三人は崩玉を手に、反膜によって尸魂界から姿を消しました。
崩玉を奪われ、藍染を止めることもできなかった朔夜たち。
それでも戦いが終われば、まず生き残った者たちを助けなければなりません。
それでは、第46話「戦いのあと」です。
藍染たちを飲み込んだ空の裂け目が完全に閉じても、しばらくの間、誰も動かなかった。
双殛の丘には、戦いの痕跡だけが残されている。
崩れた石畳。
斬り裂かれた壁。
黒棺によって抉られた地面。
そして、あちこちに倒れている死神たち。
朔夜は閉じた空を見上げた後、ゆっくりと息を吐いた。
「……終わった、って言っていいのかな」
「少なくとも、今すぐ斬り合う相手はいなくなったようじゃな」
聞き慣れた声に振り向く。
そこには四楓院夜一が立っていた。
その少し後ろには砕蜂もいる。
「夜一さん」
朔夜が呼ぶと、夜一の目がすぐに彼の肩と脇腹へ向かった。
死覇装はかなりの範囲が血に染まっている。
「派手にやられたのう」
「見た目ほどじゃないよ」
「その台詞を言う奴は、大抵見た目以上にやられておる」
「経験談?」
「おぬしの面倒を見た経験談じゃ」
そこまで言うと、夜一はすぐに朔夜の傷へ手を伸ばした。
「触るぞ」
「待って、痛――」
容赦なく肩口を押される。
朔夜の顔が歪んだ。
「痛っ!」
「ほれ見ろ」
「確認方法が乱暴すぎるって!」
「口が動くなら死にはせん」
夜一はそう言いながらも、表情までは笑っていなかった。
傷の深さを確かめる視線は真剣だった。
砕蜂も朔夜を見てから、周囲の負傷者へ視線を移す。
「四番隊を呼びます」
「ああ。狛村も重傷じゃ。白哉も恋次も、このまま放っておける状態ではない」
夜一の言葉に、砕蜂はすぐに動き出した。
朔夜はその背中を見送った後、少し離れた場所へ目を向ける。
白哉はルキアに支えられていた。
恋次は横になったまま動けない。
狛村も意識を取り戻していない。
「まず運ぶか」
朔夜が歩き出そうとすると、夜一に襟首を掴まれた。
「おぬしも運ばれる側じゃ」
「まだ歩けるよ」
「そういう問題ではない」
「でも狛村が――」
「他にも死神はおる」
夜一は朔夜を睨む。
「全部おぬしがやる必要はない」
その言葉に、朔夜は少しだけ黙った。
以前なら、そこで反論していたかもしれない。
だが今日一日で、自分一人ではどうにもならない場面を嫌というほど見た。
「……じゃあ、一人だけ」
「誰じゃ」
朔夜は恋次を指差す。
「一番うるさい怪我人」
「聞こえてんぞ……」
地面から恋次の声が飛んできた。
朔夜は少し笑う。
「元気そうだね」
「どこがだ!」
「じゃあ自分で歩く?」
「無理に決まってんだろ!」
「素直でよろしい」
「てめぇ……!」
そのやり取りを見ていたルキアが、ようやく小さく笑った。
戦いが終わってから初めて浮かべた、ほんの僅かな笑みだった。
◇
間もなく、四番隊の隊士たちが双殛へ到着した。
卯ノ花烈を中心に負傷者の状態が次々と確認されていく。
狛村はすぐに担架へ乗せられた。
白哉にも治療が必要だと告げられ、本人は一度断ろうとしたものの、卯ノ花に穏やかな笑顔を向けられた途端、それ以上何も言わなかった。
恋次も同様だった。
「阿散井副隊長、動かないでください」
「いや、これくらいなら――」
「動かないでください」
「……はい」
朔夜が横から笑う。
「恋次、弱いな」
「お前も同じ顔されてんぞ」
「え?」
振り向くと、卯ノ花が朔夜を見ていた。
笑顔だった。
「御門さん」
「……はい」
「こちらへ」
「歩けるんですけど」
「こちらへ」
「……はい」
夜一が肩を震わせる。
「おぬしも大概じゃな」
「笑わないでよ」
結局、朔夜も治療を受けることになった。
肩の傷は深かったが、致命傷には至っていない。
脇腹も同様だった。
藍染が本気で殺しに来ていたなら、もっと深く斬られていただろう。
そう考えると、別の意味で腹が立つ。
「……遊ばれてたわけじゃないんだけどな」
朔夜が呟く。
隣で治療を受けていた恋次が聞き返す。
「何が?」
「藍染」
「また考えてんのか」
「まあね」
「今は寝とけ」
「恋次に言われたくないな」
「俺は寝てるだろ」
「喋ってるじゃん」
「お前が話しかけるからだ!」
少し離れた場所で、ルキアが呆れたように二人を見る。
「お前たちは少し黙れ」
「はい」
「……はい」
二人同時に返事をした。
ルキアは小さく息を吐いた。
だが、その顔から完全に緊張が消えたわけではない。
自分の魂の中に崩玉が隠されていたこと。
そのために処刑されかけたこと。
浦原が自分へ何も告げなかったこと。
受け止めるには、あまりにも多すぎる。
朔夜はそれに気づいたが、今ここで何かを聞くことはしなかった。
答えを出すのは、ルキア自身だ。
◇
少し離れた場所では、白哉も治療を受けていた。
ルキアはしばらく迷った末、白哉の近くへ歩いていく。
「兄様」
白哉が目を開く。
「何だ」
「先ほどは……ありがとうございました」
深く頭を下げる。
白哉はすぐには答えなかった。
「礼は要らぬ」
「しかし――」
「私は、今までお前に何も話してこなかった」
ルキアが顔を上げる。
白哉の声音は普段と変わらない。
だが、どこか迷いがあった。
「兄様……?」
白哉は一度目を閉じた。
「いずれ話す」
短い言葉だった。
「お前を朽木家へ迎えた理由も、私が何故あれほど掟に拘ったのかも」
ルキアは何も言わない。
白哉が自分からそんなことを口にするとは思っていなかった。
「今は休め」
「……はい」
ルキアは静かに頷いた。
そのやり取りを、恋次が少し遠くから見ている。
朔夜は横目でそれに気づいた。
「気になる?」
「うるせぇ」
「別に何も言ってないけど」
「顔が言ってんだよ」
朔夜は肩を竦めようとして、治療中の傷が痛み、途中でやめた。
「いてて……」
「馬鹿」
「さっきまで動けなかった奴に言われたくない」
「まだ動けねぇよ」
「知ってる」
二人の声を聞きながら、ルキアは少しだけ目を細めた。
今日一日で、多くのものが変わった。
だが、変わらないものもある。
それだけで今は十分だった。
◇
しばらくして、一護も双殛へ戻ってきた。
白哉との戦いを終えた身体は傷だらけで、本人も決して無事とは言えない。
それでもルキアの姿を見つけた瞬間、表情が緩んだ。
「ルキア!」
「一護」
一護は足を止める。
ルキアが生きている。
恋次もいる。
白哉もいる。
そして、少し離れた場所では朔夜が包帯を巻かれていた。
「……お前まで何だその怪我」
「色々あった」
「色々で済むか!」
「一護も人のこと言えないだろ」
確かにそうだった。
一護も死覇装のあちこちが破れ、傷だらけだ。
「それより」
朔夜は一護を見る。
「勝った?」
一護は少し黙る。
「……分かんねぇ」
「珍しい答え」
「白哉とは決着ついた。でも藍染は逃げたんだろ」
「うん」
一護の拳が僅かに握られる。
「じゃあ、全部終わったわけじゃねぇ」
朔夜は少しだけ笑った。
「そういうこと」
一護は藍染が消えた空を見る。
「次に会ったら、今度こそぶっ飛ばす」
「頼もしいね」
「お前もやれよ」
「もちろん」
今度は「任せる」とは言わなかった。
一護もそれ以上何も言わなかった。
二人とも、今日の戦いで自分にできることとできないことを嫌というほど知った。
だからこそ、次に何をするかはそれぞれで決めればいい。
◇
日が傾き始めた頃。
負傷者たちはそれぞれ四番隊へ運ばれ、双殛の丘にも少しずつ静けさが戻っていた。
朔夜も治療を終えた後、丘の端へ座っていた。
隣には夜一がいる。
しばらく二人とも何も話さなかった。
先に口を開いたのは夜一だった。
「御厨子を解放したそうじゃな」
「誰から聞いたの?」
「見れば分かる」
「見てなかったでしょ」
「喜助ならそう言うと思っての」
「雑だなぁ」
夜一が小さく笑う。
「どうじゃった」
朔夜は少し考えた。
「強かったよ」
「御厨子がか?」
「藍染が」
夜一の表情が少し変わる。
朔夜は自分の右手を見る。
「御厨子を始解したら、今までよりずっと多くのことができた。でも、それでも足りなかった」
「そうか」
「悔しい?」
夜一の問いに、朔夜はすぐ答えた。
「かなり」
「なら上等じゃ」
朔夜が顔を向ける。
「何が?」
「悔しいと思えるうちは、まだ次を考えられる」
夜一は空を見上げた。
「何も感じなくなった時の方が危ない」
朔夜も同じように空を見る。
少し前まで藍染たちが消えた裂け目があった場所。
今はもう、普通の空しかない。
「次に会ったら、勝てるかな」
「知らん」
即答だった。
朔夜が思わず笑う。
「そこは師匠らしく励ましてよ」
「勝てると言えば勝てるようになるなら、いくらでも言ってやる」
夜一は横目で朔夜を見る。
「だが、おぬしはもうそういう段階ではないじゃろ」
朔夜は何も言わなかった。
その通りだった。
自分が強いことは知っている。
それでも藍染には届かなかった。
なら、必要なのは慰めではない。
何故届かなかったのか。
次にどうすれば届くのか。
それを考えることだった。
「鏡花水月」
朔夜が小さく呟く。
「まずは、あれだな」
「もう対策を考えるのか?」
「考えるだけなら怪我しててもできる」
「おぬしという奴は……」
呆れたように言いながらも、夜一は止めなかった。
朔夜はしばらく空を眺めた。
今日、多くのものを失った。
中央四十六室。
三人の隊長。
崩玉。
そして護廷十三隊が信じていた秩序そのもの。
だが、生き残った者もいる。
ルキア。
恋次。
一護。
白哉。
狛村。
雛森。
日番谷。
それぞれが傷つきながら、それでも生きている。
ならば今は、それでいい。
「朔夜」
夜一が呼ぶ。
「ん?」
「戻るぞ。治療が終わったからといって、もう動いてよいとは誰も言っておらん」
「えー」
「えー、ではない」
「腹減った」
「それは喜助に言え」
「じゃあ帰ろう」
「現金な奴じゃな」
朔夜は立ち上がろうとして、傷が痛み、顔をしかめた。
夜一が呆れたように腕を貸す。
「無理するでない」
「してないって」
「今のを見て誰が信じる」
言い返す言葉が見つからず、朔夜は大人しく夜一の手を借りた。
尸魂界を揺るがした戦いは終わった。
けれど、全てが元通りになるわけではない。
むしろ本当に変わり始めるのは、これからなのかもしれない。
藍染惣右介が残した傷。
崩玉。
そして、その先にある戦い。
それらを胸の奥へ残したまま、朔夜たちはようやく長い一日の終わりへ歩き始めた。
藍染との戦いを終え、ようやく訪れた休息。
次回からは、戦いの後に残されたそれぞれの思いと、尸魂界篇の締めへ入ります。
次回――
第47話「兄と妹」