しかし空座町では、朔夜にとって懐かしくも厄介な霊圧が動き始めています。
約百十年前に別れた男、平子真子。
久しぶりに姿を現した彼が、なぜ一護へ近づこうとしているのか。
第三部「破面篇」、ここから本格的に始まります。
第51話 見えない違和感
尸魂界から帰還した翌朝、黒崎一護が久しぶりに空座第一高校の教室へ足を踏み入れると、待ち構えていたように浅野啓吾が飛びついてきた。
「一護ぉぉぉ! お前どこ行ってたんだよぉぉぉ!」
「朝からうるせぇ!」
泣きながら迫ってくる啓吾の顔を、一護は片手で押し返す。それでも啓吾は諦めず、何日も学校を休んだ理由を聞き出そうと騒ぎ続けた。
「俺がどれだけ心配したと思ってんだ!」
「知らねぇよ! ちょっと用事があっただけだ!」
「ちょっとで何日も消える奴がいるか!」
いつもの騒がしさを取り戻した教室で、石田は何事もなかったように自分の席へ向かい、茶渡も静かに腰を下ろす。井上はそんな二人と一護たちを見ながら楽しそうに笑っていた。
ほんの数日前まで尸魂界で命懸けの戦いをしていたとは思えない光景だった。
一護もようやく啓吾を引き剥がして席に着いたところで、教室の前方から担任の声が聞こえてくる。
「今日は転校生を紹介するぞ」
何となく顔を上げた一護の前へ、金色のおかっぱ頭をした細身の少年が入ってきた。
少年は気の抜けたような笑みを浮かべたまま黒板へ自分の名前を書く。
平子真子。
「平子真子や。よろしゅう」
軽い関西弁で挨拶しながら教室を見回した平子の視線が、一瞬だけ一護のところで止まった。
一護が怪訝そうに眉を寄せる頃には、平子は何事もなかったように別の方を見ている。
「……何だ、あいつ」
初めて見る相手のはずなのに、最初から自分を知っているような目だった。
理由は分からない。
それでも一護の中には、妙な引っかかりだけが残った。
◇
同じ頃、浦原商店では朔夜が縁側に腰を下ろし、昨夜感じた霊圧について浦原へ話していた。
「虚とは少し違ったんだよね」
朔夜がそう言った瞬間、浦原の扇子がほんの僅かに止まる。
「……具体的には?」
普段の浦原なら、まず一つくらい冗談を挟むところだった。
ところが今は、朔夜がどこで、どの程度の強さの霊圧を感じ、どのように消えたのかを細かく確認してくる。
その反応だけで、朔夜には十分だった。
「喜助」
「何でしょう?」
「何か心当たりあるでしょ」
浦原は扇子で口元を隠した。
「似たような霊圧を持つ存在なら、いくつか心当たりはありますよ」
「その中に昔の知り合いが入ってたりする?」
浦原の目が僅かに細くなる。
ほんの一瞬だったが、朔夜は見逃さなかった。
「……何でそう思うんです?」
「今の顔」
「朔夜サンは人の顔を読みすぎです」
「喜助が分かりやすすぎる時があるんだよ」
朔夜が呆れたように返した直後、空座町の一角で昨夜と同質の霊圧が一瞬だけ膨らんだ。
二人の表情が同時に変わる。
「……まただ」
朔夜が立ち上がる。
浦原も霊圧の方向を探り、場所を確認した。
「学校の方ですね」
「一護の?」
「ええ」
その答えを聞いた浦原の表情に、今度は明らかな警戒が浮かんだ。
朔夜はそれを見て眉を寄せる。
「喜助。本当に何か知ってるね」
「知っていることと、今そこで何が起きているか分かることは別ですよ」
いつになく慎重な返事だった。
浦原は少し考えてから、朔夜を見る。
「もし相手が昔の知り合いだったとしても、目的まで昔と同じとは限りません。気をつけてください」
「……ますます怪しい言い方するね」
朔夜はそれ以上問い詰めず、屋根へ跳び上がった。
「行ってくる」
「傷はまだ完全に治ってませんから、無茶はしないでくださいよ」
「確認するだけだって」
そう言い残し、朔夜は瞬歩で姿を消した。
一人残された浦原は学校の方角をしばらく見つめた後、閉じた扇子を指先で軽く叩く。
「……この時期に、ですか」
その呟きには、懐かしさよりも警戒の色が強く混じっていた。
◇
昼休み、一護が屋上へ出ると、平子は最初から待っていたようにフェンスの前へ立っていた。
「やっと来たな」
一護はすぐに足を止める。
「何で俺が来るって知ってんだ」
「何となくや」
「嘘つけ」
即座に返されても、平子は楽しそうに笑ったままだ。
「警戒心強いなぁ。せっかく同じクラスになったんやから、もっと仲良うしようや、一護」
「お前、最初から俺に用があっただろ」
一護が睨んでも、平子は誤魔化すように肩を竦めるだけだった。
その視線が、一護の制服の内側へ一瞬だけ向く。
「それ、ええもん持ってるな」
一護の表情が変わった。
制服の内側には、浮竹から渡された死神代行証が入っている。普通の人間なら、存在に気づくことすら難しい。
「……お前、何者だ」
「今日は挨拶だけや」
平子はフェンスから身体を離し、一護が手を伸ばすより先に軽く距離を取った。
その動きは明らかに人間のものではない。
「待て!」
「またな、一護」
平子が屋上の縁へ足を掛けた時、別の霊圧が急速に近づいてきた。
その気配を感じた平子は、僅かに目を細める。
「……懐かしいのが来たな」
「何?」
一護が聞き返した時には、平子は屋上から姿を消していた。
慌てて下を覗いても、もうどこにもいない。
「何なんだよ、あいつ……」
その直後、背後へ人影が降り立つ。
「一護」
聞き慣れた声に一護が振り返る。
「朔夜?」
朔夜は返事をしながら、屋上に残った霊圧へ意識を集中させた。
そして次の瞬間、表情が変わる。
「……まさか」
「どうした?」
朔夜は残っている霊圧をもう一度確かめた。
昔より虚の気配が深く混ざり、雰囲気は変わっている。それでも霊圧の根にある癖までは消えていない。
「今ここにいた奴、金髪のおかっぱだった?」
「ああ。平子真子って――」
「やっぱり平子か」
一護が目を丸くする。
「知ってんのか?」
「昔ね」
「どれくらい昔だよ」
「百年以上前」
「……お前ら本当に年齢分かんねぇな」
朔夜はその言葉を軽く流し、一護から平子が何を言ったのか聞いた。
死神代行証に気づいたこと、人間離れした動きを見せたこと、そして自分へ用があるらしいこと。
話を聞くほど、朔夜の表情は険しくなる。
「何であいつが俺に近づいてんだ?」
「それは俺も知りたい」
「仲間じゃねぇのか?」
朔夜は少し考えてから答える。
「昔は敵じゃなかった。でも、最後にまともに会ったのは百年近く前だからね。今の平子が何を考えてるかまでは分からない」
「ずいぶん長い付き合いだな」
「長い付き合いと、信用できるかどうかは別だよ」
朔夜は平子が消えた方向へ視線を向けた。
追跡できるほど霊圧は残っていない。
相変わらず、消え方だけは上手い。
「次に会ったら教えて。一護に何を言ってくるのか知りたい」
「追わねぇのか?」
「今追っても見つからない。それに、あいつは俺が来るのを分かった上で消えてる」
少なくとも、平子は朔夜との接触を避けた。
その理由が一護との話を邪魔されたくなかったからなのか、それとも別の目的があるのかは分からない。
朔夜は無理に答えを出さなかった。
◇
放課後、朔夜は学校から少し離れた高架下へ一人で向かっていた。
昼間は追わなかった。
だが平子の性格を知っている朔夜には、こちらから出向けば姿を見せる可能性があると思えた。
人気のない高架下で足を止めると、朔夜は頭上を見上げる。
「いるんでしょ、平子」
少しの沈黙の後、鉄骨の上から笑い声が聞こえた。
「やっぱ気づくか」
姿を現した平子は、制服姿のまま鉄骨へ腰を下ろしていた。
昔とほとんど変わらない笑みを浮かべる。
「久しぶりやな、朔夜」
「……本当に久しぶりだね」
「百年ぶりくらいか?」
「ちゃんと数えてないけど、そのくらい」
口調だけなら昔と変わらない。
だが、二人とも互いの様子を探っていた。
朔夜は特に、平子の霊圧へ意識を向ける。
「前より虚の気配が馴染んでる」
「会って最初に言うことがそれかいな」
「気になるんだから仕方ないでしょ」
平子は笑いながら鉄骨から飛び降り、朔夜の前へ着地した。
「お前も随分強うなったみたいやな。藍染とやり合うたんやろ?」
「そこまで知ってるんだ」
「そらな」
平子の笑みがほんの少し薄くなった。
藍染。
その名前だけで、百十年前の記憶が二人の間を通り過ぎる。
朔夜は少し間を置いてから尋ねた。
「じゃあ何で一護に接触した?」
平子はすぐには答えなかった。
「気になる?」
「かなりね」
「そら残念やな」
平子は再びいつもの笑みを浮かべる。
「まだ教えられへん」
「俺にも?」
「お前やから余計にや」
その答えに、朔夜の目が少し細くなる。
「どういう意味?」
「そのまんまや」
「全然分からないんだけど」
「今はそれでええ」
朔夜はしばらく平子を見つめた。
冗談で誤魔化しているように見える。
だが、昔から知っているからこそ分かる。
平子は本当に話すつもりがない時ほど、よく喋る。
「一護に危害を加えるつもりは?」
「それ聞いて、俺が『ある』言うたらどうする?」
「止めるよ」
「やろな」
平子は笑った。
否定しない。
肯定もしない。
その態度が、かえって朔夜の警戒を強めた。
「何で今なんだ」
朔夜は質問を変える。
「百年も姿を見せなかったのに、藍染が尸魂界を出た直後に一護へ接触した。偶然とは思えない」
平子の表情から一瞬だけ笑みが消えた。
だが、それもすぐ元へ戻る。
「考えすぎちゃう?」
「俺が?」
「昔からそうやったで」
「質問に答えてないよ」
「答える気ないからな」
そこまで言うと、平子は地面を蹴って一気に距離を取った。
朔夜も反射的に身体を動かしかけたが、追うことはしなかった。
「帰るの?」
「今日は顔見に来ただけや」
「わざわざ?」
「百年ぶりの再会やで。もっと喜べや」
「素直に喜べる状況ならね」
平子は楽しそうに笑う。
「そのうち分かる」
「何が?」
「それも今は秘密や」
次の瞬間、平子の霊圧が急速に遠ざかっていった。
朔夜は追わず、その場に立ったまま気配が完全に消えるのを待つ。
結局、分かったことはほとんどない。
平子は一護へ何か目的を持って接触している。
藍染が動いた時期と重なっている。
そして、その目的を朔夜には話したくないらしい。
味方なのか。
敵なのか。
それすら、今は判断できなかった。
「……昔より面倒になってない?」
返事は当然なかった。
◇
浦原商店へ戻った朔夜が平子と会ったことを話すと、浦原は驚かなかった。
「何を言われました?」
「ほとんど何も」
朔夜は浦原の向かいへ座る。
「一護に何の用があるのか聞いても答えない。今になって出てきた理由を聞いても誤魔化された」
浦原は扇子を閉じる。
「そうですか」
「喜助は分かる?」
「何がです?」
「平子の目的」
今度は浦原も、すぐには答えなかった。
夜一も店の奥から二人のやり取りを見ている。
やがて浦原は、小さく首を横に振った。
「正確には分かりません」
朔夜が少し意外そうに見る。
「喜助でも?」
「平子サンたちとは長い付き合いですが、今は別々に動いています。まして、百年前と今では状況も違います」
「じゃあ予想は?」
「いくつかあります」
浦原はそこまで言ってから、少しだけ間を置く。
「ですが、ここで一つに決めつけるのは危険でしょう」
夜一が腕を組んだ。
「珍しく慎重じゃな」
「珍しくは余計です」
浦原は苦笑したが、その目は真剣だった。
「藍染サンが動いた直後というのは気になります。ただ、それだけで平子サンたちの目的を藍染に結びつけることもできません」
「一護に近づいた理由も?」
「本人たちが話さない限りは」
朔夜は少し考え込んだ。
平子は昔から簡単に本心を見せる男ではない。
だが今日の態度は、それだけでは説明できない何かがあった。
まるで朔夜に知られると困る理由があるようにも見える。
「とりあえず、一護の近くにはいるようにする」
朔夜が言うと、浦原は静かに頷いた。
「それがいいでしょう。ただし、平子サンが必ず敵だとは限りません」
「分かってる」
「逆に、昔の知り合いだから信用できるとも限らない」
「それも分かってるよ」
夜一が二人を見ながら、僅かに笑う。
「なら今は十分じゃ。分からぬものを、分からぬまま見ておけばよい」
朔夜はその言葉に頷いた。
尸魂界で藍染を相手にした時、自分は相手の動きを読もうとしすぎて、何度も先を外した。
今度は同じことを繰り返したくない。
平子真子が何を考えているのか。
一護へ何を求めているのか。
なぜ今になって動き始めたのか。
その答えは、まだ見えない。
そして見えないからこそ、朔夜は警戒を解かなかった。
日常へ戻ったばかりの空座町では、既に新しい異変が静かに動き始めていた。
百年ぶりに再会した朔夜と平子。
しかし平子は、一護へ接触した理由をほとんど語りませんでした。
味方なのか、何か別の目的があるのか。
浦原にも今の平子たちの目的は断定できません。
次回――
第52話「仮面の軍勢」