そして朔夜は、扉の向こうで一瞬だけ井上の霊圧を感知します。
確かな手掛かりを得た一行。
しかし、藍染の居城がそのまま井上のもとへ通してくれるはずもありません。
それでは、第71話「分かれる道」です。
白い廊下を、一護たちは走っていた。
先頭には朔夜。
そのすぐ後ろを一護、石田が続き、ネル、ペッシェ、ドンドチャッカも必死についてくる。
背後からは、もう茶渡と門番がぶつかる音は聞こえない。
距離が開いたのだ。
一護は走りながら朔夜へ声を飛ばした。
「井上の霊圧、本当にこっちなんだな?」
「さっき感じた位置ならね。ただ――」
朔夜は角を曲がりながら周囲へ意識を広げる。
「また消えた」
一護の表情が険しくなる。
「腕輪か?」
「多分。それでも一瞬漏れたってことは、完全に消してるわけじゃない」
石田が横から続ける。
「つまり、近づけばまた捉えられる可能性がある」
「そういうこと」
朔夜が答えた直後、ネルが後ろから叫んだ。
「ちょっと待ってほしいっす〜〜〜!」
三人が振り返る。
ネルは短い足で必死に走っていた。
その後ろではペッシェが息を切らし、ドンドチャッカに至っては今にも転びそうになっている。
「イツゴのヤツら速すぎるっす!」
「急いでんだよ!」
「ネルは子供なのら!」
「破面だろ!」
「子供の破面っす!」
「ややこしいな!」
一護が怒鳴る横で、石田が眼鏡を押し上げた。
「少し速度を落とした方がいい。この城で仲間を見失う方が危険だ」
一護は不満そうだったが、足を緩めた。
朔夜も合わせる。
焦る気持ちは分かる。
自分だって今すぐ井上のところへ行きたい。
だが、焦って一人で突っ込めば同じ失敗をする。
そこはもう分かっていた。
「サクヤのヤツ」
ネルが追いつきながら顔を上げる。
「何?」
「井上ってヤツ、そんなに大事なんす?」
朔夜は少しだけ考えた。
「大事だよ」
「イツゴのヤツも?」
「多分、俺よりずっとね」
前を走る一護が振り返る。
「聞こえてんぞ!」
「別に悪いこと言ってないでしょ」
「そういう言い方すんな!」
ネルは二人を見比べて、何故か嬉しそうに笑った。
「じゃあ絶対見つけるっすね!」
一護は一瞬だけ黙り、それから前を向いた。
「ああ」
その直後だった。
朔夜が足を止める。
「待って」
全員が止まった。
目の前で廊下が大きく開けている。
そこには、三本の通路が並んでいた。
左右。
中央。
どれも奥まで真っ白で、見た目だけでは違いがない。
一護が露骨に嫌そうな顔をする。
「また分かれ道かよ」
石田は床へ目を向ける。
「標識を置く」
すぐに霊子標識を設置し、反応を確認する。
朔夜は三本の道を順番に見た。
井上の霊圧は感じない。
だが別のものがある。
「右と左に誰かいる」
一護が斬月へ手を掛けた。
「敵か?」
「多分。中央は何もない」
石田が眉を寄せる。
「前と同じだな」
「うん。何もない道が一番怪しい」
その言葉を聞いたネルが中央を指す。
「じゃあ真ん中行かなきゃいいっす!」
「話が早いね」
朔夜が笑った、その瞬間。
床から低い音が響いた。
全員の表情が変わる。
「何だ?」
次の瞬間、三本の通路の境目から白い壁が一気にせり上がった。
「散れ!」
石田が叫ぶ。
一護がネルを掴んで左へ跳び、石田はペッシェを引っ張って右へ飛ぶ。
ドンドチャッカが中央で立ち尽くした。
「オレはどっち行けばいいでヤンス!?」
「こっち!」
朔夜が腕を掴み、中央へ引き寄せる。
直後。
巨大な壁が完全に閉じた。
轟音。
一瞬で、三本の通路が互いに隔離される。
「一護!」
朔夜が壁へ手を当てる。
向こうから一護の声が聞こえた。
「朔夜! 聞こえるか!」
「聞こえる!」
反対側から石田の声も響く。
「こちらも無事だ!」
朔夜はすぐに壁の構造を探る。
厚い。
それだけではない。
霊子の層が何重にも重なっている。
「解」
見えない斬撃を内部へ通す。
浅い傷。
壁は切れた。
だが、その直後に傷が塞がった。
朔夜の目が細くなる。
「……再生する」
向こうから一護が叫ぶ。
「壊せねぇのか!?」
「壊せると思う。でも時間かかる!」
石田がすぐに返す。
「なら無理に壊すな! 敵がこちらを分断したなら、それぞれの道に意味があるはずだ!」
一護が舌打ちする。
「だからって別々に行くのかよ!」
「ここで壁を壊し続けて井上さんを移動させられたら意味がない!」
一護が黙る。
朔夜も同じ判断だった。
敵は明らかにこちらを分断した。
なら目的は、足止めか各個撃破。
どちらにしても、その場に留まり続ける方が相手の思う壺だ。
「一護」
「何だ!」
「そのまま進んで」
少し間が空く。
「朔夜?」
「俺も中央を行く。石田も右を進んで。井上を先に見つけた人が標識を残す」
「でもよ――」
「また合流できる」
朔夜は壁から手を離した。
「この程度で帰れなくなるつもりないでしょ?」
一護はしばらく何も言わなかった。
やがて向こうから、小さく息を吐く音がする。
「……分かった」
石田も答える。
「こちらも問題ない。ペッシェが少々うるさい以外は」
壁の向こうから抗議が聞こえた。
「少々とは何っすか! わたくし非常に静かっす!」
「どこがだ!」
一護の声まで混ざる。
朔夜は思わず笑った。
その横では、ドンドチャッカが不安そうに震えている。
「サクヤの旦那……」
朔夜が振り返る。
「その呼び方何?」
「オレ、ネル様と離れたでヤンス……」
「大丈夫。一護と一緒だから」
「イツゴのヤツ、乱暴でヤンス」
「でも仲間は守るよ」
ドンドチャッカは少し考えた後、涙を拭った。
「じゃあ信じるでヤンス」
「うん」
朔夜は前を向く。
中央の通路。
先ほどまで何の霊圧も感じなかった場所。
今は違う。
奥から一つ。
ゆっくりと近づいてくる気配がある。
「……やっぱり待ってたんだ」
ドンドチャッカが震え上がる。
「何がでヤンス?」
答える前に、廊下の奥から声がした。
「御門朔夜」
名前を呼ばれた。
朔夜の表情から笑みが消える。
ドンドチャッカが朔夜と奥を交互に見る。
「知り合いでヤンス?」
「いや」
朔夜は静かに腰の御厨子へ手を掛けた。
「俺は知らない」
暗がりから、一人の破面が歩いてくる。
細身の男だった。
門番のような巨体ではない。
白い装束。
腰には刀。
顔の左半分を覆うように仮面の破片が残っている。
男は朔夜の数メートル手前で立ち止まった。
「ようやく会えた」
朔夜は眉を上げる。
「俺、有名人になった?」
「藍染様が警戒する男だ。知らぬ者の方が少ない」
その言葉に、朔夜の目が僅かに細くなる。
「へえ」
「特に、グリムジョーの襲撃時にお前と接触した者からは詳しく聞いている」
あの破面。
朔夜の新しい斬撃の使い方を観察し、情報を持ち帰った相手。
やはり情報は共有されていた。
男は続ける。
「解。捌。そして身体の動きを起点としながら、方向を切り離した斬撃」
ドンドチャッカが目を丸くする。
「全部知られてるでヤンス!?」
「まあ、そうなるよね」
朔夜は特に驚かなかった。
むしろ、想定していた。
見せた技は知られる。
だから同じ使い方へ拘らない。
御厨子にも言われたことだ。
――枠を作るな。
男が刀を抜いた。
「お前をここで止める」
「井上の場所を教えてくれるなら、戦わなくてもいいんだけど」
「断る」
「だよね」
朔夜も御厨子を抜く。
まだ始解はしない。
男の霊圧は、これまでの下級破面とは明らかに違う。
門番よりも強い。
それでも恐怖はなかった。
むしろ、胸の奥で少しだけ懐かしい感覚が動いた。
強い相手を前にした時の高揚。
相手がこちらを警戒していると知った時の、昔の自分が好んでいた感覚。
朔夜はそれを自覚し、静かに息を吐く。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「俺のこと、どこまで聞いてる?」
男は構えを崩さない。
「必要なことは全て」
「全部?」
朔夜の口元が僅かに上がった。
「それ、本当に?」
ドンドチャッカが朔夜を見る。
さっきまでと同じ笑い方ではない。
柔らかさが消えていた。
「サ、サクヤの旦那……?」
朔夜は返事をしなかった。
破面の男も表情を僅かに強張らせる。
その反応を見て、朔夜は笑みを消した。
「いや、ごめん。今のなし」
「……何?」
「ちょっと昔の悪い癖が出ただけ」
御厨子を軽く構える。
「ドンドチャッカ、俺の後ろにいて」
「わ、分かったでヤンス!」
男が踏み込んだ。
速い。
刀が一直線に朔夜の喉を狙う。
朔夜は半歩だけ身体をずらし、刃をかわした。
同時に右腕を振る。
男がその動きを見て左へ避ける。
だが――。
斬撃は右ではなく、反対側から届いた。
「っ!」
男の頬に細い傷が走る。
朔夜の腕は右へ動いた。
解は左から来た。
御厨子との対話を経て身につけた、身体の動きに斬撃の向きを縛られない使い方。
男が距離を取る。
「情報と違う……」
「違わないよ」
朔夜は御厨子を肩へ乗せた。
「その情報も正しい」
「なら何故――」
「使い方が一つだなんて、誰も言ってないでしょ」
男の表情が険しくなる。
朔夜はその顔を見ながら、少しだけ昔を思い出していた。
相手に読ませる。
その読みを裏切る。
次の動きを考えさせ、そのさらに先へ行く。
ずっと前。
御厨子を屈服させるために何度も斬られ、何度も戦い方を変えていた頃。
あの時の自分は、もっと自由だった。
「なるほど」
朔夜は小さく呟く。
破面が構え直す。
「何がおかしい」
「いや」
朔夜も刀を下ろしたまま一歩進む。
「ちょっと楽しくなってきた」
ドンドチャッカが凍りついた。
「笑ってる場合じゃないでヤンスよ!?」
「大丈夫」
朔夜は破面から目を離さない。
「ちゃんと井上を探すことは忘れてないから」
ただ。
相手が自分を知ったつもりで待っていたこと。
それだけは少し気に入らなかった。
男が霊圧を高める。
朔夜も静かに御厨子を構えた。
今度は誰かの戦いを見守る役ではない。
自分の前に、自分を狙って用意された敵がいる。
なら。
自分が戦う。
白い廊下に、二人の霊圧がぶつかった。
---
その頃。
別の通路を走る一護はネルを抱え、壁の向こうから遠くなっていく朔夜の霊圧を感じていた。
ネルが顔を上げる。
「サクヤのヤツ、大丈夫っす?」
一護は前を向いたまま答える。
「心配すんな」
「強いっす?」
「強ぇよ」
迷いのない返事だった。
「ムカつくくらいにな」
ネルが首を傾げる。
「褒めてるっす?」
「褒めてねぇ!」
そう言いながら、一護はさらに速度を上げた。
自分には自分の道がある。
朔夜には朔夜の戦いがある。
そしてその先に、井上がいる。
白い迷宮の中で、救出班は完全に別々の道へ分かれた。
それぞれの戦いが、ここから始まる。
今回は、虚夜宮の仕掛けによって救出班が分断されました。
茶渡に続き、一護・石田・朔夜も別々の通路へ。
朔夜の前に現れたのは、藍染側から朔夜の戦闘情報を与えられ、最初から彼を止めるために待っていた破面です。
ただし、敵が知っているのは「これまでに見せた朔夜」。
朔夜自身は、御厨子との対話を経て同じ力を一つの型へ固定しない戦い方へ戻り始めています。
そして今回、ほんの一瞬だけ見えた普段とは違う笑い方。
まだ完全に表へ出てはいませんが、朔夜の中にある昔の危うさも少しずつ描いていきます。
次回――
第72話「知ったつもり」