ウルキオラとの戦いを切り上げ、ついに井上の霊圧がある場所まで辿り着いた朔夜。
始解した御厨子で扉の内部を切断し、その向こうから確かな井上の霊圧を感じ取ります。
しかし、背後からはウルキオラが迫っている。
ようやく届いた救出の手。
それを、このまま掴ませてもらえるはずもありません。
それでは、第78話「扉の向こう」です。
巨大な扉が低い音を響かせながら開いていく。
その隙間から流れてきた霊圧に触れた瞬間、朔夜はもう迷わなかった。
「……井上」
ずっと追い続けていた気配。
薄く隠され、何度も消され、それでも僅かに残っていたものが、今はすぐ向こうにある。
扉が完全に開くのを待たず、朔夜は隙間へ身体を滑り込ませた。ドンドチャッカも慌ててその後に続く。
部屋は広かった。
白い壁と床。
最低限の家具。
虚夜宮の中とは思えないほど静かな空間の中央で、一人の少女が立ち上がる。
「……朔夜さん?」
井上織姫だった。
大きな怪我はない。
立っている。
生きている。
それを見ただけで、朔夜は自分でも気づかないうちに詰めていた息を吐いた。
「よかった」
その一言に、井上の表情が揺れた。
嬉しい。
そう思った。
本当なら、駆け寄りたかった。
ずっと会いたかった人たちの一人が、自分を探してここまで来てくれた。
でも同時に、胸の奥へ強い恐怖が押し寄せる。
――来ちゃった。
自分がここへ来れば、みんなは戦わなくて済むと思った。
そうすれば黒崎くんも、茶渡くんも、石田くんも、朽木さんも、朔夜さんも傷つかない。
そう信じようとした。
それなのに。
「どうして……」
井上の声が震えた。
朔夜はその場で足を止める。
「迎えに来た」
それだけだった。
責める言葉はない。
どうして一人で行ったのかとも聞かない。
だからこそ、井上の胸が苦しくなる。
「だめ」
朔夜の表情が僅かに変わる。
「井上?」
「来ちゃだめだったの」
井上は首を横へ振った。
「私がここに来れば、みんなは戦わなくて済むって言われて……私が逃げたり、誰かに助けを求めたりしたら、黒崎くんたちも、朔夜さんも……みんな殺すって」
言葉にするたび、あの十二時間が蘇る。
電話を持ったまま何度も迷ったこと。
浦原なら何とかしてくれるかもしれないと思ったこと。
朔夜なら間に合ってくれるかもしれないと考えたこと。
それでも。
助けて、と言った瞬間に誰かが傷つくかもしれない。
その可能性が怖かった。
だから言えなかった。
だから一人で行くことを選んだ。
――選んだつもりだった。
朔夜の視線が、井上の腕へ向く。
霊圧を隠していた腕輪がまだ残っている。
「これが井上の霊圧を消してたんだね」
井上は反射的に腕輪を押さえた。
「外せる?」
「分からない……」
朔夜が一歩近づこうとする。
「待って!」
井上が強く声を上げる。
朔夜はすぐに止まった。
井上自身が驚くほど、声は必死だった。
「ご、ごめんなさい……でも、もし私が逃げたって分かったら……」
「うん」
朔夜は無理に近づかなかった。
「怖いんだね」
井上は俯く。
その言葉だけで、堪えていたものが崩れそうになる。
「私……みんなに来てほしくなかったんです」
声が小さくなる。
「でも、本当は……」
続きが出ない。
助けてほしかった。
一人でいたくなかった。
黒崎くんに会いたかった。
朽木さんにも。
茶渡くんにも、石田くんにも。
朔夜にも。
でも、それを口にすれば、自分がみんなを危険へ呼び込んだことになる気がした。
「本当は帰りたいんです」
ようやく出た声は、ほとんど囁きだった。
「でも、帰りたいって思うのが……怖い」
朔夜は少しだけ目を細めた。
「井上」
井上が顔を上げる。
「それ、自分でここにいたいってことじゃないよね」
涙が一つ、頬を伝った。
井上は小さく首を横へ振る。
朔夜は静かに笑う。
「なら帰ろう」
「でも……!」
「もう来てるよ」
井上が止まる。
「一護も、茶渡も、石田も。みんな自分でここまで来た」
「黒崎くんたちが……?」
「うん」
井上の胸がさらに苦しくなる。
自分のせいだと思った。
またみんなを戦わせてしまった。
だが朔夜は、その考えを見透かしたように続ける。
「井上が呼んだんじゃない」
「……」
「みんなが自分で来るって決めた」
井上の目が揺れる。
「だから、その選択まで井上が背負わなくていい」
涙が止まらなくなる。
助けてほしいと思ってよかったのだろうか。
帰りたいと思ってもいいのだろうか。
そんな答えを出せないまま、井上はただ泣いていた。
その時。
開いた扉の向こうから、静かな声が届く。
「そこまでだ」
空気が変わった。
朔夜の表情から柔らかさが消える。
ドンドチャッカの身体も強張った。
廊下の先。
ウルキオラが立っている。
息一つ乱れていない。
視線はまず朔夜へ。
次に井上。
最後に、二人の間へ向けられた。
「女から離れろ」
朔夜は井上の前へ移動する。
「嫌だって言ったら?」
「排除する」
「分かりやすくて助かる」
御厨子を構える。
井上が息を呑んだ。
また戦いが始まる。
自分のために。
その事実が怖い。
「朔夜さん、だめ!」
「大丈夫」
「でもウルキオラさんは強いです!」
「知ってる」
朔夜は振り返らない。
「だから、無理に倒そうとはしない」
ウルキオラが一歩進む。
朔夜は先に動いた。
「解」
狙ったのはウルキオラではない。
扉の左右。
床。
天井。
離れた複数の位置へ見えない斬撃が届き、入口周辺の構造だけが切断される。
石材が崩れ、進路が一瞬狭まった。
これが解。
接触せず、離れた場所を直接切る。
敵そのものを斬るだけでなく、動く場所や進路を制御するための斬撃。
「ドンドチャッカ!」
「は、はいでヤンス!」
「井上と奥へ!」
「オレがでヤンス!?」
「お願い!」
ドンドチャッカが井上の手を取ろうとする。
だが井上の足は動かない。
「私が逃げたら、みんなが――」
「井上」
朔夜の声が届く。
「今度は一人で決めないで」
井上が顔を上げる。
「助けてほしいなら、助けてって言っていい」
その瞬間。
ウルキオラが瓦礫の隙間から一気に距離を詰めた。
速い。
朔夜も踏み込む。
刀と刀がぶつかる。
金属音が一度だけ鋭く響いた。
押し込まれる。
朔夜は正面から力比べを続けず、刀身を滑らせて受け流す。
ウルキオラが横を抜けようとした瞬間、朔夜が左手を伸ばした。
刀身へ触れる。
「捌」
接触した対象の硬さと霊圧を読み、それに合わせて威力を調整する斬撃。
ウルキオラの斬魄刀へ深い傷が走る。
だが切断までは届かない。
ウルキオラは即座に刀を引き、距離を取った。
「近接時の適応斬撃か」
「そういうこと」
一瞬の静けさ。
朔夜は追わない。
ウルキオラも無理に踏み込まない。
互いに相手の次の手を見る。
そのわずかな間に、井上はドンドチャッカの手を取った。
「……行きます」
朔夜の口元が僅かに緩む。
「うん」
二人が走り出した。
ウルキオラの視線がそちらへ動く。
朔夜はすぐに解を放つ。
離れた床と壁へ斬撃が入り、井上たちとウルキオラの間に瓦礫が落ちた。
ウルキオラが朔夜を見る。
「守りながら俺と戦うつもりか」
「違う」
朔夜は御厨子を構え直す。
「俺は君の進路を潰すだけ」
ウルキオラが消える。
右。
朔夜は御厨子で刀を受ける。
重い一撃。
一度受けた瞬間、すぐ離す。
二撃目はかわす。
三撃目が肩を掠める。
血が散る。
朔夜はそれでも追撃せず、ウルキオラが次に踏み込む床へ解を置く。
床が切れる。
響転の着地点が狭まる。
ウルキオラが別方向へ動く。
その先の壁も切れる。
速い攻防。
しかし朔夜は、相手を斬る回数を増やすのではなく、相手が使える場所を減らしていく。
「随分消極的だな」
「今はね」
「俺を斬る力がないのか」
「それ確認したい?」
ウルキオラが踏み込む。
朔夜も前へ出る。
刀が触れる。
一瞬。
「捌」
今度は刀ではなく、ウルキオラの腕へ触れた。
硬皮。
霊圧。
強度。
それに合わせて斬撃が走る。
白い皮膚が裂け、薄く血が滲んだ。
ウルキオラが朔夜の腹部を蹴る。
「っ!」
朔夜の身体が数メートル飛ぶ。
壁へぶつかる直前で体勢を整え、足から着地した。
口の端に血が滲む。
「……やっぱり硬いね」
「それが捌の限界か」
「今はね」
ウルキオラが眉を僅かに動かす。
朔夜はそれ以上説明しない。
捌は相手へ合わせて威力を変える。
だが、どこまで切るかは朔夜自身が決める。
今はウルキオラを深く斬るために霊圧を使う場面ではない。
その必要がない。
ウルキオラの左手が上がった。
指先へ薄緑色の光が集まっていく。
朔夜の表情が変わる。
「セロ……」
狙いを見た瞬間、理解した。
自分ではない。
井上たちが逃げた先。
「またそれか!」
薄緑色の虚閃が放たれる。
朔夜は咄嗟に身を投げ出さない。
代わりに始解した御厨子へ意識を広げる。
「解」
複数箇所。
天井。
左右の壁。
床。
射線上の構造だけをほぼ同時に切断する。
分厚い石材が何層も落ち、薄緑色の虚閃と衝突した。
一枚目が砕ける。
二枚目も吹き飛ぶ。
三枚目で軌道がずれた。
薄緑の閃光が斜め上へ抜け、天井を貫く。
爆風が部屋を揺らした。
一瞬、静寂。
朔夜は振り返らずに井上の霊圧を探る。
ある。
動いている。
「……よし」
そのわずかな確認。
ウルキオラは逃さなかった。
朔夜の目の前へ現れる。
拳が腹部へ入った。
「がっ……!」
身体が壁へ叩きつけられる。
息が止まる。
続けて刀が迫る。
朔夜は御厨子で受けた。
床にひびが広がる。
「余所を見るな」
「本当に……正論ばっかりだね」
ウルキオラの力がさらに掛かる。
朔夜の腕が沈む。
「御門朔夜。お前はまた自ら選択肢を狭めている」
朔夜は黙る。
「女を守る。俺を止める。仲間を逃がす。その全てを自分で行おうとしている」
一瞬。
朔夜の脳裏に、昔の自分が浮かんだ。
全部を背負う。
全部自分で片づける。
それで間に合わなかったこともある。
「……違うよ」
「何?」
「井上を連れてくのはドンドチャッカ」
刀を横へ流す。
ウルキオラの力の方向を外し、間合いを作る。
「一護たちは別の場所から来てる」
右腕を動かす。
ウルキオラが斬撃を警戒する。
だが解は反対側の床へ走った。
体勢が僅かにずれる。
「俺は今」
朔夜が踏み込む。
「君を止めるだけ」
御厨子がウルキオラの刀とぶつかる。
一撃。
そこで終える。
無理に捌を狙わない。
代わりに、距離を取った先へ解。
ウルキオラの脇腹に浅い傷が走った。
遠距離を切る解。
接触して硬さへ適応する捌。
役割は違う。
混ぜる必要はない。
必要な時に、必要な方を使えばいい。
ウルキオラが自分の傷を見る。
その瞬間には、朔夜はもう逆方向へ走っていた。
「逃げるのか」
「仕事終わったから」
「何?」
「井上、もうこの部屋にいないよ」
ウルキオラの視線が一瞬だけ奥へ向く。
朔夜はその隙に、周囲の構造を見た。
柱。
壁。
天井。
始解した御厨子なら同時に狙える。
「解」
一斉に切断。
ただし、全部を崩さない。
一つ目の柱。
数秒後に二つ目。
その後に天井。
時間差で落ちるよう、支えだけを切る。
最初の壁が崩れる。
ウルキオラが破壊する。
次の瓦礫が落ちる。
また砕く。
その先で、さらに別の壁が倒れる。
「時間差か」
「それじゃ」
朔夜は走り出す。
「続きはまた今度」
角を曲がる。
前方に二つの霊圧。
井上。
ドンドチャッカ。
追いついた。
「朔夜さん!」
井上が振り返る。
朔夜は二人の横へ並んだ。
「このまま走るよ」
「でも、どこへ……?」
「一護たちと合流する」
井上の表情が変わる。
「黒崎くんたちと……」
「うん」
井上は俯きかける。
また迷惑をかけた。
そう口にしそうになる。
けれど、先ほどの朔夜の言葉が蘇った。
――みんなが自分で来るって決めた。
自分が全てを背負うことは、仲間の選択まで奪うことになるのかもしれない。
「……黒崎くん、怒ってますよね」
朔夜が少し考える。
「多分」
井上の顔が沈む。
「でも」
朔夜が続ける。
「怒る前に安心すると思う」
井上が顔を上げる。
「井上が無事だったって分かったらね」
胸が熱くなる。
泣きそうになる。
でも今度は、怖さだけではなかった。
「……会いたいです」
小さな声だった。
朔夜は聞き逃さない。
「うん」
井上は少しだけ強く言い直した。
「黒崎くんたちに、会いたいです」
今度は自分で言えた。
帰りたい。
会いたい。
助けてほしい。
それを口にしていいのだと、ようやく少しだけ思えた。
その瞬間。
背後から強い霊圧が近づく。
「もう抜けてきたか」
朔夜が顔を上げる。
前方には分岐。
そして左側から、別の強い霊圧が近づいてくる。
知っている。
朔夜の口元が上がった。
「ちょうどいい」
左の通路から足音が響く。
次の瞬間。
聞き慣れた声が白い廊下を貫いた。
「井上――!」
井上の目が大きく開く。
呼吸が止まりそうになる。
何度も会いたいと思って。
それでも、自分からは助けを求められなかった相手の声。
「……黒崎くん」
今度は涙を隠さなかった。
「黒崎くん……!」
朔夜は井上の表情を横目で見てから、背後へ意識を戻した。
ウルキオラも来る。
一護も来る。
ようやく井上を見つけた。
ここからは、救出ではなく――帰るための戦いになる。
---
後書き
今回は、戦闘のテンポに緩急をつけながら、井上の心情も深く描きました。
井上は「自分から虚圏へ来た」のではなく、仲間を失う恐怖から、助けを求めることすらできなくなっていました。
だからこそ今回、朔夜から「一人で決めなくていい」と言われ、最後には自分の意思で、
「黒崎くんたちに会いたい」
と言えるところまで進んでいます。
また御厨子の能力も明確に使い分けています。
解は、接触せず離れた対象や場所へ直接届く斬撃。今回は床・壁・天井を切り、ウルキオラの進路や虚閃の射線を制御するために使用。
捌は、接触した対象の硬さや霊圧に合わせて威力を調整する斬撃。ウルキオラの刀や硬皮へ直接触れた場面で使用しています。
そして最後。
井上が自分の意思で会いたいと願った相手――一護の声が、ついに届きました。
次回――
第79話「再会」
今回は、戦闘のテンポに緩急をつけながら、井上の心情も深く描きました。
井上は「自分から虚圏へ来た」のではなく、仲間を失う恐怖から、助けを求めることすらできなくなっていました。
だからこそ今回、朔夜から「一人で決めなくていい」と言われ、最後には自分の意思で、
「黒崎くんたちに会いたい」
と言えるところまで進んでいます。
また御厨子の能力も明確に使い分けています。
解は、接触せず離れた対象や場所へ直接届く斬撃。今回は床・壁・天井を切り、ウルキオラの進路や虚閃の射線を制御するために使用。
捌は、接触した対象の硬さや霊圧に合わせて威力を調整する斬撃。ウルキオラの刀や硬皮へ直接触れた場面で使用しています。
そして最後。
井上が自分の意思で会いたいと願った相手――一護の声が、ついに届きました。
次回――
第79話「再会」