王都の中央付近に鎮座する大聖堂。普段は神聖で静謐な空間であるそこには現在、傷付いた多くの冒険者達が集まっていた。
「うぅぅ」
「痛え、痛えよぉ……!」
「た、頼む、早く治してくれ……!」
血の悪臭と苦痛な呻き声が大聖堂の広間を満たす。修道服を身に纏う者達は、それらが漂わせる陰鬱な空気に耐えながら、怪我をした冒険者達を癒していく。
「───なんでだよ!」
その時、聖堂の一角で悲痛な叫び声を上げる者が居た。
「なんで、なんでさっきから傷が塞がってねえんだよ!」
細目で緑髪の男の名前はザイン。彼は堪らずといった様子で、茶髪の少女に向かって叫んでいた。
その視線は、少女が手をあてがっている黒髪の男へと向けられていた。ザインの表情には、隠しきれない不安が浮かんでいる。
「あんた聖女なんだろ? すごい力持ってんだろ? だったら早く、兄貴の傷を治してくれよ!」
彼が兄貴と呼んだ男、リオンは、彼が焦燥に駆られても仕方ないほどに重傷だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
全身至るところ傷だらけで、息は絶え絶え。そして一番酷いのは、背中を袈裟懸けに大きく裂いた切り傷。
「っ、うるさい!」
茶髪の少女、エリカは苛立たしげに怒鳴り返す。彼女も先ほどから懸命に背中の傷を治そうとしていた。
彼女の持つ癒しの力なら、背中の大きな傷も多少時間は掛かるが確実に治せる。そのはずだった。
「なんで、なんで治らないのよ!?」
しかし、傷は一向に塞がらず、彼女の翡翠色の瞳が動揺で揺れる。
背中にあてがった彼女の手からは、淡い光が放たれ続けている。癒しの力は確かに効果を発揮しているというのに、男の背中に刻まれた傷は、それを嘲笑うかのように、一向に塞がる気配を見せなかった。
(まさか何かの呪い? けど解呪しようにもアイツは今ここには居ないし、どうすれば……!)
「……献身の聖女」
不意にザインがポツリと、ある単語を口にする。
「ーーー」
それを聞いたエリカの顔からは、一瞬で血の気が失せた。
「そうだ、献身の聖女様! あの方ならきっと兄貴の傷も治せる!」
ザインの顔に希望が浮かんだ。
献身の聖女。それは王国最高峰の治癒の力を持つ者の二つ名。どんな致命傷も彼女の手に掛かればあっという間に治せると噂されていた。
もうこれしか無いと思ったザインがエリカに呼び掛ける。
「なあ頼む! 早く献身の聖女様を呼んで」
「───駄目よ!」
そして彼女は、それを躊躇いなく一蹴した。
「は? な、なんで」
「なんでもどうしてもない。あの子は呼ばないわ、絶対に……!」
「っ、何言ってんだ! このままじゃ兄貴が」
「だからあたしが治すって言ってるでしょ!」
「どうやってだよ!?」
取り付く島もない拒絶ぶりに、ザインは今にも掴み掛かりそうな勢いでエリカに迫る。それでも彼女の態度は変わらない。
……段々とヒートアップしていく二人に周りがざわつき始めた頃、大聖堂の奥から
「「……!」」
エリカとザイン、いや広間に居る全員が彼女に釘付けになる。
最初に目に入ったのは、白だった。
額から顎まですっぽりと覆った白いフルフェイスヴェール。首元まで隙間なく覆う白い修道服。そして足元まで流れる長い裾。両手も白いロンググローブに包まれており、見え隠れする腰まで届く長い髪もまた、雪のように純白だった。
肌をほとんど晒さない慎ましやかな装い。そこに金糸の刺繍や百合の紋様、随所にあしらわれた淡い青色の宝石が、控えめながらも確かな華やかさを添えていた。そしてそれが、彼女がただの修道女ではなく、高位の存在であることを静かに物語っている。
……いや、そもそもからして。彼女が何者であるかなど、この場に居る者は全員周知していた。
「……献身の聖女様」
誰かが呟く。そう、彼女こそ王国が誇る歴代最高峰の聖女。『献身の聖女』その人である。
「エリカ、その方がどうかなさいましたか?」
「ミラ……」
献身の聖女、ミラはゆったりとした動作でエリカのもとへ向かう。フェイスヴェールで前が見えにくいのか、隣に立つ侍女が彼女の腕を持って支えていた。
「……なんでもないわよ。この人はあたしが診てるから、あんたは他の」
「頼む! 兄貴の傷を治してくれ!」
「っ、あんた……!」
被せるようにザインが言い放つ。エリカは思わず彼を睨み付けた。
「……」
ミラはザインの言葉を聞き、男の体を一瞥した。その背中に刻まれた大きな傷を見て、
「分かりました」
すぐに頷いた。
「すぐに取り掛かりましょう」
「ミラ!」
「ごめんなさい。ですが、もう彼には一刻の猶予もありません」
分かってください。そう言って彼女は、男の体に触れた。
「ぅ……ぁ……」
男は今にも消えそうな意識の中、その手の温もりを確かに感じ取っていた。
「いや、やめて!」
「大丈夫ですよ、すぐに終わりますから」
エリカはミラに向かって悲痛な声を上げて、ミラは男に向かって優しく語り掛ける。……次の瞬間だった。
男の全身が光った。……いや、正確には男が負った傷が光を帯びたのだ。
「す、すげぇ……」
ザインは感嘆のため息を零した。光を帯びた傷はみるみるうちに塞がって、いや
「───はい、終わりました」
「……これは」
光が消え、ミラがそう言った直後、男はカッと目を見開き、起き上がる。
「本当に、全部治っている」
そして、まったくの無傷となった自分の体を不思議そうに眺めていた。
「あ、兄貴ぃ~!」
たった数秒だった。死に際だったはずの男は、たった数秒で死の淵から生還し、しかも完治にまで至ってしまったのだ。これにはザインも盛大に男泣きしてしまう。
「どうでしょう? もう痛みは感じませんか?」
「あ、ああ、もうなんともない」
「そうですか」
「ありがとう、本当に、どう礼を言ったらいいもの……か」
男が大きな感謝の念を持ってミラに顔を向けた時、
「それは良かったです」
「……」
ヴェール越しに薄っすらと見えた彼女の満面の笑み。心の底から喜んでいる事が伝わるその笑顔に、男は目を奪われてしまった。
「……ミラ様、本日はもうお休みになられた方がよろしいかと」
直後、ミラの侍女である銀髪の女性が、静かな声で彼女に呼び掛ける。
「え?」
「そうね、あんたはもう裏に行ってなさい」
その侍女の言葉にエリカも続く。
「あの、ですがまだ負傷している方がたくさん」
「いいから! ……一番重傷なやつを治してくれたんだから、それで十分よ」
「ですが……」
「行きましょう、ミラ様」
なおも渋るミラを侍女は半ば無理やり連れて行った。
……あっという間に退場していくミラだったが、彼女が残したものは大きかった。
目の前で奇跡を見せつけられた負傷者たちは言い様のない安心感を覚え、修道者たちはやる気に満ち溢れる。
「いやー、すごいっすねリオンの兄貴! 流石は国一番の聖女!」
「ああ、本当にな」
ミラに治療してもらった男、リオンは再び彼女に驚かされる。
能力だけではない。一瞬で周囲を動かしてしまう彼女の影響力は、凄まじいの一言に尽きる。
「……!」
しかし、そんな中でエリカだけは、腹立たしそうに歯を食いしばり、そしてリオンの方を睨んだ。
「……っ」(な、なんだ?)
憎しみを隠そうともせず、エリカはリオンを見る。その目に宿る激しい憎悪に、リオンは恐れよりも先に戸惑いを感じた。
どうして彼女は、そんなにも自分を憎んでいるのだろうか?
「あ、エリカ様! こちらの方の治療をお願いします!」
「……チィッ!」
そんな疑問を投げかける前に、彼女は大きな舌打ちを鳴らしてから新たな負傷者のもとに向かった。
「うへぇ、急になんなんすかねあの聖女。あんな怖い顔するなんて」
「……さてな」
リオンはおっかなそうにするザインの言葉に曖昧に頷く。
(俺は、何かを見落としているのか?)
その脳裏では、ミラの笑顔とエリカの怒りの形相が、浮かんでは消えてを繰り返していた。
▼▼▼
負傷した冒険者達の治療を終えたその日の夜、エリカは大聖堂の中を一人で歩いていた。
「……」
黙々と、迷いのない足取りで長い廊下を進んでいく。そうして辿り着いた先にあるのは、金色の聖印があしらわれた白い扉だった。
「ミラ、起きてる?」
コンコンとノックして、声を掛ける。
「エ、エリカ? は、はい、起きていますよ」
すると、部屋から少し焦ったような口調の声が返ってくる。
「っ、入るわよ」
「あ、ま、待って下さい」
その制止を無視してエリカは扉を開く。
「少し着替えをする……ので」
そこには、ミラが居た。広間で見たような肌をほとんど晒さない修道服姿ではない。キャミソール一枚という、あまりにも無防備な格好だった。
「……」
「あ、あはは、お見苦しいものを見せてしまいましたね」
エリカの翡翠色の瞳と、ミラの蒼色の瞳が交差する。マジマジと見つめてくるエリカに、ミラは恥ずかしそうにして苦笑を浮かべた。
聖女に相応しくないラフな格好だから……ではない。
エリカが見ているのは、露わになったミラの素肌、そこに浮かび上がる、染みのような
ミラの肌には、至るところに黒いアザが付いている。それを見るたび、エリカの心は悲鳴を上げてしまう。
「……背中、見せなさい」
「えっと、エリカはもう力を使ってお疲れでしょうし、また明日でも」
「いいからっ」
エリカは無理やりミラをベッドに座らせ、背を向けさせた。
「っ、やっぱり、そうなのね」
そこにもやはり、黒いアザがあった。しかも、他のものよりも濃く、広く、彼女の背中を侵食していた。
アザの形は傷跡に酷似していた。しかもそれは、今日見たリオンの背中の傷と、まるきり同じ形をしている。
「治療するわよ。いいわね?」
「……はい」
有無を言わさず、エリカは彼女の黒いアザに触れる。
彼女の手から淡い光が放たれる。すると、ミラの背中以外に付いていた黒いアザは徐々に薄れ、消えていった。
「痛い?」
「いいえ、そんな事ありません」
「そう」(嘘つき)
穏やかな口調で返すミラに対して、エリカは心の中でそう呟いた。
(本当は、痛くて痛くて堪らない癖に)
彼女は知っていた。ミラの持つ力が単なる奇跡じゃない事を。その身に刻まれたアザがどれほどの激痛を齎らすのかを。
彼女は、一番近くでずっと見てきた。
「どうして……」
「はい? 何か言いましたか?」
「なんでもないわよ」
エリカはぶっきらぼうに返す。その間も黒いアザの治療にはしっかりと集中している。
それから十分あまりで、ミラに付いていた黒いアザはほとんど消えて……残るアザは背中にある大きなものだけとなった。
「やっぱり、ミラに
「ああ、やはりそうでしたか」
ミラの方も予感していたのか、エリカが告げた言葉にあっさりと同意する。
「エリカでも治せないとなると、恐らく呪いの類い……それも傷の治療を阻害する力が込められているんでしょう」
「……そうね」
「呪いとなると彼女の力が必要ですし、しばらくはこのままですね」
「……ごめんなさい」
「え?」
とうとう堪えきれなくなったエリカは、謝罪の言葉を絞り出す。
「あたしがもっと強かったら、呪いなんて吹っ飛ばせるぐらいの力を持っていれば、ミラにこんなっ、こんなことさせずに済んだ、のに……!」
「お、落ち着いてください。本当に私は大丈夫ですから。むしろ嬉しい限りです」
「え?」
「あ、いえ、えっとー……」
思わず本音が漏れてしまったことを誤魔化すように、ミラはバツが悪そうにポツポツと語り出す。
「……あの場には本来、彼の傷を癒せる者は居ませんでした。そんな中、私の力が役立ち、彼を救うことが出来ました」
そして彼女は、はにかんだ笑顔をエリカに見せる。
「私の力のお陰で一つの命を救えたのですから、これ以上の喜びはありませんよ」
「〜〜〜ッ!」
その言葉が、その笑顔が、どうしても受け入れられない。
(違う! その為にあなたが苦痛を全部背負うなんて間違ってる!)
否定したかった。彼女の想いを踏みにじってでも、もうアザだらけの彼女の姿なんて見たくなかった。
弱音を吐いて欲しかった。もう嫌だと、こんなの耐えられないと、恥も外聞も捨てて泣きついて欲しかった。そうすれば、全てをかなぐり捨ててでも彼女を救おうとしてみせた。
だけど、出来ない。他ならぬ彼女自身が、この状況を良しとしてしまっているから。
「……お願いだから、自分を大事にして」
もはや自分に出来ることは、彼女に懇願する事のみ。
「あんたが傷付かないで済むなら、あたしはもう他の何も要らないのよ」
「……」
エリカの悲痛な願いに、ミラはただ微笑みを返すだけだった。
▼▼▼
「お願いだから、自分の体を大切にして」
そう言ってエリカは、今にも泣きそうな表情でミラを見つめる。それを見たミラは心底申し訳ないと思うと同時に、
(……良かった)
ホッと安堵していた。
(咄嗟に誤魔化してしまいましたが、エリカは気付いてないようですね)
それは先ほど口にした言葉が原因。
『───私の力のお陰で一つの命を救えたのですから、これ以上の喜びはありませんよ』
それは半分本当で、半分嘘の言葉。
自分の力で命を救えた事が嬉しいのは本当だ。しかし、『これ以上ない喜び』かと言われれば、それは少し考えざるを得ない。
(まさか、
なにせ彼女があの時発した『むしろ嬉しい限りです』という言葉は、背中に受けた黒いアザの痛みをもうしばらく堪能できそうで嬉しいという意味なのだから。
(ひと目見てただならぬものを感じましたが、まさか呪いが込められていたなんて)
ミラの力は、傷を治すものではない。対象の傷を自身の体に移すというものだ。
故に、リオンの背中に付けられた『癒えない傷』は、ミラの力の前では何の障害にもならなかった。代わりに自身へ移った傷は治療できないが、そこも含めてミラにとっては嬉しい誤算である。
(それに呪いを抜きにしても、本当に酷い傷です)
背中の黒いアザは、実際にリオンが受けた時と同等の激痛をミラにもたらす。
(本当に)
皮膚が灼けそうなほどに熱い。肉を裂き、傷口を抉る見えない刃が凍えそうなほどに冷たい。
血しぶきが吹き出る感覚に死の気配を感じてゾッとする。身じろぎ一つするたび全身に稲妻が奔って悲鳴を上げそうになる。
(本当に……!)
痛い、痛い、痛い。夥しい数の痛みが、何度も何度も、毎分毎秒と襲ってくる。……それが本当に、
(───くっっっそ
本当に、快感だった。
「ふひっ」(ああ
あまりの快感に思わず気色悪い笑いが溢れてしまう。それがエリカにバレなくて良かったと思いつつも、心の中では快感によがる事を止められない。
(ああ駄目、駄目です。
そもそもミラがキャミソール一枚だけのラフな姿になったのも、背中の
(は、早くエリカを部屋から出さないと……って、はぇ?)
いい加減このエクスタシーを解放したかったミラは、エリカを追い出そうとした時……当の彼女はミラをベッドに寝かせた後、なぜか彼女の方も一緒のベッドに入ってきた。
「あ、あの、エリカ?」
「……ごめん、しばらくこうして欲しい」
エリカは小さく呟く。その弱々しい声音とは裏腹に、ミラの手を握る力は強かった。
(〜ッ、くぅ……! む、無理です。このタイミングで出て行ってなんてとても言えません!)
もはやミラに残されたのは、エリカが満足するまで我慢するか。我慢できずにエリカの前であられもない姿を晒すか。二つに一つだった。
「え、ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとう……ふふ、懐かしいわね。昔もこうして一緒に寝たっけ」
「そ、そうですね」
「あの時は、あんたの方から来てたのよね」
「そうッ、です、ね……!」
……献身の聖女。それは王国最高峰の癒し手。我が身を顧みず他者を救う慈悲深い心の持ち主。
(我慢我慢我慢!)
……これが?
……違うだろう。
世間が神聖視する献身の聖女の姿も、エリカが見るミラという少女の姿も、どちらも彼女の本質の半分でしかない。
献身の聖女? そんな大それた名は彼女に似合わないだろう。彼女に相応しいのは、そう、
───被虐の聖女
(が、がんばるのですミラ! こんな事でエリカに軽蔑されては、死んでも死に切れないというもの!)
この物語は、痛みを快感とする被虐の聖女が
もっと言えば、救いようのないドMに周りが振り回されるお話である。
(耐え耐え耐えあっヤバいキツいのク───ふ、ふおおお!?)
……なお、彼女は無事に夜を越せたらしい。