ついに井上を見つけた朔夜。
そしてその先から、一護の声が届きます。
それでは、第79話「再会」です。
「井上――!」
白い廊下の向こうから響いた声に、井上の足が止まった。
聞き間違えるはずがない。
何度も会いたいと思い、それでも自分からは助けを求められなかった相手の声だった。
「……黒崎くん」
左側の通路から、一護が飛び出してくる。
そのすぐ後ろには、必死に走るネルの姿もあった。
一護は朔夜にもドンドチャッカにも目を向けず、真っ先に井上を見つけた。
走っていた足が止まる。
「井上……」
井上も動けなかった。
会いたかった。
顔を見た瞬間、安心すると思っていた。
けれど実際に一護が目の前へ現れると、最初に込み上げてきたのは安堵ではなかった。
申し訳なさだった。
自分のせいでここまで来させてしまった。
また戦わせてしまった。
また傷つけてしまうかもしれない。
それなのに、会えて嬉しいと思っている自分もいる。
その二つの感情が胸の中でぶつかり、何を言えばいいのか分からなくなった。
「黒崎……くん」
一護がゆっくり近づく。
「怪我は?」
井上は目を瞬かせた。
怒られると思っていた。
何で勝手にいなくなったのかと聞かれると思っていた。
でも一護が最初に確かめたのは、そんなことではなかった。
「……ないよ」
「本当か?」
「うん」
一護は井上の姿を一度確かめ、大きく息を吐いた。
「……よかった」
その一言で、井上の胸に張っていたものが崩れた。
涙が溢れる。
「ごめんね」
一護の眉が寄った。
「何で謝るんだよ」
「だって……」
井上は両手を胸元で握る。
「私が勝手にいなくなったから。私がここに来れば、みんなは戦わなくて済むって言われて……私一人なら、それでいいって思って……」
言葉にするほど、あの十二時間が戻ってくる。
電話を手に取ったこと。
誰かに助けてほしいと思ったこと。
それでも、声を掛けた相手が傷つくかもしれないと思って諦めたこと。
「黒崎くんも、茶渡くんも、石田くんも、朔夜さんも……みんな傷つかなくて済むと思ったの」
「井上」
「でも本当は怖かった」
声が震えた。
「ずっと帰りたかったし、みんなに会いたかった。でも助けてって言ったら、そのせいで誰かが傷つくかもしれないって思ったら……言えなかった」
井上は顔を伏せる。
「それなのに、結局みんなここまで来ちゃって……」
一護はしばらく黙っていた。
その沈黙が怖くなり、井上はさらに言葉を続けようとする。
「だから――」
「違ぇよ」
井上が顔を上げた。
一護はまっすぐこちらを見ている。
「俺たちは、お前に呼ばれて来たんじゃねぇ」
「……え?」
「井上が消えたから探した。ここにいるって分かったから来た。それだけだ」
一護の言葉に迷いはない。
「俺が来るって決めた。茶渡も石田も、朔夜もそうだろ」
少し離れた場所にいた朔夜が頷く。
井上はそれを見て、また胸が苦しくなる。
今まで自分は、みんなの行動まで自分の責任だと思っていた。
自分のために動けば、その人が傷つくのも自分のせいだと。
でも、それでは相手が自分で決めたことまで、自分が勝手に背負ってしまうことになる。
「……私、助けてほしいって思ってもよかったのかな」
一護の表情が少し変わる。
「当たり前だろ」
「でも――」
「怖かったなら、怖いって言えばいい」
井上の目からまた涙が落ちた。
「そんな簡単に言えないよ……」
「分かってる」
一護はすぐに返した。
井上が驚いて見る。
「簡単じゃねぇから、次からは一人で決めんなって言ってんだ」
「……」
「俺ら仲間だろ」
井上は唇を噛んだ。
嬉しかった。
でも、それをそのまま受け取るのも怖い。
また頼ってしまったら。
また誰かを巻き込んだら。
その迷いがまだ完全に消えたわけではない。
それでも今度は、気持ちを押し込めなかった。
「……帰りたい」
小さな声だった。
一護は聞き逃さない。
「帰ろう」
「みんなと一緒に?」
「ああ」
井上は何度か瞬きをして、ようやく小さく笑った。
「うん」
その横からネルが顔を出す。
「イツゴのヤツ、結構いいこと言うっすね」
「何で上からなんだよ!」
「ネルは感心してるのら!」
「そういう問題じゃねぇ!」
一護の声が響き、井上が涙を拭いながら笑う。
その笑顔を見て、朔夜も少しだけ表情を緩めた。
ようやく井上が、自分の意思で帰ると言えた。
それなら、ここから先に必要なのは一つだ。
本当に連れて帰ること。
朔夜は周囲へ意識を戻した。
その直後。
廊下の空気が静かに変わった。
一護も気づく。
ネルが振り返り、ドンドチャッカの表情から血の気が引く。
「……来たでヤンス」
強い霊圧が近づいている。
急激に膨らんだわけではない。
それでも、存在を感じた瞬間に他の気配が薄くなる。
朔夜には誰なのか分かっていた。
「ウルキオラ」
一護の顔が険しくなる。
井上の身体も僅かに強張った。
その変化を、朔夜は横目で見る。
さっきまで少し和らいでいた表情が、また固くなっている。
一護もそれに気づいたらしい。
「井上」
「……うん」
「俺の後ろにいろ」
その言葉に、井上は一瞬だけ迷った。
守られる。
そのこと自体が、少し前まで怖かった。
自分のせいでまた誰かが傷つくように思えたから。
それでも今度は、素直に頷いた。
「分かった」
白い廊下の先から、ウルキオラが姿を現す。
息一つ乱れていない。
瓦礫を越え、朔夜を追ってきたはずなのに、その表情には疲労も苛立ちもなかった。
ウルキオラは一護を見る。
次に井上。
そして最後に朔夜へ視線を向けた。
「合流したか」
朔夜は御厨子へ手を掛ける。
「ちょうどね」
一護が一歩前へ出た。
「てめぇが井上をここに連れてきたのか」
ウルキオラは否定しない。
「女は自ら来た」
一護の眉間に皺が寄る。
だが、その言葉へ反応したのは井上だった。
「違う」
ウルキオラの視線が向く。
井上の声は震えていた。
それでも、目を逸らさない。
「私、自分でここにいたくて来たんじゃない」
朔夜が僅かに目を見開く。
一護も振り返る。
井上は自分の腕を抱くようにしながら続けた。
「みんなが傷つくって言われて……だから、行くしかないって思ったの」
ウルキオラの表情は変わらない。
「選択したことに変わりはない」
「違うよ」
今度は先ほどより少し強かった。
「今なら……違うって分かる」
井上は一護と朔夜を見る。
「帰りたい」
ウルキオラは数秒、井上を見つめた。
「そうか」
それだけ言うと、視線を朔夜へ戻した。
「なら、なおさら通す理由はない」
空気が一段重くなる。
朔夜は御厨子を抜いた。
一護も斬月へ手を掛ける。
だが朔夜が腕を伸ばして止めた。
「一護」
「何だよ」
「井上連れて先に行って」
一護が振り返る。
「お前一人でやる気か?」
「全部一人でやる気はないよ」
朔夜はウルキオラから目を離さない。
「俺がウルキオラを止める。その間に一護が井上を連れて、石田と茶渡を探す。標識も辿る」
「……」
「今ここで二人とも残ったら、井上を見つけた意味がないでしょ」
一護はすぐには答えなかった。
ウルキオラと朔夜。
二人を見比べる。
井上も不安そうに朔夜を見ていた。
「朔夜さん……」
「大丈夫」
「でも」
朔夜は一度だけ振り返る。
「井上」
「……はい」
「さっき、一人で全部背負わなくていいって言ったよね」
井上が頷く。
「俺も同じ」
少し笑う。
「一護に井上を任せる。俺はこっちをやる。それでいい」
井上は何かを言いかけて止まった。
また、誰かを残して自分だけ逃げる。
そう考えると怖い。
でも。
今度は、ただ任せきりにはしなかった。
「……お願いしてもいいですか?」
朔夜が少し目を見開く。
井上はまっすぐ見る。
「無事に戻ってきてください」
朔夜の表情が柔らかくなる。
「うん」
迷いなく答える。
「約束する」
一護も短く息を吐いた。
「絶対追いつけよ」
「そっちこそ迷子にならないでね」
「ならねぇよ!」
「石田いないと怪しいけど」
「うるせぇ!」
いつものやり取り。
それだけで、井上の肩から少し力が抜けた。
一護が井上へ向き直る。
「行くぞ」
「うん」
ネルとドンドチャッカも続く。
四人が動き出した瞬間、ウルキオラが一歩踏み込んだ。
その足元へ、見えない斬撃が走る。
「解」
白い床が深く切れた。
ウルキオラが足を止める。
朔夜はすでにその前へ立っている。
「ここから先は行かせない」
一護たちの足音が遠ざかる。
ウルキオラは追うのをやめ、朔夜を見る。
「お前一人で俺を止めるつもりか」
「止める」
「先ほどまで逃げていた男の言葉とは思えんな」
「さっきは井上の場所が分からなかった」
朔夜は御厨子を構える。
「今は違う」
ウルキオラも斬魄刀へ手を掛けた。
静寂。
すぐには動かない。
朔夜は周囲の床、壁、天井へ意識を広げる。
始解した御厨子なら、複数の位置を同時に斬れる。
遠距離と地形制御は解。
直接触れた時には捌。
役割は明確だ。
問題は、ウルキオラがそれを分かった上でどう動くか。
「……来ないの?」
朔夜が言う。
「お前から来い」
「意外と慎重なんだね」
「無駄に動く必要がないだけだ」
「それはそうか」
会話が途切れる。
次の瞬間。
二人が同時に動いた。
刀が一度だけぶつかる。
すぐに離れる。
ウルキオラが響転で右へ回る。
朔夜は追わず、移動先へ解を置いた。
床が切れる。
ウルキオラが軌道を変える。
今度は壁。
さらに天井。
離れた場所を切りながら、行ける位置を少しずつ狭める。
「俺自身を狙わないのか」
「解は遠くを斬れる」
朔夜はウルキオラを見る。
「なら、君が動く場所を斬った方が使いやすい時もある」
ウルキオラが正面から踏み込む。
速い。
朔夜は御厨子で刀を受けた。
接触。
捌を使える。
しかし使わない。
ウルキオラの目が僅かに動く。
「使わないのか」
「毎回使ったら読まれるでしょ」
刀を受け流し、朔夜は距離を取る。
代わりに解。
ウルキオラの背後へ斬撃が走り、退路を削る。
再び接近。
一撃。
二撃目はかわす。
三撃目。
今度は御厨子がウルキオラの刀へ触れた瞬間、朔夜の目が細くなった。
「捌」
接触した刀の硬さと霊圧へ合わせ、斬撃が食い込む。
ウルキオラが即座に刀を引いたため、切断までは届かない。
「使いどころを選ぶか」
「そういうこと」
返した直後、ウルキオラの拳が朔夜の腹へ入った。
「っ!」
身体が後方へ飛ぶ。
壁へ叩きつけられる前に足をつき、衝撃を逃す。
朔夜は口元の血を拭う。
ウルキオラは追わない。
互いに数秒、動かなかった。
速い攻防の後に静けさが戻る。
朔夜は呼吸を整えながら考える。
速さでは向こうが上。
硬皮も厚い。
捌なら斬れるが、簡単に接触させてもらえる相手ではない。
それでも。
十分だ。
一護たちが離れる時間を稼げている。
「その程度で俺を止めるつもりか」
「今のところ止まってるでしょ?」
「強がりだな」
「半分くらい」
朔夜が笑う。
ウルキオラの左手が上がった。
人差し指の先へ薄緑色の光が集まり始める。
朔夜の笑みが消えた。
「……それは嫌だな」
薄緑色の虚閃。
今度は井上を狙っていない。
真正面から朔夜を狙っている。
「その方が楽だけどね」
「何?」
虚閃が放たれる。
朔夜は正面から受けなかった。
「解」
床。
壁。
天井。
射線上にある構造を順番に切断する。
落下した石材へ薄緑の閃光がぶつかり、次々と吹き飛ばしていく。
視界が白い煙に包まれる。
朔夜はそこへ自ら入った。
ウルキオラの横へ回る。
御厨子が振られる。
刀で受けられる。
接触。
今度は迷わない。
「捌」
斬撃がウルキオラの刀から手元へ届く。
指先に細い傷が入り、血が流れた。
ウルキオラが初めて僅かに目を見開いた。
朔夜はすぐ離れる。
「やっと驚いた?」
「いや」
ウルキオラは流れる血を見る。
「確認しただけだ」
「何を?」
「お前が、報告より厄介になっていることを」
朔夜が少し笑った。
「それなら褒め言葉として受け取っとく」
だが次の瞬間。
ウルキオラの霊圧が静かに高まり始めた。
朔夜の表情が変わる。
さっきまでとは違う。
感情的に膨らんだわけではない。
無駄を削るように、必要な分だけ圧が増していく。
「確認は終わった」
ウルキオラが刀を構える。
朔夜も御厨子を握り直した。
胸の奥が、僅かに熱くなる。
強い。
もっとやれる。
もっと斬れる。
昔の自分なら、その感覚へ迷わず身を任せていただろう。
口元が僅かに上がりかける。
その時。
――無事に戻ってきてください。
井上の声を思い出した。
笑みが止まる。
朔夜は静かに息を吐いた。
「……そうだった」
「何がだ」
「約束したばっかりだった」
御厨子を構え直す。
「帰らないと」
今度の目に、戦いを愉しむ危うさはない。
ただ、目の前の敵を止める意志だけが残る。
ウルキオラが踏み込む。
朔夜も前へ出た。
一護たちの足音はもう聞こえない。
役目は果たしつつある。
だからここからは。
朔夜自身も無事に帰るための戦いだった。
一護と井上が、ついに再会しました。
井上も自分の意思で「帰りたい」と言い、一護たちは先へ。
朔夜はその退路を守るため、ウルキオラを引き受けます。
次回――
第80話「帰るための戦い」