BLEACH ―斬界の御厨子―   作:tunagi

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虚圏から、誰一人残さず帰還した一護たち。

張りつめ続けていた時間が終わり、ようやく「帰ってきた」と実感する時が訪れます。


第94話 ただいま

「おかえりなさい」

 

浦原喜助の声を聞いた瞬間、井上はしばらく何も言えなかった。

 

浦原商店地下の広い修行場。何度も見た岩肌も、少し湿った空気も、今までなら特別意識することなどなかったはずなのに、虚夜宮の白一色の景色を長く見た後では、何もかもが懐かしく感じられる。

 

本当に戻ってきた。

 

その実感が胸へ広がるほど、井上の目に涙が溜まっていった。

 

「浦原さん……」

 

浦原はいつもの笑みを浮かべていたが、全員の姿を見回す目は普段より真剣だった。

 

「黒崎サン、石田サン、茶渡サン、それから御門サン……随分派手にやられましたねぇ」

 

「帰ってきた直後にそれ言う?」

 

朔夜が苦笑すると、浦原は扇子を開く。

 

「事実確認ッスよ。特に御門サンは、一番余裕ありそうな顔して一番血まみれじゃないッスか」

 

「井上に治してもらったから、来る前よりは綺麗だよ」

 

「比較対象がおかしいんス」

 

その隣で夜一も腕を組み、朔夜を頭から足元まで眺めていた。

 

「相変わらず、加減を知らん男じゃのう」

 

「今回はかなり考えてたんだけど」

 

「考えた末にその有様なら、余計に問題じゃ」

 

言い返せずにいると、一護が横で吹き出した。

 

「やっぱ夜一さんにも言われんじゃねぇか」

 

「一護にだけは笑われたくないなぁ」

 

「何でだよ!」

 

いつもの言い合いが始まり、井上は涙を拭いながら小さく笑った。

 

この声も。

 

この空気も。

 

帰ってきたからこそ聞ける。

 

そう思っただけで、また涙が出そうになった。

 

その時、一護が井上を見る。

 

「井上?」

 

「え?」

 

「大丈夫か?」

 

「うん」

 

そう答えてから、井上は少し迷った。

 

大丈夫。

 

以前なら、それだけ言って終わらせていただろう。

 

誰かを心配させたくないから。

 

自分のことで、これ以上誰かを困らせたくないから。

 

けれど虚圏で、一人で抱え込まなくていいと言われたばかりだった。

 

井上は涙を隠さず、少し笑う。

 

「……嬉しくて泣いてるだけ」

 

一護は一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに「そっか」と頷いた。

 

それだけだった。

 

何も深く聞かれない。

 

だからこそ、井上は少しだけ楽になった。

 

「黒崎くん」

 

「ん?」

 

井上は胸元で手を握る。

 

まだ、言っておきたいことがあった。

 

「助けに来てくれて、ありがとう」

 

一護が黙る。

 

「茶渡くんも、石田くんも、朔夜さんも……本当にありがとう」

 

石田は眼鏡の位置を直しながら答えた。

 

「礼を言われるようなことではありません。僕たちが勝手に行っただけです」

 

「うん」

 

井上は頷いた。

 

「それも、分かった」

 

虚圏へ来る前なら、その言葉を聞いても「でも私のせいで」と続けていただろう。

 

今も罪悪感が完全に消えたわけではない。

 

傷だらけの仲間を見れば胸が痛むし、自分がここへ来なければと思ってしまう瞬間もある。

 

それでも、仲間が自分で選んだことまで自分の責任にしてしまうのは違うと、少しずつ思えるようになった。

 

「だから……ありがとうって言いたかったの」

 

茶渡が静かに頷く。

 

「井上が無事なら、それでいい」

 

「茶渡くん……」

 

「それに」

 

茶渡は一護を見る。

 

「一護なら、止めても行った」

 

「何で俺だけみたいに言うんだよ」

 

「事実だろう」

 

石田まで加わり、一護が不満そうな顔になる。

 

その様子を見て、井上は今度こそ声を出して笑った。

 

虚圏へ連れて行かれてから、こんなふうに笑ったのは初めてだった。

 

少し離れた場所では、別の騒ぎも起きている。

 

「ここがイツゴの家っすか!?」

 

「違ぇよ!」

 

ネルが目を輝かせながら修行場を走り回り、その後ろをペッシェとドンドチャッカが追いかけていた。

 

「ネル様、危ないっす!」

 

「待つでヤンス〜!」

 

浦原は三人を見て、扇子の向こうから目だけを覗かせる。

 

「ところで黒崎サン」

 

「何だよ」

 

「何で破面が三人増えてるんスか?」

 

「俺に聞くな!」

 

ネルが聞きつけ、浦原の前まで走ってくる。

 

「ネルはネル・トゥなのら!」

 

「これはこれは、ご丁寧にどうも」

 

「ネル様っす!」

 

「ネル様でヤンス!」

 

「お二人は少し黙っていただけます?」

 

浦原の笑顔が僅かに引きつっている。

 

夜一はその横で楽しそうに笑っていた。

 

「喜助、お主の店は昔から妙なのが集まるのう」

 

「夜一サンもその一人でしょう」

 

「わしを一緒にするでない」

 

「十分一緒だと思うけど」

 

朔夜が口を挟んだ瞬間、夜一の視線がこちらへ向いた。

 

笑っていた目が、ほんの僅かに鋭くなる。

 

「朔夜」

 

「何?」

 

「こっちへ来い」

 

嫌な予感がした。

 

「今じゃないと駄目?」

 

「今じゃ」

 

有無を言わせない声に、朔夜は諦めて夜一のところへ向かった。

 

浦原も三人の破面を一護へ押しつけるようにして、こちらへ来る。

 

「ちょっ、浦原!」

 

「黒崎サン、ちょーっとお願いします」

 

「何をだよ!」

 

「ネルと遊ぶっす!」

 

「今!?」

 

背後の騒ぎを聞きながら、朔夜は夜一と浦原の前に立った。

 

夜一は何も言わず、朔夜の手首を取る。

 

霊圧を確かめているらしい。

 

しばらくすると、その眉が僅かに寄った。

 

浦原も同じものを感じ取ったのか、いつもの軽い笑みを少しだけ引っ込めた。

 

「……何したんスか?」

 

「ウルキオラと戦った」

 

「それは見れば想像つきます」

 

浦原は朔夜の顔を見る。

 

「アタシが聞いてるのは、もっと奥の話ッス」

 

朔夜は黙った。

 

あの乾いた熱。

 

虚夜宮で何度も感じ、最後には位置まで掴んだもの。

 

まだ開いてはいない。

 

名前さえ御厨子から教えられていない。

 

けれど、確実に何かが変わった。

 

「ちょっとだけ、御厨子の奥が見えた」

 

夜一の目が細くなる。

 

「奥?」

 

「卍解とは別だよ」

 

その言葉に、浦原が反応する。

 

「別……ですか」

 

「うん。俺もまだよく分かってない」

 

朔夜は自分の手を見る。

 

現世へ戻ってから、乾いた熱はかなり遠のいている。

 

それでも完全に消えたわけではない。

 

目を閉じれば、精神の奥にある入口の位置だけは分かる。

 

「熱かった」

 

「熱?」

 

夜一が聞き返す。

 

「燃えてる感じじゃないんだけど……乾いた熱っていうのかな。御厨子は『入口』って呼んでた」

 

浦原と夜一が一瞬だけ視線を交わした。

 

朔夜はそれを見逃さない。

 

「何?」

 

「いやぁ」

 

浦原は帽子を少し下げた。

 

「今の段階じゃ何とも言えませんねぇ」

 

「本当に?」

 

「本当ッスよ。御門サンの斬魄刀について、アタシたちが本人以上に知ってるわけじゃありませんから」

 

その言葉に、朔夜は虚圏でウルキオラへ言ったことを思い出した。

 

自分自身がまだ知らないものまで、藍染たちが知っているわけではない。

 

同じことなのだろう。

 

夜一が朔夜の手首を離す。

 

「で、お主は使ったのか?」

 

「使ってない」

 

「使えなかったのではなく?」

 

「うん」

 

朔夜は少し考えてから続ける。

 

「途中で開けられそうな感覚はあった。でも、必要ないと思ったからやめた」

 

夜一はしばらく朔夜を見つめていた。

 

昔の朔夜なら。

 

未知の力へ手が届くと分かれば、試していただろう。

 

強い相手を前にしているなら、なおさら。

 

それを知っているからこそ、夜一の口元に僅かな笑みが浮かんだ。

 

「そうか」

 

たった一言だった。

 

だが朔夜には、その意味が何となく分かった。

 

「褒めてる?」

 

「調子に乗るな」

 

「やっぱり夜一さんだ」

 

朔夜が笑う。

 

浦原も肩を竦めた。

 

「ただし、御門サン」

 

「ん?」

 

「分からないものを一人で試すのはなしッスよ」

 

「……」

 

「今、間がありましたね?」

 

「気のせい」

 

「嘘じゃな」

 

夜一まで加わる。

 

朔夜は二人の視線に耐えきれず、目を逸らした。

 

「分かったよ。何かやる時は言う」

 

「絶対ッスよ?」

 

「多分」

 

「朔夜」

 

「はい。言います」

 

夜一に名前だけ呼ばれ、即座に訂正する。

 

以前なら、このやり取りを窮屈だと思っていたかもしれない。

 

今は少し違う。

 

自分が一人で決めなくていいというのは、こういうことでもあるのだろう。

 

朔夜が皆の方へ戻ると、井上がこちらへ歩いてきた。

 

「何のお話だったんですか?」

 

「怒られてた」

 

「また?」

 

「またって言わないで」

 

井上が笑う。

 

その顔を見ながら、朔夜は少し迷った後に尋ねた。

 

「井上」

 

「はい?」

 

「帰ってきた感じ、する?」

 

井上は周囲を見る。

 

一護はネルに絡まれ、石田はペッシェに何か言われて露骨に嫌そうな顔をしている。茶渡はドンドチャッカに話しかけられながらも、いつもの無表情で律儀に相手をしていた。

 

その向こうでは浦原と夜一がいる。

 

見慣れた場所。

 

見慣れた仲間。

 

井上は少しだけ考え、それから頷いた。

 

「さっきまでは、まだ夢みたいでした」

 

「今は?」

 

「今は……」

 

一護の声が響く。

 

「ネル! 俺の頭に乗るな!」

 

「イツゴのヤツ、遅いっす!」

 

井上がまた笑う。

 

「帰ってきたんだなって思います」

 

朔夜も同じ方向を見る。

 

「そっか」

 

井上は一度息を吸い、少し照れたように笑った。

 

「ただいま、ですね」

 

その言葉に、朔夜は一瞬だけ目を細めた。

 

「うん」

 

虚圏で何度も帰ると口にした。

 

戦う理由にもした。

 

それでも、この言葉を言えるところまで戻ってくると、思っていた以上に胸へ響く。

 

「おかえり、井上」

 

井上は嬉しそうに頷いた。

 

「はい」

 

少し間を置いて、今度は井上が言う。

 

「朔夜さんも、おかえりなさい」

 

朔夜は返事をしようとして、ほんの僅かに言葉を詰まらせた。

 

誰かに「おかえり」と言われることが、こんなにも安心するものだっただろうか。

 

「……ただいま」

 

今度は、自然に言えた。

 

戦いは終わっていない。

 

藍染はまだ虚圏にいる。

 

ウルキオラも、グリムジョーも、他の破面たちも残っている。

 

そして、朔夜自身の中には新しい入口まで見つかってしまった。

 

これから先、もっと大きな戦いが待っている。

 

それでも今だけは。

 

帰ってきたことを喜んでもいい。

 

朔夜は騒がしい仲間たちの中へ戻りながら、ようやくそう思えた。

 

---

 

後書き

 

虚圏から戻り、ようやく日常の空気へ触れた一護たち。

 

井上も朔夜も、それぞれの「ただいま」を口にすることができました。

 

次回――

第95話「帰還のあと」





虚圏から戻り、ようやく日常の空気へ触れた一護たち。

井上も朔夜も、それぞれの「ただいま」を口にすることができました。

次回――
第95話「帰還のあと」
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