BLEACH ―斬界の御厨子―   作:tunagi

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乾いた熱へ続く「入口」を掴んだ朔夜。

しかし、力へ近づいたからこそ、何を使うかを自分で選ばなければなりません。


第88話 選ぶ力

 

ウルキオラの姿が消えた。

 

朔夜は反射的に周囲へ解を撒くことはせず、御厨子を握ったまま僅かに重心を落とす。速さで追いかけても勝てないことは、ここまでの戦いで嫌というほど理解していた。

 

だから、待った。

 

背後で空気が僅かに揺れる。

 

朔夜が身体を沈めた直後、頭上をウルキオラの刃が通り過ぎた。振り返りざまに御厨子を合わせると、二本の刀が激突し、白い廊下へ甲高い音が響く。

 

押し合わない。

 

朔夜はすぐに刀身を滑らせ、力の向きを外した。

 

ウルキオラも追わず、一度距離を取る。

 

「先ほどまでと違うな」

 

「そう?」

 

「俺が動く前に斬撃を置かなくなった」

 

朔夜は答えながら、自分でもその変化を感じていた。

 

少し前までは、ウルキオラの移動先を読み、その場所を解で潰そうとしていた。間違った戦い方ではないが、相手が速くなればなるほど、こちらも多くの場所を斬らなければならなくなる。

 

結果として、自分から選択肢を増やしすぎていた。

 

「全部塞がなくてもいいって分かっただけだよ」

 

「何?」

 

「君が来たところで対処すればいい」

 

「遅ければ死ぬぞ」

 

「そこは頑張る」

 

ウルキオラの目が僅かに細くなる。

 

次に動いた時、その速さはさらに上がっていた。

 

右から来ると見えた瞬間には左へ回られ、朔夜は辛うじて御厨子を差し込む。衝撃が傷んだ肩へ響き、歯を食いしばったところへ、ウルキオラの蹴りが脇腹を狙う。

 

完全には避けられない。

 

なら、受ける場所を選ぶ。

 

朔夜は身体を捻り、傷の浅い側へ蹴りを受けながら自分から後ろへ飛んだ。

 

痛みはある。

 

それでも、先ほどまでのように壁へ叩きつけられるよりはずっといい。

 

着地した瞬間、朔夜は腕を振らずに解を放った。

 

ウルキオラの頬を見えない斬撃が掠め、白い皮膚へ細い線が走る。

 

血が一滴だけ落ちた。

 

「……今のは避けられなかったか」

 

「予備動作がなかった」

 

「元々、解にはいらないからね」

 

空座町で試していた、身体の動きに斬撃の向きを縛られない使い方。

 

それは便利だった。

 

だが便利だからといって、それだけを使えば、やがて相手は「身体が動いた時に何かが来る」と学習する。

 

御厨子との対話を経て思い出したのは、新しい技ではなかった。

 

元々持っていた自由さだ。

 

身体を動かすこともできる。

 

動かさないこともできる。

 

右へ動きながら左を斬ることも、何もせず正面を斬ることもできる。

 

どれか一つを正解にする必要などなかった。

 

「面倒だな」

 

ウルキオラが呟く。

 

「君に言われると嬉しいんだけど」

 

「褒めてはいない」

 

「知ってる」

 

朔夜は少し笑った。

 

その笑みには、以前のように強い相手を前にした危うさも僅かに混じっている。

 

それを自覚しても、もう消そうとは思わなかった。

 

楽しい。

 

ウルキオラほどの相手に自分の斬撃が届き、相手がこちらの戦い方を読み直していることが、確かに楽しい。

 

だからこそ。

 

ここで続けたくなる。

 

もっと試したいと思う。

 

胸の奥に残る乾いた熱も、その感情に応えるようにゆっくりと広がっていた。

 

『開くか?』

 

御厨子の声が響く。

 

これまでとは違った。

 

止めるのでも、嘲るのでもない。

 

ただ、朔夜へ選択を委ねる声だった。

 

少し前の自分なら、どうしただろう。

 

力があるなら使ったかもしれない。

 

強い相手を前にして、どこまで通用するのか確かめたいという欲に従ったかもしれない。

 

朔夜は胸の奥にある熱へ意識を向けた。

 

入口の位置はもう分かる。

 

手を伸ばせば届く。

 

その先に何があるのかも、以前よりはっきり感じられる。

 

それでも朔夜は、小さく息を吐いた。

 

「……開けない」

 

『何故だ』

 

「必要ないから」

 

御厨子が黙る。

 

朔夜自身、その答えが驚くほど自然に出たことに少し驚いていた。

 

使えないのではない。

 

怖いから避けるのでもない。

 

今は必要がない。

 

それだけだった。

 

『クク……』

 

やがて御厨子が愉快そうに笑う。

 

『ようやく、力を前にして欲しがるだけの小僧ではなくなったか』

 

「昔の話を持ち出すの好きだね」

 

『事実だ』

 

意識を現実へ戻す。

 

ウルキオラはじっと朔夜を見ていた。

 

「使わないのか」

 

どうやら霊圧の変化で察したらしい。

 

「うん」

 

「何故だ」

 

「君まで同じこと聞くんだ」

 

朔夜は苦笑した。

 

「必要ないから」

 

ウルキオラの表情は変わらない。

 

「俺に勝てると判断したのか」

 

「違うよ」

 

朔夜は御厨子を下げなかったまま、遠くの霊圧へ意識を向けた。

 

石田とペッシェは移動している。

 

一護と井上の霊圧も、まだ離れた場所に感じられた。

 

どちらも戦闘で立ち止まっている様子はない。

 

少なくとも今、自分がウルキオラを倒さなければ誰かが死ぬ状況ではなかった。

 

「そもそも、君に勝つ必要がない」

 

「またそれか」

 

「何回でも言うよ」

 

朔夜は少し肩を竦める。

 

その動きだけで傷が痛み、すぐに顔をしかめた。

 

「俺は帰りたいんだ。君と決着をつけたいわけじゃない」

 

「俺が行かせないと言えば?」

 

「どうやって抜けるか考える」

 

「俺を殺した方が早い」

 

一瞬だけ、朔夜は黙った。

 

その考え方自体は理解できる。

 

昔の自分なら、同じことを言っただろう。

 

邪魔なら斬ればいい。

 

二度と追ってこないように殺してしまえば、その後は楽になる。

 

単純で、効率がいい。

 

「そうかもしれないね」

 

朔夜は否定しなかった。

 

「でも俺は、今そうしたくない」

 

「非合理的だ」

 

「人間ってそういうところあるんじゃない?」

 

「お前は死神だろう」

 

「細かいなぁ」

 

思わず笑った。

 

ウルキオラは理解できないものを見るように朔夜を見つめ、それ以上は何も言わなかった。

 

代わりに左手を上げる。

 

指先へ薄緑色の光が集まり始めた。

 

朔夜は反射的に周囲を見る。

 

背後に仲間はいない。

 

その先の通路も、現在の一護たちの位置とは繋がっていない。

 

なら、守る必要はない。

 

薄緑色の虚閃が放たれる。

 

朔夜は迷わず横へ走った。

 

虚閃が先ほどまで立っていた場所を飲み込み、そのまま白い壁を貫いて奥まで破壊していく。

 

爆風が背中を叩いたが、解で防ぐこともしなかった。

 

「また防がないか」

 

「そこ、壊れて困る?」

 

「俺は困らん」

 

「俺も困らない」

 

ウルキオラの目が僅かに動いた。

 

以前の朔夜なら、あの虚閃さえ御厨子で何とかしようとしたかもしれない。

 

壊れる。

 

なら守る。

 

危険がある。

 

なら全部取り除く。

 

そうやって、自分の力でどうにかできるもの全てへ手を伸ばそうとしていた。

 

だが、今は違う。

 

必要なものだけ守ればいい。

 

朔夜は虚閃によって開いた巨大な穴を見た。

 

その向こうに、別の通路が露出している。

 

そして。

 

薄く。

 

だが間違いなく。

 

霊子標識の反応があった。

 

「……あ」

 

朔夜の目が細くなる。

 

ウルキオラも視線を向ける。

 

本来なら虚夜宮の壁に隠されていた通路。

 

先ほどの虚閃が、その壁をまとめて吹き飛ばしたことで偶然露出したらしい。

 

標識は、自分たちが虚夜宮へ入ってきた時に残したものの一つだった。

 

つまり。

 

「あっち、帰り道に繋がってる」

 

ウルキオラが朔夜を見る。

 

「偶然だな」

 

「君が開けてくれたんだけど」

 

「……」

 

「ありがとう」

 

「礼を言われる筋合いはない」

 

朔夜は本当に少し嬉しくなった。

 

これまで何度も道を変えられ、標識も利用され、防衛機構に分断された。

 

ようやく一つ、確かな帰路へ繋がる手掛かりを見つけたのだ。

 

ただし。

 

その通路へ向かうには、ウルキオラの横を通らなければならない。

 

「さて」

 

朔夜は御厨子を握り直した。

 

「そこだけ退いてくれる?」

 

「断る」

 

「だよね」

 

今度は朔夜から動いた。

 

ウルキオラの真正面へ踏み込む。

 

先ほどまでなら、解で移動先を削りながら距離を詰めただろう。

 

だが今は余計なことをしない。

 

御厨子が斬魄刀とぶつかる。

 

接触した瞬間、ウルキオラが捌を警戒して刃を引こうとする。

 

朔夜は使わなかった。

 

代わりに一歩深く入る。

 

ウルキオラもすぐに対応し、拳を振るう。

 

朔夜は頬を掠めさせながら、その腕へ自分の手を添えた。

 

触れた。

 

今度こそ。

 

「捌」

 

ウルキオラの硬皮と霊圧へ合わせて斬撃が走る。

 

腕へ深い切創が開いた。

 

だが朔夜は、斬り落とせるところまで威力を上げなかった。

 

必要なのは、腕を奪うことではない。

 

ほんの一瞬。

 

ウルキオラが傷へ意識を向ける時間だけだ。

 

朔夜はその脇を抜ける。

 

「――!」

 

ウルキオラが振り返る。

 

朔夜はすでに開いた通路へ向けて走っていた。

 

「待て」

 

「待たないって何回目だっけ?」

 

響転の気配。

 

追ってくる。

 

当然だ。

 

朔夜は振り返らず、進行方向にある扉を見る。

 

分厚い扉。

 

鍵の構造を感じ取る。

 

わざわざ壊す必要はない。

 

遠くにある内部の接続だけを解で切った。

 

扉が重い音を立てながら開く。

 

その向こうから、よりはっきりと標識の反応が届いた。

 

そしてもう一つ。

 

石田の霊圧。

 

近い。

 

「……追いつける」

 

胸に安堵が広がった。

 

その感情に引かれるように足が速くなる。

 

だが、背後のウルキオラはさらに速かった。

 

すぐ後ろまで霊圧が迫る。

 

朔夜は走ったまま、何の予備動作もなく背後へ解を放った。

 

ウルキオラが横へかわす。

 

それで十分。

 

僅かに距離が開く。

 

さらに走る。

 

もう一度解を使う。

 

今度は相手ではなく、自分の前方にある扉の留め具。

 

開く。

 

止まらない。

 

攻撃のためではなく、進むために御厨子を使う。

 

その感覚が、今までになく自然だった。

 

「逃げるだけか」

 

背後からウルキオラの声が届く。

 

朔夜は走りながら答えた。

 

「帰るために必要ならね」

 

「強者を前に背を向けるのか」

 

その言葉に、一瞬だけ昔の自分が反応した。

 

強い相手に背を向ける。

 

逃げる。

 

かつての朔夜なら、それを敗北と感じたかもしれない。

 

だが今は。

 

「向きくらい、目的に合わせて変えるよ」

 

笑って答えられた。

 

その時、胸の奥の乾いた熱がもう一度揺れた。

 

だが先ほどまでとは違う。

 

強く戦いたいからではない。

 

怒りでもない。

 

自分で決めた道を進んだことへ応えるような、静かな熱だった。

 

『それでいい』

 

御厨子の声が響く。

 

朔夜は少し驚いた。

 

「珍しく素直に褒めるね」

 

『勘違いするな』

 

「はいはい」

 

前方。

 

曲がり角の向こうから、人の気配がする。

 

弓を構えるような霊圧。

 

聞き覚えのある声も届いた。

 

「……御門さん?」

 

石田。

 

朔夜の顔に、自然と笑みが浮かぶ。

 

「石田!」

 

角を曲がる。

 

傷だらけの石田と、隣で大袈裟に手を振るペッシェの姿が見えた。

 

「サクヤ殿! 生きてたっす!」

 

「その言い方やめてくれる?」

 

「後ろ!」

 

石田の声で、朔夜はすぐに表情を変えた。

 

ウルキオラの霊圧は消えていない。

 

合流できたからといって、終わったわけではない。

 

それでも。

 

今度は一人ではなかった。

 

朔夜は石田の隣まで走ると、息を整えながら御厨子を握り直した。

 

「ごめん。ちょっと追われてる」

 

石田が眼鏡の位置を直し、呆れたようにこちらを見る。

 

「ちょっと、で済む相手には見えませんが」

 

「俺もそう思う」

 

その返事に、石田はため息を吐いた。

 

だが弓を下ろさない。

 

朔夜も前を見る。

 

白い通路の先から、ウルキオラが静かに歩いてくる。

 

朔夜はその姿を見ながら、不思議と先ほどまでとは違う感覚を覚えていた。

 

乾いた熱の入口を知った。

 

それでも使わなかった。

 

ウルキオラを殺せるところまで斬らなかった。

 

壊しても構わない場所は守らなかった。

 

そして、強い相手へ背を向けて仲間のところへ戻ってきた。

 

どれも少し前の自分なら、もっと迷っていたかもしれない。

 

力とは、使うことだけではない。

 

使わないことも。

 

任せることも。

 

退くことも。

 

自分で決められるのなら、それもまた力なのだと、今なら少しだけ分かる。

 

朔夜は隣に立つ石田を見て、それから前方のウルキオラへ視線を戻した。

 

ここからどうするか。

 

また選べばいい。

 

今度は、一人で決める必要もなかった。




朔夜は乾いた熱を感じながらも、今は使わないことを選びました。

そして偶然開いた帰路を辿り、石田と再び合流します。

次回――
第89話「合流」
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