しかしウルキオラは、朔夜がまだ何かを残していることに気づいていました。
「まだ使っていない力がある」
ウルキオラの言葉を聞いても、朔夜はすぐには答えなかった。
御厨子を構えたまま、目の前の男と距離を測る。背後では石田とチルッチの戦いが続いているが、先ほどまでのように振り返ろうとは思わなかった。
石田は自分の戦いをしている。
なら、自分もそうするだけだ。
「だから?」
ようやく返すと、ウルキオラは朔夜の顔をじっと見た。
「何故使わない」
「使えるからって、何でも使えばいいわけじゃないでしょ」
「理解できんな」
「そうだろうね」
それ以上説明する必要はなかった。
朔夜が力を隠しているのは、出し惜しみをしているからではない。ここは虚夜宮の内部で、すぐ近くには石田とペッシェがいる。構造も把握できていない場所で、威力だけを優先した力を使えば、敵より先に守るべき相手を巻き込みかねない。
何より、勝つために必要な力と、ただ使ってみたい力は別だった。
ウルキオラが斬魄刀を僅かに傾ける。
次の瞬間には、その姿が朔夜の視界から消えた。
朔夜は右から迫った刃を御厨子で受け流すと、反撃するより先に一歩だけ後ろへ退いた。そこへ追うようにウルキオラが踏み込み、二度目の斬撃を振るう。
今度は受けない。
身体を沈めて刃の下を抜けながら、朔夜は動作とは無関係な方向へ解を放った。
ウルキオラの背後、その退路へ斜めの切断が入る。
動きを制限されたと見るや、ウルキオラは無理に下がらず、そのまま前へ出た。
「そっち選ぶか」
朔夜の予想より速い。
肩がぶつかるほどの距離まで詰められ、腹部へ拳が入った。鈍い衝撃に息が詰まり、朔夜が数歩後退すると、ウルキオラは追撃せずにこちらの反応を見ていた。
「距離を作らせないつもり?」
「解を自由に使わせる理由がない」
「じゃあ捌があるけど」
「接触しなければいい」
朔夜は思わず苦笑した。
「本当に嫌な相手だなぁ」
御厨子の能力そのものは複雑ではない。
解は離れた場所へ直接届く斬撃で、捌は触れた相手の強度や霊圧へ合わせる斬撃。
だからこそ、理解されれば対策も立てられる。
解を使う間合いを潰し、捌が使えるほど長く接触しない。
ウルキオラは余計な駆け引きをせず、それを徹底していた。
それなら、自分も同じように単純に考えればいい。
朔夜が御厨子を構え直したところで、背後から大きな爆発音が響いた。
今度は振り返らなかった。
ただ、石田の霊圧だけを確認する。
消えていない。
むしろ先ほどまで荒れていた流れが、少しずつ落ち着いている。
やがて煙の向こうから、聞き慣れた声が届いた。
「御門さん!」
「生きてる?」
「勝手に殺さないでください!」
思わず朔夜の口元が緩む。
石田は傷だらけだったが、自分の足で立っていた。その少し向こうではチルッチが倒れ、まだ意識こそ残っているものの、戦いを続けられる状態ではない。
石田は弓を下ろすと、朔夜とウルキオラを見比べた。
「……随分まずそうですね」
「できれば、もう少し優しく言ってほしいかな」
「その状態で冗談を言えるなら大丈夫でしょう」
「石田まで浦原さんみたいになってきたなぁ」
「全く嬉しくありません」
二人の会話を聞いていたペッシェが、少し離れた場所から大声を上げた。
「わたくしとしては、そろそろここから離れたいっす!」
「それには賛成」
朔夜はウルキオラから目を離さないまま言った。
「石田、一護たちを追って」
石田はすぐには返事をしなかった。
「あなたは?」
「後から行く」
「その答えを信用していいんですか?」
「井上にも約束したからね」
その言葉に、石田の表情が少しだけ変わった。
心配が消えたわけではないだろう。
それでも、今度は何も言わずに一度だけ頷いた。
「分かりました。ただし、本当に戻ってきてください」
「石田までそれ言う?」
「言わせているのはあなたです」
朔夜が笑うと、石田はペッシェを連れて通路の奥へ走り出した。
足音と霊圧が少しずつ遠ざかっていく。
その気配を感じながらも、朔夜は一度も振り返らなかった。
任せると決めたのだから、最後まで任せる。
それは思っていた以上に難しく、同時に少しだけ肩の力が抜ける感覚でもあった。
しばらくして、ウルキオラが口を開く。
「これで近くに仲間はいなくなった」
「そうだね」
「なら、まだ力を抑える理由はあるのか」
朔夜は答えず、静かに御厨子を握り直した。
理由は減った。
それは事実だった。
石田とペッシェが離れたことで、解を使える範囲も角度も大きく広がっている。
だからといって、全てを解放する必要があるわけではない。
「一つ勘違いしてるよ」
「何だ」
「俺、抑えてるんじゃない」
ウルキオラの目が僅かに細くなる。
「必要な分を選んでるだけ」
言葉が終わるより先に、複数の解が走った。
今までのように床や壁だけを狙ったものではない。
右肩。
左脇腹。
背後。
足元。
異なる位置と角度から、ほぼ同時に斬撃がウルキオラへ届く。
響転。
ウルキオラが一つ目をかわす。
だが、移動した先へ二つ目が来る。
身体を捻って避けるが、三つ目までは外しきれず、白い装束の脇腹が裂けた。
血が一筋落ちる。
それでも朔夜は追撃しなかった。
「……なるほど」
ウルキオラが傷へ一度だけ目を落とす。
「先ほどまでは、やはり範囲を狭めていたか」
「石田がいたからね」
「仲間がいなければ、それだけ自由になる」
「まあ、そうなるかな」
「なら仲間は弱点だ」
その言葉に、朔夜は少しだけ考えた。
以前なら腹を立てたかもしれない。
今は違う。
「弱点になる時もあるよ」
あっさり認める。
「でも、それでいい」
「何故だ」
「不自由になるもの全部捨てたら、最後に残るのは力だけでしょ」
ウルキオラは何も言わなかった。
朔夜自身も、それ以上言葉を重ねなかった。
分かってもらう必要はない。
ウルキオラが響転で距離を詰める。
今度は朔夜も下がらず、正面から御厨子を合わせた。
刃がぶつかり、押し込まれる前に刀身を流す。ウルキオラが接触を切ろうとした瞬間、朔夜は追わずに左手を伸ばした。
避けられる。
当然だ。
その動きは囮だった。
何の予備動作もなく解が走り、ウルキオラの腿へ細い傷が刻まれる。
「身体の動きとは無関係か」
「今さら?」
ウルキオラが視線を上げた瞬間、朔夜は逆に距離を詰めた。
御厨子ではなく、左手がウルキオラの肩へ触れる。
今回は迷わない。
「捌」
接触した硬皮と霊圧を捉え、それに合わせて斬撃が深く入った。
血が飛ぶ。
だが、そのまま斬り裂く寸前で朔夜は威力を止めた。
ウルキオラの拳が脇腹へ入り、二人は同時に離れる。
朔夜は数メートル後退しながら、痛む脇腹を押さえた。
「……痛いな」
ウルキオラは肩の傷を見る。
先ほどまでより深い。
「今の斬撃。さらに深く入れられたはずだ」
「できたね」
「何故止めた」
朔夜は少しだけ眉を上げた。
「今、殺す必要ないから」
「戦っている相手を殺さないことに、何の意味がある」
「俺がそうしたいから。それで十分じゃない?」
ウルキオラは朔夜の答えを理解できないようだった。
だが、そのこと自体にはもう驚いていないらしい。
朔夜は自分の呼吸を整える。
自由に使える範囲が増えたことで、確かに戦いやすくなった。
それでも、ウルキオラが弱くなったわけではない。
こちらの攻撃を受けながら、同時に使い方を学んでいる。
長引かせれば、また対応される。
その時、ウルキオラの指先へ薄緑色の光が集まった。
これまでより速い。
朔夜が認識した時には、薄緑の虚閃が放たれていた。
「っ!」
身体を横へ投げる。
完全には避け切れず、閃光が肩を掠めた。
熱と衝撃が一気に襲い、朔夜は床を転がる。
御厨子を床へ突き立て、どうにか勢いを止めた時には、左肩の衣服が焼け、皮膚にも赤い傷が残っていた。
ウルキオラは待たない。
すでに眼前へいる。
刀を受ける。
重い。
腕が沈む。
朔夜の膝が僅かに曲がった。
「先ほどより自由になった程度で、俺に勝てると思ったか」
「思ってないよ」
「なら何故戦う」
その問いに、朔夜は息を吐きながら笑った。
「帰るため」
力を込め、刀を押し流す。
距離が開いた。
「勝つためじゃなくて?」
「帰るために勝たないといけないなら勝つ。でも、そうじゃないなら別にいい」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが揺れた。
熱。
炎のように激しいものではない。
乾いていて、妙に静かな熱だった。
以前、御厨子の精神世界で感じたものと同じ。
朔夜の意識が、ほんの一瞬だけその奥へ引かれる。
『ようやく見えるところまで来たか』
御厨子の低い声。
朔夜の目が僅かに揺れる。
「……今?」
『何を迷う』
乾いた熱が強くなる。
触れれば何かが開く。
そんな感覚があった。
だが朔夜は、そこで意識を切った。
「今じゃない」
熱が遠のく。
完全に消えたわけではない。
ただ、奥へ戻った。
ウルキオラが朔夜を見ている。
「今、霊圧が変わった」
「気のせいじゃない?」
「嘘だな」
「最近みんな俺の嘘に厳しくない?」
軽く返しながらも、朔夜の内側にはさっきの感覚が残っていた。
まだ知らない力ではない。
ずっと自分の中にあったのに、今まで見ようとしていなかった場所。
御厨子が言っていた意味を、少しずつ理解し始めている。
だが今は、それを試す時ではない。
目の前にはウルキオラがいて、自分には帰る場所がある。
それだけで十分だった。
ウルキオラが刀を構え直す。
「なら、使わせればいい」
「何を?」
「今、隠した力をだ」
朔夜は一瞬黙った後、少しだけ笑った。
「嫌だよ」
「何故だ」
「君を満足させるために戦ってるわけじゃないから」
御厨子を構える。
傷は増えた。
身体も重い。
それでも、戦い方は先ほどまでよりずっと自由だった。
「使わせたいなら、自分でそこまで追い込んでみて」
ウルキオラの目が静かに細くなる。
「そうしよう」
次の瞬間、二人の姿が同時に消えた。
今度はどちらも相手の出方を見るためではない。
帰るために必要な分だけを使う朔夜と、その奥にあるものまで引きずり出そうとするウルキオラ。
戦いは、ようやく次の段階へ入り始めていた。
石田たちが離れたことで、朔夜も御厨子をより自由に使えるようになりました。
そして戦いの最中、再び感じた乾いた熱。
まだ、その力を開く時ではありません。
次回――
第86話「乾いた熱」。