しかし、追ってきたウルキオラとの戦いはまだ終わっていません。
白い通路の向こうから、ウルキオラが静かに歩いてくる。
その姿を見つめながら、石田は弓を構えたまま眉を寄せた。
「御門さん。あれが、ずっとあなたを追っていた相手ですか」
「うん」
「随分簡単に言いますね」
「詳しく説明してる時間ある?」
「ありませんね」
石田はため息を吐きながらも、視線をウルキオラから外さなかった。
隣ではペッシェが朔夜とウルキオラを交互に見比べ、次第に顔を青ざめさせていく。
「……わたくし、今ものすごく嫌な予感がするっす」
「珍しく当たってると思う」
「珍しくは余計っす!」
いつもの調子で返してはいるが、朔夜自身にも余裕があるわけではなかった。
肩から胸へ残る傷は動くたびに痛み、ウルキオラの虚閃に掠められた左肩も熱を持っている。呼吸を整えようとしても、深く吸えば脇腹の傷が引きつった。
その状態でウルキオラと戦い続けるのは、さすがに厳しい。
石田もそれを察したのか、一瞬だけ朔夜の傷へ目を向けた。
「……思っていたより酷いですね」
「そう?」
「鏡を見てから言ってください」
「虚夜宮に鏡あるかな」
「そういう話ではありません」
呆れたように返しながらも、石田の声には僅かに心配が混じっていた。
朔夜はそれを感じて、少しだけ肩の力が抜ける。
少し前までなら、ここで「大丈夫」と言って全部引き受けていただろう。
だが今は、隣に石田がいる。
頼ってもいい相手がいる。
その事実を、ようやく自然に受け入れられるようになってきていた。
「石田」
「何ですか」
「一つお願いしていい?」
石田が少しだけ目を見開く。
朔夜がこんなふうに素直に頼むと思っていなかったのかもしれない。
「内容によります」
「俺があいつ止めるから、石田は帰り道の標識を辿って」
「却下です」
即答だった。
「早くない?」
「話の続きを聞く必要がありません」
「でも――」
「御門さん」
石田は少し強い声で遮った。
「さっき僕に任せると言いましたよね」
「言ったね」
「なら今度は、あなたも勝手に全部決めないでください」
朔夜は言葉を失った。
同じことを返された。
井上へ言った。
一人で全部決めなくていい。
石田にも、戦いを任せると決めた。
なのに自分だけは、また一人で残ろうとしていた。
「……本当、最近そればっかり言われるなぁ」
「言われるようなことをしているからでしょう」
石田は弓を構え直した。
「僕も戦います。ただし、無理にあれを倒す必要はありません」
朔夜が横を見る。
「それ、俺が言おうとしてた」
「なら話が早いですね」
ウルキオラは二人の会話を黙って見ていた。
やがて足を止めると、石田へ視線を向ける。
「滅却師。お前も残るのか」
「そのつもりです」
「足手まといになるだけだ」
石田の眉がぴくりと動いた。
「随分な言い方ですね」
「事実だ」
「なら訂正させてみせます」
石田が弓を引く。
その横で、朔夜は思わず笑った。
「石田、そういうの気にするんだ」
「今は黙っていてください!」
「はいはい」
軽口を交わした直後、空気が変わった。
ウルキオラの姿が消える。
朔夜は反射的に前へ出た。
一人で受け止めるつもりではない。
石田に届くまでの一瞬だけ、軌道を変えればいい。
御厨子と斬魄刀がぶつかり、重い衝撃が腕へ響く。
朔夜は力で押し返さず、刃を横へ流した。
その瞬間、石田の矢が二人の間を抜ける。
ウルキオラは首を僅かに傾けてかわした。
すぐに次の矢が来る。
さらにもう一本。
朔夜へ当てないぎりぎりの角度を通り、ウルキオラの移動方向を狭めていく。
「……上手いね」
「感心している場合ですか」
「いや、今まで俺がやってたことに近いなって」
「なら邪魔しないでください」
「信用ないなぁ」
会話を交わしながら、朔夜は石田の狙いを読む。
石田は直接仕留めようとしているわけではない。
矢を使ってウルキオラの移動先を限定し、その先を朔夜へ任せている。
なら。
朔夜は動かなかった。
身体の向きも変えない。
ウルキオラが石田の矢を避けて右へ動いた瞬間、そこへ解を走らせる。
白い装束の袖が裂ける。
ウルキオラはすぐにさらに距離を取った。
石田が目を細める。
「予備動作がないんですね」
「解は元々そういう斬撃だから」
「なら、最初からそう使えばよかったのでは?」
朔夜は少しだけ苦笑した。
「俺もそう思う」
それは自分でも散々思い知らされたことだった。
新しい使い方を見つけようとするあまり、元々持っていた自由さを狭めていた。
そして今は、一人で戦おうとするあまり、仲間がいる意味まで狭めようとしていた。
似たようなことを何度繰り返せば気が済むのか。
朔夜は自嘲する代わりに、石田の位置を確認した。
「次、左へ追える?」
「できます」
「じゃあお願い」
石田は答える代わりに矢を放った。
一射目がウルキオラの正面を塞ぎ、二射目が右側へ逃げる道を潰す。残った左へ響転した瞬間、朔夜はそこへ解を置いた。
ウルキオラが身体を捻る。
避けられる。
だがそれでいい。
朔夜はすでに距離を詰めていた。
御厨子を振るう。
ウルキオラが斬魄刀で受ける。
接触。
相手も捌を警戒して、すぐに刀を引こうとする。
朔夜は追わない。
その代わり、ウルキオラが離れる方向へ石田の矢が飛んだ。
「……!」
ウルキオラが初めて僅かに動きを止める。
その瞬間、朔夜の左手が肩へ触れた。
「捌」
硬皮と霊圧に合わせた斬撃が走り、ウルキオラの肩へ深い傷が開いた。
血が白い床へ落ちる。
だが朔夜は、それ以上深く斬らなかった。
すぐに離れる。
石田も追撃しない。
二人とも、今の目的を理解していた。
ウルキオラを倒すことではない。
進路を確保すること。
そのために、こちらが二人いることを意識させるだけで十分だった。
「なるほど」
ウルキオラが傷へ目を向ける。
「一人の時より厄介だな」
石田が眼鏡を押し上げる。
「先ほど、足手まといと言いませんでしたか」
「訂正しよう」
「素直ですね」
「事実だからだ」
石田が少し拍子抜けしたような顔をする。
朔夜は思わず笑った。
「ウルキオラってそこは素直なんだよ」
「御門さん、敵と随分会話してますね」
「長い付き合いになってきたから」
「勝手に付き合いを作るな」
今度はウルキオラから否定され、朔夜はさらに笑った。
ほんの一瞬だけ、張りつめていた空気が緩む。
だが、その直後。
ウルキオラの指先へ薄緑色の光が集まり始めた。
笑っている場合ではない。
朔夜と石田が同時に表情を変える。
「石田」
「分かっています」
薄緑色の虚閃が放たれる。
先ほどまでなら、朔夜は解で何とか軌道を逸らそうとしたかもしれない。
だが今は隣に石田がいる。
一人で全部やる必要はない。
「右へ!」
朔夜が叫ぶ。
石田は迷わず動いた。
二人が左右へ分かれ、虚閃がその間を通り抜ける。
凄まじい熱と衝撃が背中を叩き、後方の壁を大きく破壊した。
爆風に煽られながら、朔夜は転がるように体勢を整える。
石田も反対側で立ち上がった。
「防がないんですね」
「防ぐ必要ないから」
「合理的です」
「ウルキオラにも同じこと言われそう」
「聞こえている」
「やっぱり」
朔夜が立ち上がる。
その時。
崩れた壁の向こうから、霊子標識の反応が以前より強く届いた。
一つではない。
二つ。
そしてその先に。
「……一護」
朔夜の表情が変わる。
井上の霊圧もある。
さらにネルとドンドチャッカ。
それほど遠くない。
石田も気づいた。
「合流できますね」
「うん」
だが、すぐに走り出すことはできない。
ウルキオラがこちらを見ている。
当然、簡単には行かせない。
朔夜は御厨子を握り直した。
「石田」
「今度は何です?」
「二人で抜ける」
石田の目が僅かに細くなる。
「残るとは言わないんですね」
「学習した」
「ようやくですか」
「厳しいなぁ」
それでも、朔夜は笑っていた。
一人なら、ウルキオラを止めながら自分も逃げる方法を考えなければならなかった。
今は違う。
石田がいる。
なら、二人で隙を作ればいい。
「俺が前に出る。石田は一発だけ、ウルキオラの右側へお願い」
「一発でいいんですか」
「うん。それ以上は読まれる」
石田は少し考えた後、頷いた。
「分かりました」
「ペッシェは――」
振り返る。
少し離れた場所で、ペッシェが壁に隠れながらこちらを見ていた。
「わたくしはどうすればいいっす!?」
「走る準備」
「それなら得意っす!」
「自信満々に言うことかな」
朔夜は前を向く。
ウルキオラは何も言わない。
こちらが何をするか待っている。
いや。
読もうとしている。
それなら、読ませればいい。
朔夜が踏み込んだ。
正面。
あえて分かりやすく。
ウルキオラが迎え撃つ。
斬魄刀が振られる。
朔夜は受ける。
押し込まれる。
傷ついた腕に痛みが走る。
それでも離れない。
ウルキオラが捌を警戒し、先に接触を切る。
そこへ石田の矢が一発。
右側。
ウルキオラが反射的に左へ動く。
朔夜が狙ったのは、その瞬間だった。
ウルキオラではない。
「解」
左側の床と壁の接合部が切れた。
大きく崩れる。
ウルキオラが一瞬だけ足場を失う。
倒すには足りない。
逃げるには十分。
「今!」
朔夜が叫ぶ。
石田とペッシェが走り出す。
朔夜もすぐに続いた。
ウルキオラの霊圧が背後で動く。
追ってくる。
分かっている。
それでも今回は、一人ではない。
「御門さん!」
走りながら石田が呼ぶ。
「何?」
「遅れないでください!」
朔夜は少し驚いた。
以前なら、自分が誰かへ言っていた言葉だ。
その立場が逆になっていることが、何だか可笑しかった。
「了解!」
速度を上げる。
前方から、一護たちの霊圧が近づいてくる。
胸の奥で、乾いた熱が静かに揺れた。
それでも、今は触れない。
必要がない。
一人で全部やる必要もない。
隣には石田がいる。
前には一護たちがいる。
それだけで、選べる手段は増えていた。
朔夜は走りながら思う。
力が増えたから楽になったのではない。
頼れる相手がいることを、ようやく戦いの中でも受け入れられるようになったのだ。
背後からウルキオラの霊圧が迫ってくる。
戦いは終わっていない。
それでも、今度は追われているだけではなかった。
自分たちで選んだ道を、仲間と一緒に走っている。
その違いは、朔夜にとって想像していた以上に大きかった。
朔夜は石田と協力し、二人でウルキオラを抜ける道を作りました。
「自分だけが残る」のではなく、仲間と一緒に進むことも、朔夜にとって大きな変化です。
次回――
第90話「集う仲間」