朔夜は追ってきたウルキオラを引き受けます。
二つの戦いが、同じ場所で動き始めました。
ウルキオラが斬魄刀へ手を掛けたのと、背後で石田の霊子の矢が放たれたのはほぼ同時だった。
朔夜は振り返らない。
耳に届く爆発音から、石田とチルッチの戦いが再び始まったことは分かる。それでも確認しようとする意識を押し留め、目の前のウルキオラだけを見た。
先ほど自分で決めたばかりだ。
石田には石田の戦いを任せる。
そう決めておきながら、危なくなるたびに割って入るのなら、結局は何も変わっていない。
「見なくていいのか」
ウルキオラが問う。
「何が?」
「後ろの滅却師だ。先ほどまで随分気にしていた」
図星だった。
朔夜は苦笑しながら御厨子を構える。
「気にはなるよ」
背後で再び激しい衝撃が響いた。反射的に視線を向けそうになったが、今度は堪える。
「でも、任せるって決めたから」
「理解できんな」
「俺も最近やっと分かってきたところ」
ウルキオラの姿が消えた。
来る。
そう思った瞬間には、刃が目前まで迫っていた。
朔夜は御厨子で受け流しながら身体を横へ逃がしたものの、傷の蓄積で踏み込みが僅かに遅れる。返す刀が肩口を掠め、すでに開いていた傷から再び血が滲んだ。
痛みに眉を寄せる間もなく、ウルキオラはさらに距離を詰めてくる。
正面から打ち合えば分が悪い。
朔夜は後退しながら解を放ち、ウルキオラの背後にある壁を斜めに切った。崩れた石材が進路へ落ちるが、ウルキオラは速度を落とすことなく脇を抜ける。
なら、次は床。
足元へ浅い切断を入れ、踏み込みの位置を僅かにずらす。
それだけで十分だった。
刃が頬のすぐ横を通過する。
「相変わらず、俺そのものを斬るより周囲を使うんだね」
「お前は俺を倒すために戦っているわけではないからな」
「分かってるじゃん」
「だが、それがお前の弱点でもある」
ウルキオラが一歩深く踏み込む。
朔夜は御厨子で刃を受けた。
接触。
ここなら捌を使える。
そう考えた瞬間、ウルキオラが自ら刀を引いた。
予想より早い。
捌を警戒している。
朔夜がそれを追おうとした隙へ、今度は膝が腹部へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
身体が後ろへ浮き、白い床を滑る。
傷んだ胸へ痛みが広がり、呼吸が一瞬詰まった。
ウルキオラは追撃せず、立ち上がる朔夜を静かに見ていた。
「接触すれば捌。距離があれば解。能力の性質自体は単純だ」
朔夜は腹を押さえながら立ち上がる。
「まあね」
「なら、接触させなければいい」
「そう簡単に言うなぁ」
冗談めかして返したが、状況は笑えない。
ウルキオラはすでに御厨子の使い分けを理解し始めている。
遠くを切る解には移動で対応し、近距離では捌を警戒して接触時間を最小限にする。単純だから弱いのではない。単純な構造だからこそ、相手も対策を立てやすい。
なら、使い方を変えるしかない。
背後で大きな音が響いた。
今度はペッシェの悲鳴まで聞こえる。
「石田ぁぁぁ! そっちは危ないっすぅぅぅ!」
朔夜の目が僅かに動いた。
行くべきか。
一瞬だけ迷う。
その瞬間を、ウルキオラは見逃さなかった。
頬へ拳が入る。
視界が揺れ、身体が横へ飛ばされた。
「……っ!」
壁へ肩からぶつかり、朔夜は呻いた。
「また余所を見たな」
「ほんと、それ何回言わせるんだろうね」
口の端の血を拭いながら立ち上がる。
だが今回は、痛みより自分自身への苛立ちの方が強かった。
任せると決めた。
それでも、音がすれば気になる。
危険だと思えば助けたくなる。
頭では分かっていても、身体に染みついたものは簡単には変わらない。
その時、背後から石田の声が飛んできた。
「御門さん!」
朔夜が思わず振り返る。
石田はチルッチの攻撃を避けながら、こちらを睨んでいた。
「こっちは見なくて結構です!」
「でも――」
「あなたの相手をしてください! そっちがこっちへ来る方が迷惑です!」
「……それもそうか」
確かに、ウルキオラまで石田の戦場へ入れば、状況は悪化する。
朔夜は小さく笑った。
「分かった。任せる」
「最初からそうしてください!」
石田が矢を放つ。
チルッチが羽根を広げ、正面からそれを弾いた。
今度こそ朔夜は振り返らなかった。
「悪いね、待たせて」
「戦闘中に会話をする余裕があるとはな」
「余裕じゃなくて、確認」
御厨子を握り直す。
「これで、君だけ見てればいい」
ウルキオラの左手が上がった。
指先へ薄緑色の光が集まり始める。
朔夜もすぐに構える。
「それ、何回見ても嫌だな」
薄緑色の虚閃が放たれた。
一直線に迫る閃光を、今度は壁で受けようとはしなかった。
朔夜は解で足元の床を斜めに切り、そのまま崩れた段差へ身体を滑らせる。頭上を虚閃が通過し、背後の壁を貫いた爆風が髪と衣服を激しく揺らした。
熱が背中を焼く。
だが止まらない。
床を蹴り、爆煙の中へ飛び込む。
ウルキオラが朔夜の接近を察知して刀を振った。
朔夜はそれを御厨子で受け――すぐには捌を使わなかった。
ウルキオラが刀を引く。
想定通り。
そこへ朔夜も一歩踏み込む。
「……!」
今度は御厨子ではなく、空いた左手でウルキオラの手首を掴んだ。
触れた瞬間、相手が反応する。
「捌」
適応した斬撃が硬皮へ走った。
手首から前腕へ細い傷が開き、血が飛ぶ。
深くはない。
ウルキオラはすぐに腕を振り払い、朔夜の胸へ蹴りを入れた。
朔夜も床を滑りながら距離を取る。
互いに傷を増やしただけ。
それでも、ウルキオラの視線が自分の腕へ落ちた。
「刀だけが接触点ではないか」
「捌は触れれば使えるからね」
「なら、なおさら近づかせなければいい」
「そうなるよね」
朔夜は苦笑した。
簡単にはいかない。
だからこそ、余計な高揚が胸の奥で僅かに動く。
もっと試したい。
次はどう対応するのか見たい。
どこまでなら届くのか確かめたい。
そう思う自分がいる。
以前なら、その感情を無理に押し込めていた。
今は違う。
「……楽しい?」
不意にウルキオラが尋ねた。
朔夜は少し驚く。
「顔に出てた?」
「僅かに」
否定しようとしてやめた。
「まあ、少しは」
「仲間を逃がしている最中でもか」
「だから困ってるんだよ」
御厨子を肩に担ぐように構えながら、朔夜は自分の中にある感情を認める。
「強い相手を見ると、どこまでやれるのか試したくなる。昔はそれだけで十分だった」
「今は違う?」
「うん」
背後から石田の矢が放たれる音がする。
その音を聞いても、今度は振り返らなかった。
「楽しいから戦うのと、必要だから戦うのは別だから」
ウルキオラはしばらく黙っていた。
「心か」
唐突な言葉だった。
朔夜が眉を上げる。
「何?」
「黒崎一護も、井上織姫も、お前も、判断の根拠に理解できないものを持ち出す」
「それを心って呼んでるの?」
「違うのか」
朔夜は少し考えた。
「少なくとも、俺は難しく考えたことないな」
「なら何だ」
「大事だから大事。それで十分じゃない?」
ウルキオラの表情は変わらなかった。
だが、完全に興味を失ったようにも見えない。
その静かな間を切り裂くように、背後で巨大な霊圧が膨れ上がった。
今度こそ朔夜も驚いて振り返る。
チルッチの翼が大きく広がり、無数の刃が石田へ降り注いでいた。
しかし石田は逃げない。
床に残した矢。
壁へ打ち込んだ矢。
これまでばら撒いていた霊子が、一つの狙いへ繋がっていく。
朔夜はようやく気づいた。
「……最初から、そのつもりだったのか」
自分が石田を助けようとして崩しかけた布石。
石田はそこからもう一度組み直していた。
「だから言ったでしょう!」
石田が叫ぶ。
「僕の戦いです!」
その声と同時に霊子の光が一気に収束した。
チルッチが何かに気づいて飛び退こうとするが、遅い。
石田の放った一矢が軌道を貫いた。
大きな爆発が巻き起こり、衝撃が朔夜たちのいる場所まで届く。
ペッシェの悲鳴が混ざる。
「わたくしまで吹き飛ぶっすぅぅぅ!」
爆煙がゆっくりと薄れる。
その向こうで、チルッチは片膝をついていた。
石田も傷だらけだったが、まだ立っている。
朔夜の胸に安堵が広がった。
助けなくても戦えた、ではない。
助けなかったからこそ、石田が自分の戦いを最後まで組み立てられた。
その違いを、ようやく実感できた気がした。
「……強いじゃん」
小さく呟く。
「今さらか」
ウルキオラの声で現実へ戻される。
朔夜は前を向いた。
「そうだね。今さらだった」
その返事には、自嘲ではなく少しだけ納得があった。
仲間を信じるというのは、格好よく任せると言うことではない。
心配しても手を出さない。
自分がいない場所でも、その人は戦えると認める。
朔夜にとっては、相手を斬ることより難しい選択なのかもしれなかった。
ウルキオラが再び斬魄刀を構える。
「なら、もう後ろを気にする必要はないな」
「うん」
朔夜も御厨子を構えた。
「おかげさまで」
次の瞬間、ウルキオラの姿が消える。
先ほどより速い。
朔夜は反射的に御厨子を上げたが、衝撃を完全には流しきれず、身体ごと後方へ押し込まれた。
床を削りながら踏み止まる。
腕が痺れる。
ウルキオラの力は、まだ上がっている。
「……ほんと、底見せないな」
「お前もだろう」
その言葉に、朔夜の目が僅かに細くなった。
「何?」
「まだ使っていない力がある」
ウルキオラは断定するように言った。
「藍染様の報告にもある。お前の力は、これだけではない」
伏魔御廚子。
その名が、朔夜の胸の内を静かに過ぎる。
当然、使える。
ずっと前から。
だが今ここで使えばいいという話ではない。
周囲には石田とペッシェがいる。
何より、虚夜宮の構造も分からない。
「だから?」
朔夜は平静に返す。
「使わないのか」
「使えるもの全部使えば強い、ってわけでもないでしょ」
ウルキオラは数秒だけ朔夜を見つめた。
「やはり、お前は面倒だな」
朔夜は思わず笑った。
「君からそれ言われると、結構嬉しいかも」
背後では、石田がまだ立っている。
井上は一護に任せた。
なら、自分が見るべきものはもう目の前だけでいい。
朔夜は息を整え、傷だらけの身体で御厨子を構え直した。
今度こそ、迷いなくウルキオラだけを見る。
石田を信じて戦いを任せることを、朔夜も少しずつ覚え始めました。
一方、ウルキオラは朔夜がまだ力を残していることにも気づいています。
次回――
第85話「残している力」