変態科学者が遺伝子組み換えで誕生させたという伝承が残されているが、多くの資料が大災害によるエーテルの津波に飲み込まれたことで詳しい詳細は歴史学者の発掘に身を委ねるしかない。
獣人は元となった動物の特性などが遺伝子に組み込まれている事で身体能力は高い。その為多くの現場で活躍を見せていた。
今の所、獣人の元となった生物は哺乳類以外では確認されていないが、かつては爬虫類と人間を掛け合わせた獣人を開発する研究が行われていたと言う話もある。
とは言っても、サダミは真っ当な生まれ方をした獣人ではないので、スフェーンと同様、見た目に本来の獣人ではありえないような容姿も含まれていた。
その日も早朝か仕込みを行なっていたサダミは、ふと違和感を感じた。
「?」
水洗いを行なっていたのだが、彼女はふと耳に僅かに違和感を感じていた。
彼女のチャームポイントでもある大きな黒い毛並みの耳は、中から白い耳毛が生えている程大きい。リンクスティップとも言われているそうだが、この部分は敏感であるので扱いには慣れた人間でなければならない。
「スフェーン」
「ん?」
彼女はすぐに水洗いを終えた後にカウンターに出てスフェーンに話しかけると、彼女は振り返った。
スフェーンも鹿の獣人ということがあるが、細長い鹿耳を頭に持っていないので本物の鹿の獣人と出くわすと少し面倒なことになってしまうのが玉に瑕であった。
「すまない。耳の調子が悪いんだが…」
「おお、もうそんな時期?」
「分からん…」
長い付き合いであるので彼女のケアについては色々と知っているスフェーンはサダミを見てからすぐに準備をしていく。
「ほれ」
縁側に座って膝の上を軽く二回叩くと、サダミも目を閉じて頭をスフェーンの膝上に乗せる。
「相変わらず大きい耳なこと」
「仕方ないだろう。昔からそうなんだから」
毎日スフェーンが頭のブラッシングをする事で艶のある黒曜石のような短髪の髪を有するサダミ。黒猫の獣人ではあるが、尻尾が二本あり、今日は月一で行われる店の本格清掃のために一日中店を閉める日であったので、いつもは隠している二本目の尻尾がそのまま着ている着物からはみ出していた。
尻尾が二本ある猫と聞くと猫又を彷彿とさせるが、何故このようになったのかはこの体の材料を揃えたスフェーンですら分かっていない。
「灯り当てるわよ」
「ん…」
スフェーンは言うと軽くサダミは頷くと、太陽光の光に加えてスフェーンの右目の探照灯が照らされる。
「…」
そして右耳を掴んで中を見ていくと、その後に彼女はぬるま湯で湿らせたガーゼを耳の中に入れて拭き取っていく。自分でも耳掃除はできるのだが、力加減を間違えて一度痛い思いをしてからスフェーンがいる時は彼女に頼んでいた。
「ふむ、ちょっと耳毛の方も整えるわよ」
「好きにしてくれ」
耳の中を確認してからスフェーンは化粧鋏を取り出してサダミの耳から生えている耳毛を切り始める。この肉体は成長をする事はないが、エーテルを吸収すると若干ではあるがサダミは髪が伸びることが確認されており、常にエーテルが降り注ぐ環境であると、そのエーテルを吸着して伸びてしまっていた。
「うーん、短めが良い?長めが良い?」
「これから夏だ。短めにしてくれ」
「了解」
髪を切ったときのようなサクッとした軽い音が聞こえて大きな耳から生える白い毛が切られていく。この耳毛のせいで中が蒸れて炎症を起こすことも考えられるため、こまめなケアをスフェーンは行ってくれていた。
「…」
膝枕をされるサダミは視界の半分を埋めてしまいそうなほどの双子山を目の当たりにして少し嫌になって来て静かに目を閉じて現実逃避を行う。
全くもって不思議なことだが、同じ材料で作られたはずなのに自分達は全く違う容姿で存在している。
「(どうしてこんな事になった…)」
同じ臨界エーテルの核を持っていると言うのに、なぜここまで差が生まれるのか。核を半ば分離しているような状況が影響しているのだろうか?いや、だとしても色々と不満はある。
自分は悲しいほどにまな板であるので、着物は着やすいと言う利点があるが、逆に言うとそれ以外だと銃が打ちやすいと言う利点以外はあまり見出せない。
「(いや、考えないでおこう…)」
これ以上は自分が惨めになってくるだけなので彼女は考えることをやめた。ないものを強請ったところで神様から施しが訪れない事はよく知っていた。
「(あったかい…)」
すぐに違うことを考えるために彼女は店内の掃除計画を考えたが、その直後に縁側に差し込む温かな太陽の光がサダミの体をちょうどよく温めて来た。
「お、こりゃちょっと危ないかもね」
「炎症か?」
「ちょっとクリーム塗ってケアをしたほうがいいかもしれないわね」
そこで傍に用意された寄木細工の箱を開けると、中には薬用クリームやガーゼ、予備の鋏などが入っており、サダミの頭のケア専用の化粧箱を開けてスフェーンは切った耳毛をブラシで払っていく。
「痛くない?」
「大丈夫…」
仰向けになって耳を立てているサダミは耳をアルコールで拭かれて丁寧に整えられていると、段々と差し込む太陽光の温もりで返答する言葉の輪郭が緩くなってくる。
しかしそんなこともお構いなしにスフェーンはサダミの耳毛を切って整えた後に湿らせたガーゼで耳に光を当てて炎症の類がないかを確認しながら耳垢の掃除をしていく。
いつもは彼女のチャームポイントでスフェーンのお気に入りの大きな猫耳。この大きな耳は耳掃除をするときも大半やり易いので、スフェーンも簡単に掃除と手入れができた。
「ちょっと赤くなっちゃってるか…」
光を当てて耳の中を見た彼女は、サダミの耳の中を軽く拭いていく。あまり強くやり過ぎると痛がってしまうのでちょうど良い力加減が必要となってくる。
「うーん、思っていたよりは綺麗ね…」
少し耳が聞き取りずらいと言っていた割には綺麗であったので、すぐに作業は終わりそうだと感じながら右耳の手入れを終えて左耳の手入れを始めていく。
「ちょっと失礼」
鋏を持ってボーボーに生える耳毛の処理をしていくスフェーン。丁寧に切っていくと耳もよく聞こえてくるので、非常にスッキリとした快感がまま掃除の後はやってくる。あのなんとも言えない快感は耳掃除をこまめにする理由だろう。
「♪」
軽く鼻歌混じりに切ってから毛を払うと、風が軽く吹いて吹き飛ばしてしまう。この時、耳元に息を吹きかけるとサダミは驚いた後に顔を爪を立ててバリバリしてくるので厳禁である。
耳は敏感な場所であるので、サダミのような動物の耳を持つ獣人に下手に耳掃除をするとやられる事があるので気をつけなければならない。
「スフェーン、そろそろ上の掃除をして来ます」
「はーい、気をつけて」
その時、後ろからルシエルが話しかけて来たので耳毛を切りながらスフェーンは返して階段を登っていく音が聞こえる。かたや耳掃除をしている中で店の掃除をしている店内はとても静かだ。
「はあ…」
サダミも一度大きく息を吸って寝そうになる意識をなんとか保ちながらされるがままに毛を切られる。二本ある黒い尻尾が時折揺れながら仰向けで眠っていると、毛を切り終えた後にスフェーンは再び湿らせた新品のガーゼを取り出して耳の中を掃除していく。
「やっぱり気持ちいい…」
「そりゃあそうでしょう」
耳の中のぬるま湯の当たる感覚にサダミは寝そうになると、上から話しかけるスフェーン。いっそここまま寝てしまうかなどと考えると、丁寧に拭かれた後にスフェーンは言う。
「耳掃除ってお金かかるサロンとかあるけど、行く人ってどうして行くんだろうね」
「その方が確実だからじゃない?上手い人間が最新の機械を使えば汚れも綺麗に無くなるわけだし…」
「耳鼻科でもやっているって話だもんね」
「昔からでしょう、それは」
そんな軽い話もそこで終わってしまうと、黙々と作業をした後にスフェーンは体を起こした。
「ほい、終わったわよ」
汚れたガーゼを片手に話しかけると、目を閉じたサダミは寝息を静かに立てていた。
「ZZZ…」
縁側で太陽光の熱と光を浴びながら静かな鳥の囀りや葉音を耳にしていた彼女は眠たくなってしまっていたのだ。
「ありゃ、寝やがった」
スフェーンは縁側で寝てしまった彼女にイエネコの雰囲気を感じ取ると、少し微笑んでから起こさないように縁側に座ったまま庭園を見つめる。
「ふっ、すっかり君もイエネコだね…」
そう呟き、スフェーンは軽く頭を撫でた後にそのままの状態で縁側に座ったまま時が過ぎるのを待っていた。
その様子を見ていたシエロとルシエル。
『起こさなくていいんですか?』
「駄目ですよ」
寝てしまったサダミを起こそうとしたシエロをルシエルは後ろから止めに入ったことを後悔しなかった。
その後、縁側で爆睡を決め込んでいたサダミは目を覚ますと、自分がスフェーンの膝枕を受けながら、太陽にあたってうたた寝をしていた事にすぐ気がついて、顔を真っ赤にしながら慌てて体を起こした。
「しまった…」
「まあ一時間くらい寝てただけだし…」
肩を落としてテキパキと作業を進めて行くサダミを励ますようにスフェーンが言うと、彼女は少し違う様子を見せた。
「まさか君の膝枕如きで寝てしまうとは…」
「あら、それの何が悪くて?」
気まずそうにしていたサダミはスフェーンを一度見た後に呟く。
「いや…昔は男だった奴の膝枕で寝たのかと思うとちょっと…」
「おうテメェ、なんて事言いやがる」
スフェーンは確かにそうだが…と思いつつも彼女の反応に腹を立てていた。
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