虚夜宮の仕掛けによって、一護、石田、朔夜たちは別々の通路へ分断されました。
ドンドチャッカと共に中央の道へ進んだ朔夜を待っていたのは、最初から彼を狙って配置されていた一人の破面。
解、捌、そして最近変化した斬撃の使い方まで、敵には情報が渡っています。
しかし――知っていることと、理解していることは同じではありません。
それでは、第72話「知ったつもり」です。
白い廊下で、朔夜と破面の霊圧がぶつかった。
ドンドチャッカは少し離れた壁際まで下がり、両手で頭を抱えている。
「サクヤの旦那、本当に大丈夫でヤンス?」
「大丈夫。そこから動かないで」
朔夜は前を向いたまま答えた。
対する破面は、先ほど頬についた細い傷を指で拭い、その血を見ながら目を細める。
「身体を右へ動かし、左から斬る。報告にあったものより自由度が高いな」
「よく勉強してるね」
「貴様は藍染様が警戒する相手だ。当然だ」
男は刀を構え直した。
「私はアルバロ・レイス。貴様を止めるため、ここにいる」
「御門朔夜。そっちは知ってるみたいだけど」
「無論だ」
アルバロが地面を蹴る。
今度は正面からではなかった。
壁を蹴り、朔夜の視界から一度外れた直後、斜め上から刀が落ちてくる。
朔夜は御厨子で受け流し、そのまま肩を動かした。
解。
だがアルバロは斬撃が来るより先に大きく後ろへ跳んだ。
見えないはずの斬撃が、何もない床だけを切る。
「……へえ」
朔夜の目が細くなる。
アルバロは着地しながら笑った。
「見えずとも、貴様が斬る瞬間までは知っている」
「身体の動き?」
「それだけではない」
再び踏み込んでくる。
刀と御厨子がぶつかった。
一度。
二度。
三度。
アルバロは真正面から打ち合いながら、朔夜が指や肩を僅かに動かすたび、その場を離れる。
解の方向は読めていない。
それでも、発動する瞬間に距離を変え続ければ直撃の可能性は下げられる。
「随分慎重だね」
「貴様を相手に、無策で近づくほど愚かではない」
アルバロの刀が低く走る。
朔夜は飛び越えようとしたが、その瞬間、相手が刀から片手を離した。
狙いは朔夜ではない。
「――っ」
手のひらが、後方のドンドチャッカへ向いていた。
霊圧が集まる。
虚閃。
朔夜は考えるより先に動いた。
「解!」
放たれる直前の虚閃へ斬撃をぶつけ、軌道を逸らす。
赤い光がドンドチャッカの横を抜け、白い壁を大きく吹き飛ばした。
「ひいいいいっ! 死ぬところだったでヤンス!」
ドンドチャッカの悲鳴が響く。
そして、その一瞬。
朔夜の意識が後ろへ向いた隙を、アルバロは逃さなかった。
刃が脇腹を切り裂く。
「っ……!」
鮮血が白い床へ落ちた。
朔夜はすぐに距離を取る。
傷は深くない。
だが、完全に読まれた。
アルバロは追わず、刀についた血を払った。
「やはり報告通りだ」
朔夜が脇腹を押さえながら見る。
「何が?」
「貴様は味方が近くにいると弱くなる」
ドンドチャッカの顔が強張った。
アルバロは淡々と続ける。
「技の精度が落ちるのではない。選択肢が減る。守る対象へ攻撃を向ければ、貴様は必ずそちらを優先する」
朔夜は答えなかった。
尸魂界で藍染に利用されたものと、同じだ。
誰かを守ろうとすること自体は間違っていない。
だが、その行動を予測されれば弱点になる。
アルバロはそこまで知っている。
「御門朔夜。貴様の斬撃がどれほど強力でも、斬る場所をこちらが決めてやれば恐れる必要はない」
「なるほどね」
「理解したか?」
「うん」
朔夜は脇腹から手を離した。
「俺、また同じことやったんだなって」
アルバロが眉を寄せる。
「何?」
「守らなきゃって思った瞬間、相手を見るのをやめた」
ドンドチャッカへ視線だけを向ける。
「ごめん。怖かったでしょ」
「そ、そんな場合じゃないでヤンス! 旦那、血が出てるでヤンスよ!」
「このくらい平気」
再びアルバロを見る。
焦りはない。
怒りもまだない。
ただ、頭の中に一つあった余計な決め事を外す。
ドンドチャッカを守る。
だから自分が攻撃を全部受ける。
その必要はない。
守り方は一つではない。
アルバロが再び手を向けた。
今度もドンドチャッカを狙う。
「同じだ」
霊圧が集まる。
朔夜は動かない。
ドンドチャッカが目を見開いた。
「サクヤの旦那!?」
虚閃が放たれる。
その瞬間、ドンドチャッカの目の前の床へ解が走った。
床が斜めに切れ、その一部が跳ね上がる。
即席の壁。
虚閃が白い床材へ直撃し、爆発する。
「なっ――」
アルバロの視線が僅かに止まった。
その時には、朔夜が目の前にいた。
「守るって、庇うことだけじゃないんだよ」
御厨子が振られる。
アルバロは刀で受けた。
金属同士が接触する。
朔夜の目が細くなる。
「捌」
接触した刃へ、硬さと霊圧に合わせた斬撃が入る。
アルバロの刀に深い亀裂が走った。
「っ!」
慌てて距離を取ろうとする。
だが遅い。
朔夜は追いかけない。
左足を踏み込む。
その動きを見たアルバロが右へ逃げる。
そこへ何も来ない。
代わりに、逃げた先の床が切れた。
「な――」
足場が崩れ、体勢が傾く。
朔夜は肩を右へ動かす。
アルバロは反射的に左へ飛んだ。
だが今度は正面から解が届く。
胸元に斬撃が走った。
浅い。
致命傷ではない。
しかしアルバロの顔に、初めてはっきりと動揺が浮かんだ。
「何故読めん……!」
「読めてるよ」
朔夜はゆっくり歩み寄る。
「俺が動いたら斬撃が来る。味方が狙われたら俺が守る。近づいたら捌を使う」
一歩。
アルバロが下がる。
「全部合ってる」
もう一歩。
「ただ、そこから先を決めつけた」
アルバロが残った刀身を構える。
「黙れ!」
踏み込んでくる。
今までより速い。
朔夜の首を狙う一撃。
朔夜は避けなかった。
御厨子も上げない。
代わりに身体を僅かに前へ出し、相手の刀が肩へ触れる直前、その刃へ左手を添えた。
アルバロの目が見開かれる。
「捌」
刃が砕けた。
そのまま朔夜の右手がアルバロの胸へ触れる。
硬皮。
霊圧。
強度。
全てを一瞬で読み取る。
「ここまで」
斬撃が走った。
アルバロの胸を深く切る。
だが、止める。
身体を両断する直前で。
血を噴きながら、アルバロは膝をついた。
「……何故……止めた」
朔夜は御厨子を下ろした。
「井上の場所を聞きたいから」
「……」
「それに、殺す必要もないし」
アルバロは朔夜を睨み上げる。
「甘いな」
「そう?」
「その甘さが、いずれ貴様を――」
「それ以上喋るなら」
朔夜の声が、少しだけ低くなった。
アルバロが止まる。
朔夜は笑っていた。
穏やかな笑いではない。
「次は止めないよ」
廊下の空気が変わった。
ドンドチャッカが息を呑む。
アルバロも、それまでとは違うものを見るように朔夜を見た。
殺気が爆発したわけではない。
声を荒らげてもいない。
むしろ静かだった。
だからこそ、不気味だった。
「……サクヤの旦那?」
ドンドチャッカの声で、朔夜は僅かに目を動かした。
数秒。
そして、息を吐く。
口元の笑みが消えた。
「ごめん。ちょっとやりすぎた」
「ちょっとじゃなかったでヤンス……」
「そう?」
「怖かったでヤンス!」
朔夜は苦笑してから、再びアルバロを見る。
「で、井上はどこ?」
アルバロは黙ったままだった。
朔夜がしゃがみ込む。
「別に部屋番号まで知らなくてもいい。この先にいるか、いないかだけでいいよ」
「……この通路の先にはいない」
朔夜の表情が変わる。
「本当?」
「貴様らを分けるための道だ。女はもっと内側へ移された」
「いつ?」
「少し前だ」
やはり。
こちらが侵入したことは、すでに虚夜宮側へ伝わっている。
井上も動かされている。
「どっちへ行けば内側に戻れる?」
アルバロは僅かに笑った。
「教えると思うか」
「そこは意地張るんだ」
朔夜は立ち上がる。
無理に吐かせるつもりはない。
十分な情報は得た。
この道は外れ。
だが分断用の通路なら、どこかで本来の経路へ戻るはずだ。
その時、壁の向こうから小さな衝撃が伝わった。
一度。
続いてもう一度。
朔夜が顔を向ける。
「一護かな」
ドンドチャッカも耳を澄ませる。
「ネル様の声は聞こえないでヤンス」
「距離があるんだと思う」
朔夜はアルバロから少し離れ、廊下の先を見る。
進むしかない。
「ドンドチャッカ、行こう」
「旦那、その傷は大丈夫でヤンス?」
「歩けるよ」
「無理してないでヤンス?」
「してない。たぶん」
「最後の一言が不安でヤンス!」
ドンドチャッカが慌てて追いかけてくる。
数歩進んだところで、朔夜は一度だけ振り返った。
倒れたアルバロは、まだこちらを見ていた。
「御門朔夜」
朔夜が足を止める。
「何?」
「藍染様は、貴様が強いから警戒しているのではない」
朔夜の目が細くなる。
「……どういう意味?」
アルバロは答えず、ただ笑った。
「いずれ分かる」
朔夜は数秒だけ見つめたが、それ以上は聞かなかった。
「そう」
前を向く。
だが胸の奥には、その言葉が残った。
強いからではない。
なら、何を警戒している?
答えはまだ分からない。
ただ――。
さっき一瞬だけ出た笑み。
敵を追い詰める感覚を、心のどこかで楽しんでいた自分。
それだけは、誤魔化せなかった。
「……やっぱり、まだいるな」
「何がでヤンス?」
「昔の俺」
「昔?」
「何でもない」
朔夜は歩みを止めなかった。
今は井上を探す方が先だ。
白い廊下の先へ進みながら、朔夜は御厨子を握り直す。
敵は自分の技を知っている。
癖も知っている。
守るものがある時の弱さまで調べている。
だが、それで自分を理解したつもりなら――。
「まだ足りないよ」
小さな声は、ドンドチャッカには届かなかった。
今回は、朔夜を狙って配置されていた破面――アルバロとの本格的な戦闘でした。
敵は解や捌だけでなく、朔夜が味方を守ろうとすると行動を読みやすくなることまで把握しており、ドンドチャッカを狙うことで一度は朔夜に傷を負わせています。
しかし朔夜も「守る=自分が庇う」という一つのやり方に固執せず、地形や既存の能力を使って戦い方を変化させました。
そして終盤、ほんの一瞬だけ表に出た昔の朔夜。
声を荒らげるのではなく、静かに笑いながら「次は止めない」と告げる姿は、これまでの朔夜とは少し違う危うさを持っています。
まだ本性が完全に出たわけではありません。
ただ、その部分が朔夜の中から消えたわけでもないようです。
次回――
第73話「内側へ」