しかし、その前に姿を現したのはウルキオラでした。
正面から戦えば、さらに時間を失う。
そう判断した朔夜は、解で壁を切り開き、別の通路から井上を追う道を選びます。
ただし――相手は、簡単に振り切れる破面ではありません。
それでは、第76話「追う者」です。
朔夜はドンドチャッカの腕を掴み、切り開いた通路を走っていた。
本来の廊下ではない。
壁の向こうにあった細い連絡通路へ無理やり入り込んだため、道幅は狭く、ところどころ天井も低い。
「旦那! 速すぎるでヤンス!」
「ごめん、でも今は頑張って!」
「頑張ってるでヤンス〜〜〜!」
背後から足音は聞こえない。
だが、それでウルキオラを振り切ったとは思っていなかった。
霊圧はある。
一定の距離。
近づきすぎず、離れすぎず。
こちらがどこへ向かうのか確認するようについてきている。
「……追い方まで嫌だなぁ」
「何がでヤンス!?」
「急いで捕まえる気がない」
ドンドチャッカが青ざめる。
「それ、もっと怖いでヤンスよ!」
「俺もそう思う」
朔夜は角を曲がりながら、壁へ意識を向けた。
井上の霊圧は再び弱くなっている。
それでも完全には消えていない。
今のところ、方向は合っていた。
前方に分岐が見える。
左右。
左側には複数の破面の霊圧。
右側は静かだった。
「右」
迷わず曲がる。
ドンドチャッカも続いた。
数秒後。
前方から白い影が現れた。
朔夜が止まる。
ウルキオラだった。
「……早くない?」
ウルキオラは何も答えない。
先ほどまで後ろにいたはずだ。
別の通路を使って先回りしたのか。
あるいは、自分たちが知らない最短経路を通ったのか。
どちらにしても、この城を知っている側が圧倒的に有利だった。
ドンドチャッカが朔夜の背中へ隠れる。
「旦那……」
「分かってる」
朔夜はウルキオラを見たまま、右手を僅かに動かした。
解。
狙いは再び壁。
しかし。
切断されるより早く、ウルキオラの姿が消えた。
次の瞬間、朔夜の手首を掴まれる。
「同じ方法が二度通じると思ったか」
「思ってないよ」
朔夜は即座に身体を沈めた。
掴まれた腕とは反対側から解が走る。
ウルキオラが手を離し、僅かに距離を取った。
白い袖が浅く切れる。
だが皮膚には届いていない。
「今のは俺じゃなくて、そっちを動かすため」
朔夜が後ろを見る。
「ドンドチャッカ、走って!」
「へ?」
「奥!」
ドンドチャッカは一瞬遅れて状況を理解し、慌てて駆け出した。
「サクヤの旦那はどうするでヤンス!?」
「すぐ追う!」
ウルキオラの視線がドンドチャッカへ向く。
その瞬間、床へ複数の解が走った。
浅い切断。
大きく崩しはしない。
ただ、ウルキオラが直線的に追える足場だけを狭くする。
「行かせないよ」
「貴様の目的は戦うことではないはずだ」
「そうだよ」
朔夜は御厨子を抜いた。
「だから君を倒そうとはしてない」
「矛盾している」
「足止めするのと倒すのは別」
ウルキオラが一歩踏み出す。
それだけで距離が消えた。
刀は抜いていない。
拳が朔夜の腹部へ伸びる。
朔夜は御厨子の鞘で軌道を逸らし、身体を回転させるように横へ抜けた。
同時に、解。
背後。
ウルキオラは振り返らず、首だけを僅かに傾けてかわす。
「……やっぱり避けるか」
「当たる必要がない」
「ごもっとも」
朔夜は笑ったが、余裕があるわけではなかった。
速い。
今まで戦った破面とは、明らかに段階が違う。
しかもウルキオラは、まだ斬魄刀に触れてすらいない。
ここで真正面から戦えば、時間を奪われる。
それは分かっている。
なら戦いそのものを成立させなければいい。
朔夜は後ろへ跳んだ。
ウルキオラが追う。
一歩。
その着地点へ解。
ウルキオラは空中で僅かに軌道を変える。
次の着地点へ、もう一つ。
さらに横の壁。
天井。
朔夜はウルキオラ本人ではなく、動く先だけを斬り続ける。
白い廊下の形が少しずつ崩れていった。
「俺を斬らないのか」
「今のところはね」
「何故だ」
「斬ったら君も本気になるでしょ」
ウルキオラの目が僅かに細くなる。
朔夜はその反応だけで十分だった。
「当たり?」
返事はない。
朔夜はさらに一歩下がった。
その時。
遠くからドンドチャッカの声が聞こえる。
「旦那ぁぁぁ! 道がまた分かれてるでヤンス!」
「そこで止まって!」
「どっち行けばいいでヤンス!?」
朔夜は一瞬だけ意識を奥へ向ける。
井上。
弱い。
だが、ある。
左。
「左!」
叫んだ瞬間、ウルキオラが動いた。
朔夜の視線が逸れた一瞬を狙い、懐へ入る。
拳が頬を打った。
身体が横へ飛ぶ。
朔夜は壁へぶつかる直前、片足をついて衝撃を逃した。
口の端から血が流れる。
「痛いなぁ」
「戦いの最中に余所を見るからだ」
「君に言われると正論なのが腹立つ」
ウルキオラが再び距離を詰める。
朔夜も今度は正面から御厨子を振った。
刀と拳。
一瞬の接触。
「捌」
ウルキオラの目が動く。
接触した腕の硬皮へ合わせて、斬撃が走る。
だが――。
浅い。
白い皮膚に一本の傷が入り、僅かに血が滲んだだけだった。
朔夜がすぐに離れる。
ウルキオラは自分の腕を見る。
「これが捌か」
「初めてだった?」
「報告では知っている」
「実際に受けるのとは違うでしょ」
「そうだな」
ウルキオラは傷を見ても表情を変えない。
「だが、思っていたほどではない」
朔夜は否定しなかった。
今の捌は浅い。
意図的でもある。
接触した瞬間、ウルキオラの硬皮と霊圧へ斬撃を合わせた。
それでも、もっと深く斬ろうとすれば相応の霊圧と集中が必要になる。
そして、そうすれば戦いは本格化する。
「今はそれでいいよ」
「強がりか」
「目的が違うだけ」
朔夜は御厨子を構え直す。
ウルキオラが言った。
「貴様は奇妙だな」
「何が?」
「強者を前にして、勝つことを優先しない」
朔夜は少しだけ笑う。
「昔は違ったよ」
「今は?」
「勝つより大事なものがあるって覚えた」
一瞬。
頭の奥で御厨子が鼻で笑った気がした。
ウルキオラは朔夜を見つめる。
「井上織姫か」
朔夜の笑みが消える。
「やっぱり知ってるんじゃん」
「女を連れ戻してどうする」
「現世へ帰す」
「本人がここへ来ることを選んだとしてもか」
朔夜の目が細くなった。
「その聞き方、嫌いだな」
ウルキオラは無表情のまま続ける。
「女は自ら虚圏へ来た」
「選ばされたんでしょ」
「結果は同じだ」
「全然違う」
即答だった。
「誰かを傷つけるって脅して、他に選べない状況を作ってから『自分で選んだ』って言うのは、俺は選択だと思わない」
ウルキオラは黙る。
朔夜は御厨子を下ろした。
「だから連れて帰る」
「本人が拒んでもか?」
朔夜は少しだけ考えた。
「その時は話すよ」
「力ずくではなく?」
「井上の意思ならね」
言葉を続ける。
「でも君たちの都合を、井上の意思みたいに扱うつもりはない」
ウルキオラの表情は変わらない。
だが、ほんの僅かに沈黙が長くなった。
その時。
遠くでドンドチャッカの悲鳴が響く。
「ひいいいいいっ! 何か来たでヤンス〜〜〜!」
朔夜が振り返る。
複数の霊圧。
ドンドチャッカの前方から近づいている。
「まずい」
ウルキオラが動くより先に、朔夜は床へ御厨子を向けた。
「解」
足元。
壁。
天井。
三方向へ斬撃が走る。
しかし狙いは破壊ではない。
構造をずらす。
壁の一部が崩れ、天井の石材が落ち、朔夜とウルキオラの間に大きな障害物が生まれた。
ウルキオラなら突破できる。
当然だ。
だが数秒は稼げる。
それで十分。
朔夜は背を向けた。
「またね」
「逃げるのか」
「追いかけるんだよ」
「何を」
朔夜は走り出す。
「井上を」
白い廊下を駆け抜ける。
後ろで瓦礫が弾ける音がした。
もうウルキオラが抜けた。
速い。
だが朔夜も止まらない。
角を曲がる。
前方にドンドチャッカが見えた。
その前には三体の破面。
「旦那ぁぁぁ!」
「伏せて!」
ドンドチャッカが迷わず床へ飛び込む。
同時に朔夜が右腕を振った。
三体の破面がそちらへ意識を向ける。
しかし解は、三人の武器へ別々の角度から届いた。
金属が同時に折れる。
驚いた一瞬。
朔夜はその間を駆け抜け、ドンドチャッカの腕を掴んだ。
「行くよ」
「また走るでヤンス!?」
「今日は走ってばっかりだね!」
「笑ってる場合じゃないでヤンス〜〜〜!」
二人はそのまま左の通路へ飛び込んだ。
朔夜は井上の霊圧を探る。
近い。
今までで一番近い。
そして前方。
長い廊下の突き当たりに、大きな扉が見えた。
その向こう。
確かにいる。
「……見つけた」
ドンドチャッカが顔を上げる。
「井上の嬢ちゃんでヤンス!?」
「この先」
朔夜が速度を上げる。
だが背後にはウルキオラがいる。
距離は縮んでいる。
このまま全員で扉へ向かえば、追いつかれる。
朔夜は走りながら考えた。
井上へ行く。
ウルキオラを止める。
二つを同時にする。
以前なら、自分一人で両方やろうとした。
だが今は違う。
「ドンドチャッカ」
「何でヤンス!?」
「先に行って」
「え?」
朔夜は走りながら霊子標識を取り出し、ドンドチャッカへ渡した。
「これ持って扉まで行って。入口に置いて」
「旦那は?」
「追ってくる人止める」
ドンドチャッカが後ろを見る。
ウルキオラの霊圧を感じたのか、顔が青くなる。
「無茶でヤンス!」
「倒す必要はないよ」
「でも――」
「井上の場所が分かった」
朔夜は笑う。
今度の笑みは、イグナシオを追い詰めた時のものではない。
いつもの朔夜だった。
「だから、ここは俺がやる」
ドンドチャッカは迷っていた。
だが、やがて標識を強く握った。
「絶対来るでヤンスよ!」
「うん」
「約束でヤンス!」
「分かった」
ドンドチャッカが扉へ向かって走る。
朔夜はその背中を見送り、足を止めた。
ゆっくり振り返る。
白い廊下の奥。
ウルキオラが歩いてくる。
今度は追いつくための速さではない。
朔夜が逃げないと分かったからだ。
二人の間には、誰もいない。
朔夜は御厨子を抜いた。
「ここから先は通さない」
ウルキオラが足を止める。
「先ほどとは言っていることが逆だな」
「状況が変わったからね」
「今度は俺を倒すのか」
朔夜は首を横へ振る。
「違う」
御厨子を構える。
「井上に誰も近づけないようにするだけ」
ウルキオラの手が、初めて腰の斬魄刀へ触れた。
朔夜の表情から笑みが消える。
空気が変わった。
今までの追走とは違う。
互いに、ここから先は簡単には抜けられないと理解している。
それでも朔夜は退かなかった。
背後の扉。
その向こうに井上がいる。
なら、ここで止める。
「来なよ、ウルキオラ」
御厨子を握る手に力が入る。
ウルキオラは無表情のまま、斬魄刀を僅かに鞘から抜いた。
白い廊下に、金属の擦れる音が響く。
追う者と、阻む者。
その立場は、ここで初めて逆転した。
今回は、井上を追う朔夜と、それを追うウルキオラの攻防を中心に描きました。
朔夜はウルキオラを倒すことへ固執せず、虚夜宮の床や壁を解で利用しながら、あくまで井上へ近づくことを優先しています。
また、ウルキオラとの会話では「井上が自分で虚圏へ来た」という見方に対し、朔夜は脅されて他の選択肢を奪われたものを、自由な意思とは考えないとはっきり否定しました。
そして、ついに井上のいる場所を特定。
朔夜はドンドチャッカを先へ行かせ、自分は追ってきたウルキオラの前へ残ります。
今度は逃げるためではありません。
井上へ続く道を守るために。
次回――
第77話「御門朔夜VSウルキオラ」