敵は朔夜の能力だけでなく、仲間を守ろうとする時の行動まで把握していました。
それでも朔夜は戦い方を一つへ固定せず、相手の読みを外して勝利。
さらに、井上がすでに虚夜宮のより内側へ移されたことを知ります。
それでは、第73話「内側へ」です。
朔夜とドンドチャッカは、白い廊下を奥へ進んでいた。
アルバロにつけられた脇腹の傷はまだ痛むが、歩くには問題ない。朔夜は御厨子を鞘へ戻し、周囲の霊圧を探りながら歩いていく。
「サクヤの旦那、本当に大丈夫でヤンス?」
「さっきから三回目だよ、それ」
「血が出てたから心配なのでヤンス!」
「もう止まってるよ」
そう答えると、ドンドチャッカはようやく少しだけ安心したらしい。
それでも朔夜の横を歩こうとはせず、半歩ほど後ろをついてくる。
朔夜は気づいていた。
戦闘前より距離がある。
「……もしかして、さっき怖かった?」
ドンドチャッカの身体が跳ねた。
「な、何のことでヤンス?」
「俺がアルバロに『次は止めない』って言った時」
「ぜ、全然怖くなかったでヤンス!」
「声震えてるけど」
「虚圏は寒いのでヤンス!」
「外、砂漠だったけどね」
「砂漠でも寒い時はあるでヤンス!」
必死に否定する姿を見て、朔夜は少しだけ笑った。
その笑い方は、先ほどアルバロへ向けたものとは違う。
ドンドチャッカもそれを確認したのか、僅かに肩の力を抜いた。
やがて廊下の先が行き止まりになった。
白い壁。
扉もない。
左右にも道はない。
ドンドチャッカが固まる。
「……終わったでヤンス」
「何が?」
「完全に迷ったでヤンス!」
「まだ決めるの早いでしょ」
朔夜は壁へ近づき、掌を当てる。
霊子の流れを探る。
これまでの壁とは少し違う。
内部に細い空洞があった。
「向こう側に何かある」
ドンドチャッカが目を丸くする。
「壁の向こうでヤンス?」
「うん」
朔夜は指先を向けかけたが、そこで止めた。
ただ切り開くのは簡単だ。
だが虚夜宮の構造が分からないまま壁を破れば、何があるか分からない。
以前なら気にせず切っていたかもしれない。
「……壊す前に調べるか」
「それがいいでヤンス!」
ドンドチャッカの返事が妙に速かった。
「そんなに壁切るの嫌?」
「旦那が切ると何でも真っ二つになりそうで怖いでヤンス!」
「そんな雑じゃないよ」
朔夜は壁に沿って歩き始めた。
数メートル進み、床を見る。
僅かに擦れた跡が残っている。
誰かが頻繁に通っている。
「ここ」
「何かあるでヤンス?」
「壁じゃなくて、床」
ドンドチャッカもしゃがみ込んだ。
床の一部だけ、周囲より僅かに色が薄い。
朔夜がそこへ指を掛けようとした瞬間、ドンドチャッカが突然声を上げた。
「待つでヤンス!」
「え?」
ドンドチャッカは床の端を見つめ、それから壁の下部へ手を伸ばした。
小さな窪み。
ほとんど装飾にしか見えない場所へ指を入れ、押し込む。
低い音が響いた。
床の一部が横へずれ、その下から階段が現れる。
朔夜は黙ってドンドチャッカを見る。
ドンドチャッカも固まった。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
朔夜が先に口を開いた。
「知ってたの?」
「し、知らないでヤンス!」
「今普通に開けたよね」
「身体が勝手に動いたでヤンス!」
「便利な身体だね」
ドンドチャッカは冷や汗を流しながら視線を逸らした。
朔夜はそれ以上追及しなかった。
ネルもそうだった。
ペッシェも。
虚夜宮へ近づいてから、三人とも時々妙な反応を見せる。
ここを知っている。
それも、少し立ち寄った程度ではない。
だが今は井上が先だ。
「降りよう」
「聞かないでヤンス?」
「聞いてほしい?」
ドンドチャッカは勢いよく首を横へ振った。
「じゃあ今はいいよ」
朔夜が先に階段を下りる。
ドンドチャッカは少し驚いた顔をした後、その背中を追った。
階段の先は狭い通路になっていた。
先ほどまでの廊下とは違い、壁に装飾はなく、照明も最低限しかない。
人目につかないための道。
朔夜はすぐに気づいた。
「表の通路じゃないね」
「たぶん……移動用の裏道でヤンス」
「やっぱり知ってる?」
「たぶんでヤンス!」
「まあいいけど」
進むにつれ、周囲の霊圧が変わっていく。
外側にいた下級の虚や破面の気配が減り、代わりに一つ一つの霊圧が強くなっている。
確実に内側へ近づいている。
朔夜は立ち止まり、目を閉じた。
「……」
遠い。
だが一瞬だけ感じるものがあった。
柔らかく、よく知った霊圧。
すぐに消える。
「井上」
ドンドチャッカが顔を上げる。
「分かったでヤンス?」
「一瞬だけ」
方向は前。
前回より近い。
腕輪か何かで霊圧を遮断されていても、完全には隠しきれていないらしい。
「こっちで合ってる」
朔夜が歩みを速める。
ドンドチャッカも必死についてきた。
しかし、すぐに朔夜が足を止める。
「旦那?」
「誰か来る」
前方の角。
複数の足音。
朔夜はドンドチャッカの肩を掴み、壁際の窪みへ引き寄せた。
「静かに」
「わ、分かったでヤンス」
二人が身を隠した直後、白い装束の破面が三人通り過ぎていく。
「侵入者は三方へ分かれたそうだ」
「中央のレイスから連絡が途絶えた」
「なら御門朔夜が突破した可能性が高い。内側へ入られる前に封鎖しろ」
足音が遠ざかる。
朔夜は眉を寄せた。
「……俺、もう突破したことになってる」
「実際突破したでヤンス」
「そうなんだけど」
重要なのは、その後だ。
内側を封鎖する。
敵はこちらがどこを目指しているか分かっている。
そして、井上をさらに移す可能性もある。
「急ごう」
朔夜が通路へ戻ろうとした時、ドンドチャッカが袖を掴んだ。
「旦那」
「何?」
「今の奴らが行った方は、たぶん表の道へ戻るでヤンス」
「じゃあ反対?」
ドンドチャッカは少し迷った。
それから、通路のさらに奥を指す。
「この道を進めば、もっと中へ行けた……気がするでヤンス」
朔夜はドンドチャッカを見る。
また「気がする」。
だが表情は冗談を言っているものではない。
「信じるよ」
「いいんでヤンス?」
「ここまで当たってるからね」
ドンドチャッカが少しだけ目を見開く。
「それに俺一人じゃ、この裏道見つけられなかった」
「……」
「助かったよ、ドンドチャッカ」
大柄な身体がぴたりと止まった。
それから急に顔を両手で覆う。
「うええええん! 褒められたでヤンス〜〜〜!」
「声!」
「嬉しかったでヤンス〜〜〜!」
「敵来るから!」
朔夜が慌てて口を押さえる。
ドンドチャッカは涙を流しながら何度も頷いた。
再び静かになってから、二人は奥へ進んだ。
やがて通路の先に、小さな扉が現れる。
朔夜は慎重に開け、僅かな隙間から外を見る。
その先には、これまでとは明らかに違う空間が広がっていた。
高い天井。
広い廊下。
壁には複数の扉。
そして奥には、上層へ続く長い階段。
行き交う破面の数も少なく、その代わり一人一人の霊圧が強い。
「ここから内側だ」
朔夜が小さく呟く。
ドンドチャッカも隙間から覗き込み、顔を強張らせた。
「ここは……」
朔夜が横を見る。
「知ってる?」
ドンドチャッカは答えなかった。
だが、その沈黙だけで十分だった。
朔夜は何も聞かず、再び前を見る。
井上の霊圧はこの先。
そして一護たちとは別の経路から、自分は虚夜宮の内側へ入り込んだ。
これは好都合でもある。
敵の意識が一護たちへ向いている間に、別方向から井上へ近づける。
「ドンドチャッカ」
「何でヤンス?」
「ここからは、見つかったらさっきより面倒になる」
「じゃあ隠れて行くでヤンス?」
朔夜は少し考えた。
以前なら、目についた敵を斬りながら真っ直ぐ進んだかもしれない。
だが、目的は戦うことではない。
「うん。できるだけね」
「安心したでヤンス」
「そんなに俺、戦いたそうに見える?」
ドンドチャッカは少し考えた後、ゆっくり頷いた。
「さっきは、かなり」
朔夜は一瞬黙った。
アルバロとの戦い。
相手を追い詰める感覚を楽しんでいた自分。
あれをドンドチャッカにも見られていた。
「……そっか」
「怒ったでヤンス?」
「いや」
朔夜は御厨子の柄へ軽く触れる。
「教えてくれてありがと」
昔の自分を消す必要はない。
だが、好きにさせる必要もない。
使うかどうかを決めるのは、自分だ。
その時。
遠くから爆発音が響いた。
壁が僅かに震える。
一護か。
石田か。
茶渡か。
誰の戦いかは分からない。
朔夜は一瞬だけそちらへ目を向けたが、すぐに戻した。
今、自分にできることは一つ。
井上へ近づくことだ。
「行こう」
「了解でヤンス!」
二人は扉を抜け、虚夜宮の内側へ足を踏み入れた。
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さらに奥。
白い部屋で、井上は一人座っていた。
腕には、霊圧を隠すための腕輪が残っている。
遠くで何度か衝撃が響いていた。
何が起きているのかは分からない。
それでも。
何故か胸がざわつく。
「……黒崎くん」
小さく名前を呼ぶ。
続けて、もう一人。
「朔夜さん……」
届くはずのない声。
だがその頃。
虚夜宮の別の場所で、朔夜がふと足を止めた。
「旦那?」
「……いや」
声が聞こえたわけではない。
それでも、井上の霊圧が一瞬だけ強くなった気がした。
朔夜は前を見る。
「近い」
今度こそ。
救出する。
白い迷宮の中心へ、朔夜は確実に近づいていた。
今回は、アルバロとの戦いを終えた朔夜とドンドチャッカが、虚夜宮のさらに内側へ進みました。
ドンドチャッカが偶然とは思えない形で隠し通路を見つけたことで、ネルたち三人が虚夜宮について何かを隠していることも、少しずつ見え始めています。
ただし朔夜は、今はその事情を無理に聞き出さず、井上救出を優先。
また、敵が朔夜の突破を察知して内側を封鎖し始めたため、正面から戦うのではなく裏道を利用する判断をしました。
そして、朔夜がアルバロとの戦いで見せた危うさをドンドチャッカも感じていたことが判明。
朔夜自身も、昔の自分をただ否定するのではなく、「出すかどうかを自分で選ぶ」ことを意識し始めています。
虚夜宮の内側へ入り込んだ朔夜。
井上との距離は、確実に縮まっています。
次回――
第74話「近づく霊圧」