重さの無い街   作:Sub Sonic

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9話

 

「到達予測は」

 

焼灼室の床に座り込んだまま、俺は訊いた。

 

七瀬は、耳を押さえたまま、目を閉じていた。唇が震えている。

 

「先頭は……三時間。横浜のほうから来てる群れが、一番早い。東京からのは、六時間くらい。その後ろにも、ずっと続いてる。埼玉。千葉。群馬のほうからも」

 

「総数は」

 

「分かんない。分かんないよ」七瀬は、首を振った。「音が多すぎて、一つ一つ数えられない。海みたい。関東全部が、一つの海になって、こっちに流れてきてる」

 

誰も、何も言わなかった。

 

大河原が、押さえつけていた氷室から、ゆっくりと力を抜いた。氷室は床に手をついて体を起こし、ずれた眼鏡を直した。

 

「推定で、四百万から六百万体です」

 

氷室は言った。いつもの、柔らかい声で。

 

「関東の感染死亡者数から逆算した数字です。そのすべてが、今、ここを目指しています」

 

「あんたのせいだろ」柏木が、低く言った。

 

「否定はしません」氷室は、柏木を見もしなかった。「けれど、原因が誰であれ、結果は同じです。六時間後、この駐屯地は、数百万の再起動個体に埋め尽くされる。そして、その流れは止まらない。中心がここにある限り」

 

氷室は、俺を見た。

 

「久遠さん。選択肢は、二つしかありません」

 

「……言ってみろ」

 

「一つ。逃げること。あなたがどこへ逃げても、網はあなたを追います。数百万の群れが、あなたの後を追って、関東中を移動する。その進路上にある避難所は、すべて飲み込まれる。三百万の生存者の、大半が死にます」

 

「もう一つは」

 

「中心になることです」

 

氷室は、静かに言った。

 

「無音域に入り、網のすべてを吸い込む。数百万の再起動個体を、一度に止める。榊先生も、その仮説は立てていたでしょう。理論上は、可能です」

 

「その代わり」

 

「その代わり、あなたは完全に焼灼します。自我は、残りません。錆びが九割の今、数百万の信号を吸い込めば、残りの一割は、一瞬で消える」

 

氷室は、眼鏡の奥から、真っ直ぐに俺を見た。

 

「あなた一人と、三百万人。数字の問題です、久遠さん。今度こそ、明らかでしょう」

 

  *

 

「――ふざけないで」

 

詩織の声だった。

 

詩織は、俺の頭を膝に乗せたまま、氷室を睨みつけていた。銀の輪が、怒りで震えるように光っていた。

 

「おにいを、数字にしないで」

 

「詩織さん。あなたの気持ちは――」

 

「分かってない。分かってないよ、あなたは」

 

詩織の手が、俺の肩を、ぎゅっと掴んだ。

 

「おにいはね、四年前、お父さんとお母さんが死んだとき、大学やめたの。私を育てるために。自分の夢、全部捨てて、宅配のバイト始めて。毎日、朝から晩まで、トラック乗って。それでも、私の弁当、毎朝作ってくれて。焼き鮭の日は、ちょっと焦げてて」

 

詩織の声が、震えた。

 

「そういう人なの。数字じゃないの」

 

氷室は、何も言わなかった。

 

焼灼室の中が、静かになった。

 

遠くで、地鳴りが、少しずつ大きくなっていた。

 

  *

 

「……一つ、訊きたい」

 

鷹宮が、壁にもたれたまま、口を開いた。

 

半分白くなった目で、俺を見ていた。

 

「湊。さっき、お前、戻ってきたよな。九割焼けて、網の中心に引きずり込まれかけて。それでも、戻ってきた」

 

「ああ」

 

「どうやって戻ってきた」

 

「……みんなの音が、聞こえた」

 

俺は、焼灼室の中を見回した。

 

「詩織の弦の音だけじゃなかった。霧島さんの針金。大河原さんの太鼓。七瀬の鈴。柏木の笛。お前のガラス。全部が、俺の音に重なって、錆びを、ほぐしてくれた」

 

「それだ」

 

鷹宮は、にやりと笑った。

 

「共鳴調律。一人じゃなく、全員で。お前の錆びを、全員で分けて持った。だから、お前は戻ってこられた」

 

榊先生の声が、無線から聞こえた。公民館から、ずっとこの会話を聞いていたらしい。

 

『――鷹宮くんの言うとおりだ』

 

先生の声は、興奮で上ずっていた。

 

『錆びは、消えない。だが、分けることはできる。一人で数百万を吸えば、一人が焼ける。だが、百人で吸えば、一人あたりは百分の一だ。千人で吸えば――』

 

「千人も、いない」霧島が言った。「ここにいる銀環者は、七人。如月たちを入れても、十二人」

 

「いるよ」

 

鷹宮が言った。

 

「関東中に、銀環者は、まだいる。駐屯地に集められたのは、ほんの一部だ。自衛隊の他の施設にも。病院にも。避難所に隠れてる奴も。自分が銀環者だって気づいてない奴も。推定で、関東だけで、九千人」

 

「九千人」

 

「感染者の〇・三パーセントだ。計算すれば、そうなる」

 

鷹宮は、氷室を見た。

 

「氷室さん。あなたなら、分かるでしょう。この施設のアンテナ。群体制御のために作った、あの巨大な送信設備。あれを使えば、関東中の銀環者の脳に、直接信号を送れる」

 

氷室の目が、わずかに見開かれた。

 

「……共鳴調律の、広域化」

 

「湊の音を、アンテナで関東中に流す。関東中の銀環者が、それを聞く。そして、湊の音に、自分の音を重ねる。九千人で、湊の錆びを分けて持つ」

 

鷹宮は、咳き込んだ。口の端から、血が流れた。

 

「九千人で、数百万を吸う。一人あたり、数百体分。それなら、誰も焼けない。――たぶんな」

 

  *

 

氷室は、長いこと黙っていた。

 

それから、床に散らばったリモコンの部品を、じっと見つめた。霧島が分解した、あのリモコンの。

 

「……不確定要素が、多すぎます」

 

氷室は言った。

 

「関東中の銀環者が、湊さんの音に応えるかどうか。応えたとして、調律が成立するかどうか。九千人の音程が、すべて揃うかどうか。どれ一つとして、検証されていません」

 

「だから、やめるのか」

 

「いいえ」

 

氷室は、顔を上げた。

 

その目に、初めて、何か違うものが浮かんでいた。

 

「――損失の期待値を、計算しました」

 

氷室は、淡々と言った。

 

「湊さん一人が焼灼する場合。確実に、一人が失われます。広域共鳴調律が失敗した場合。最悪、湊さんと、応答した銀環者全員が失われます。成功した場合。損失は、ゼロ」

 

氷室は、眼鏡を押し上げた。

 

「成功確率が、〇・〇一パーセントでもあるなら。期待値の上では、試す価値があります」

 

「……あんた、それ、本気で言ってるのか」

 

「私は、数字しか信じません」

 

氷室は立ち上がった。白衣の裾の埃を払い、乱れた髪をひっつめ直した。

 

「そして、数字は、今、あなたたちの側を指しています」

 

氷室は、焼灼室の奥の、制御盤の前に立った。

 

「アンテナの起動には、四十分かかります。その間、ここに近づいてくる群れの先頭を、誰かが食い止めなければなりません」

 

「俺がやる」大河原が、太い腕を鳴らした。

 

「私も」霧島が言った。

 

「俺も」柏木が言った。

 

「――如月」

 

鷹宮が、焼灼室の入り口の外に倒れていた如月に声をかけた。

 

如月は、瓦礫の中から、ゆっくりと体を起こした。額から血を流していた。

 

「……聞いていたわ」

 

如月は、氷室を見た。

 

氷室は、一度だけ、頷いた。

 

如月は、立ち上がった。

 

「部下四人を、起こしてくる」

 

  *

 

夜明けの空は、灰色だった。

 

駐屯地の電波塔の、一番上に、俺は立っていた。

 

高さ八十メートル。眼下に、駐屯地の全景が見えた。演習場の真ん中の、四十メートル四方の穴。その周りに並ぶ兵舎。格納庫。

 

その向こうに、相模原の街。

 

白かった。

 

地平線まで、白かった。

 

いや、地平線など、見えなかった。見渡す限りの屋根という屋根、道路という道路、川という川が、白いうねりに埋め尽くされていた。そのうねりが、ゆっくりと、駐屯地へ向かって流れ込んでくる。東から。北から。南から。

 

海だった。

 

七瀬の言ったとおり、白い、巨大な海だった。

 

その海の、一番手前。駐屯地のフェンスのすぐ外で、小さな光が、いくつも瞬いていた。

 

大河原の太鼓の音。霧島の針金の音。柏木の笛の音。如月と四人の部下の、ガラスの和音。

 

六人が、フェンスの外に壁を張り、群れの先頭を、押し止めていた。

 

四十分。

 

もう、三十五分が過ぎていた。

 

「――おにい」

 

振り返った。

 

電波塔の、一段下の足場に、詩織が立っていた。

 

念動力で、自分の体を浮かせてここまで来たのだ。ほんの数日前まで、熱で寝込んでいたのに。

 

「来るなって言っただろ」

 

「来るに決まってるでしょ」

 

詩織は、俺の隣まで浮き上がってきて、足場に降り立った。

 

「一番近くで、一番大きな声で、おにいの音に合わせるのは、私だから」

 

  *

 

無線が鳴った。

 

『こちら氷室。アンテナ、起動完了』

 

氷室の声は、相変わらず、柔らかかった。

 

『電波塔のアンテナに、あなたの共鳴波を増幅して送信します。出力は、関東全域をカバーします。ただし、送信できるのは、あなたが力を使っている間だけです』

 

「分かってる」

 

『それから、久遠さん』

 

氷室は、一瞬、言葉を切った。

 

『――幸運を』

 

無線が切れた。

 

俺は、詩織を見た。

 

詩織は、俺の手を握った。

 

熱かった。まだ、少しだけ。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

目を閉じた。

 

  *

 

無音域に入った。

 

九割錆びた、頭の奥の、底の、さらに奥へ。

 

音が、消えた。

 

網が、見えた。

 

今までで、一番大きく、一番はっきりと。

 

関東全域に張り巡らされた、無数の光の糸。そのすべてが、俺に向かって、流れ込んでいた。数百万の糸が、渦を巻き、束になり、俺という中心へ。

 

網の奥の何かが、こちらを見ていた。

 

おかえり、と、それは言った。

 

――ただいま、じゃない。

 

俺は、答えた。

 

――俺は、帰る場所がある。

 

網の奥の何かは、答えなかった。

 

ただ、意味だけが、伝わってきた。

 

ひとつになれば、もう、誰も重くない。

 

痛みも、悲しみも、恐れも、全部、網が引き受ける。一人一人が抱えていた重さを、全部、一つにして、溶かしてしまえば。誰も、何も、背負わなくていい。

 

――それが、この網の、目的なのだ、と。

 

一瞬、分かった気がした。

 

このウイルスが、何をしようとしていたのか。

 

全部を一つにして、重さを、なくそうとしていたのだ。

 

「……違う」

 

俺は、言った。

 

「重いから、いいんだ」

 

詩織の手を、握った。

 

「重いから、手をつなぐんだ」

 

  *

 

吸い込んだ。

 

網の糸を。数百万の糸を。

 

一斉に、流れ込んできた。

 

熱かった。焼けるように。一瞬で、残りの一割の、そのほとんどが、錆びに塗りつぶされかけた。

 

――今だ。

 

自分の音を、外へ向けた。

 

吸い込みながら、同時に、送り出す。

 

電波塔のアンテナが、唸りを上げた。

 

俺の音が、増幅されて、関東中へ広がっていく。

 

錆びた音。九割錆びて、それでもまだ、一割だけ残った、俺の元の音。

 

聞こえてくれ、と思った。

 

誰でもいい。

 

どこかにいる、同じ目をした誰か。

 

――弦の音が、鳴った。

 

詩織だった。すぐ隣で。一番近くで。一番大きな声で。

 

その弦の音が、俺の錆びに重なった。

 

続いて、フェンスの外から。太鼓。針金。笛。ガラスの和音。

 

焼灼室から、鷹宮のガラスの音。

 

公民館から、七瀬の鈴の音。

 

全部が、重なってくる。

 

でも、足りなかった。

 

数百万の錆びは、七人と六人では、支えきれなかった。

 

俺の結び目が、焦げていく。九割五分。九割八分。

 

――駄目か。

 

そう思った瞬間。

 

  *

 

遠くで、音が鳴った。

 

聞いたことのない音だった。

 

低い、チェロのような音。横浜の方角から。

 

それから、また別の音。東京のほうから。高い、フルートのような。

 

埼玉から。千葉から。茨城から。栃木から。群馬から。

 

一つ。十。百。

 

音が、次々に、鳴り始めた。

 

関東中の、どこかにいる、同じ目をした誰か。

 

避難所の隅で、自分が何者なのか分からずに怯えていた誰か。病院のベッドで、熱が下がったのに、家族に目を見せられずにいた誰か。自衛隊の別の施設で、首輪をつけられていた誰か。

 

俺の音を、聞いたのだ。

 

アンテナから流れてきた、錆びだらけの、それでも必死に鳴っている音を。

 

そして、応えてくれたのだ。

 

千。二千。五千。

 

音が、重なってくる。

 

一つ一つは、小さかった。俺の音にも、鷹宮の音にも、遠く及ばない。消しゴム一つを動かせるかどうかの、ささやかな音。

 

それが、何千と、重なっていく。

 

俺の錆びに、一つずつ、そっと。

 

調律するように。

 

錆びが、分けられていく。

 

俺一人が背負っていた重さが、何千人に、少しずつ、分けられていく。

 

一人あたり、数百体分。

 

それなら、誰も、焼けない。

 

  *

 

網が、揺れた。

 

数百万の糸が、何千の結び目に、分散して吸い込まれていく。

 

網の中心だった俺の結び目から、糸が、一本、また一本と、離れていく。

 

網の奥の何かが、こちらを見ていた。

 

おかえり、とは、もう言わなかった。

 

ただ、意味だけが、伝わってきた。

 

――なぜ。

 

なぜ、一つにならない。一つになれば、重くないのに。

 

「重いのは、嫌だよ」

 

俺は、答えた。

 

「でも、一人で重いのが、一番嫌だ」

 

詩織の手が、握り返してきた。

 

「だから、分けるんだ。みんなで」

 

網の奥の何かは、しばらく、黙っていた。

 

それから、ゆっくりと、こちらから目をそらした。

 

そんな気がした。

 

網の糸が、ほどけていく。

 

数百万の糸が、一本ずつ、光を失っていく。

 

  *

 

目を開けた。

 

電波塔の上だった。

 

灰色だった空が、東の端から、少しずつ明るくなり始めていた。

 

眼下の、白い海が。

 

止まっていた。

 

動いていなかった。

 

数百万の再起動個体が、立ち止まっていた。それから、一体、また一体と、ゆっくりと、崩れ落ちていった。

 

ばたり、ばたり、と。

 

波が、引いていくように。

 

駐屯地のフェンスの外から、相模原の住宅街へ。国道へ。川沿いへ。その先の、見えない街々へ。

 

白い海が、静かに、倒れていった。

 

音が、なかった。

 

足音も、唸りも、何も。

 

ただ、朝の風の音だけが、電波塔の鉄骨を、ひゅう、と鳴らしていた。

 

「……おにい」

 

詩織の声が、聞こえた。

 

「終わった、の?」

 

答えようとして、声が出なかった。

 

体に、力が入らなかった。

 

膝が、折れた。

 

電波塔の足場から、体が、傾いた。

 

八十メートル下の、地面へ。

 

  *

 

落ちていた。

 

風が、耳元で唸っていた。

 

力を、使おうとした。自分の体を、浮かせようとした。

 

何も、起きなかった。

 

頭の奥の、あの広い場所が。底の見えない井戸が。

 

空っぽだった。

 

錆びも、なかった。音も、なかった。何も、なかった。

 

――ああ。

 

分かった。

 

九千人に分けた錆びと一緒に、俺の力も、全部、分けてしまったのだ。

 

地面が、近づいてくる。

 

――まあ、いいか。

 

一瞬、そう思った。

 

――重さのない街だ。

 

眼下に広がる相模原の街は、もう、何の重さも持っていなかった。数百万の白い体が、ただ静かに横たわっている。誰も、何も、背負っていない。

 

俺の体だけが、重かった。

 

「おにいっ!」

 

声がした。

 

弦の音が、鳴った。

 

落ちていく俺の体が、止まった。

 

地面の、三メートル手前で。

 

ふわりと。

 

誰かが、下から支えるように。

 

  *

 

顔を上げた。

 

詩織が、電波塔の足場から、身を乗り出していた。

 

両手を、俺に向かって伸ばしていた。

 

その目の銀の輪が、朝日を受けて、まぶしく光っていた。

 

詩織の音が、聞こえた。

 

弦の音。

 

錆びは、ほんの少しだけ、混じっていた。九千分の一の、ささやかな錆び。

 

でも、澄んでいた。張りつめて、まっすぐで、力強かった。

 

俺の体を、ゆっくりと、地面へ下ろしていく。

 

背中が、アスファルトに触れた。

 

冷たかった。

 

「……詩織」

 

詩織が、電波塔から、ふわりと降りてきた。俺の横に膝をつき、俺の顔を、両手で挟んだ。

 

「ばか」

 

詩織は言った。

 

泣いていた。

 

「ばかおにい。三回目」

 

「……悪い」

 

「悪いじゃない」

 

詩織は、俺の額に、自分の額を押しつけた。

 

「焼き鮭。約束。忘れてないよね」

 

「……ああ」

 

朝日が、昇り始めていた。

 

相模原の街を、東から、金色に染めていく。

 

白い体が横たわる、静かな街を。

 

重さのない街を。

 

  *

 

フェンスの外から、大河原と霧島と柏木が、ふらふらになりながら歩いてきた。如月と四人の部下も。全員、血と埃にまみれていた。全員、生きていた。

 

無線から、七瀬の声がした。泣きじゃくっていた。何を言っているのか、ほとんど聞き取れなかった。

 

榊先生の声がした。何か、難しいことを興奮して喋っていた。

 

真壁さんが、焼灼室のある穴の縁から、手を振っていた。

 

その横に、氷室がいた。

 

白衣のポケットに手を入れて、朝日に照らされた街を、じっと見下ろしていた。その表情は、遠すぎて、よく見えなかった。

 

真壁さんが、穴の縁から、こちらに向かって叫んだ。

 

「久遠くん!」

 

真壁さんの声が、震えていた。

 

「鷹宮くんが――」

 

  *

 

鷹宮は、焼灼室の入り口の壁にもたれて、座っていた。

 

さっきと、同じ姿勢で。

 

目は、完全に、白くなっていた。

 

銀の輪は、もう、なかった。

 

「……鷹宮」

 

俺は、真壁さんと詩織に支えられながら、鷹宮の前に膝をついた。

 

鷹宮の口が、わずかに動いた。

 

まだ、生きていた。

 

「……湊か」

 

声は、ひどく掠れていた。

 

「見えないんだ。もう、何も」

 

「喋るな」

 

「いいんだよ」

 

鷹宮は、わずかに笑った。

 

「半分、焼けてたからな。俺の分の錆び、ちょっと多めに引き受けた。九千分の一じゃ、つまらないだろ」

 

「……ばかか、お前は」

 

「三番目だったんだ」

 

鷹宮は言った。

 

「リストの、三番目。どうせ焼かれるなら、自分で選んで焼けたかった。……それだけだ」

 

鷹宮の手が、宙を探った。

 

俺は、その手を握った。

 

冷たかった。

 

「湊」

 

「ああ」

 

「約束の重さ」

 

鷹宮は、白い目で、俺のほうを向いた。見えていないはずなのに、真っ直ぐに。

 

「分かってて、言ったんだ」

 

「……ああ。分かってる」

 

「なら、いい」

 

鷹宮の手から、力が抜けた。

 

焼灼室の中に、朝日は届かなかった。

 

けれど、鷹宮の顔は、穏やかだった。

 

眠っているみたいだった。

 

  *

 

地上に戻ると、朝日は、すっかり昇りきっていた。

 

演習場の、四十メートル四方の穴の縁に、全員が並んで座っていた。誰も、何も言わなかった。

 

眼下に、相模原の街が広がっていた。

 

白い体が、どこまでも、静かに横たわっている街。

 

その上を、朝の風が、ゆっくりと吹き抜けていった。

 

遠くで、鳥が鳴いていた。

 

カラスではなかった。

 

もっと小さな、明るい声の鳥だった。

 

(第九章 了)

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