今度こそ、誰か一人を残すのではなく全員で現世を目指します。
開いた通路の奥から、虚夜宮とは明らかに違う霊子の流れが伝わってくる。
まだ不安定ではあるものの、その先には浦原が残した術式の気配があった。
朔夜は胸の奥に湧いた安堵を押し込みながら、目の前のウルキオラへ意識を戻す。
帰り道が見えたからこそ、ここで焦れば全てが無駄になる。
「今度こそ全員で帰ろう」
朔夜の言葉に、一護も石田も茶渡も頷いた。
井上も怖さを隠そうとはせず、それでも皆のすぐ後ろに立っている。少し前までなら、自分が狙われることで仲間を危険に晒すと思い、一人だけ離れようとしていたかもしれない。
今は違った。
ここにいる。
一緒に帰る。
そのことを、自分で選んでいる。
ウルキオラが斬魄刀を抜く。
「行かせると思うか」
一護が斬月を構えながら前へ出た。
「思ってねぇよ。だから通るんだ」
朔夜は横から一護を見る。
「一護、正面お願いできる?」
「最初からそのつもりだ」
「じゃあ石田は一護の死角を潰して。茶渡は出口側を守ってほしい」
茶渡が頷く。
「分かった」
「井上は――」
朔夜が言いかけたところで、井上が先に答えた。
「誰かが傷ついたら私が守る。それと、出口もできる限り安定させるね」
朔夜は一瞬だけ黙り、それから笑う。
「お願い」
それ以上は言わなかった。
役割を決めることと、相手に何ができるかを決めつけることは違う。
それを、ここへ来てから嫌というほど教えられている。
一護が最初に踏み込んだ。
大きく振り抜いた斬月を、ウルキオラが斬魄刀で受け止める。力がぶつかり合った瞬間、石田の矢がその脇を通り抜け、ウルキオラが響転で逃げられる方向を狭めた。
一護は追う。
だが、ウルキオラは真っ向から付き合わない。
斬月を流しながら身体を沈め、そのまま一護の横を抜けようとする。
狙いは出口。
「させない」
朔夜はウルキオラ本人ではなく、その先の床へ解を走らせた。
白い床が斜めに切れ、踏み込みの角度が僅かにずれる。
それだけで一護が追いつくには十分だった。
「月牙天衝!」
青白い斬撃が廊下を奔る。
ウルキオラは身体を捻りながらかわしたものの、その先には石田の矢が待っていた。
避ける。
さらに朔夜の解。
三人の攻撃が完全に重なっているわけではない。それでも、一人の判断が次の一手を作ることで、ウルキオラが自由に動ける場所は少しずつ狭まっていった。
「……面倒だな」
ウルキオラが低く呟く。
朔夜は思わず笑う。
「また言われた」
「喜ぶところかよ!」
一護が怒鳴りながら斬月を振り下ろす。
その勢いに押され、ウルキオラが一歩退く。
その瞬間だった。
「今だ!」
石田の声に、茶渡が出口側へ動く。
まずはネル、ペッシェ、ドンドチャッカを通す。
「ネルたち先!」
「イツゴのヤツらはどうするっす!?」
「すぐ行く!」
一護の返事に、ネルは不安そうにこちらを見たが、ドンドチャッカとペッシェに促されて通路へ入った。
続いて茶渡が出口の手前へ立ち、周囲の崩れかけた壁を警戒する。
井上は帰還路へ向けて意識を集中していた。
霊子の流れが揺れる。
一度開いた道とはいえ、完全に安定しているわけではない。
「井上」
石田が振り返る。
「維持できますか?」
「うん。でも、長くは難しいかも」
声に焦りはあった。
それでも、以前のように「私のせいで」とは言わない。
できることを伝える。
それだけで十分だった。
「なら急ぎましょう」
石田は弓を構えたまま、ゆっくり出口へ下がる。
その瞬間、ウルキオラが一護の斬撃を受け流し、左手を上げた。
指先へ薄緑色の光が集まる。
狙いは出口だった。
「セロ!」
朔夜が叫ぶより早く、井上が前へ出た。
「三天結盾――私は拒絶する!」
薄緑色の虚閃と盾が激突する。
光が弾け、井上の身体が後ろへ押される。
「井上!」
一護が振り返りかける。
「黒崎くん、前!」
井上の声に、一護は動きを止めた。
ほんの一瞬。
けれど、それでよかった。
自分を心配してこちらを見れば、ウルキオラに隙を見せる。
それが分かっていたから、井上は自分から叫んだ。
「私は大丈夫だから!」
盾が軋む。
腕も震えている。
本当は怖い。
このまま破られたらどうしようという考えも消えない。
それでも、あの時とは違う。
怖いからこそ、仲間のそばにいる。
「私も……帰るんだから!」
井上が力を込める。
薄緑色の光が僅かに押し返された。
その瞬間を、朔夜は逃さない。
虚閃そのものを斬るのではなく、ウルキオラの腕の横へ解を放つ。
白い袖が裂ける。
ウルキオラの狙いが僅かに逸れ、虚閃は盾の外側へ抜けて壁を貫いた。
井上が大きく息を吐く。
朔夜は振り返らずに声を掛けた。
「ありがとう、井上」
「はい!」
その返事を聞きながら、朔夜は少しだけ嬉しくなる。
自分が守ったのではない。
井上が、自分たちの帰る道を守ってくれた。
それが今は、とても自然に思えた。
「石田、先に!」
朔夜の声に、石田は一瞬ためらった。
「あなたたちは?」
「すぐ行く。今度は残らないよ」
石田は朔夜の顔を見て、それ以上は言わなかった。
「分かりました」
出口へ入り、茶渡と合流する。
残ったのは一護、井上、朔夜。
ウルキオラ。
そしてまだ安定しきらない帰還路。
一護が斬月を肩へ担ぎ直す。
「井上、先行け」
井上はすぐには動かなかった。
「黒崎くんも一緒に」
「すぐ行くって」
「それ、朔夜さんも何回も言ってた」
一護が言葉に詰まる。
横で朔夜が吹き出した。
「俺のせい?」
「たぶん」
井上は二人を見て、もう一度はっきりと言う。
「一緒に行こう」
その言葉に、一護は少しだけ驚いた顔をしてから頷いた。
「ああ」
朔夜も頷く。
「そうしよう」
ウルキオラが三人の前へ立つ。
「俺を無視して帰れると思うか」
「無視はしてないよ」
朔夜が御厨子を構える。
「でも、君との決着は今日じゃなくていい」
「俺はそうは思わない」
ウルキオラが響転で消えた。
一護が反応する。
斬月と斬魄刀がぶつかり、その衝撃で一護の身体が横へ流れる。
今までなら、朔夜はすぐに間へ入っていた。
今回は入らない。
一護は自分で踏みとどまり、斬月を返す。
朔夜はその先だけを見る。
ウルキオラが避ける方向。
そこへ解を放つ。
ウルキオラが逆方向へ切り返した。
今度は朔夜へ来る。
御厨子で受ける。
接触。
捌を使える。
しかし、朔夜は一瞬だけウルキオラの目を見る。
相手もそれを待っている。
なら。
使わない。
刀を流し、そのまま身体を横へ抜く。
ウルキオラが追おうとした瞬間、一護の斬月が割り込んだ。
「よそ見すんな!」
「誰に言ってるの、それ」
「お前じゃねぇ!」
ほんの一瞬。
三人の間に、妙な間が生まれた。
その隙に井上が叫ぶ。
「二人とも、道が!」
帰還路の輪郭が揺らいでいる。
時間がない。
一護と朔夜が同時に表情を変えた。
決着より、帰ること。
それだけは最初から変わっていない。
「一護」
「分かってる」
二人は同時にウルキオラへ踏み込んだ。
一護が真正面から斬月を振り下ろす。
ウルキオラが受ける。
その瞬間、朔夜は脇から左手を伸ばした。
肩へ触れる。
「捌」
硬皮と霊圧に合わせた斬撃が走る。
ウルキオラの肩が裂ける。
深い。
だが、殺すためではない。
痛みで身体が僅かに止まる。
それで十分だった。
「今!」
朔夜が叫ぶ。
一護が後ろへ跳ぶ。
井上の手を掴む。
朔夜も同時に出口へ走った。
背後でウルキオラの霊圧が動く。
追ってくる。
帰還路まであと僅か。
井上が先に入る。
一護が続く。
朔夜も足を踏み入れようとした、その瞬間だった。
「御門朔夜」
背後から名前を呼ばれる。
朔夜は思わず振り返った。
ウルキオラが傷ついた肩を押さえながら、こちらを見ている。
「何?」
「お前は、結局その奥にある力を使わなかった」
乾いた熱。
入口の向こうにある何か。
朔夜は一度だけ胸元へ意識を向け、それから笑った。
「必要なかったからね」
「次もそうだとは限らん」
「そうだね」
朔夜は御厨子を鞘へ戻す。
「その時は、その時考えるよ」
帰還路へ身体を滑り込ませる。
視界が歪む。
最後に見えたのは、動かずこちらを見つめるウルキオラの姿だった。
そして。
景色が切り替わる。
足元へ確かな地面の感触。
聞き慣れた声。
「おかえりなさい」
朔夜が顔を上げる。
帽子を目深に被った浦原喜助が、杖を片手に立っていた。
その隣には夜一の姿もある。
一護、井上、石田、茶渡。
ネルたち。
全員いる。
数を確認した瞬間、朔夜の身体から一気に力が抜けた。
「……帰れた」
自分でも驚くほど小さな声だった。
その横で井上が笑う。
泣きそうな顔で、それでも今度は嬉しそうに。
「はい」
朔夜も笑った。
今度こそ。
誰も残さずに帰ってきた。
ウルキオラを倒すのではなく、全員で帰ることを選んだ朔夜たち。
それぞれが役割を果たし、ついに現世への帰還を果たしました。
次回――
第94話「ただいま」