内なる虚への迷いから仮面を出すこともできず、窮地へ陥った彼の前に現れたのは平子真子でした。
そして朔夜もまた、負傷したルキアと一護のもとへ急ぎます。
それでは、第59話「仮面」です。
白い仮面を纏った平子から、死神と虚が混ざり合った異質な霊圧が広がっていく。
グリムジョーは先ほどまでの笑みを少しだけ薄め、初めて平子を値踏みするように見た。
「死神のくせに、虚の力を使うのか」
「細かい説明は後にしよか。今はお前に帰ってもらう方が先や」
平子がそう答えた瞬間、姿が消えた。
グリムジョーが反応した時には刃が肩口へ迫っている。腕で受けたものの勢いまでは殺し切れず、白い服と皮膚がまとめて裂けた。
「チッ!」
すぐに拳を返すが、平子は首を傾けるような僅かな動きでかわし、そのまま腹へ蹴りを叩き込む。グリムジョーの身体は道路を削りながら後退した。
地面へ膝をついていた一護は、その攻防を食い入るように見ていた。
「速ぇ……」
卍解した自分でも食らいつくのがやっとだった相手に、平子は仮面を着けた途端、はっきりと攻撃を通している。
その一護へ、平子は振り返らずに言った。
「見とけ、一護。怖がって押さえ込むだけやったら、そいつは一生お前の邪魔するで」
一護の表情が強張る。
言い返そうとした、その時だった。
遠くから新しい霊圧が急速に近づき、次の瞬間には朔夜が屋根の上へ現れた。
「一護!」
普段の軽さはない。
朔夜は一護より先に、地面へ倒れているルキアを見つけた。すぐ傍へ降り、腹部の傷と霊圧を確認する。
傷は深い。
だが、霊圧は残っている。
「……生きてる」
短く息を吐き、朔夜は羽織を丸めて傷口へ当てた。
一護が拳を握る。
「俺が……守れなかった」
「反省は後」
朔夜は手を止めないまま、一護へ視線だけを向ける。
「立てる?」
「……ああ」
「なら今は周り見て。まだ終わってない」
その言葉と重なるように、前方で瓦礫が弾けた。
グリムジョーが立ち上がる。
肩から血を流しているにもかかわらず、その目には怯えどころか強い戦意が宿っていた。
「面白ぇ……!」
平子へ視線を据えたまま、グリムジョーが口元を吊り上げる。
「てめぇ、名前は?」
「平子真子。覚えんでもええで。今から帰るんやし」
「勝手に決めんな!」
グリムジョーが一気に距離を詰める。
拳と刀がぶつかり、霊圧が爆ぜた。
平子は正面から押し合わず、拳を刃で滑らせるように外へ流す。そのまま横を抜け、グリムジョーの脇腹を斬り裂いた。
鮮血が飛ぶ。
それでもグリムジョーは止まらない。
むしろ笑みを深くした。
「いいな、お前!」
「嬉しないわ」
平子はそう返しながら左手を前へ出した。
掌へ赤い光が集まる。
グリムジョーの目が細くなる。
「それは――」
「虚閃や」
赤い閃光が夜を貫いた。
グリムジョーは両腕を交差して受け止めたが、勢いまでは抑えられず、建物を巻き込みながら大きく吹き飛ばされる。
衝撃で瓦礫が舞い上がった。
朔夜はルキアの傍を離れず、指を僅かに動かす。
「解」
大きな破片だけが空中で割れ、二人を避けて左右へ落ちた。
一護が苦い顔をする。
「……悪い」
「だから謝るのは後でいいって」
朔夜は煙の向こうへ目を向けた。
「それより、まだ終わってない」
予想通りだった。
煙の中から、グリムジョーが再び姿を現す。腕は焼け、身体にも傷が増えているが、膝をつく様子はない。
「上等だ……!」
手が腰の斬魄刀へ伸びた。
平子の目が細くなり、ルキアの傍にいる朔夜も御厨子の柄へ手を掛ける。
空気が変わった。
グリムジョーの霊圧がさらに膨れ上がろうとした、その時。
「そこまでだ、グリムジョー」
低い声が上空から降ってきた。
黒腔が開き、その前に東仙要が立っている。
朔夜の表情が僅かに険しくなる。
「……東仙」
東仙は朔夜へ一度だけ顔を向けた後、グリムジョーを見下ろした。
「藍染様の命令だ。帰還しろ」
「は?」
グリムジョーの顔が露骨に歪む。
「今いいところなんだよ。邪魔すんな」
「お前の判断を聞いているのではない。今回の現世侵攻そのものが、藍染様の許可を得た行動ではない。これ以上の戦闘は認められん」
一護が眉を寄せる。
「勝手に来やがったのか……?」
グリムジョーは答えず、苛立ったまま平子を睨んでいた。
やがて、その視線が一護へ移る。
「黒崎一護」
「何だよ」
「次は、その情けねぇ状態で来んな」
グリムジョーは牙を見せるように笑った。
「ちゃんと力使えるようになってから来い。じゃねぇと殺してもつまらねぇ」
一護の目が鋭くなる。
「……てめぇ」
そのやり取りを見ていた朔夜が立ち上がる。
ルキアの容態は安定している。
ならば一度だけなら動ける。
「東仙」
呼びかけると同時に解を放った。
東仙は僅かに身体を引き、見えない斬撃は羽織の端だけを切り落とす。
「相変わらずだな、御門朔夜」
「そっちに言われたくないよ」
「いずれまた会う」
「次は、もう少しゆっくり話そうか」
朔夜の声は軽い。
だが目は笑っていなかった。
東仙は返事をせず、グリムジョーへ顔を向ける。
「行くぞ」
「チッ……」
グリムジョーは不満を隠そうともせず黒腔へ向かう。
その直前、一護を指差した。
「覚えとけよ。次は終わりまでやる」
黒腔が閉じる。
それまで街を圧迫していた二つの霊圧が消え、ようやく静けさが戻ってきた。
平子が仮面を外し、大きく息を吐く。
「……しんど」
一護が顔を上げる。
「余裕そうだったじゃねぇか」
「外から見たらな。仮面も無限に使えるわけちゃうで」
平子が肩を回している横で、朔夜はすぐにルキアの傍へ戻った。
「喋るのは後。ルキアを浦原商店へ運ぶ」
「俺が運ぶ」
一護がすぐに立ち上がる。
朔夜はその傷だらけの身体を見た。
「その状態で?」
「運べる」
止めても聞かない顔だった。
朔夜はそれ以上言わず、「じゃあ任せる。無理になったら言って」と答える。
一護は慎重にルキアを抱き上げた。
平子が二人を見ながら、「俺も行った方がええか?」と尋ねたが、朔夜は街の方へ意識を広げてから首を横へ振った。
「まだ他の破面の霊圧が残ってる」
平子の表情が変わる。
一護とグリムジョーだけではない。
空座町の各所で始まった戦いは、まだ完全には終わっていなかった。
「……しゃあないな。一護、今日は帰っとけ。続きは生きとったらできる」
「言い方がムカつくんだよ」
「それだけ元気なら大丈夫やな」
平子はそう言い残し、別の霊圧が残る方向へ消えた。
朔夜も一護と共に浦原商店へ向かう。
走りながら街全体へ意識を広げれば、日番谷たちの霊圧も感じられた。戦闘は続いているものの、今すぐ朔夜が割って入らなければ崩れるほどではない。
ならば今はルキアを優先する。
そう判断して前を向いた時、腰の御厨子から懐かしい感覚が伝わってきた。
――随分と鈍ったものだな、朔夜。
足は止めなかった。
だが朔夜の眉が僅かに動く。
「……久しぶりに喋ったと思ったら、それ?」
一護が横を見る。
「何か言ったか?」
「いや、こっちの話」
御厨子から返事はない。
それでも朔夜には分かっていた。
聞き間違いではない。
昔、卍解へ至るまで何度も聞いた声だ。
随分長い間、まともに話していなかった。
最後に精神世界で向き合ったのがいつだったか、すぐには思い出せないほどに。
朔夜は腰の御厨子へ一度だけ目を落とした。
「……言いたいことあるなら、後でちゃんと聞くよ」
今度も返事はなかった。
ただ、どこかで鼻を鳴らされたような気がした。
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深夜。
空座町での戦闘が一通り収まり、浦原商店にも静けさが戻っていた。
ルキアは治療を受け、命に別状はない。
一護も傷の手当てを終えたが、グリムジョーに敗れ、最後まで仮面を使い切れなかったことが余程悔しいのか、ほとんど喋らずに帰っていった。
朔夜は一人、地下修行場に残っていた。
膝の上には御厨子がある。
しばらく無言で刀を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
「随分ご無沙汰だったね」
当然、刀は黙ったままだ。
「昔は嫌になるくらい会ってたのに」
卍解を習得するため、何度も精神世界へ入り、御厨子と向き合った。
斬られた。
叩き伏せられた。
馬鹿にされた。
それでも最後には、力を認めさせた。
伏魔御廚子へ至った時のことを、朔夜は忘れていない。
ただ、その後は自分の力を使うことばかりで、御厨子そのものと向き合うことは減っていた。
朔夜は御厨子の鞘へ指を滑らせる。
「卍解まで覚えたからって、全部分かった気になってたのかな」
今度こそ、僅かに刀が震えた気がした。
朔夜は苦笑する。
「はいはい。直接言えばいいでしょ」
目を閉じる。
意識を深く沈める。
久しぶりの感覚だった。
水の音がする。
冷たい空気が肌を撫でる。
そして目を開いた時、そこには巨大な祭壇と、どこまでも続く浅い水面が広がっていた。
景色は、昔とほとんど変わっていない。
「……懐かしいな」
祭壇の上へ視線を向ける。
そこにいる者の姿も、当然覚えている。
四本の腕。
全身を刻む異様な紋様。
人ならざる姿でありながら、ただ座っているだけで周囲を支配するような圧。
御厨子は昔と変わらず、祭壇の上から朔夜を見下ろしていた。
片方の手で頬杖をつき、退屈そうに目を細めている。
「遅い」
最初の一言も変わらない。
朔夜は思わず笑った。
「久しぶりに会ったんだから、もう少し歓迎してくれてもよくない?」
御厨子の口元が歪む。
「卍解を奪い取って満足し、長々と俺を放置した愚か者をか?」
「言い方酷いなぁ」
「事実だ」
御厨子は頬杖を外すと、四本ある腕の一つで朔夜を指した。
「さて、朔夜」
空気が僅かに重くなる。
「昔より強くなったつもりでいるようだが――随分とつまらん斬り方を覚えたものだな」
朔夜の笑みが少しだけ薄くなった。
「……やっぱり、その話?」
御厨子は答えず、ただ楽しそうに笑った。
昔と同じ。
こちらが聞きたい答えを素直に渡すような相手ではない。
だが、だからこそ朔夜も知っている。
この男がこういう顔をしている時は、必ず何かを試そうとしている。
朔夜は腰の御厨子へ手を置いた。
「じゃあ久しぶりに、付き合ってもらおうかな」
「逆だ」
御厨子がゆっくり立ち上がる。
「付き合うのは貴様の方だ、朔夜」
祭壇の周囲に、見えない斬撃の気配が満ちた。
仮面を纏った平子がグリムジョーと激突し、戦いは東仙の介入によって一度終了。
一護は、仮面の力を使い切れなかった自分自身の課題を改めて突きつけられることになりました。
そして朔夜にも、別の変化が起きています。
朔夜はすでに卍解「伏魔御廚子」を習得しており、過去の卍解修行で御厨子の具象化した姿とも何度も向き合っています。
今回の精神世界は初対面ではなく、長い間まともに向き合ってこなかった御厨子との久しぶりの再会。
卍解まで使える朔夜が、今度は「さらに御厨子をどう使うか」を見直すことになります。
次回――
第60話「御厨子」