精神世界で待っていたのは、自分と同じ顔を持ちながら、まるで正反対の存在――白い一護でした。
その頃、現実の一護の身体にも変化が起こり始めます。
それでは、第55話「内なる虚」です。
白く染まった世界の中で、一護は斬月を構えた。
目の前にいるのは、自分と同じ顔をした男。違うのは、身に纏う死覇装も、手にした斬月も、全てが白黒反転していることくらいだった。
白い一護は肩に斬月を担ぎながら、楽しそうに笑っている。
「そんな怖ぇ顔すんなよ。せっかく会えたんだ、もうちょい喜べよ」
「誰が喜ぶか。てめぇのせいで昨日、身体が動かなくなったんだぞ」
「俺のせい?」
白い一護は可笑しそうに笑った。
「逆だろ。てめぇが弱ぇから、俺が出てってやろうとしたんじゃねぇか」
一護の眉が動く。
「何だと」
「聞こえなかったか? てめぇじゃ勝てねぇから、俺が代わってやろうとしたって言ってんだよ」
「余計なことすんな!」
一護が地面を蹴る。
斬月と斬月が激突し、乾いた音が白い街へ響いた。
一護は力任せに押し込もうとするが、白い一護は片手で刃を受け止めたまま余裕の笑みを崩さない。
「ほら、またそれだ」
「何がだ!」
「刀握ったら、とにかく前へ出る。力が足りなきゃ、もっと強く振る。それしか知らねぇのか?」
白い斬月が跳ね上がり、一護の身体が大きく仰け反る。
白い一護はそのまま柄に付いた布を掴み、斬月を振り回した。
巨大な刃が予想外の軌道で飛んでくる。
「なっ――!」
一護は咄嗟に身を沈めた。
頭上を通過した刃が建物をまとめて切り裂き、破片が雨のように降り注ぐ。
「斬月をそんな使い方すんのかよ!」
「何が悪ぃんだよ」
白い一護は笑いながら布を引き、飛んでいった斬月を手元へ戻す。
「使えるもんを使ってるだけだ。刀がこう使えって言ったのか? 誰かに決められたのか?」
「……!」
「てめぇは斬月の力を使ってるつもりで、まだ遠慮してんだよ」
再び白い一護が踏み込んだ。
今度は速い。
一護が刃を受け止めるより先に、腹へ蹴りが入った。
「ぐっ!」
吹き飛ばされた一護が地面を滑る。
すぐに顔を上げると、白い一護はもう目の前まで来ていた。
「遅ぇぞ」
斬月が振り下ろされる。
一護は横へ転がって避け、そのまま足を払った。しかし白い一護は軽く飛び越えると、宙で身体を捻って斬撃を返してくる。
一護の肩が浅く裂けた。
「くそっ……!」
距離を取りながら傷口を押さえる。
同じ身体。
同じ斬月。
それなのに、戦い方がまるで違う。
白い一護には迷いがなかった。
斬ると決めれば斬る。踏み込むと決めれば、一切速度を落とさない。
何より、自分以上に斬月を自由に扱っている。
その事実が、一護には腹立たしかった。
「何で……てめぇの方が使いこなしてやがる」
白い一護の笑みが少し深くなる。
「やっと気づいたか」
◇
現実では、一護の身体に異変が起きていた。
地下修行場の中央で座っていた一護の霊圧が急激に膨れ上がり、顔の右半分を白い仮面が覆い始める。
「来たで」
平子が表情を引き締めた。
次の瞬間、一護の身体が大きく跳ねた。
口元から人間のものとは思えない声が漏れ、爪が地面を抉る。
「ハッチ!」
「はい」
鉢玄が両手を合わせると、修行場の周囲へ結界が広がった。
一護の身体は四つん這いに近い姿勢で立ち上がり、周囲を見回した後、最も近くにいたひよ里へ飛びかかる。
「いきなりウチかい!」
ひよ里は横へ跳び、伸びてきた腕を避ける。
そのまま一護の背へ蹴りを入れたが、一護はほとんど体勢を崩さず振り返った。
「チッ、もう力上がっとる!」
「まだ始まったばっかりやぞ」
平子が刀へ手を掛ける。
「順番で押さえる。無理して潰すなや。中で一護が勝つまで、こっちは身体を保たせる」
拳西が首を鳴らした。
「分かってる。だったらまず俺がやる」
一護が再び飛び出す。
拳西が正面から受け止めた瞬間、轟音とともに地面が沈んだ。
◇
外にいた朔夜も、その衝撃をはっきり感じていた。
座っていた段差から立ち上がり、地下への入口を見る。
「随分派手だな……」
隣にいた羅武が腕を組んだまま答えた。
「始まったばかりであれなら、これからもっと上がるだろうな」
「止められる?」
「俺たちを誰だと思ってる」
「百年会ってなかったから、一応確認」
羅武が鼻で笑う。
その直後、地下からさらに大きな衝撃が響き、入口付近の壁に亀裂が走った。
朔夜の表情が変わる。
「……今のは結構近かったね」
「ハッチの結界がある。そう簡単には抜けない」
羅武が言い終えるより早く、地下から別の音が響いた。
今度は破壊音ではない。
何かが結界そのものへ激突した音だった。
朔夜は僅かに眉を寄せる。
「簡単には、ね」
その時、地下から平子の声が飛んできた。
「羅武! 交代や!」
「行ってくる」
羅武が地下へ下りる。
朔夜も一歩だけ後を追いかけたが、途中で止まった。
前話で決めたことを、早々に破るつもりはない。
ただ、外からでも分かる。
一護の霊圧は先ほどより明らかに虚へ傾いていた。
「……頑張れよ、一護」
小さく呟き、朔夜は入口から離れようとした。
その瞬間だった。
地下の壁を突き破り、巨大な破片が外へ飛び出してくる。
朔夜は反射的に指を動かした。
「解」
飛来した瓦礫だけが空中で細かく分断され、地面へ落ちる。
続けて二つ、三つと破片が飛び出したため、朔夜は位置を変えながら全てを切り落とした。
「……中には入らない。でも外まで壊すのは別だからね」
誰に言うでもなく呟き、朔夜は地下への入口から少し距離を取る。
その役割なら、一護の戦いを奪うことにはならない。
◇
精神世界では、一護が何度目かの斬撃を受け止めていた。
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
白い一護はそのまま鍔迫り合いへ持ち込み、一護の顔を覗き込んだ。
「てめぇ、何をそんなに怖がってやがる?」
「怖がってねぇ!」
「嘘つけ」
白い一護の膝が腹へ入る。
一護が前へ折れたところで、白い斬月の柄が顎を打ち上げた。
「っ……!」
地面へ倒れた一護の喉元へ、白い刃が突きつけられる。
「昨日もそうだったろ。俺が出ようとした瞬間、てめぇは敵じゃなく俺を怖がった」
一護は刃を睨む。
「当たり前だろ。てめぇは俺の身体を奪おうとしてんだぞ」
「そりゃ奪うさ」
白い一護は即答した。
「てめぇが弱ぇままならな」
「……何?」
「俺だって消えたくねぇ。てめぇが死ねば俺も終わりだ。だから、てめぇが勝てねぇなら俺が戦う。それの何がおかしい?」
「俺の身体だ!」
「だったら守れよ!」
白い一護が斬月を振り下ろす。
一護は横へ転がり、刃を避けた。
白い地面が大きく裂ける。
「身体も、斬月も、力も! 全部自分のもんだって言うなら、誰にも渡さねぇくらい強くなれ!」
一護は立ち上がりながら歯を食いしばった。
腹が立つ。
だが、言っていることを完全には否定できない。
自分は確かに恐れていた。
虚が出てくることを。
身体を奪われることを。
その恐怖が戦いの途中で迷いになり、斬月を鈍らせていた。
「……だったら」
一護は斬月を両手で握る。
「てめぇをぶっ倒せば、文句ねぇんだな」
白い一護が嬉しそうに笑う。
「最初からそう言ってんだろ」
二人が同時に地面を蹴った。
◇
現実の一護の身体は、さらに虚へ近づいていた。
仮面は顔全体を覆い、頭部から白い角のような突起が伸び始めている。
羅武の攻撃を受けても止まらず、逆に腕を振っただけで巨体を吹き飛ばした。
「こいつ、さっきより一気に上がったぞ!」
羅武が着地しながら叫ぶ。
「交代!」
リサが前へ出る。
続いてローズ、白、拳西が時間を区切るように一護の暴走を抑えていくが、戦うたびにその身体は虚へ近づいていった。
平子は時計を確認しながら、一護から視線を外さない。
「中で手こずっとるな……」
ひよ里が舌打ちする。
「一護の奴、何やっとんねん!」
「急かして勝てるなら楽やけどな」
平子がそう答えた直後、一護の口元へ赤い光が集まり始めた。
全員の表情が変わる。
「虚閃や!」
「ハッチ!」
平子が叫ぶ。
鉢玄が結界を重ねるより早く、赤い光が放たれた。
轟音。
一枚目の結界が砕け、二枚目にも大きな亀裂が入る。
光は辛うじて外へ抜けなかったが、その衝撃が地上まで伝わった。
◇
地上で待っていた朔夜は、足元が揺れた瞬間に御厨子へ手を掛けた。
次いで、地下から漏れた赤い光が亀裂の間から一筋だけ外へ飛び出す。
朔夜の目が鋭くなった。
「解」
見えない斬撃が地面を斜めに切り、虚閃の進路上へ深い溝を作る。
完全に斬ることはできない。
だが地下構造の一部を崩し、光の向きを上空へ逸らすことには成功した。
赤い閃光が空へ消える。
朔夜はそのまま亀裂を見つめていた。
「……今の、一護が撃ったのか」
さすがに表情が硬くなる。
地下から平子の声が聞こえる。
「朔夜! 外は大丈夫か!」
「大丈夫! そっちは?」
「まだ持つ!」
「“まだ”って言い方やめてよ!」
返事はなかった。
代わりに、また大きな衝撃が響く。
朔夜は御厨子を抜かず、柄を握ったまま息を吐いた。
助けに入りたい気持ちはある。
だが、中へ入れば一護のためにならない。
今やるべきなのは、地下から漏れた被害を外へ出さないことだった。
「……役割分担って、こういう時面倒だな」
そう呟きながらも、朔夜はその場を離れなかった。
◇
精神世界。
一護と白い一護の斬月が何度もぶつかり合う。
最初ほど、一護は押されていなかった。
白い一護が布を使って斬月を投げれば、一護は軌道を読み、刃の腹で弾く。
そこへ白い一護が間合いを詰めてくるが、一護も前へ出た。
「おっ」
白い一護の目が楽しそうに開く。
「ようやく前だけ見るようになったな」
「うるせぇ!」
斬月がぶつかる。
一護は押し合わない。
一度力を抜き、白い刃を外へ流すと、そのまま肩からぶつかった。
体勢を崩した白い一護の脇腹へ斬月を振るう。
白い一護は寸前で避けたが、死覇装が裂けた。
初めて一護の刃が届いた。
「……へぇ」
白い一護が裂けた服を見る。
一護は斬月を構え直した。
「俺はてめぇが怖い」
白い一護が顔を上げる。
「身体を取られるのも、仲間を斬るかもしれねぇのも怖ぇよ」
一護はそこで一度息を吐いた。
「でも、だからって逃げてたら、もっと守れねぇ」
「それで?」
「てめぇも俺の力だってんなら――」
一護が踏み込む。
「俺が使う!」
斬月が振り下ろされる。
白い一護は真正面から受け止めた。
二つの刃が軋み、周囲の建物が霊圧に押されて崩れていく。
それでも一護は止まらない。
「俺の身体も、斬月も、戦う相手も! 全部てめぇに勝手に決めさせねぇ!」
白い一護の笑みがさらに深くなった。
「……それだ」
「何?」
「その目、忘れんなよ」
白い一護が突然力を抜く。
一護の斬月が白い刃を弾き、そのまま相手の肩口へ食い込んだ。
白い一護の身体が大きく後退する。
「ぐっ……!」
一護は追撃しようとした。
だが、白い一護は片手を上げて止める。
「今日はてめぇの勝ちでいい」
「何だと?」
「勘違いすんな。一回勝っただけだ」
白い一護の身体が、白い世界へ溶けるように薄くなっていく。
「次にてめぇが隙見せたら、俺はまた出るぜ」
「好きにさせるかよ」
「だったら、ずっと俺より上にいろ」
一護は眉を寄せる。
白い一護は最後まで楽しそうに笑っていた。
「俺を従えたと思うなよ。一瞬でも弱くなったら、次は俺が王だ」
その姿が消える。
同時に、精神世界全体が白い光に包まれた。
◇
現実。
暴れていた一護の身体が突然止まった。
振り上げていた腕が震え、全身を覆っていた白い外殻に亀裂が走る。
「……来たか」
平子が目を細める。
次の瞬間、仮面が音を立てて砕けた。
白い破片が床へ散り、その中から一護が膝をつく。
荒い呼吸を繰り返しながらも、その目は自分のものだった。
「一護!」
ひよ里が声を上げる。
一護は顔を上げ、周囲を見回した。
あちこち壊れた床。
疲れた様子の仮面の軍勢。
何重にも張られた結界。
「……俺、どれくらいやってた」
平子が時計を見る。
「十分長かったで」
「そういうのじゃなくて時間聞いてんだよ」
「起きて早々うるさい奴やな」
平子は笑いながら、一護の前へ歩く。
「でもまあ、第一段階は合格や」
「第一段階?」
一護の嫌そうな顔に、ひよ里が笑った。
「当たり前やろ! これで終わり思っとったんか!」
「マジかよ……」
「今度は仮面を出して、その状態を保つ練習や」
平子の言葉に、一護が額を押さえる。
「まだあんのかよ……」
「そらあるわ。出せるだけで戦えると思うなや」
一護は深く息を吐いた。
それでも、昨日までのような迷いは目に残っていなかった。
◇
少しして、一護が地上へ出ると、入口の近くに朔夜が立っていた。
周囲には細かく切断された瓦礫が積み上がり、少し離れた地面には大きな溝までできている。
一護が眉を寄せる。
「……何だこれ」
朔夜が振り返った。
「おかえり」
「いや、何だこれ」
「一護が中で暴れた跡」
「俺が?」
「虚閃まで撃ってくれたよ」
一護の顔が引きつる。
「……マジで?」
「マジで」
しばらく沈黙した後、一護は視線を逸らした。
「悪い」
「俺に謝ることじゃないよ。外まで来た分は止めただけだし」
「中には入らなかったのか」
朔夜は少し笑う。
「約束したからね」
一護は朔夜を見た。
「珍しいな」
「最近それ言われすぎじゃない?」
「だってお前だぞ」
「どういう意味?」
一護は答えず、少しだけ笑った。
朔夜もそれ以上聞かなかった。
「勝った?」
「ああ」
短い返事だった。
それで十分だった。
「そっか」
朔夜が頷く。
「じゃあ次だね」
「平子と同じこと言うな!」
一護の怒鳴り声が響き、地下からひよ里の笑い声まで聞こえてきた。
しかし、その直後。
一護の表情が僅かに変わる。
自分の顔へ手を当てる。
そこにはもう仮面はない。
それでも、確かに分かる。
あいつは消えていない。
ただ、自分の内側で笑っている。
一護は手を下ろした。
もう逃げるつもりはなかった。
その様子を見ていた朔夜も、何も言わず空を見上げる。
破面は再び来る。
藍染も動いている。
一護が一つ壁を越えたなら、自分も立ち止まってはいられない。
朔夜は腰の御厨子へ手を置いた。
尸魂界では、まだ使わなかったものがある。
夜一から一度、使うことすら禁じられた戦い方。
身体へ斬撃を纏うという、危険な技。
朔夜の指が柄を軽く叩く。
「……俺も、そろそろ次に進まないとな」
一護が振り返る。
「何か言ったか?」
「何でもない」
朔夜はいつものように笑った。
だが、その頭の中ではすでに次の修行が始まっていた。
一護は精神世界で、自分と同じ顔を持つ内なる虚と正面から激突。
完全に消し去ったわけではありませんが、ひとまず主導権を取り戻すことに成功しました。
一方、現実では仮面の軍勢が暴走した一護の身体を抑え、朔夜も地下から漏れた被害を防ぐ形で戦いを支えています。
そして一護が次の段階へ進む姿を見て、朔夜もまた新たな力へ目を向け始めました。
次回――
第56話「纏う斬撃」