BLEACH ―斬界の御厨子―   作:tunagi

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第44話 藍染の目的

 

「恋次、もうよい。私を下ろせ」

 

「却下だ」

 

一護からルキアを託された後、恋次は双殛から離れることだけを考えて歩き続けていた。

 

白哉との戦いで負った傷は、花太郎の応急処置だけでは到底治り切っていない。走るたびに傷口は開き、死覇装には新しい血が滲んでいた。

 

それでも、ルキアを抱える腕だけは緩めない。

 

「その身体でいつまで歩くつもりだ!」

 

「追っ手が来ねぇところまでだよ」

 

「お前の方が先に倒れる!」

 

「だったら倒れる前に着けばいいだろ」

 

「そういう問題ではない!」

 

怒鳴るルキアへ、恋次は苦しそうに笑った。

 

「元気あるじゃねぇか」

 

「誰のせいだと思っている!」

 

いつものような言い合いだった。

 

しかし、ルキアには分かっていた。

 

恋次の足取りは確実に重くなっている。

 

「……馬鹿者」

 

「今さらだな」

 

短く返した恋次の足が、不意に止まった。

 

前方に、一人の男が立っている。

 

九番隊隊長――東仙要。

 

「……東仙隊長」

 

恋次はルキアを抱えたまま、蛇尾丸へ手を伸ばした。

 

東仙は静かに告げる。

 

「ここまでだ、阿散井恋次」

 

「退いてください」

 

「できない」

 

恋次の表情が険しくなる。

 

「だったら、力ずくで通ります」

 

ルキアが身を起こした。

 

「待て、恋次。今のお前では――」

 

「分かってる」

 

蛇尾丸を抜く。

 

「でも、ここでお前を渡したら、何のためにここまで来たか分からねぇだろ」

 

東仙は僅かに沈黙した後、刀へ手を掛けた。

 

そこから先は、長くは続かなかった。

 

既に限界を越えている恋次と、隊長格である東仙との間には、あまりにも大きな差があった。

 

恋次はルキアを庇いながら必死に食らいついたが、一瞬の隙を突かれ、意識が大きく揺らぐ。

 

「恋次!」

 

ルキアの声が遠ざかる。

 

次に恋次がはっきりと周囲を認識した時、景色は変わっていた。

 

「……ここは……」

 

破壊された処刑台。

 

見覚えのある広大な丘。

 

再び、双殛の丘へ連れ戻されていた。

 

東仙が少し離れた場所に立っている。

 

そして、その先には二人の男がいた。

 

市丸ギン。

 

そして――。

 

「藍染……隊長……?」

 

ルキアの声が震えた。

 

死んだはずの藍染惣右介が、何事もなかったように立っている。

 

眼鏡はなく、髪も以前とは違う。

 

それでも見間違えるはずがなかった。

 

藍染は二人を見ると、穏やかに言った。

 

「久しぶりだね、朽木ルキア。阿散井恋次」

 

恋次は痛む身体を無理に起こした。

 

ルキアを背後へ庇う。

 

「……何であんたが生きてる」

 

「その説明も必要だが、今は時間が惜しい」

 

藍染が一歩近づく。

 

「朽木ルキアをこちらへ渡してくれないか」

 

「断る」

 

即答だった。

 

「何が目的だろうが、こいつは渡さねぇ」

 

「君は朽木白哉との戦いで既に限界を越えている」

 

「だから何だ」

 

恋次は蛇尾丸を構える。

 

腕が震えている。

 

それでも刀を下ろさない。

 

「勝てるかどうかで立ってんじゃねぇよ」

 

藍染は数秒だけ恋次を見ると、小さく息を吐いた。

 

次の瞬間には、その姿が消えていた。

 

「――!」

 

恋次が反応した時には遅い。

 

蛇尾丸を持つ腕へ衝撃が走り、刀が弾かれる。続けて身体ごと地面へ叩きつけられた。

 

「恋次!」

 

ルキアが駆け寄ろうとする。

 

「来るな!」

 

恋次は起き上がろうとした。

 

しかし、もう腕にも足にも力が入らない。

 

藍染は倒れた恋次を追撃せず、ルキアだけを見ていた。

 

「……私に何の用だ」

 

ルキアが藍染を睨む。

 

「正確には、君自身ではない」

 

藍染の視線がルキアの胸元へ向かう。

 

「君の魂の中にあるものが欲しい」

 

「私の……中?」

 

「君は知らされていない。浦原が隠したからね」

 

ルキアの目が見開かれた。

 

「浦原が……?」

 

藍染は静かに頷く。

 

「彼がかつて生み出した物質がある。死神と虚、その境界を崩すために作られたもの――崩玉」

 

聞いたことのない名前だった。

 

ルキアは何も言えない。

 

「浦原は崩玉を作った後、その危険性を知って破壊しようとした。しかし、それはできなかった」

 

藍染は淡々と話を続ける。

 

「そこで彼は、崩玉を別の魂魄へ埋め込み、その魂そのものを人間へ近づけることで、存在を永久に隠そうとした」

 

ルキアの脳裏に、現世で浦原から渡された義骸が浮かんだ。

 

入っている間、霊力は戻るどころか失われ続けた。

 

あの時は、ただ不良品の義骸だと思っていた。

 

「……あの義骸は……」

 

「君を人間へ近づけるためのものだった」

 

ルキアの顔から血の気が引く。

 

「では……私の処刑は……」

 

「崩玉を取り出すために利用した」

 

恋次が地面から藍染を睨んだ。

 

「中央四十六室も……そのために……?」

 

「彼らは既に死んでいる」

 

藍染の返答はあまりにも平静だった。

 

「君たちが中央四十六室から受けていたと思っていた命令も、処刑日の変更も、全てこちらで行った」

 

ルキアは言葉を失った。

 

自分のために一護たちは尸魂界へ来た。

 

恋次は白哉へ刃を向けた。

 

護廷十三隊の中でも多くの者が疑い、戦い、傷ついた。

 

それら全てが、最初から藍染の目的のために動かされていた。

 

「何故……双殛だった」

 

恋次が掠れた声で尋ねる。

 

「魂魄の内部へ隠された異物を取り出すためだ」

 

藍染はルキアを見る。

 

「双殛によって魂そのものを蒸発させれば、その中にある崩玉だけを回収できると考えた」

 

ルキアの表情が強張る。

 

自分の処刑は、罪への罰ですらなかった。

 

ただ崩玉を取り出すための方法だった。

 

「だが、双殛は破壊された」

 

藍染は続ける。

 

「その場合に備えて、別の方法も調べてある」

 

恋次の目が細くなる。

 

「別の……方法?」

 

「浦原の研究には、魂魄そのものを消滅させず、内部の異物だけを分離する技術も残されていた」

 

藍染がルキアへ歩み寄る。

 

「双殛に拘る必要は、もうない」

 

◇

 

その頃、朔夜は瀞霊廷を全速力で駆け抜けていた。

 

中央四十六室から出た時点で、肩と脇腹からの出血はまだ止まっていない。

 

一歩踏み込むたびに傷が痛む。

 

それでも速度を落とせなかった。

 

遠くにルキアの霊圧がある。

 

そのすぐ近くに恋次。

 

そして――。

 

「藍染、ギン……東仙までいるのかよ」

 

三人の隊長格が、同じ場所へ集まっていた。

 

嫌な予感では済まない。

 

もう何かが始まっている。

 

朔夜は屋根を蹴り、さらに速度を上げた。

 

普段なら道を選んで進む場所でも、今は回り込まない。

 

正面に建物が現れる。

 

「解」

 

始解した御厨子が応じる。

 

正面の壁へ複数の切断が同時に入り、建物全体を崩さず、人が通れる部分だけが切り抜かれた。

 

朔夜は石材が落ち始める前にそこを抜ける。

 

次の建物。

 

その先の塀。

 

さらに進路を塞ぐ塔の一部。

 

斬る必要がある部分だけを選び、同時に開いていく。

 

以前なら、一つ一つ狙いを定めて使っていた解。

 

今の御厨子なら、朔夜が把握した複数の対象へ、それぞれ違う深さでほぼ同時に斬撃を成立させられる。

 

だから最短距離を進める。

 

それでも。

 

「まだ遠い……!」

 

恋次の霊圧が激しく揺れた。

 

次の瞬間、大きく弱まる。

 

朔夜の表情が変わった。

 

「恋次!」

 

地面へ降りる時間すら惜しい。

 

屋根の端を強く踏み込み、身体を前へ投げ出す。

 

肩の傷が開き、血が飛んだ。

 

痛みは無視する。

 

ルキアの霊圧はまだある。

 

だが、そのすぐそばに藍染がいる。

 

「間に合え……!」

 

◇

 

双殛の丘。

 

恋次は再び立ち上がろうとしていた。

 

腕に力を込めても、身体が数センチ持ち上がるだけだった。

 

「……離せ……」

 

藍染は既にルキアの腕を掴んでいる。

 

「ルキアを……離せ……!」

 

「恋次!」

 

ルキアは逃れようと身体を捻るが、藍染の手はびくともしない。

 

「安心するといい」

 

藍染はルキアの胸元へ片手を向けた。

 

「双殛を使う必要はなくなった。君を殺さず、崩玉だけを取り出せる」

 

「そんな言葉を信じると思うか!」

 

「信じてもらう必要はないよ」

 

藍染の手へ霊圧が集まる。

 

ルキアの胸元に淡い光が生まれた。

 

それは身体の表面を焼いたり傷つけたりするものではない。

 

むしろ光そのものが、肉体ではなく魂へ沈み込んでいくように見えた。

 

「……っ!」

 

ルキアが息を詰める。

 

痛みというより、身体の内側へ直接手を差し入れられているような異物感に顔を歪めた。

 

藍染の指先が、その光の中へゆっくりと沈んでいく。

 

肉体を破っているわけではない。

 

魂魄の内部へ干渉し、そこに隠されている異物だけを探っているのだ。

 

ギンが周囲へ目を向ける。

 

「藍染隊長」

 

「分かっている」

 

遠くから、急速に近づいてくる霊圧。

 

東仙も顔を上げた。

 

「御門朔夜か」

 

藍染は摘出を止めなかった。

 

「思ったより早い」

 

ギンが笑う。

 

「御厨子使って道ごと切って来とるみたいですね」

 

「ならば予定を変える必要はない」

 

藍染は冷静に告げる。

 

「ギン、要。彼を止めてくれ」

 

「倒しますか?」

 

「必要ない」

 

藍染は即答した。

 

「私が崩玉を回収するまででいい」

 

東仙が刀を抜く。

 

「承知した」

 

ギンも神鎗へ手を掛ける。

 

藍染は二人へ視線を向けず、さらに具体的に続けた。

 

「中央四十六室で御門朔夜と戦い続ければ、確実に時間を失っていた。始解後の御厨子は複数の解で行動範囲を制限し、接触すれば捌で刀そのものへ斬撃を通してくる」

 

藍染の腕には、朔夜につけられた浅い傷が残っている。

 

「彼を倒すことが目的ではない以上、そこで時間を使う意味はない」

 

ギンが目を細める。

 

「せやから先にルキアちゃんのとこへ来た、と」

 

「ああ」

 

藍染の指が、さらにルキアの魂の奥へ沈む。

 

「今は崩玉を手に入れることが最優先だ。御門朔夜との決着は、その後で構わない」

 

その言葉が終わるのとほぼ同時だった。

 

双殛の丘へ続く巨大な石壁が、一斉に断たれた。

 

一本ではない。

 

異なる高さと角度から複数の切断が生じ、巨大な石材が左右へ崩れ落ちる。

 

その中央から、血に濡れた死覇装の男が飛び込んできた。

 

「藍染!!」

 

朔夜だった。

 

肩と脇腹から血を流し、息も乱れている。

 

それでも御厨子を握る手だけは揺れていない。

 

視界へ最初に入ったのは、倒れている恋次。

 

次にルキア。

 

そして、彼女の胸元へ手を差し入れている藍染。

 

「やめろ!」

 

朔夜が地面を蹴る。

 

だが、藍染へ一直線に届く前にギンと東仙が間へ入った。

 

「悪いなぁ、朔夜クン」

 

「退け!」

 

「それはできへん」

 

「なら――」

 

朔夜の視線が一瞬で二人の足元へ落ちる。

 

「そこをどけ!」

 

解。

 

ギンの左右。

 

東仙の前方。

 

二人の間。

 

さらに背後の足場。

 

見えない斬撃がほぼ同時に成立し、石畳が異なる方向へ切り分けられた。

 

ギンは神鎗を伸ばし、崩れた足場を利用して後方へ跳ぶ。

 

東仙も反対側へ移る。

 

中央が開く。

 

朔夜はそこを迷わず駆け抜けた。

 

しかし東仙がすぐに戻り、刀を横薙ぎに振るう。

 

朔夜は御厨子で受けない。

 

身体を沈め、東仙の刀身へ左手を伸ばした。

 

東仙は寸前で腕を引いた。

 

朔夜の指先が空を切る。

 

「……もう捌まで知られてるのか」

 

「情報は共有している」

 

横から神鎗が飛ぶ。

 

朔夜は反射的に解を当て、刀身の軌道を逸らした。

 

だがその数秒の間にも、藍染の手はルキアの魂の奥へ進んでいる。

 

「くそ……!」

 

朔夜はギンと東仙を倒そうとする意識を捨てた。

 

二人の目的は自分を止めること。

 

なら、まともに戦う方が時間を使う。

 

足場だけを狙う。

 

二人の立ち位置を変える。

 

中央を開ける。

 

解を攻撃ではなく、突破のために配置していく。

 

床が裂け、柱の根元が切断され、崩れた石材がギンと東仙の視線を一瞬遮る。

 

朔夜はその隙を抜けた。

 

藍染まで、あと十数歩。

 

「藍染!」

 

藍染は振り返らない。

 

「あと少しだ」

 

ルキアの胸元に集まっていた光が、さらに強くなる。

 

朔夜は右手を上げた。

 

藍染へ直接撃つ。

 

そう考えた瞬間、中央四十六室での失敗が頭をよぎる。

 

見えている藍染が本物だという保証はない。

 

だが迷っている時間もない。

 

「解!」

 

藍染の肩、腕、脚へ同時に斬撃を成立させる。

 

血が飛んだ。

 

隊長羽織が裂ける。

 

ルキアが目を見開く。

 

だが朔夜はすぐに気づいた。

 

違う。

 

斬った感触がない。

 

「幻か!」

 

切り裂かれた藍染の姿が崩れる。

 

本物の声は、少し離れた位置から響いた。

 

「焦ったね、御門朔夜」

 

ルキアのすぐ隣。

 

「っ……!」

 

朔夜が踏み込む。

 

あと数歩。

 

ギンと東仙が追いつく。

 

神鎗が横から伸び、東仙が正面を塞ぐ。

 

朔夜は御厨子を振りながら二人の足場へ解を重ねた。

 

巨大な石盤が斜めに切り離され、ギンと東仙が同時に体勢を崩す。

 

二人の間を抜ける。

 

あと五歩。

 

「藍染!」

 

「遅い」

 

藍染の手が引かれた。

 

ルキアの胸元から、淡い光を纏った小さな物体がゆっくりと抜け出す。

 

肉体に傷はない。

 

だがルキアの身体は大きく震え、そのまま力を失った。

 

「ルキア!」

 

恋次が叫ぶ。

 

朔夜も手を伸ばす。

 

あと三歩。

 

しかし藍染の掌には、既に目的のものが収まっていた。

 

小さく、異質な光を宿す球体。

 

藍染はそれを見下ろし、初めて満足したように目を細めた。

 

「これが――崩玉」

 

朔夜の足が止まった。

 

間に合わなかった。

 

中央四十六室で藍染の目的へ気づくのが遅れた。

 

鏡花水月に惑わされ、移動でも時間を失った。

 

ここへ着いてからも、ギンと東仙の目的を理解するまで数秒かかった。

 

その一つ一つが積み重なった結果が、今だった。

 

「……くそ」

 

朔夜の声が低く漏れる。

 

藍染は崩玉を手にしたまま、朔夜を見る。

 

「惜しかったね」

 

朔夜は返事をしない。

 

悔しさをそのまま斬撃へ変えることもしなかった。

 

既に目的物は藍染の手にある。

 

ならば次に考えるべきは、ここから藍染が何をするか。

 

ギン。

 

東仙。

 

崩玉。

 

倒れている恋次。

 

力を失ったルキア。

 

朔夜は一つずつ状況を確認し、御厨子を構え直した。

 

「……まだ終わってない」

 

藍染が僅かに笑う。

 

「ああ」

 

崩玉を握った男は静かに答えた。

 

「むしろ、これからだよ」

 

双殛の丘を重い風が吹き抜ける。

 

尸魂界全体を巻き込んだ藍染惣右介の計画は、ついにその目的を果たした。

 

だが、御門朔夜はまだ刀を下ろしていない。

 

そして藍染もまた、ここから先こそが始まりだと言わんばかりに崩玉を握っていた。




藍染の目的だった崩玉が、ついにルキアの中から摘出されました。

朔夜はあと一歩のところで間に合いませんでした。

次回――
第45話「決別」
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