今度は誰か一人ではなく、全員で出口を取り戻します。
巨大な扉の前で、朔夜たちはしばらく動かなかった。
向こう側にあったはずの霊子標識の反応は消えている。ただ壊されたという感じではなく、それまで確かに繋がっていたものが途中から切り離され、虚夜宮の壁の中へ埋め込まれたような不自然さが残っていた。
一護が扉へ手を掛ける。
「ぶった斬れば開くんじゃねぇのか?」
「扉だけならね」
朔夜はその隣へ立ち、御厨子の切っ先を床へ向けた。
「問題は、その先に道があるかどうか。今の感じだと、開けても向こうが塞がってる可能性が高い」
「じゃあ、その塞がってる方も斬る」
「どこまで?」
一護が言葉に詰まる。
見えない壁の向こうまで無理に壊せば、外へ繋がる構造そのものを崩すかもしれない。それは朔夜にも同じことで、斬れるからといって斬っていいとは限らなかった。
横で石田がしゃがみ込み、床へ指を触れる。
「少し静かにしてください」
「何か分かるのか?」
「霊子の流れを見ています」
一護が口を閉じる。
朔夜も余計な口を挟まず、石田の様子を見守った。
虚圏は現世より霊子が濃い。その中で石田は、壁や床を構成する霊子の流れを細かく拾い、扉の周辺にある不自然な歪みを追っていく。
やがて、眼鏡の奥の目が細くなった。
「閉じたというより、ずらされていますね」
朔夜が眉を上げる。
「ずらされた?」
「僕たちが辿っていた出口と、実際に外へ繋がる位置が一致していません。通路そのものを少しずつ動かして、ここへ誘導したんでしょう」
一護が顔をしかめる。
「またかよ」
石田は立ち上がると、扉の右上、左下、床際の三箇所を順に指した。
「この辺りだけ霊子の流れが不自然です。恐らく固定点でしょう。そこを解除できれば、元の位置へ戻るかもしれません」
「全部壊せば?」
「茶渡くんたちごと天井が落ちてもいいならどうぞ」
「やらねぇよ!」
返事が早く、井上が少しだけ笑った。
その笑顔を見て、一護もつられるように表情を緩める。
虚圏へ来てから、井上は何度も怯え、不安になり、誰かが傷つくたびに自分を責めようとしていた。それでも今は、仲間が自分の前で相談し、悩み、役割を決めている様子を見ても、以前のように「自分がいなければ」とは思わなかった。
代わりに、自分にできることを探す。
それだけで心の置き場所が少し変わった。
「石田くん」
「何です?」
「その固定してるところ、壊すんじゃなくて元に戻せたらいいんだよね?」
石田が井上を見る。
「できるんですか?」
「分からない。でも、そこに何か起きたことで道がずれたなら……」
井上は両手を胸の前へ上げる。
「私は、それを拒絶できるかもしれない」
朔夜はすぐに口を出さなかった。
できるかもしれない。
その言葉を、できると決めつけたくなかった。
「試してみる?」
井上は頷いた。
「やってみたいです」
自分から言えた。
朔夜はそれだけで十分だと思った。
「じゃあ、俺たちは何すればいい?」
茶渡が低い声で尋ねる。
石田は少し考えた後、周囲を見回す。
「固定点を一つずつ外したら、壁の重量が別の場所へ掛かるはずです。崩れそうになったら支えてください」
「分かった」
「俺は?」
一護が聞く。
「最後に動かなくなった場所を壊してください」
「それだけか?」
「それ以上やると壊しすぎます」
「信用ねぇな、おい」
「実績がありますから」
朔夜が笑いそうになるのを堪える横で、一護が不満そうに斬月を担ぎ直した。
役割が決まったところで、石田が最初の固定点を指す。
「御門さん。右上の内部だけ切れますか」
「やってみる」
朔夜は御厨子を持ち上げた。
壁そのものではなく、その奥。
石田が示した場所へ意識を集中させる。
厚い壁を挟んでいても、解なら届く。ただし今必要なのは、まとめて切り裂くことではなく、内部にある一本の繋がりだけを断つ精度だった。
「……そこか」
静かに解を放つ。
次の瞬間、壁の中で低い音が響いた。
石田がすぐ床を見る。
「合ってます。次は左下」
二つ目。
さらに床際。
三つ目の接続を切った瞬間、虚夜宮全体が僅かに揺れた。
「来るぞ!」
茶渡が前へ出る。
左右の壁が軋みながら内側へ動き始め、天井から白い破片が落ちてきた。
茶渡は崩れかけた石材へ両腕を伸ばし、そのまま身体で支える。
「茶渡くん!」
井上が振り返る。
「俺は大丈夫だ。続けろ」
声には無理がある。
それでも茶渡は退かなかった。
井上は唇を引き結ぶと、固定点があった場所へ意識を集中させる。
「双天帰盾――私は拒絶する!」
柔らかな光が広がった。
傷を治す時とは違う。
今回、拒絶するのは身体の損傷ではない。
出口へ繋がる構造に加えられた変化そのもの。
光に包まれた壁が微かに震え、ずれていた霊子の流れが少しずつ本来の位置へ戻り始める。
「動いてます!」
石田が声を上げる。
だが完全ではない。
一箇所だけ、強く固定されたまま残っている。
井上の額に汗が浮かぶ。
「ここだけ……戻らない……!」
一護が斬月を構えた。
「そこか?」
「待って」
石田が位置を測る。
「壁じゃありません。その奥に何かあります」
朔夜も感じ取った。
今までの固定点とは違う。
もっと強い。
外からではなく、内側から意図的に押さえ込んでいるような霊圧。
「……これ」
見覚えがある。
朔夜の表情が変わる。
井上も遅れて気づいた。
「この霊圧……」
一護が振り返る。
「誰だ?」
答えるより早く、背後から静かな声が届いた。
「そこまで辿り着いたか」
全員が振り返る。
通路の奥。
ウルキオラが立っていた。
急ぐ様子はなく、それでも逃げ道を塞ぐには十分な位置だった。
一護が斬月を構え直す。
「やっぱりてめぇか」
「俺ではない」
「何?」
ウルキオラは閉ざされた出口へ視線を向ける。
「その道を閉じたのは虚夜宮の機構だ。俺は、お前たちがどこまで行けるのか見ていただけだ」
朔夜は一瞬だけ黙った。
追ってこなかった理由。
ここで止まっていた理由。
ようやく繋がった。
「最初から、ここで詰まるって知ってたんだ」
「そうだ」
「だったら随分性格悪いよ」
「お前に言われる筋合いはない」
一護が割って入る。
「そんな話どうでもいい。井上、あとどれくらいだ?」
井上は額の汗を拭う暇もなく、光を維持していた。
「もう少し……でも、最後のところが戻らない!」
石田が叫ぶ。
「一護、今です! ただし中央だけ!」
「最初からそう言え!」
「言ってます!」
一護が踏み込む。
斬月へ霊圧が集まる。
黒ではない。
今の一護が使う、通常の月牙天衝。
「月牙天衝!」
青白い斬撃が一直線に走り、石田が示した中央部だけを叩いた。
井上の拒絶によって本来の位置へ戻りかけていた構造へ、一護の力が最後の一押しを加える。
轟音と共に固定が外れた。
壁が大きく揺れる。
茶渡が支えていた石材の重量が抜け、ゆっくりと元の位置へ戻っていく。
その直後。
消えていた霊子標識の反応が戻った。
一つ。
さらにもう一つ。
そしてその奥から、外部の霊圧が僅かに流れ込んでくる。
朔夜の胸が強く鳴った。
「繋がった」
一護が振り返る。
「本当か?」
「うん」
石田も確認し、頷く。
「間違いありません。少なくとも先ほどよりは、外へ続く経路が安定しています」
井上の顔が明るくなる。
「帰れる……?」
今度は、朔夜も少しだけ笑った。
「うん。今なら」
その言葉を聞いた瞬間、井上の目に涙が浮かんだ。
ここまで何度も期待しては、また閉ざされた。
だから嬉しいのに、まだ完全には信じきれない。
本当に帰れるのか。
また何か起きるのではないか。
そんな怖さも残っている。
それでも、一護がすぐ隣にいる。
石田も、茶渡も、朔夜もいる。
井上は自分の胸元を押さえ、ゆっくり息を吐いた。
「……帰りたい」
今度は、誰かに許可を求める言い方ではなかった。
自分の意思だった。
一護が頷く。
「帰ろうぜ」
その一言で、井上はようやく笑った。
だが、その場を離れる前にウルキオラが一歩進む。
空気が再び重くなる。
「まだ終わっていない」
一護が前へ出ようとする。
朔夜も御厨子へ手を掛ける。
ただし、今度は誰か一人が残るとは言わなかった。
それより先に石田が口を開く。
「出口は開きました。なら、全員で抜ければいい」
茶渡も静かに頷く。
「俺も戦える」
井上は少し緊張した表情を浮かべながらも、後ろへ下がるだけではなく、自分から皆の近くへ立った。
朔夜はその様子を見て、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じる。
乾いた熱とは違う。
もっと単純なものだった。
嬉しい。
それだけだ。
「じゃあ」
朔夜は御厨子を抜いた。
「今度こそ全員で帰ろう」
ウルキオラが斬魄刀へ手を掛ける。
その背後で、開いた出口の霊子が静かに揺れている。
ようやく掴んだ帰還路。
今度は、誰にも閉じさせない。
閉ざされた出口を、全員の力で再び繋ぎました。
あとは、この道を守りながら全員で抜けるだけです。
次回――
第93話「帰るために」