一護はルキアのもとへ向かい、朔夜も別の経路から双殛の丘を目指しています。
そして、一足先に地下修行場を出た恋次は、ついに六番隊隊長・朽木白哉の前へ立ちました。
これまで追い続けるだけだった相手へ、自ら刃を向ける恋次。その手には、蛇尾丸との修行で掴んだ新たな力があります。
それでは、第36話「狒狒王蛇尾丸」です。
六番隊隊舎の近くには、張り詰めた静けさが広がっていた。
恋次と白哉は互いに刀を構えたまま向かい合い、どちらもすぐには動こうとしない。
先に口を開いたのは白哉だった。
「恋次。今ならまだ退くことは許そう」
声には怒りも焦りもなく、いつもと変わらない落ち着きがあった。
恋次にとって、それは何度も見てきた白哉そのものだった。
どれだけ必死に追いつこうとしても崩れなかった余裕であり、これまで自分が越えられないと思い込んできた壁でもある。
だが今日は、その背中を見上げるためにここへ来たのではない。
「悪いですけど、隊長。今日は退く気ねぇんですよ」
恋次は蛇尾丸を握り直した。
白哉はしばらく恋次を見つめた後、それ以上説得しようとはしなかった。
「そうか」
その一言で十分だった。
恋次もまた、言葉で何かを変えられる段階は既に過ぎていると分かっている。
地面を蹴ると、一気に白哉との距離を詰めた。
「咆えろ、蛇尾丸!」
刀身が節状に伸び、唸りを上げながら白哉へ襲いかかる。
白哉は身体を僅かに動かしただけで一撃目をかわし、続けて迫った二撃目も最小限の動きで避けた。
恋次は蛇尾丸をそのまま引き戻さず、腕を捻って軌道を変え、横から白哉を狙う。
しかし、刃が届くより先に白哉の姿が視界から消えた。
「っ!」
恋次が反射的に振り返る。
既に背後へ回り込んでいた白哉の刀が迫っていた。
以前なら、気づいた時には斬られていただろう。
だが今回は違った。
恋次は身体を捻りながら蛇尾丸を引き戻し、白哉の刀を受け止める。
鋭い金属音が響き、腕へ重い衝撃が伝わった。
「ほう」
白哉の声が僅かに変わる。
恋次は歯を食いしばりながら、口元に笑みを浮かべた。
「驚くのはまだ早ぇですよ、隊長」
刀を押し返して距離を取る。
白哉は追わず、その場から恋次を見ていた。
恋次も荒くなりかけた呼吸を整えながら、改めて白哉との距離を測る。
やはり速い。
そして、始解すらしていない今の状態でも、白哉にはまだ明らかな余裕があった。
それでも恋次の中には、以前のような「やはり届かない」という諦めは浮かばなかった。
届かないなら、届くところまで進めばいい。
今はただ、それだけだった。
「行きますよ」
恋次は再び白哉へ向かって踏み込んだ。
◇
離れた場所を進んでいた朔夜は、恋次と白哉の霊圧が急激に高まったことに気づいた。
足は止めず、意識だけをそちらへ向ける。
「始まったな」
恋次の霊圧は以前より明らかに強くなっている。
それでも白哉との間にある差が消えたわけではなく、むしろ二人の霊圧を同時に感じるからこそ、その隔たりはよく分かった。
朔夜は僅かに目を細める。
助けに向かおうと思えば、今からでも向かえる。
恋次が危なくなった時、その戦いを強引に終わらせることもできるだろう。
だが、恋次は自分自身で白哉を越えると決めた。
それなら、危険だからという理由だけで横から戦いを奪うべきではない。
朔夜はそのまま双殛の丘へ向かって進んだ。
途中、前方から数人の隊士が走ってくる。
朔夜の姿を見つけた瞬間、彼らは一斉に刀へ手を掛けた。
「御門朔夜!」
「止まれ!」
朔夜は歩みを止める。
「急いでるんだけどな」
「抵抗するなら拘束する!」
「それは困る」
隊士たちが刀を抜いて構える。
朔夜は相手の人数と位置を一度確認した。
五人。
いずれも一般隊士であり、わざわざ御厨子を抜くほどの相手ではない。
最初の一人が踏み込んでくると、朔夜は斬撃を鞘で受け流し、その勢いのまま相手の懐へ入った。
腹へ軽く掌底を当てると、隊士は息を詰まらせて膝をつく。
続く二人が左右から攻撃を仕掛けてきたが、朔夜は瞬歩でその間をすり抜け、背後から首筋へ最低限の一撃を入れた。
二人がその場へ崩れ落ちる。
残った隊士たちは、朔夜がまだ刀を抜いていないことに気づき、僅かに動きを止めた。
「何故……刀を抜かない」
朔夜は少し困ったように笑った。
「抜く必要がないから」
見下しているわけではない。
実際に、それだけだった。
以前なら「早く終わらせるため」という理由だけで解を使っていたかもしれない。
今は、自分がどこまで力を使えば十分なのかを自然に考えられる。
「できれば、ここで終わりにしてくれると助かるんだけど」
残った二人はすぐには動かなかった。
その隙に、朔夜は彼らの横を通り抜ける。
追ってくる気配はなかった。
再び歩き始めたところで、遠くにある恋次の霊圧が一気に膨れ上がった。
朔夜は僅かに足を止める。
「……来たか」
◇
恋次の周囲で霊圧が激しく渦巻いていた。
白哉はその変化を静かに見つめている。
恋次は両手で蛇尾丸を握り、荒くなった呼吸を整えた。
始解のままでは届かない。
それはここまでの攻防で十分に理解した。
だからこそ、ここで使う。
地下修行場で蛇尾丸と向き合い、何度倒されても立ち上がりながら掴んだ力を。
完全に使いこなせているとは言えない。
それでも、今ここで使わなければ意味がない。
「隊長」
白哉が恋次を見る。
「俺はずっと、あんたの背中を追ってきた」
恋次の霊圧がさらに高まった。
「でも、それも今日で終わりです」
白哉の目が僅かに細くなる。
恋次は大きく息を吸い、蛇尾丸を強く握り締めた。
「――卍解!」
轟音とともに地面が震え、周囲の空気を押し広げるような霊圧が噴き上がる。
その中心から姿を現したのは、始解とは比べものにならないほど巨大な蛇尾丸だった。
骨で形作られた長大な身体が恋次の周囲をうねり、赤い毛皮が霊圧の流れに煽られて大きく揺れる。
恋次はその中心に立ち、白哉を真っ直ぐ睨んだ。
「狒狒王蛇尾丸」
巨大な蛇尾丸が低く唸る。
白哉は目の前に現れた卍解を見ても大きく表情を変えなかったが、完全に無反応だったわけではない。
「卍解か」
「そうですよ」
恋次は肩で息をしながら笑った。
「ちょっとは驚いてくれました?」
白哉はしばらく恋次を見つめる。
「僅かな時間で、そこまで至ったことにはな」
その言葉に、恋次の笑みが深くなった。
白哉から成長そのものを認められた。
だが、ここで満足するつもりはない。
「なら、次はもっと驚かせますよ!」
恋次が腕を振るう。
狒狒王蛇尾丸が大きくうねり、地面を削りながら白哉へ襲いかかった。
白哉は瞬歩でかわす。
蛇尾丸はそのまま建物の壁へ激突し、大きな破片を撒き散らした。
恋次はすぐに軌道を変え、逃げた白哉を追う。
「逃がすか!」
始解とは攻撃範囲も威力もまるで違う。
白哉が瞬歩で距離を取っても、長大な身体を持つ狒狒王蛇尾丸なら、その先まで攻撃を届かせることができる。
恋次は白哉の動きを見ながら、無闇に振り回さず攻撃を重ねていった。
右から迫った一撃をかわされたなら、次は左から回り込み、そこからさらに上へ逃れた白哉へ向けて蛇尾丸を振り下ろす。
白哉が直前で退いた場所へ巨大な骨の刃が突き刺さり、地面が大きく砕けた。
「どうしたんです、隊長! さっきから逃げてばっかじゃねぇですか!」
白哉は少し離れた場所へ静かに着地する。
恋次が挑発していることなど、当然分かっている。
それでも、その目には先ほどまでとは少し違うものがあった。
白哉はようやく、恋次を部下ではなく戦う相手として見始めていた。
「恋次」
「何です」
「一つ教えておこう」
白哉が斬魄刀を持ち上げる。
「卍解を得たことと、卍解を使いこなすことは同じではない」
恋次の表情が僅かに変わる。
「そんなこと……」
「お前自身が最も分かっているはずだ」
恋次は言葉を止めた。
図星だった。
狒狒王蛇尾丸は確かに強い。
しかし、その巨大さゆえに取り回しは難しく、霊圧の消費も激しい。
動かすたびに身体への負担も返ってくる。
修行を終えたばかりの恋次は、まだこの卍解を完全には扱えていない。
それでも恋次は蛇尾丸を握り直した。
「だから何だってんです」
白哉が黙って見ている。
「使いこなせてねぇなら、今ここで使いこなす!」
白哉の目が僅かに細くなる。
「そうか」
恋次は答える代わりに、再び狒狒王蛇尾丸を動かした。
◇
双殛の丘へ近づくほど、朔夜が感じ取る霊圧の数も増えていった。
一般隊士だけではない。
副隊長格。
隊長格。
そして、その向こうにはルキアの霊圧もある。
「もう近いな」
朔夜は屋根の上へ降り立ち、遠くに見える双殛の丘へ目を向けた。
その時、別方向から白哉の霊圧がさらに大きく膨れ上がる。
先ほどまでとは明らかに質が違う。
朔夜は表情を引き締めた。
「白哉も上げたか」
恋次が卍解を出した以上、白哉もこのまま終わらせるつもりはないらしい。
当然だ。
相手は六番隊隊長、朽木白哉なのだから。
朔夜は一瞬だけ考えた。
恋次が危険な状況へ追い込まれる可能性は高い。
しかし、まだ恋次の霊圧は折れておらず、戦う意思もしっかりと感じ取れる。
ならば、まだ自分が行く時ではない。
「こっちはこっちで動かないと」
朔夜が双殛の丘へ視線を戻した、その時だった。
近くの屋根へ一人の死神が降り立つ。
朔夜もそちらへ目を向けた。
一般隊士ではない。
立っているだけでも、霊圧の質が明らかに違う。
相手は朔夜を見据えたまま、静かに口を開いた。
「御門朔夜」
自分の名前を知っているらしい。
朔夜は少しだけ眉を上げる。
「俺、有名になったなぁ」
冗談めかして言いながらも、相手の霊圧を冷静に見極めていく。
少なくとも、先ほどまで相手にしていた隊士とは違う。
朔夜は反射的に御厨子へ手を伸ばしかけたが、すぐに止めた。
強いからといって、即座に刀を抜く必要はない。
まずは、この相手が何のために自分の前へ立っているのかを確かめるべきだ。
「で」
朔夜は静かに尋ねる。
「俺を止めに来た?」
相手は答えず、斬魄刀へ手を掛けた。
朔夜は小さく息を吐いた。
「できれば話し合いで済ませたいんだけどな」
言葉とは裏腹に、視線は相手の肩や足の動きを捉え始めている。
必要になれば、いつでも動ける。
ただし。
必要になるまでは動かない。
修行で学んだことを、朔夜はもう無理に意識しなくても実行できるようになっていた。
◇
狒狒王蛇尾丸が白哉へ迫る。
巨大な牙が建物を抉り、骨の身体が激しくうねるたび、周囲の地面が震えた。
白哉は攻撃をかわしながら、静かに恋次を観察している。
恋次は必死だった。
それでも、以前のように怒りだけで刀を振るっているわけではない。
白哉の動きを見ながら、狒狒王蛇尾丸の長い間合いを利用し、少しずつ逃げ道を削っている。
「そこだ!」
恋次が腕を振り下ろす。
狒狒王蛇尾丸が真上から白哉へ叩きつけられた。
轟音とともに大量の土煙が上がる。
恋次はその中へ目を凝らす。
確かな手応えがあった。
だが、その瞬間。
「まだ甘い」
背後から白哉の声が聞こえた。
恋次の目が見開かれる。
振り返るより早く、白哉の斬撃が肩を捉えた。
血が飛ぶ。
「ぐっ!」
恋次の身体が大きくよろめく。
それでも倒れず、反射的に狒狒王蛇尾丸を横薙ぎに振るった。
白哉はその攻撃を避けて距離を取る。
恋次は肩を押さえながら荒く息を吐いた。
「やっぱり……速ぇな」
白哉は無言で恋次を見る。
恋次は血のついた手を一度確認してから、顔を上げた。
「でも、見えなかったわけじゃねぇ」
その言葉に、白哉の目が僅かに変わる。
恋次は再び蛇尾丸を構えた。
「まだ終わってませんよ、隊長」
狒狒王蛇尾丸が大きく身体を持ち上げる。
白哉はその姿を見て、ようやく斬魄刀を前へ出した。
「そうか」
静かな声だった。
「ならば、お前の覚悟に相応の力で応えよう」
白哉は千本桜を逆さに持つ。
その構えを見た瞬間、恋次の表情が変わった。
知らないはずがない。
六番隊副隊長として、何度も意識してきた力だ。
「まさか……」
白哉が手を離す。
千本桜の刀身が、静かに地面へ沈んでいく。
恋次の額から汗が流れた。
白哉の声が周囲へ響く。
「卍解――」
空気が一変する。
恋次は狒狒王蛇尾丸を構え直した。
恐怖がないわけではない。
むしろ、白哉の卍解を知っているからこそ、その危険さも理解している。
それでも、ここまで来て退くという選択肢は最初からなかった。
白哉の背後へ、無数の巨大な刀身が並び始める。
「千本桜景厳」
刀身は次々と崩れ、無数の小さな刃となって宙へ舞い上がった。
光を受けた刃の群れは、まるで桜の花びらのように空を埋めていく。
恋次はその光景を見上げながら、蛇尾丸を強く握り締めた。
「上等だ……!」
狒狒王蛇尾丸が大きく身を起こす。
「俺はここを退かねぇ!」
無数の桜と巨大な蛇が、真正面から向かい合う。
恋次がようやく手にした卍解と、白哉が長い年月をかけて磨き上げてきた卍解。
その差がどれほど大きなものなのか。
恋次自身が、誰よりも分かっている。
それでも。
今日だけは。
その差を理由に退くつもりはなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は恋次対白哉を中心に描きました。
恋次はついに、白哉の前で、
「卍解――狒狒王蛇尾丸」
を初披露しています。
ただし、卍解を得たことで、すぐに白哉と同じ場所へ立てたわけではありません。
狒狒王蛇尾丸は強大な反面、巨大な身体を動かすための技量と多くの霊圧を必要とします。
白哉からも、
「卍解を得たことと、卍解を使いこなすことは同じではない」
と指摘されています。
それでも恋次は、
「使いこなせてねぇなら、今ここで使いこなす」
と退かずに戦い続けます。
そして最後には、白哉も卍解「千本桜景厳」を解放しました。
一方の朔夜は、恋次と白哉の戦いを感じ取りながらも介入せず、双殛の丘へ向かっています。
また、朔夜の前には一般隊士とは明らかに違う霊圧を持つ死神が現れました。
朔夜は相手が強いと分かっても、すぐには御厨子を抜いていません。
相手の強さではなく、
自分が本当に戦う必要があるのか
を先に判断するようになっています。
次回――
第37話「届かぬ刃」
狒狒王蛇尾丸と千本桜景厳が激突します。
恋次の刃は、どこまで白哉へ届くのか。
そして朔夜の前へ現れた死神が、何のために彼を止めたのか。
処刑の刻も、刻一刻と近づいていきます。
よろしくお願いします。