しかし平子は、一護へ近づいた理由をほとんど語りませんでした。
味方なのか、それとも別の目的があるのか。答えが見えないまま、平子は今度こそ一護へ自分たちの正体を見せ始めます。
それでは、第52話「仮面の軍勢」です。
翌日、一護は朝から平子を警戒していた。
同じ教室にいる以上、視界へ入れないというわけにはいかない。ところが当の平子は、一護の警戒など気にも留めず、クラスメイトに囲まれて普通の転校生を演じていた。
「平子君って関西から来たの?」
「せやで。ええ男が来て嬉しいやろ?」
「自分で言うんだ……」
周囲から笑いが起こる中、一護だけは机に頬杖をつきながら平子を睨んでいた。
昨日の動きは、どう考えても普通の人間ではない。朔夜が百年以上前から知っている相手だという話まで聞けば、何もなかったことにできるはずもなかった。
その視線に気づいたのか、平子がこちらを見る。
「何や一護。朝から熱い視線送ってくんなや」
「送ってねぇよ!」
「照れんなって」
「誰が照れるか!」
教室に笑いが広がる。
一護は舌打ちしながら前を向いたが、平子の笑顔がほんの一瞬だけ消えたことには気づいていた。
やはり、何かある。
◇
昼休みになると、平子は一護の机の横を通りながら、小さな声で告げた。
「昨日の続き、聞きたいやろ」
一護が顔を上げた時には、平子はすでに教室を出ていた。
少し迷ったものの、このまま放っておく気にもなれず、一護は後を追う。
二人が辿り着いたのは、人気のない校舎裏だった。
「ここならええやろ」
「何がだよ」
一護は平子と距離を取ったまま立ち止まる。
「昨日から何なんだ。俺に何の用がある」
「せっかちやなぁ」
「お前が何も言わねぇからだろ!」
平子は怒鳴られても笑っていたが、今度は誤魔化さず一護へ向き直った。
「ほな、一個だけ教えたるわ」
「一個?」
「俺が何者かや」
平子は制服の内側へ手を入れる。
一護が警戒して身構える前で、取り出されたものを見た瞬間、その表情が変わった。
白い仮面。
虚の仮面だった。
「……それ」
「見覚えあるやろ?」
一護の脳裏に、自分の顔を覆ったあの仮面が浮かぶ。
尸魂界での戦いでも何度か現れ、自分の意思とは関係なく力を貸し、同時に自分自身を侵食しようとしてきたもの。
平子は仮面を指先で弄びながら、一護の反応を観察している。
「俺らは死神や。せやけど、普通の死神とはちゃう」
平子が仮面を顔へ近づけた瞬間、一護が感じていた霊圧の質が変わった。
死神の霊圧。
その内側へ、虚の気配が重なる。
あまりにも自分の中にあるものと似ていて、一護は無意識に一歩下がった。
平子は完全に仮面を装着することなく、すぐに手を下ろした。
「死神の力を持ったまま、虚の力も持っとる。俺らみたいなんを――仮面の軍勢っちゅう」
「ヴァイザード……」
一護がその言葉を繰り返す。
平子は頷いた。
「そういうこっちゃ」
「だったら、何で俺に近づく」
一護は間を置かず尋ねた。
「俺の中にも虚がいるからか?」
平子の表情が僅かに変わる。
それだけで、一護には十分だった。
「やっぱ関係あんのかよ」
「さあな」
「またそれか!」
「俺が何者かは教えた。それ以上はまだ早い」
平子が仮面をしまい、そのまま一護の横を通り過ぎようとする。
一護は苛立ったように肩を掴んだ。
「待て。勝手に来て、勝手に俺のこと調べて、それで帰る気かよ」
平子は一護の手を見てから、ゆっくり顔を向ける。
「ほな逆に聞くけど、一護。お前、自分の中におる奴のこと、どんだけ分かっとる?」
「……何?」
「自分で抑え込めとると思ってるんか。それとも、今はたまたま大人しいだけなんか。その違い、分かるか?」
一護の手から力が抜ける。
答えられなかった。
尸魂界でも何度か、自分の意思とは関係なく虚の力が現れた。危険だということは分かっているのに、正体も扱い方も何一つ理解できていない。
平子はそんな一護を少し見た後、再びいつもの笑みを浮かべた。
「俺らがお前に何の用があるんか、それが知りたいなら、まず自分のこと考えた方がええで」
「俺ら?」
「俺一人やと思ってたん?」
平子はそれだけ残すと、その場を離れていった。
「平子!」
一護が呼び止めても、振り返らない。
何者なのかは分かった。
だが、分かったのはそこまでだった。
なぜ自分へ接触したのか。
何をさせたいのか。
その肝心な部分だけは、むしろ昨日より見えなくなっていた。
◇
同じ頃、朔夜は空座町の外れを歩いていた。
平子本人から目的を聞き出せなかった以上、他の誰かと接触できないか確かめるつもりだった。
仮面の軍勢が現在どこを拠点にしているのかまでは知らないが、平子が何度か霊圧を消した方向を辿れば、何かしら痕跡は見つかるかもしれない。
「昔から隠れるの好きだったよなぁ……」
住宅地を抜け、倉庫街へ入ったところで、朔夜は足を止めた。
ほんの僅かだが、覚えのある霊圧を感じる。
「……見つけた」
そう呟いた直後、頭上から強烈な蹴りが降ってきた。
朔夜は咄嗟に腕で受け止めたが、まだ治り切っていない肩へ衝撃が響き、顔をしかめる。
「痛っ……!」
「何や、鈍ったんか!」
着地した小柄な少女が、黄色いジャージ姿で朔夜を睨みつけた。
短い金髪に、不機嫌そうな目つき。
百年前とほとんど変わらない姿を見て、朔夜は痛む肩を押さえながら苦笑する。
「久しぶりに会って最初に蹴る?」
「勝手に嗅ぎ回っとる奴が悪い!」
「変わってないなぁ、ひよ里」
猿柿ひよ里は鼻を鳴らした。
「お前も相変わらず腹立つ顔しとんな!」
「顔は関係なくない?」
「うるさい!」
再び蹴りが飛んできたため、朔夜は今度こそ横へ避ける。しかし着地した瞬間、脇腹の傷が僅かに痛み、動きが一拍遅れた。
それを見たひよ里は、三発目を放つ代わりに眉をひそめた。
「お前、怪我しとるやんけ」
「藍染にちょっとね」
「ちょっとでそんな傷になるか!」
「まあ、色々あったんだよ」
ひよ里はまだ何か言いたそうだったが、藍染の名を聞いた途端に表情を変えた。
朔夜も余計な軽口はやめ、本題へ入る。
「平子が一護に接触してるね」
「知っとる」
「何が目的?」
「知らん」
返事があまりにも早かったため、朔夜はじっとひよ里を見る。
「知らない顔には見えないけど」
「何やその顔!」
「いや、昔から嘘下手だなって」
「ぶっ飛ばすぞ!」
「もう蹴られてるから十分かな」
ひよ里の額に青筋が浮く。
それでも、朔夜は笑いながら少しだけ肩の力を抜いた。
敵意があるなら、こんな会話にはならない。
だからといって、何でも教えてくれるわけでもないらしい。
「じゃあ一つだけ」
朔夜が少し真面目な表情になる。
「一護を傷つけるつもりはある?」
ひよ里の目つきが変わった。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。
やがて、ひよ里は僅かに顔を逸らした。
「……それを決めるんは、うちらやない」
朔夜の眉が動く。
「どういう意味?」
「そのまんまや」
「全然そのままじゃないんだけど」
「知るか!」
ひよ里はそれ以上答えず、踵を返した。
「待って」
「ついてくんなや!」
「平子より説明下手になってない?」
「黙れ!」
怒鳴り声を残して、ひよ里は建物の向こうへ消えていった。
朔夜は追わなかった。
追えば拠点に辿り着ける可能性はあるが、無理に踏み込めば話そのものがこじれる。
それよりも、ひよ里の言葉が引っかかった。
――決めるのは、自分たちではない。
何かを一護に選ばせるつもりなのか。
それとも、もっと別の意味なのか。
今はまだ判断できなかった。
◇
放課後、一護が校門を出ると、近くの壁にもたれていた朔夜が片手を上げた。
「お疲れ」
「……何してんだ、お前」
「待ってた」
「何で」
「平子と話したでしょ」
一護が少し眉を寄せた。
「何で分かる」
「昼間、平子の霊圧が学校に出てたから」
「あいつの監視でもしてんのかよ」
「監視っていうか、気になるだけ」
「大体同じだろ」
二人は歩き始める。
朔夜が無理に聞こうとしないため、一護の方から先に口を開いた。
「あいつ、仮面見せてきた」
「やっぱりそこまでは見せたんだ」
「知ってたのか?」
「平子たちが持ってることはね」
一護が横目で睨む。
「先に言えよ」
「言ってもよかったんだけど、今の平子がどこまで一護に話す気なのか分からなかったから」
「それで黙ってたのか?」
「うん。百年前の平子と、今の平子が同じ考えとは限らないし」
一護は少し不満そうだったが、それ以上は責めなかった。
「仮面の軍勢とか言ってた」
「そう呼ばれてる」
「死神なのに虚の力も持ってるって」
「そこも本当だよ」
一護は少し黙った後、歩きながら地面へ視線を落とした。
「……俺の中にいる奴のことも知ってた」
朔夜の横顔から軽さが消える。
「何て言われた?」
「俺自身が何も分かってねぇってさ。抑え込めてるのか、たまたま出てきてないだけなのかって」
「それは……結構嫌なところ突いてくるね」
「だろ?」
一護は小さく舌打ちした。
「腹立つけど、言い返せなかった」
朔夜もすぐには何も言わなかった。
一護の中に虚がいることは知っている。
だが、その正体も、どこまで一護へ影響するのかも分からない。
「で、お前はどう思う」
一護に尋ねられ、朔夜は少し考える。
「平子が一護の中の虚を気にしてるのは間違いないと思う。でも、それが目的全部かは分からない」
「やっぱそうか」
「今日ひよ里にも会ってきたけど、まともに答えてくれなかったし」
一護が足を止めかける。
「誰?」
「平子の仲間。昔から知ってる」
「で、何て?」
「蹴られた」
「いや、そこじゃねぇよ」
「大事なところなんだけどな」
「どうでもいい!」
朔夜は少し笑った後、ひよ里の言葉を思い出す。
「一護をどうするつもりか聞いたら、『決めるのは自分たちじゃない』って」
「……何だそれ」
「俺も分かんない」
「お前でも分かんねぇのかよ」
「何で俺なら全部分かる前提なの」
「大体いつも分かった顔してるから」
思わず朔夜が苦笑する。
「それ、やめるようにしてるんだけど」
「何だそりゃ」
「こっちの話」
少しだけ空気が緩む。
しかし、一護の表情はすぐに戻った。
「俺、平子のところに行った方がいいと思うか?」
今度は朔夜も軽く答えなかった。
「俺が決めることじゃないよ」
「逃げたな」
「逃げてないって」
朔夜は少し前を見ながら続ける。
「信用できるとは言わない。でも、一護の中の虚について、あいつらが俺たちより詳しいのもたぶん本当。だから話を聞く価値はあると思う」
「……でも怪しい」
「ものすごく怪しい」
「どっちだよ」
「怪しいけど、無視もできないってこと」
一護は面倒そうに頭を掻いた。
「一番嫌なやつじゃねぇか」
「俺もそう思う」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
朔夜はそこで、一護の表情がさっきより僅かに軽くなったことに気づいた。
「行くなら一人で抱え込まないでよ」
「お前もな」
間を置かず返され、朔夜が少し黙る。
「……それ、最近よく言われるな」
「言われるようなことしてるからだろ」
「否定できない」
「珍しく素直だな」
「一護までそれ言う?」
今度こそ二人とも笑った。
その瞬間だった。
空気が変わった。
朔夜の笑みが消え、一護もほぼ同時に足を止める。
「……何だ、これ」
遠くから押し寄せてきた霊圧は、虚のものに近い。
しかし、普段相手にしている虚とは比べものにならないほど濃く、重い。そのくせ荒れた獣のような気配ではなく、奇妙なほど整っていた。
朔夜は周囲を探りながら、ゆっくり目を細める。
「平子たちじゃない」
「じゃあ虚か?」
「……違う」
次の瞬間、空座町の上空が歪んだ。
二人の視線が同時に上がる。
空間に黒い裂け目が走り、そこからゆっくりと巨大な穴が開いていく。
「空が……」
一護が息を呑む。
その闇の奥から、二つの霊圧が現れた。
一つは大きく、荒々しい。
もう一つは、それより静かでありながら、触れただけで身体が警告を発するような圧を持っている。
朔夜の手が自然と御厨子へ伸びた。
「一護」
「分かってる」
軽口を交わしていた空気は、もうどこにも残っていない。
二人は霊圧の発生源へ向かって走り出した。
◇
空座町の上空。
黒い裂け目から二つの影が現れる。
一人は巨大な身体を持ち、首元には白い骨のようなものが残っていた。
もう一人は細身で、頭部には割れた仮面の一部が残っている。
緑の瞳をした男は眼下に広がる街を無表情に見下ろした。
「ここが空座町か」
隣の巨漢が口元を吊り上げる。
「どいつだ? 強ぇのは」
男は答えず、遠くへ視線を向けた。
二つの霊圧がこちらへ急速に近づいている。
一つは、藍染から聞いている黒崎一護。
そしてもう一つ。
男の瞳が僅かに細くなった。
「……御門朔夜」
巨漢が笑う。
「へぇ。そいつが例の死神か」
「油断するな。藍染様が名を挙げた相手だ」
その直後、二人の立つ建物の前方へ、一護と朔夜がほぼ同時に降り立った。
一護は斬月へ手を掛け、朔夜も御厨子の柄を握る。
「お前ら……何者だ」
一護の問いに、巨漢は嬉しそうに歯を見せた。
細身の男は一護ではなく、最初に朔夜を見た。
「御門朔夜」
名前を呼ばれ、朔夜の目が鋭くなる。
「……俺のこと知ってるんだ」
男は表情を変えない。
「藍染様から聞いている」
その名が出た瞬間、一護と朔夜の空気が変わった。
巨漢が肩を鳴らし、一歩前へ出る。
「じゃあ始めようぜ」
朔夜は御厨子をゆっくり鞘から抜いた。
「帰ってきたばっかりなんだけどな」
今度は、冗談を返す者はいなかった。
黒い裂け目を背負った二人の侵入者と、一護、朔夜。
空座町で初めて、死神と虚の境界を越えた者たちが正面から向かい合う。
そして朔夜はまだ知らない。
目の前にいる二人が、これまで相手にしてきた虚とは根本から違う存在であることを。
平子から「仮面の軍勢」の存在を知らされた一護。
朔夜もひよ里と接触しましたが、彼らの目的はまだ見えません。
そんな中、藍染の名を口にする二人の侵入者が空座町へ現れました。
平子たちとは違う、死神のような姿を持つ虚。
そして彼らは、一護だけでなく朔夜のことも知っています。
次回――
第53話「破面」