その先では、すでに激しい戦いが始まっていました。
石田の霊圧が近づくにつれ、朔夜の胸にあった嫌な予感は確信へ変わっていった。
ただ戦っているだけではない。霊圧の上下が激しく、その合間には破面と思われる強い気配が何度も重なっている。ペッシェの霊圧も近くにあるものの、戦力として頼れる状態かどうかは考えるまでもなかった。
「石田……無事でいてよ」
肩と胸の傷が走るたびに痛んだが、速度は落とさない。
背後にはまだウルキオラがいる。
先ほどより少し距離は開いているものの、振り切れたわけではない。むしろ、こちらがどこへ向かうのかを見極めるように追ってきているのが不気味だった。
角を二つ曲がったところで、爆発音が響いた。
直後、正面の壁を何かが突き破り、白い破片と共に人影が転がり込んでくる。
朔夜は反射的に足を止めた。
「石田!」
床へ片膝をついた石田雨竜が、荒い呼吸を整えながら顔を上げる。衣服にはいくつもの裂け目が入り、頬にも傷があったが、眼鏡の奥の視線はまだ鋭かった。
「……御門さん?」
「大丈夫?」
「そう見えますか?」
「見えないから聞いたんだけど」
石田は立ち上がりながら弓を構え直した。
「なら、質問する必要はありません」
普段と変わらない言い方に、朔夜は少しだけ安心する。
その奥から、女性の笑い声が響いた。
「まだ仲間がいたの?」
瓦礫の向こうから、一人の破面がゆっくりと姿を現す。
細身の身体に白い装束、鋭い目元。こちらへ向ける笑みには余裕があり、石田を追い込んでいることを隠そうともしていない。
「随分としぶとい滅却師だと思ってたけど、今度は死神まで増えるなんてね」
石田が小さく舌打ちする。
「チルッチ・サンダーウィッチ。僕が相手をしていた破面です」
「説明ありがとう」
「御門さん」
「何?」
「余計なことはしないでください」
朔夜は思わず石田を見る。
「その傷で?」
「その傷はあなたも同じでしょう」
返されて、言葉に詰まった。
確かに胸元にはウルキオラにつけられた傷が残っているし、肩からもまだ血が滲んでいる。
「……それ言われると弱いな」
チルッチが不機嫌そうに眉を寄せた。
「人の前で随分楽しそうに話すじゃない」
次の瞬間、その姿が消えた。
朔夜が反応するより早く石田が弓を引き、霊子の矢を放つ。
チルッチは身体を捻ってかわし、そのまま石田へ接近した。
朔夜は御厨子へ手を掛ける。
助けるべきだ。
そう判断した。
石田は明らかに傷を負っている。相手はまだ余力を残しているように見え、このまま任せれば押し切られる可能性が高い。
「解」
見えない斬撃がチルッチの進路へ走った。
床が切れ、踏み込みが崩れる。
その隙に石田が横へ逃れる。
だが――。
「何をしてるんですか!」
助けたはずの石田が、珍しく声を荒らげた。
朔夜が目を瞬く。
「え?」
「そこへ誘導していたんです!」
その言葉と同時に、チルッチの足元で霊子の光が弾けた。
先ほど石田が撃った矢。
外したのではない。
床や壁へ突き刺した複数の矢が、チルッチの動きを限定するように配置されていた。
朔夜が解で床を切ったことで、そのうち一つの角度がずれている。
「……あ」
石田が額を押さえる。
「あなた、僕が何も考えずに吹き飛ばされてきたと思ったんですか?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでも失礼です!」
ペッシェの声が少し離れた場所から飛んできた。
「わたくしもそう思ってたっす!」
「君は黙ってろ!」
石田の怒鳴り声が響き、朔夜は思わず苦笑した。
読み違えた。
霊圧の乱れと負傷だけを見て、石田が追い詰められていると決めつけた。
実際には、押されながらも反撃の形を作っていた。
「ごめん」
「謝るくらいなら、次はよく見てください」
「分かった」
朔夜は素直に一歩下がった。
だが、その瞬間にチルッチが笑う。
「仲間割れしてる暇あるの?」
周囲の霊圧が大きく膨らんだ。
羽根を思わせる形状が広がり、その身体を包んでいた霊圧の質まで変わっていく。
石田の顔から苛立ちが消えた。
「来ます」
朔夜もすぐに意識を切り替える。
チルッチが放った無数の刃が、広い範囲へ飛び散った。
石田は矢で迎撃するが、全てを落としきれない。
数本がペッシェへ向かう。
「ひぃぃっ! わたくし狙われてるっす!」
今度は迷わなかった。
朔夜は石田の戦いには手を出さず、ペッシェへ向かった刃だけを解で切り落とす。
空中で複数の刃が二つに割れ、床へ落ちた。
「ありがとうっす、サクヤ殿!」
「そっちは自分でも避けてね」
「無茶言わないでほしいっす!」
石田はその会話を聞きながらも、チルッチから目を離していない。
朔夜もようやく理解した。
今ここで自分がやるべきなのは、石田の代わりに敵を倒すことではない。
だからといって、何もせず眺めることでもない。
石田が作っている流れを壊さず、それ以外の危険だけを取り除く。
その方が、二人で戦う意味がある。
「石田」
「何です?」
「次、どこ空ければいい?」
一瞬だけ、石田が朔夜を見る。
それから口元を僅かに上げた。
「ようやく話が通じましたね」
「さっきは本当にごめんって」
「右側をお願いします。ただし床は切らないでください」
「了解」
チルッチが再び動く。
右へ回り込もうとした瞬間、朔夜はそのさらに右側へ解を走らせた。
壁だけが斜めに切れ、進路が狭まる。
左へ逃げれば、そこには石田がいる。
霊子の矢が放たれた。
チルッチは身体を捻り、ぎりぎりでかわす。
しかし、その先にもすでに矢が置かれている。
「なっ――」
爆発。
大きな衝撃が広がり、チルッチの身体が吹き飛ぶ。
石田はすぐに次の矢を番えた。
呼吸は荒い。
それでも目には迷いがなかった。
朔夜はその横顔を見て、先ほど自分が勝手に抱いた焦りを少し恥ずかしく思った。
石田は守られるだけの仲間ではない。
一護も、茶渡もそうだ。
自分が全員を守らなければならないと考えること自体が、相手の力を見ていないのかもしれない。
「まだだ!」
煙の中からチルッチが飛び出す。
石田へ一直線。
朔夜は動かなかった。
今度は見ている。
石田の左足。
弓の角度。
視線。
逃げるつもりではない。
迎え撃つつもりだ。
チルッチが間合いへ入った瞬間、石田が身体を沈める。
至近距離。
霊子の矢が放たれた。
チルッチは反射的に横へ避ける。
その先へ、朔夜が解を置いた。
斬撃は身体を狙わず、逃げ道の壁だけを切る。
壁の一部が崩れ、チルッチの進路が塞がった。
「石田!」
「分かっています!」
石田の矢が直撃した。
轟音。
今度こそチルッチの身体が床へ叩きつけられる。
石田は追撃しようとして、一瞬だけ膝を揺らした。
朔夜が手を伸ばしかける。
だが、途中で止めた。
石田は自分で踏みとどまった。
「大丈夫?」
「……今度は聞くだけですか」
「勝手に助けると怒られるから」
「学習が早くて助かります」
そう返した石田の口元には、ほんの僅かに笑みがあった。
その時。
朔夜の表情が変わる。
後方。
静かなのに、嫌でも分かる霊圧が近づいている。
ウルキオラ。
石田も遅れて気づき、眉を寄せた。
「……あれは?」
「追ってきた」
「簡単に言わないでください」
「俺も好きで連れてきたわけじゃないよ」
「結果的には連れてきてます」
「それは本当にごめん」
ペッシェが青ざめる。
「ちょっと待ってほしいっす! 今いる相手だけでも十分大変なのに、さらに怖いのが増えるんすか!?」
その言葉を聞きながら、朔夜は傷ついた石田を見る。
ここでウルキオラまで加われば、状況は一気に崩れる。
だが石田を抱えて逃げるのも違う。
「石田」
「何です?」
「こっちは任せてもいい?」
先ほどとは逆だった。
石田は一瞬だけ目を見開き、すぐにチルッチへ視線を戻す。
「当然です」
迷いのない返事。
朔夜は小さく笑った。
「じゃあ、俺は後ろやる」
「無茶はしないでください」
「それ、一護にも言われた」
「なら二人分聞いてください」
「努力する」
朔夜は踵を返した。
その先。
白い通路の奥から、ウルキオラがゆっくりと姿を現す。
石田が背後で弓を構える音が聞こえた。
朔夜は振り返らない。
さっきまでなら、石田が本当に大丈夫か確かめたくなったかもしれない。
だが今は違った。
信じて任せる。
その代わり、自分も自分の役目を果たす。
ウルキオラが足を止めた。
「今度は滅却師か」
「仲間多いんだよ、俺」
「その度に守るのか」
朔夜は御厨子を構える。
「違うよ」
背後では、再び石田とチルッチの戦闘音が響き始めている。
それを聞きながら、朔夜は静かに答えた。
「任せられるところは任せる」
ウルキオラの目が僅かに細くなる。
「だから俺は、君をここで止める」
一護には井上を。
石田には自分の戦いを。
自分は、自分にしかできない役目を。
ようやく少しずつ、その違いが分かってきた気がした。
ウルキオラが斬魄刀へ手を掛ける。
朔夜も御厨子を握り直す。
その背後では、石田の放った霊子の矢が白い空間を貫いた。
二つの戦いが、同じ場所で同時に動き始める。
今度の朔夜は、誰かの戦いを奪うつもりはなかった。
それでも。
誰かのために戦うことを、やめるつもりもなかった
石田の戦いへ駆けつけた朔夜は、焦りから一度その狙いを崩してしまいます。
それでも互いの役割を理解し、石田には目の前の敵を、朔夜は追ってきたウルキオラを引き受けることに。
次回――
第84話「二つの戦い」