恋次もまた、自らの手でルキアを救うために蛇尾丸と向き合い続けています。
そして朔夜は、夜一との修行を終えました。
戦いを楽しんでも目的を見失わず、使える力があっても必要がなければ使わない。その感覚を身につけた朔夜も、いよいよ処刑当日へ向けて動き始めます。
夜が明ければ、ルキアの処刑。
残された時間は、もう僅かです。
それでは、第34話「夜明け前」です。
地下修行場には、まだ激しい霊圧が満ちていた。
斬月の姿は既に消えている。それでも、一護の中に残された感覚は以前とは明らかに違っていた。
握っている刀が軽く感じる。
実際の重さが変わったわけではない。むしろ、自分の腕からそのまま刀身が伸びているような、不思議な一体感があった。
一護はゆっくりと刀を持ち上げる。
少し離れた場所では、夜一が腕を組みながらその様子を見ていた。
「どうじゃ」
「……変な感じだ」
一護は刀を見ながら答えた。
「前より力があるってのは分かる。でも、ただ霊圧が増えたって感じじゃねぇんだよな」
隣にいた朔夜が、刀を眺める一護へ視線を向ける。
「斬月との距離が近くなったんじゃない?」
「距離?」
「前までは一護が無理矢理、力を引っ張り出そうとしてた。でも今は、必要になれば向こうから応えてくれるような感じがする」
一護はしばらく考えてから、改めて刀へ目を向けた。
「……確かに、そんな感じかもしれねぇ」
夜一も小さく頷く。
「じゃが、それで終わりではないぞ」
一護の顔が僅かに引きつった。
「分かってるよ」
「本当に分かっておるか?」
「昨日から何回それ言うんだ!」
「なら証明せい」
夜一は近くの岩場を指差した。
「今から、おぬしが掴んだ力を形にする」
一護の表情が変わる。
「卍解を?」
「そうじゃ」
夜一は一護を真っ直ぐ見据えた。
「力を掴んだだけでは実戦では使えん。自分の意思で呼び出し、維持し、自在に扱えて初めて意味がある」
一護は刀を握り直した。
「やる」
迷いはない。
「今日中に終わらせる」
「その意気じゃ」
朔夜は二人の邪魔にならないよう、少し離れた場所まで下がった。
一護の修行は、いよいよ最後の仕上げへ入った。
◇
その頃、恋次は地面へ片膝をついていた。
身体の至るところが痛む。
一護との戦いで受けた傷に加え、拘束を抜け出してここまで来た無理と、蛇尾丸との修行で受けた傷が積み重なっている。
それでも、立てないほどではない。
ならば立つ。
恋次は蛇尾丸を支えにして身体を起こした。
目の前には、具象化された蛇尾丸がいる。
「まだやるのか」
その問いに、恋次は鼻で笑った。
「当たり前だろ」
乱れた呼吸を整えながら、恋次は再び構える。
「ルキアの処刑は明日の正午じゃねぇ。もう今日だ。今さら休んでられるかよ」
蛇尾丸は黙って恋次を見る。
「俺は今まで、隊長の背中ばっかり見てた」
六番隊へ入ってからずっと、白哉の強さを間近で見てきた。
速さも、剣技も、鬼道も、自分より遥かに上だった。
「追いつきてぇとは思ってた。でも心のどっかじゃ、どうせ無理だって決めてたんだろうな」
恋次は自嘲するように笑った。
「情けねぇ話だ」
蛇尾丸の目が細くなる。
「なら何故、今さら越えようとする」
恋次は迷わず答えた。
「ルキアを助けたいからだ」
それだけで十分だった。
隊長へ勝ちたい。
自分の力を認めさせたい。
そうした気持ちがないわけではない。
だが今、一番大事なのはそこではなかった。
「俺はあいつが処刑されるのを、もう黙って見てるつもりはねぇ」
恋次は蛇尾丸を構える。
「だから力を貸せ」
蛇尾丸が低く笑った。
「随分勝手な話だ」
「知ってる」
「今まで我々を使っておいて、今になって頼むのか」
「ああ」
恋次は真っ直ぐ蛇尾丸を見た。
「だから俺も全部出す。お前に認めさせる」
その言葉と同時に、恋次の霊圧が再び膨れ上がった。
◇
朔夜は一護と恋次の修行から少し離れた場所で、岩壁へ背を預けていた。
御厨子は既に腰へ戻している。
夜一も近くに座り、二人の修行を見守っていた。
「疲れたか?」
夜一が尋ねる。
朔夜は素直に頷いた。
「かなり」
「情けないのう」
「夜一さんに何日も殴られて疲れない方がおかしいだろ」
「昔はもっとやったぞ」
「昔の俺、本当に可哀想だな」
夜一が笑い、朔夜も苦笑する。
そのまま二人の視線は、一護と恋次へ戻った。
どちらの霊圧も昨日までより強く、そして安定している。
「間に合いそう?」
朔夜が尋ねた。
夜一は少し考える。
「一護はかなり近い」
「恋次は?」
「蛇尾丸次第じゃな」
朔夜は恋次へ目を向けた。
何度倒されても立ち上がっている。
「でも、あいつならやると思う」
「随分信用しておるのう」
「一護に負けた後から目が変わってたからね」
夜一は朔夜を横目で見る。
「おぬしも人を見るようになったものじゃ」
朔夜が少し嫌そうな顔をした。
「前から見てるよ」
「昔は、相手が強いかどうかばかり見ておった」
「それは否定しづらいな」
二人の間に少しだけ静かな時間が流れた。
やがて、朔夜が口を開く。
「夜一さん。今日、どう動く?」
夜一の表情から笑みが消える。
ここから先は修行ではなく、実戦の話だった。
「まず、一護を処刑場へ向かわせる」
「白哉と戦わせる?」
「ああ」
朔夜は静かに頷いた。
それは最初から理解していた。
一護と白哉の戦いだけは、一護自身が決着をつけなければならない。
「俺は手を出さないよ」
夜一が横目で朔夜を見る。
「本当に?」
「一護が本当に死にそうなら別だけどね」
「それでよい」
朔夜は腰の御厨子へ軽く触れた。
「じゃあ、俺は別のところを動く」
「そうじゃな」
「処刑場までの道を塞ぐ隊士がいたら?」
「殺すな」
朔夜は苦笑する。
「それは言われなくても分かってるよ」
「ならよい」
そこで夜一の目が少し鋭くなった。
「ただし、隊長格が出てきた場合は別じゃ」
朔夜も表情を引き締める。
「必要なら戦っていい?」
「必要ならな」
その答えに、朔夜は小さく笑った。
何度も修行で聞いた言葉だった。
必要なら使う。
必要がなければ使わない。
今度は夜一に判断してもらうのではなく、自分自身が実戦の中で決めなければならない。
「分かった。必要な相手だけ引き受ける」
夜一は満足そうに頷いた。
「それでよい」
◇
一護は目を閉じていた。
周囲の音が少しずつ遠ざかっていく。
恋次の霊圧も、朔夜や夜一の気配も感じている。
しかし意識は、自分のさらに内側へ向けられていた。
斬月。
以前の自分なら、ただ力を出せと願っていたかもしれない。
今は違う。
一護は静かに呼びかけた。
「斬月」
声は返ってこない。
それでも、そこにいることだけは分かる。
一護は刀を強く握った。
「俺と一緒に来い」
霊圧が一気に膨れ上がり、地下修行場の空気が震えた。
岩の破片が浮き上がり、周囲を満たしていた霊子が一護の方へ引き寄せられていく。
朔夜が目を細める。
「来るな」
夜一も笑う。
「ああ」
一護の霊圧はただ広がるのではなく、次第に身体の周囲へ圧縮されていった。
密度が増すにつれて、一護の腕が震え始める。
「ぐっ……!」
強すぎる力を、まだ身体へ収めきれない。
それでも一護は刀を離さなかった。
「斬月!」
声と同時に、霊圧が爆発する。
大量の砂煙が巻き上がり、周囲の視界を覆った。
朔夜は目を細めながら、その中心を見つめる。
「どう?」
夜一は答えずに待った。
やがて砂煙が薄れ、その中から一護の姿が現れる。
まだ完成された形とは言い難い。
それでも、霊圧の質は明らかに以前と異なっていた。
一護自身も、その変化を感じ取っている。
「……今の」
夜一が一歩前へ出た。
「もう一度じゃ」
一護の顔が引きつった。
「今ので駄目なのか!?」
「一度出来ただけで満足するな。実戦で失敗したら、それで終わりじゃぞ」
「相変わらず厳しいな!」
朔夜が横から口を挟む。
「でも、それは夜一さんの言う通りだと思うよ」
一護が睨む。
「お前どっちの味方だよ!」
「一護の味方」
「だったら休ませろ!」
「それは夜一さんに言って」
「逃げんな!」
朔夜が笑い、夜一も僅かに口元を緩めた。
「ほれ。もう一度じゃ」
一護は文句を言いながらも、再び刀を構える。
その表情には、先ほど確かに掴んだ手応えが残っていた。
◇
それから数時間後。
恋次のいる場所から、突然大きな霊圧が立ち上がった。
一護も朔夜も、同時にそちらへ振り返る。
恋次は蛇尾丸の前に立っていた。
呼吸は荒く、身体は傷だらけだったが、足はしっかりと地面を踏んでいる。
蛇尾丸が静かに問いかける。
「本当に行くのだな」
恋次は笑った。
「何度聞くんだよ」
「その先で死ぬかもしれぬぞ」
「知るか」
「隊長には届かぬかもしれぬ」
恋次の表情が僅かに変わる。
それでも、答えに迷いはなかった。
「それでも行く」
蛇尾丸が目を細めた。
「何故だ」
「ルキアが待ってる」
恋次は真っ直ぐ答える。
「それで十分だ」
蛇尾丸はしばらく恋次を見つめていた。
やがて、その口元に小さな笑みが浮かぶ。
「ならば見せてみろ」
次の瞬間、周囲の霊圧が一気に膨れ上がった。
恋次の目が見開かれる。
蛇尾丸の姿が大量の霊子へ変わり、恋次の周囲へ集まり始める。
「俺達を、どこまで使えるかを」
その声だけが残る。
一護が目を見開いた。
「恋次……!」
夜一が満足そうに笑う。
「どうやら、あちらも届いたようじゃな」
朔夜も僅かに笑った。
「やるじゃん」
恋次は歯を食いしばった。
今までとは違う力が、全身へ流れ込んでくる。
重い。
大きい。
それでも、これは確かに自分と蛇尾丸の力だった。
「……これが」
恋次は自分の手を見る。
「卍解……」
まだ名を呼ぶ段階ではない。
完全に扱えるとも言えない。
それでも、確かにその力へ手は届いていた。
◇
時間はさらに進み、地下修行場の外では、瀞霊廷の空が少しずつ白み始めていた。
夜が終わる。
処刑の日が来る。
懺罪宮では、ルキアが小さな窓の向こうに広がる空を見つめていた。
暗かった夜空へ、僅かに朝の色が混じっている。
今日、自分は処刑される。
その事実は変わらない。
それでも、不思議と以前ほどの恐怖はなかった。
怖くないわけではない。
ただ、それ以上に胸の中へ残っている言葉がある。
一護は戻ると言った。
朔夜も戻ると言った。
そして恋次も、きっと何かをしようとしている。
「……馬鹿者ばかりだ」
ルキアは小さく笑った。
「どうして私一人のために、そこまでする」
かつては分からなかったその答えも、今なら少しだけ分かる気がした。
仲間だから。
それだけで、彼らにとっては十分なのだ。
ルキアは目を閉じる。
「ならば、待っているぞ」
小さな声が、静かな牢の中へ消えていった。
◇
地下修行場では、一護が地面へ座り込んでいた。
「もう無理……」
近くにいた朔夜が笑う。
「情けないな」
「お前はもう終わったから言えるんだよ!」
少し離れた場所では、恋次も仰向けになっていた。
「俺も……動けねぇ……」
一護が横目を向ける。
「お前もかよ」
「うるせぇ……」
朔夜は二人を見比べた。
「この状態で、今日これから戦うんだよね」
一護と恋次が同時に睨む。
「言うな!」
「言うんじゃねぇ!」
朔夜が思わず笑った。
夜一はそんな三人を見ながら、呆れたように息を吐く。
「それだけ騒げるなら、まだ動けるな」
一護と恋次の顔が同時に引きつった。
「夜一さん、それ朔夜にも言ってたよな……」
「俺も何回か言われたよ」
「最悪だ……」
朔夜は少しだけ二人へ同情した。
やがて夜一が、地下修行場の出口へ視線を向ける。
「休めるのは今だけじゃ」
その一言で、三人の空気が変わった。
一護が顔を上げ、恋次もゆっくり身体を起こす。
朔夜は壁から背を離した。
「夜が明ける」
夜一は三人を順番に見る。
「次にここを出た時から、もう修行ではない」
一護が立ち上がる。
恋次も傷だらけの身体を起こし、斬魄刀へ手を置いた。
朔夜は御厨子が腰にあることを確かめる。
「覚悟はよいな」
夜一の問いに、一護が笑った。
「とっくにできてる」
恋次も頷く。
「俺もだ」
最後に朔夜が、静かに答えた。
「行こう」
地下修行場の出口の向こうでは、既に空が白み始めている。
一護は白哉を越え、ルキアを救うために。
恋次は自分の手でルキアを救い、これまで届かないと思っていた隊長へ挑むために。
朔夜は、自分が必要とされる場所を見極め、必要な力だけを振るうために。
それぞれが、自分の戦いへ向かおうとしていた。
そして間もなく、尸魂界全体を揺るがす一日が始まる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は「夜明け前」として、一護と恋次の修行を処刑当日の直前まで進めました。
一護は、斬月から掴んだ力を一度だけ引き出すのではなく、自分の意思で安定して呼び出せるようにする最後の仕上げへ入っています。
卍解完成まで、あと僅かです。
恋次も蛇尾丸に自分の覚悟を認めさせ、ついに新たな力へ手を届かせました。
ただ力を得るだけではなく、それを自分の意思で扱えるかどうかは、これからの実戦で問われることになります。
そして朔夜は既に修行を終え、今回は夜一と処刑当日の動き方を確認しました。
一護と白哉の戦いには、基本的に手を出しません。
一護自身が越えなければならない相手だからです。
その代わり、処刑場へ向かう途中で立ちはだかる相手や、他の隊長格が動いた場合には、朔夜も必要に応じて前へ出ることになります。
ここから、朔夜も尸魂界篇で本格的に動き始めます。
次回――
第35話「処刑の日」
ルキアの処刑当日。
各隊が動き始め、一護たちも地下修行場を出ます。
そして朔夜もまた、久しぶりに瀞霊廷の表舞台へ立つことになります。
よろしくお願いします。