D.Gray-man ― DEALT HAND ― 作:からし明太子
巻き戻しの街から黒の教団へ帰還して、数日が過ぎた。
ミランダ・ロットは正式に黒の教団へ迎え入れられ、科学班による検査とイノセンスの調査を受けながら、慣れない本部での生活を始めている。
もっとも、本人は未だに自分がエクソシストになったという事実を飲み込めていないらしく、廊下で見かける度に何かしら謝っていた。
「す、すみません! 道を塞いでしまって!」
「別に塞いでないから」
「でも私、こんなところに立っていたら邪魔なんじゃ……」
「廊下に立ってるだけで怒られる教団なら、俺はとっくに辞めてる」
「そ、そうですよね……すみません」
「だから謝らなくていい」
そんな会話を、ここ二日で何度しただろう。
根本的な性格なのだろうから、すぐ直せと言ったところで無理なのは分かっている。
ただ、巻き戻しの街で出会った時よりは少しだけ表情が柔らかくなっていた。
リナリーがよく面倒を見ているし、科学班の連中も新しい適合者が来たことを素直に歓迎している。あの環境なら、時間は掛かっても馴染んでいくだろう。
俺がどうこうする必要はない。
そう判断してからは、俺自身も久しぶりに本部での普段の生活へ戻っていた。
◇
「それで、結局どうだったんです?」
朝食後の食堂で、向かいに座ったアレンが唐突にそう聞いてきた。
俺はコーヒーカップを持ち上げたところで動きを止める。
「何が?」
「ロードです」
「まだその話してるの?」
「まだって、ジークさんがまともに説明してくれないからでしょう」
隣に座っているリナリーまで頷いた。
「私も気になってる」
「二人とも暇なの?」
「今日は午前中、任務ないです」
「私は午後から」
「……そう」
逃げ道がなくなった。
巻き戻しの街でロード・キャメロットと再会した結果、それまで教団内で半ば与太話として扱われていた「俺と千年伯爵がポーカーをした」という噂が、ほとんど事実として確定してしまった。
できればそのまま噂で終わらせておきたかった。
「ロードとは、クロス師匠の弟子になってから何度か会ってる」
「何度かどころじゃない雰囲気でしたけど」
「数えたことないんだよ」
「向こうはジークさんのこと随分気に入ってましたよね」
「本人曰くな」
「『好きだから』って言ってました」
「ノアの好きなんて信用するな」
俺がそう言うと、アレンは少しだけ考え込んだ。
「でも、嘘を言っているようには見えませんでした」
「お前、ノアと初めて会ったばっかりだろ」
「それでも人の顔くらい見ますよ」
「そういうところだけ妙に鋭いんだよな、お前」
アレンは納得していないらしい。
リナリーまで俺の顔を覗き込んでくる。
「ジークはロードのこと嫌いなの?」
「面倒だとは思ってる」
「嫌い?」
「……」
すぐ答えられなかった。
その沈黙だけで二人の視線が変わった。
「違うからな」
「まだ何も言ってませんよ」
「顔が言ってる」
「ジークも人の顔見てるじゃない」
「長い付き合いだからだよ」
「ロードとも?」
「そっちに繋げるな」
思わず額を押さえた。
確かに、ロードを心の底から嫌っているのかと問われれば少し違う。
敵だ。
ノアだ。
人間を玩具のように扱うところもある。
だから信用はしていない。
けれど、何度も顔を合わせているうちに、単純に「漫画に出てくる敵キャラクター」として見ることができなくなったのも事実だった。
それはロードだけではない。
アレンも。
リナリーも。
神田も。
みんなそうだ。
こちらの世界で言葉を交わした時点から、前世で読んでいた漫画の登場人物と、目の前にいる人間は少しずつ別の存在になっていった。
「それより伯爵とのポーカーです」
アレンが話を戻した。
「戻さなくていい」
「駄目です」
「何でそこだけそんなに食いつくの」
「気になるからです」
俺は深く息を吐いた。
「任務先でノアと鉢合わせた。色々あった。何故か最終的にポーカーすることになった。俺が勝った。終わり」
「途中が全部抜けてます」
「俺自身、何でそうなったのかよく覚えてないんだよ」
これは半分本当だった。
あの時は戦闘の直後で、状況自体がかなり混乱していた。
それでもロードが伯爵に見えない位置から俺へ合図していたことだけは、妙に鮮明に覚えている。
「ロードと組んだんですよね?」
「証拠はない」
「でも?」
「多分な」
「それ、イカサマじゃないですか」
「相手に見抜かれなかったなら戦術だ」
「ジークさん」
「なんだ」
「その考え方、クロス師匠と同じですよ」
「……今までお前に言われた中で一番傷ついたわ」
リナリーが吹き出した。
「そこまで?」
「金銭関係で師匠と同類扱いだけは嫌だ」
俺自身の金ならいい。
他人へ自分の借金を押し付けたりはしない。
そこには天と地ほどの差がある。
少なくとも俺の中では。
そんなくだらない話をしていた時だった。
食堂へ、一人のファインダーが駆け込んできた。
「ヴァイス!」
息を切らした声。
その表情を見た瞬間、さっきまでの緩んだ空気が消えた。
俺はカップを机へ置いた。
「どうした?」
「室長から至急、執務室へ来るようにと!」
「俺だけ?」
「いえ、アレン・ウォーカーとリナリー・リーもです」
三人で顔を見合わせる。
ただ事ではない。
「何があった?」
尋ねると、ファインダーは一瞬言葉を詰まらせた。
「イェーガー元帥の巡回部隊から、緊急信号が入りました」
その名前を聞いた瞬間。
俺の頭の中で、遥か昔の記憶が蘇った。
ケビン・イェーガー。
黒の教団元帥。
そして――。
「……っ」
殺される。
前世で読んだ物語の中でノアに。
俺は椅子を蹴るように立ち上がっていた。
◇
「最後の連絡は!?」
コムイの執務室へ入るなり尋ねると、コムイが驚いて顔を上げた。
「ジーク君?」
「イェーガー元帥の部隊から連絡が来たんだろ。場所はどこ?」
「ちょっと待って。まず説明を――」
「時間がないかもしれない」
自分でも声が強くなっているのが分かった。
リナリーが後ろから入ってくる。
「ジーク、落ち着いて」
「落ち着いてる」
「それ、落ち着いてる人の顔じゃないよ」
そう言われ、一度だけ目を閉じた。
息を吐く。
確かに、今ここで焦ったところで情報が増えるわけではない。
「……悪い」
コムイを見る。
「説明してくれ」
コムイも俺の様子に疑問を持っているのだろうが、今は問い質さなかった。
机の上に地図を広げる。
「イェーガー元帥は現在、適合者候補とイノセンスの捜索のため東部一帯を巡回している。同行しているファインダーから今朝、短い緊急通信が入った」
「内容は?」
「敵襲、という一言だけ。その直後に通信が切れた」
「AKUMA?」
「分からない。ただ、元帥を狙うとなれば普通のAKUMAだけとは考えにくい」
「ノア……」
アレンが呟いた。
俺も同じことを考えていた。
いや、考えているのではない。
知っている。
イェーガー元帥はノアに襲撃される。
だから俺には、この後に起こることが分かる。
――分かるはずだった。
「最後の位置は?」
コムイが地図の一角を指した。
「この辺り。ただし巡回中だから、正確な現在位置は不明だよ」
「……」
地図を見る。
山。
町。
街道。
教会。
どこだ。
原作ではどこで殺された?
何巻。
何話。
どんな風景だった。
漫画の一コマ一コマを頭の中から引きずり出そうとする。
でも、出てこない。
「……くそ」
思わず零れた。
「ジークさん?」
アレンがこちらを見る。
「何か知ってるんですか?」
「……」
答えられない。
イェーガー元帥が死ぬ。
そんなことを今この場で言えるはずがない。
まして、その根拠が、
前世で漫画を読んでいたから。
などと。
「嫌な予感がするだけ」
「それだけ?」
アレンは疑っている。
「それだけだよ」
嘘をついた。
少し胸が痛んだ。
でも今は、説明している暇もない。
「コムイ」
「何?」
「俺を行かせてくれ」
コムイの表情が険しくなる。
「単独で?」
「その方が速い」
「でも正確な場所も――」
「最後の通信地点まで行けば、そこから追える」
カードケースへ手を置く。
「クラブを使えば通常の移動より早い」
「ジーク」
リナリーの声。
俺を見る目が心配そうだった。
「右目は?」
「使わない」
「本当に?」
「必要になるまでは」
それでは答えになっていない。
自分でも分かっている。
それでも、今ここで「絶対使わない」と約束することはできなかった。
コムイもそれを理解しているのだろう。
「……無茶はしないで」
「善処する」
「ジーク君」
「帰ってくるよ」
言い直した。
「ちゃんと」
コムイは少し迷ってから、地図を俺へ渡した。
「分かった。ただしファインダーの救援隊もすでに出している。単独で敵を追いすぎないこと」
「ああ」
「イェーガー元帥を発見した場合、救出を最優先」
「分かってる」
踵を返す。
「ジークさん!」
アレンの声で足を止めた。
振り返る。
「僕も行きます」
「駄目だ」
考える前に答えていた。
アレンの眉が寄る。
「どうしてですか」
「今回はどこで何が起きてるかすら分からない。お前を連れていくより一人の方が速い」
「でも僕だってエクソシストです」
「知ってるさ」
「だったら――」
「アレン」
少し声を落とした。
感情で押さえつけたくはない。
だから、ちゃんと言う。
「お前が弱いから置いていくんじゃない。今は一秒でも早く現場へ着きたい。そのために一人で行く」
アレンが黙る。
「分かってくれ」
数秒、口を噤むと。
「……分かりました」
「悪いな」
「その代わり」
アレンが真っ直ぐこちらを見る。
「ちゃんと帰ってきてください」
「分かった」
俺は今度こそ部屋を出た。
◇
黒の教団を離れた直後から、俺は移動に使える能力を惜しまなかった。
銀色のカードケースを開く。
「《アルカナ・デック》――発動」
白銀の光と共に五枚のカードが手元へ現れる。
欲しかった札が最初から出た。
♣2。
「助かる」
前方へカードを投げる。
可能な限り遠くへ。
「《チェンジ》」
視界が一度途切れ。
次の瞬間には、投げたカードの位置へ身体が移っている。
そこからさらに走る。
♣2にはクールタイムがある。
連続では使えない。
だから馬を借り。
列車へ飛び乗り。
道がなくなれば走る。
クールタイムが終われば再び転移する。
今持っているものを全部使って、距離を詰める。
その間ずっと。
頭の中では同じことを考えていた。
イェーガー元帥は死ぬ。
原作では、死ぬ。
なら、その前に俺が着けばいい。
原作には存在しなかった人間が。
原作にはなかったカードで。
死ぬはずだった人間を助ける。
それができるなら。
前世の記憶を持って生まれたことにも意味がある。
そう思いたかった。
◇
最後の通信地点へ到着した頃には、日が沈み始めていた。
山間の小さな街道。
雨が降り始めている。
俺は息を整える間もなく周囲を確認した。
地面。
足跡。
泥。
馬車の轍。
そして。
「……血」
街道の端。
黒い染み。
雨で薄まり始めている。
近くには、折れた黒の教団の装備品が落ちていた。
「こっちか」
痕跡を追う。
森へ、枝を掻き分けて進む。
途中、倒れたファインダーを見つけた。
「おい!」
駆け寄る。
まだ息がある。
「聞こえる?」
「……ヴァ……イス……」
「敵は?」
「ノ……ア……」
やはりか。
「元帥は?」
男の目が僅かに動いた。
「奥……へ……」
「分かった」
「……元帥を……」
「ああ」
救援隊がここへ来るまで。
このファインダーも持ってくれるか分からない。
それでも。
今はイェーガーを追う。
自分で選んだ。
その判断が正しいかどうかなんて。
あとで考える。
「待っててくれ」
一言だけ残し。
俺は森の奥へ走った。
◇
雨脚が強くなる。
木々の間に視界を遮られ。
泥で何度も足を取られる。
「……っ」
右目の奥が疼いた。
黒い眼帯。
三点で固定された留め具へ指が伸びる。
《天眼(プロヴィデンス)》。
数秒先を見れば。
敵の痕跡や。
向かうべき場所を絞れるかもしれない。
一本目を外しかける。
だが。
止めた。
今ここで無理に使って。
脳が限界を迎えれば。
俺は動けなくなる。
六時間。
場合によってはそれ以上。
「……まだ」
手を離す。
「まだだ」
走る。
自分の足で。
自分の目で。
探す。
やがて。
森が開けた。
「――」
そこで。
俺は止まった。
黒い団服。
倒れたファインダー。
壊された荷物。
そして。
中央。
大木の根元へ寄りかかるように。
一人の老人がいた。
「……イェーガー元帥」
返事はない。
「元帥!」
走り寄り、膝をつく。
身体中に傷。
団服は血で濡れている。
見るだけで。
酷い。
分かる。
それでも。
首へ手を当てる。
脈。
「……ある」
弱い。
でも。
生きている。
「イェーガー元帥!」
瞼が僅かに震えた。
「……誰……だ」
「ジークハルト・ヴァイスです」
「クロス……の……」
「そう。それでいいから喋らないで」
カードケース。
「ドロー!」
五枚。
♥4。
♦8。
♠5。
♣6。
♥K。
最後の一枚が見えた瞬間。
「……来た」
キング・オブ・ハーツ。
強力な札。
生命そのものを、一時的にこの世界へ繋ぎ止める。
だが。
治療ではない。
失った血を戻すことも。
壊れた内臓を治すこともできない。
ただ。
死を先延ばしにする。
それでも今は。
それが必要だった。
「♥K――」
カードを胸元へ当てる。
「《KING OF HEARTS――王命・生きろ》」
白銀の光。
イェーガー元帥の身体を包む。
乱れていた呼吸が、僅かに落ち着く。
「……よし」
効いた。
「このまま救援隊まで持たせる」
自分へ言い聞かせる。
元帥の目が少し開く。
「……無茶を……する」
「元帥に言われたくないですがね」
「は……は……」
笑った。
「笑うと傷が開きます」
「若い……な」
「知っていますよ」
「クロスに……似ていない」
「それは褒め言葉ですね」
また、微かに笑った。
こんな状況なのに。
俺も少しだけ笑った。
「すぐに救援隊が来る。だからそれまで寝てください」
「……ジークハルト」
「なんです?」
老人の声が。
さっきより弱くなる。
札は効いている。
なのに、何故。
「……子供たちを」
「何を?」
「若い……エクソシストたちを……」
嫌な予感がする。
「そういう話は元気になってからしてください」
「……頼む」
「駄目です」
即答した。
イェーガー元帥の目が僅かに開く。
「勝手に遺言みたいなことを言うな!」
「……」
「俺に押し付けないで、自分でやってくれ!」
声が少し震えた。
気づくと札の光が弱まっている。
「……おい」
まだ早い。
♥Kの効果は、もっと。
「待って」
カードを見る。
罅のような光が生命を繋ぎ止めている。
でも、身体そのものが耐えられない。
「……そんな」
心臓は動いている。
無理やり、札が動かしている。
でも、壊れた身体がついてこない。
「元帥」
「……充分だ」
「何が充分だよ」
声が出る。
「俺はまだ何もできてない」
「来て……くれた」
「遅かった」
「それでも……」
老人の視線が、俺へ。
「一人では……なかった」
胸が詰まった。
「……そういうの」
やめてくれ。
「そういうの、死ぬ前に言う台詞ですよ」
「……そうか」
「だからやめろって」
雨。
白銀の光。
震えるカード。
「ジークハルト」
「何」
「……良い……人間で……いろ」
思わず、眉を寄せた。
「難しい注文だな」
「は……は」
「俺はそんな出来た人間じゃないよ」
「知って……いる」
「じゃあ何で言うんだよ」
「……だから……だ」
そこで――――言葉が途切れた。
「元帥?」
♥K。
まだ光っている。
それなのに。
「イェーガー元帥」
返事がない。
「……おい」
脈はある。
カードが無理矢理あることにしている。
でも、本人の意識は戻らない。
「頼むから」
カードへ力を込める。
「まだ」
♥Kに治す力はない。
分かっている。
設定ではなく。
知識ではなく。
今、目の前でどうしようもないほど分かった。
「……生きろって言ってるだろ」
王命。
生きろ。
それでも、永遠には命令できない。
やがて、札の光が消えていった。
キング・オブ・ハーツが、ただの一枚のカードへ戻る。
同時にイェーガー元帥の胸も動かなくなった。
「……」
俺はしばらく、何もできなかった。
雨が、手に持つカードを濡らしていた。
◇
救援隊が到着した頃にはすべて終わっていた。
生き残ったファインダーの救助。
遺体の回収。
現場の記録。
ノアの追跡。
やることはあった。
だから、動いた。
指示を出した。
手伝った。
イェーガー元帥の亡骸も、自分で運んだ。
泣かなかった。
泣けなかったのかもしれない。
ただ、頭の中では。
同じ言葉だけが何度も繰り返されていた。
知っていた。
俺はこれを知っていた。
◇
本部へ戻ったのは二日後だった。
いつもの正門。
いつもの廊下。
けれど今日は誰も、
「また生きて帰ってきたか」
とは言わなかった。
既に報告は届いている。
ケビン・イェーガー元帥――――殉職。
「ジーク」
廊下の向こうで、リナリーが俺を見つける。
「……ただいま」
自然にそう言った。
その応えにリナリーはいつものように。
「おかえり」
と返した。
それだけ。
何があったのかは聞かない。
助けられなかったのかとも。
どうしてとも。
聞かない。
少しだけ、俺の顔を見る。
「ご飯は?」
「……食べた」
「いつ?」
「昨日」
「今日は?」
「まだだ」
「じゃあ行こう」
「今はあまり減っていない」
「知ってる」
「……」
「でも少しでいいから」
逆らう気力がなかった。
「分かったよ」
並んで歩いた。
◇
食堂にはアレンがいた。
俺を見るとすぐに立ち上がった。
「ジークさん」
「おう」
「……元帥は」
途中で言葉が止まる。
俺の顔で分かったのだろう。
「間に合わなかった」
自分で言った。
「……そう、ですか」
「正確には、生きてるうちには着いた」
席へ座ると、リナリーがスープとパンを持ってきた。
「でも」
スープを見る。
「助けられなかった」
アレンは黙っている。
俺はスプーンを手に取る。
食欲はない。
それでも。
一口。
温かい。
味はちゃんとした。
そのことに少しだけ驚いた。
「ジークさん」
「ん?」
「すみません」
「何が」
「僕が行っていれば」
やっぱり。
「アレン」
「でも」
「それは違う」
顔を上げる。
「お前が来てたら助かったなんて保証はない」
「……」
「俺がもう少し早ければ、っていうのも同じだ」
自分で言いながら、痛い。
それでも――――
「結果を知ってからなら、何だって言える」
アレンを見る。
「だからお前が謝ることじゃない」
「でもジークさんは」
「俺も」
一瞬、言葉が詰まる。
「俺も、自分だけのせいだと思わないようにするさ」
本当にできるかは分からない。
でも、そうしなければ次に動けなくなる。
気づけばリナリーが俺の隣へ座っていた。
「元帥、何か言ってた?」
「……」
イェーガー元帥の最後の言葉を思い出す。
「面倒なことを言われたよ」
「何?」
「良い人間でいろ」
リナリーが少し笑う。
「イェーガー元帥らしいね」
「無茶言うよな」
「そう?」
「俺だぞ」
アレンまで少しだけ笑った。
「それなら大丈夫じゃないですか」
「何を根拠に」
「ジークさん、結局困ってる人放っておけないでしょう」
「お前まで同じこと言う?」
「昔からです」
「……」
言い返せない。
「食べて」
リナリーがスープを指す。
「はいはい」
「ちゃんと」
「分かったよ」
スプーンを口へ運ぶ。
少しずつ。
本当に少しずつ。
身体の中へ、何かが戻ってくる。
◇
その夜、自室で俺は一人机へ向かっていた。
銀色のカードケースを開く。
五十四枚のカード。
その中から、♥Kを取り出す。
《KING OF HEARTS――王命・生きろ》。
命を繋ぐ札。
強力なカード。
普通のエクソシストから見れば、奇跡に近い能力かもしれない。
でも。
「……生きろって言うだけじゃ」
駄目だった。
身体そのものを直せなければ。
死を少し、遅らせるだけ。
前世で俺はイェーガー元帥が死ぬことを知っていた。
だから、どこかで思っていた。
知っているなら変えられる。
俺が存在することで、原作から外れれば助けられる。
そう思っていた、でも。
「場所も知らなかった」
日付も。
正確な時間も。
敵が何処から来るかも。
漫画の中で、結果だけは覚えている。
途中がない。
「……こんなの」
未来を知っているなんて、言えない。
俺が持っているのは、完成した答えではない。
断片。
曖昧な記憶。
その程度。
「知ってるだけじゃ、助けられない」
初めて、はっきりと認めた。
辛い。
でも多分、必要だった。
前世の知識は、絶対の未来ではない。
万能の攻略本でもない。
ただの一枚。
俺に配られた。
手札の一つ。
「……そういうことか」
少しだけ、腑に落ちた。
なら、使える時に使う。
信用しすぎない。
他の手札と合わせる。
必要なら、捨てる。
それでいい。
♥Kをケースへ戻し、決意を固めて。
「次は」
口から出る言葉を止めなかった。
「もう少し、上手くやる」
絶対助ける、などとは言えなかった。
そんなことができないと、今日知ったから。
それでも、何もしない理由にはならない。
「……寝るか」
椅子から立つと、右目の眼帯へ一度だけ触れる。
未来を見る眼。
原作を知る記憶。
どちらも、未来を保証してくれるものではない。
なら結局、最後に頼るのは。
自分で考えて。
自分で選んだものだけだ。
灯りを消す。
暗くなった部屋で、最後に思い出したのはイェーガー元帥の言葉だった。
『良い人間でいろ』
「……できる範囲でな」
返事はない。
当たり前だ。
それでも、少しだけ。
胸の奥に残っていたものが静かになったような気がした。