井上たちを先へ行かせ、ウルキオラの前に残った朔夜。
今度の目的は勝つことではありません。
自分も無事に帰ることです。
それでは、第80話「帰るための戦い」です。
ウルキオラが踏み込んだ。
先ほどまでとは違う。
朔夜がそう判断した時には、すでに目の前まで距離を詰められていた。
御厨子を上げる。
刃と刃がぶつかり、甲高い音が白い廊下へ響いた。
「っ……!」
重い。
だが、受け止め続ける必要はない。
朔夜は刀身を滑らせて軌道を外し、そのまま身体を横へ逃がす。
追ってくる二撃目。
かわす。
三撃目。
今度は受ける。
そして接触した瞬間――使わない。
「捌を使わないか」
ウルキオラが言う。
「それ待ってた?」
「確認しただけだ」
「じゃあ、外れ」
朔夜は刀を弾いて距離を取り、すぐに解を放った。
見えない斬撃がウルキオラの後方へ届き、床が斜めに切れる。
さらに右の壁。
天井。
ウルキオラ本人ではなく、移動先だけを削っていく。
それでもウルキオラは止まらなかった。
響転。
姿が消える。
朔夜は振り返る。
遅い。
脇腹へ強烈な蹴りが入った。
「ぐっ……!」
身体が宙へ浮く。
壁へ叩きつけられる前に解を放ち、背後の壁を浅く切る。
崩れた石材へ足を掛け、衝撃を逃しながら着地した。
息を整える暇はない。
ウルキオラはもう来ている。
「速いなぁ、本当に」
「口を動かす余裕はあるようだな」
「黙ってる方が緊張するんだよ」
「また嘘か」
「覚えてるじゃん」
軽く返しながら、朔夜は御厨子を振るった。
受けられる。
一撃。
すぐ離れる。
今度は解。
ウルキオラの左側。
続けて右。
さらに背後。
逃げ道を少しずつ削る。
ただし、全てを塞ぐわけではない。
一つだけ残す。
ウルキオラはそこへ動いた。
朔夜も同時に踏み込む。
「そこ」
御厨子と斬魄刀が触れた。
今度は使う。
「捌」
接触した刀の強度と霊圧を捉え、斬撃が食い込む。
刀身に深い傷が走った。
だが、その直後。
ウルキオラは刀を引くのではなく、逆に前へ出た。
「――!」
朔夜の間合いへ入り込む。
肘が胸へ入った。
鈍い衝撃。
息が詰まる。
さらに刀の柄が頬を打つ。
朔夜の身体が床を滑った。
口の中に血の味が広がる。
「……なるほど」
起き上がりながら、朔夜は笑わなかった。
一度見せた。
だから次は、捌を使う瞬間そのものを狙われた。
ウルキオラは朔夜を見下ろす。
「お前だけが相手を見ていると思うな」
「思ってないよ」
朔夜は立ち上がる。
「だから面倒なんだ」
御厨子を下げる。
構えを崩したように見える姿勢。
ウルキオラが一歩進む。
朔夜は動かない。
二歩目。
まだ動かない。
三歩目。
その瞬間、ウルキオラの足元へ解が走った。
床が割れる。
同時に右の壁。
左の天井。
さらに背後。
朔夜の身体は動いていない。
それでも斬撃だけが、複数方向から届く。
ウルキオラが響転で抜ける。
しかし移動先にも解。
白い装束の肩が裂けた。
薄く血が滲む。
「身体の動きだけを見ても意味ないよ」
朔夜は静かに言う。
御厨子との対話を経て身につけた、身体の動きに斬撃の向きを縛られない使い方。
腕を動かした方向と、斬撃の飛ぶ方向は一致しない。
そもそも。
動かなくても解は届く。
新しい技ではない。
元々できていたことを、無意識に狭めていただけだ。
「報告と違うな」
ウルキオラが言う。
「そう?」
「空座町では、身体の動きと斬撃を結びつけようとしていた」
朔夜の目が僅かに細くなる。
やはり、イグナシオの情報は共有されている。
「それ、途中だったからね」
「今は完成したと?」
「完成って言い方、あんまり好きじゃないな」
「何故だ」
「完成したと思ったら、また固くなりそうだから」
ウルキオラは何も返さない。
その沈黙の中で、朔夜は僅かに呼吸を整えた。
脇腹が痛む。
胸も重い。
肩の傷も開いている。
戦えている。
だが、余裕はない。
ウルキオラもまだ底を見せていない。
それが一番厄介だった。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「君、俺を倒すように言われてる?」
「必要なら」
「必要じゃなかったら?」
「観察する」
「最悪だなぁ」
「何がだ」
「戦いながら採点されてる気分になる」
初めて、ウルキオラの眉が僅かに動いた。
「貴様はよく喋る」
「昔から」
朔夜はそこで少しだけ息を吐く。
「でも、おかげで分かった」
「何をだ」
「君、まだ俺を殺しに来てない」
ウルキオラの目が細くなる。
朔夜は続けた。
「本気で殺すなら、もっと最初からやってる。今はまだ、俺がどう変わったか見てる」
否定はない。
「藍染に言われた?」
「答える必要はない」
「やっぱり」
朔夜は御厨子を握り直した。
「なら、そろそろ観察されるのも飽きた」
空気が変わる。
ウルキオラが左手を上げた。
人差し指の先へ、薄緑色の光が集まる。
今度は小さくない。
周囲の霊子が引かれるように収束していく。
朔夜は正面から見据えた。
「さっきより大きいね」
「防げるか試してみろ」
薄緑色の虚閃が放たれた。
廊下を丸ごと呑み込むほどの閃光。
朔夜はすぐに解を放つ。
壁。
天井。
床。
複数の位置へ。
巨大な石材が射線へ落ちる。
一枚目が消し飛ぶ。
二枚目も砕ける。
三枚目。
それでも止まらない。
「……強いな」
朔夜は横へ跳んだ。
薄緑の閃光が脇を抜け、背後の壁を大きく穿つ。
爆風が身体を持っていく。
朔夜は床へ御厨子を突き立て、どうにか踏み止まった。
耳が鳴る。
視界も僅かに揺れる。
その中で。
ウルキオラの霊圧が消えた。
「――後ろ!」
振り向く。
間に合わない。
刀が肩口から胸へ走った。
血が散る。
朔夜は反射的に後ろへ跳んだ。
傷は浅くない。
膝が一瞬落ちる。
ウルキオラは追撃せず、その場から朔夜を見る。
「終わりか」
「……まだ」
朔夜は胸元を押さえた。
血が指の間から滲む。
痛い。
呼吸をすると傷が引きつる。
それでも立つ。
遠くへ行った一護たちの霊圧を探る。
まだ離れていく。
十分に距離は稼いだ。
なら、ここから逃げても役目は果たせる。
それなのに。
目の前の相手を見た瞬間。
胸の奥で、別の感覚が動いた。
――もう少しやれる。
――こいつなら、もっと斬っても壊れない。
朔夜の口元が、僅かに上がる。
ウルキオラがそれを見た。
「何がおかしい」
朔夜は答えなかった。
御厨子を握る指に力が入る。
痛みよりも、妙な高揚が勝ち始めている。
ウルキオラが強い。
こちらの斬撃を読み、捌を警戒し、解の使い方まで修正してくる。
だから。
壊してみたくなる。
どこまで斬れば、この無表情が崩れるのか。
どこまで追い詰めれば、こちらを見る目が変わるのか。
昔の自分なら。
迷わなかった。
『愉しそうだな』
頭の奥で御厨子の声が響く。
朔夜は小さく笑った。
「うるさいな」
「何?」
「こっちの話」
御厨子がさらに笑う。
『何故止める』
「……止めるって決めたから」
『誰が本性まで捨てろと言った』
朔夜の目が僅かに揺れる。
『斬りたいのだろう』
「そうだね」
認める。
そこはもう否定しない。
ウルキオラを斬ってみたい。
もっと戦いたい。
怖がらせたいとまでは言わない。
それでも。
相手がこちらを理解したつもりでいるなら、その認識を全部壊してやりたい。
確かに、そう思っている。
「でも」
朔夜は御厨子を構え直した。
「今やることじゃない」
ウルキオラを見る。
口元の笑みは消えていた。
「帰るって約束したからね」
「約束」
ウルキオラが繰り返す。
「そんなものが、お前の戦い方を縛るのか」
「逆だよ」
朔夜はゆっくり息を吐いた。
「選ぶ理由になる」
次の瞬間、解が走った。
一つではない。
右の壁。
左の床。
天井。
ウルキオラの背後。
さらにその奥。
複数の斬撃が一斉に走る。
だが今までと違う。
狙いは、ウルキオラの動きを封じることではなかった。
廊下そのものを分断する。
支柱が切れる。
天井が傾く。
壁が沈む。
前後の通路が大きく崩れ始めた。
ウルキオラが朔夜を見る。
「逃げるつもりか」
「うん」
「今さらか」
「今だからだよ」
朔夜は一歩下がる。
「一護たちも十分離れた。俺も帰らないと」
ウルキオラが響転で間合いを詰める。
それを読んでいた。
朔夜も前へ出る。
一瞬だけ、正面からぶつかる。
刀と刀。
接触。
ウルキオラの目が捌を警戒する。
だから使わない。
朔夜は空いた左手で、ウルキオラの胸へ触れた。
「――こっち」
ウルキオラの表情が初めて明確に変わる。
触れた。
なら来る。
そう判断した瞬間。
何も起こらない。
捌ではない。
ただの誘導。
その一瞬だけで十分だった。
朔夜は身体を沈め、脇を抜ける。
そして背後へ。
「解」
離れた天井の支えが切れた。
巨大な瓦礫が落下し、二人の間を分断する。
ウルキオラが斬り払う。
だが、その奥でも次の壁が崩れる。
さらにその先。
時間差。
朔夜はすでに走っている。
「待て」
背後から声が届く。
「待たないよ」
「逃げ切れると思うか」
「思ってない」
朔夜は振り返らない。
「でも追わせることはできる」
その言葉通り。
ウルキオラの霊圧が後ろから迫る。
速い。
それでも。
さっきまでと違い、朔夜の目的は明確だった。
戦う必要はない。
倒す必要もない。
帰る。
一護たちへ追いつく。
そのためだけに御厨子を使う。
前方に分岐。
朔夜は一瞬だけ足を止める。
右。
左。
遠くに残した霊子標識の反応。
そして一護たちの霊圧。
「左」
迷わず進む。
直後。
背後の壁が爆発した。
薄緑色の光が一瞬だけ廊下を染める。
ウルキオラが追いついてくる。
朔夜は走りながら笑った。
今度の笑みは、戦いを愉しむものではなかった。
「しつこいなぁ」
それでも足は止めない。
帰ると決めた。
なら。
最後まで帰るために戦う。
ウルキオラとの戦いは、さらに激しくなりました。
朔夜は危険な本性を否定せず認めながらも、その衝動より「帰る」という選択を優先します。
次回――
第81話「追跡」