トンボをちらほら見かけるようになった、ある日。
窓から差し込む柔らかな日差し。私が淹れたコーヒーの香りと、ほんのりと漂うたばこのにおい。
……どうせ、軽井沢巡査がまた隠れて吸っていたんだろう。敷地内は禁煙だってのに何回言えば分かるんだ。
ここから数日間は、珍しく交番に来客が多い。というのも、周辺の小学校が社会科見学を行う時期になったからだ。そのため今日は朝から交番の大掃除をしていた。
普段から掃除をしていないわけではない。誤解はしないでほしいが、ちゃんとやれるときに掃除はしている。
しているのだが、警察官という仕事は何かと忙しい。事件や相談、落とし物の処理に書類仕事。交番の外に出ることだってある。そのため、全員で時間を合わせて交番の隅々まで掃除する機会というのは意外と少ない。今回はちょうどいい機会と言えるだろう。
「せっかく未来ある子供達が来るんですから、汚い部分は見えない様にしましょう。軽井沢巡査、倉庫に荷物を持っていってください」
私は窓を拭きながら呟いた。
「えぇ、同感です。子供に悪影響があるといけませんからね。貴方は今日、荷物担当です。大体2時間ぐらい、倉庫で荷物整理をお願いします」
佐藤巡査長も掲示板を整理しながら頷いた。
「先輩方、どうして俺を奥に押しやろうとするんですかァ?こんなにも清廉潔白な警官だというのに」
「自分の胸に聞いてみて下さい」
「そんなァ」
私は淡々と返した。軽井沢巡査がわざとらしく肩を落とす。
という冗談はさておき。次に私は床にほうきをかけていく。デスク周り、床、入り口周辺。普段から使っている場所だからこそ、こういう時には細かいところまで気になるものだ。
「犬井巡査、抜け毛ヤバいっすねェ」
「……は?」
ほうきの先に絡みついた毛を見ながら、軽井沢巡査が言った。
「貴方にはデリカシーが無いんですか?」
「いやぁ、これ結構な量ですよォ?」
仕方ないだろう、ちょうど換毛期なのだ。それに最近はストレスが凄い。テレビだのSNSだの事件だのと、ここ最近は何かと忙しかった。この調子だと、退職する頃には毛が全部なくなっているかもしれない。
……いや、獣人だから流石にそこまでにはならないか。
軽井沢巡査が大きな荷物を片付け、佐藤巡査長が掲示物を整理する。そして私は床の掃除を続けた。
そんな中、佐藤巡査長が時計を確認した。
「もうそろそろですよ。今日は、さくら小学校の五年生がやってきます」
「ああ、そうでしたね」
私も時計を見る。すると、軽井沢巡査が荷物を持ちながら口を挟んだ。
「小学校からは普段通りの姿で良いって言われてるっすよォ」
「そうですね」
「じゃあパチンコ行ってきても良いっすよねェ」
「は?」
私はほうきを止めた。見れば、佐藤巡査長がどうしようもない人間をみる表情で、
「ダメです。問題発言、反省文一枚」
「横暴だァ!」
「何がですか、そもそもパチンコに行くのが普段の姿だって言うんですか」
後ろで二人が小粋なトークを続けている。
私はそれを聞き流しながら、少しだけ憂鬱になっていた。例年だって、私はいつもの犬のおまわりさんとして、子供たちに耳や尻尾を触られまくっている。それ自体は別に構わない。子供は獣人の耳や尻尾が珍しいのだろうし、私自身も小さい子供に悪意がないことくらい分かっている。
ただ、今年は少し事情が違う。
色々あって表彰されて、テレビに出た。その後、タレント紛いの仕事もいくつかした。それに、なんか知らないけれどSNSで有名になってしまったらしい。
最近の子供はSNSにも詳しい。小学五年生ともなれば、私がどういう扱いをされているのか、知っている子もいるだろう。
……一体、どんな顔で会えばいいんだ。
そんなことを考えていると。
ピクッ。
私の耳が動いた。同時に、怒られていた軽井沢巡査の耳も動く。
子供たちのさわぎ声。そして、先生らしき人が諫める声。
「おや、もう来たみたいですか?」
「そうですね、愉快なご一行の到着です」
我々の様子で感づいた、佐藤巡査長が言った。私はほうきを壁に立てかける。そして手際よく掃除道具を片付けた。軽井沢巡査は窓拭き用の布をしまい、佐藤巡査長は掲示物の最終確認をする。そして、服装を整えた。
私は交番の入り口へ向かい、扉を開け入りやすいようにする。そこには、引率の先生と、七人ほどの小学生がいた。
「本日はお忙しいところ、よろしくお願いします」
先生が頭を下げる。
「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
佐藤巡査長が笑顔で応じた。その隣で私も頭を下げる。すると、先生が私を見た。
「あ……」
「……?どうされましたか?」
「テレビで見た犬井巡査だ」
「……はい。犬井巡査ですよ。本日はご足労いただきありがとうございます」
学校の先生に、こんな反応をされたのは初めてだ。これもSNSってやつの仕業なのかも。
私がそんなことを考えていると、子供たちが一斉になだれ込んできた。
「犬井巡査だ!」
「本物!」
「かわいい!」
「耳動いた!」
「尻尾ある!」
「……はい。本物です」
次々と素直な発言をする小学生たち。慣れている子は、もう私の周りで尻尾を観察している。遠慮がなさすぎる。
「はははっ、先輩、大人気っすねェ!」
「軽井沢巡査、笑ってないで助けてください」
「無理っすねェ」
結局、助けてもらえなかった。この薄情な猫め。
今日見学に来た小学生は七人ほど。私は暖かいお茶を出し、足りない椅子を奥から出して、子供たちを座らせる。
しばらく交番の中を見てもらい、先生の合図で質問タイムが始まった。基本的には佐藤巡査長が答えるらしい。私はおとなしく聞いていればいい。
……と思っていた。
「……犬井巡査、尻尾動いてる」
「触っていい?」
「どうぞ。ただし引っ張らないでくださいね」
「はーい!」
数秒後。私の尻尾が三人の子供たちに囲まれていた。
……まあ、いいか。
そうして佐藤巡査長が質問に答えていく。
「警察官ってお休みはあるんですか?交番はいつ見ても明かりがついているので気になって」
「もちろん休みはありますよ。夜に明かりがついているのは、我々が交代で待機しているからです」
「そうなんですね!いつもありがとうございます!」
「いえいえ。こちらこそ」
微笑ましい質問だ。質問しているのも真面目そうな女の子で、大変礼儀正しい。さくら町の将来は安泰だな。
次の子が手を挙げる。
「お給料ってどれぐらいなの?」
「コラ! その質問は辞めなさいって言ったでしょ!」
先生が慌てて止める。小学生らしい、遠慮の無い質問だ。
「はは、先生、大丈夫ですよ」
佐藤巡査長は苦笑した。
「そうですね……詳しい金額は言えないのですが、皆様の税金から少しだけ頂いています」
「分かった!」
「じゃあ私、たくさん税金納めるね!」
女の子が元気よく頷いた。
そんな会話をしていると、今度は軽井沢巡査を指差す女の子がいた。
「猫のお兄さん、この前お花屋さんのお姉さんとお城みたいな建物に入ってるのみたよ!いいな~。私も入りたい!」
「あ~、それはラブ」
「すみません」
佐藤巡査長が素早く割り込んだ。
「私は倉庫でこの猫のしつけをしてきます。犬井巡査、質問の対応をお願いしますね」
「え?」
次の瞬間、私の目にも止らぬ早さで。佐藤巡査長は軽井沢巡査の首根っこ……ではなく、制服の襟を掴んだ。
「ちょ、正義先輩!? 俺まだ何も――」
そのまま奥へ。
「ちょっと、社会科見学はいいんすかァ!?」
「はぁ、自業自得です。ここは任せてください」
「ハル先輩まで!?」
二人が奥へ消えていった。私はため息をつく。……猫のしつけも大変そうだ。だがすぐに、私にも質問が飛んでくる。
「おまわりさんは何歳ですか?」
「28歳ですよ。もうすぐしたら30歳です」
「ボクのお姉ちゃんが小学校一年のころからいるって聞いて」
「そうなんですか。君のお姉さんは確か、今中学三年でしたかね?元気にしているでしょうか?」
「うん、元気だよ!」
「それは良かったです」
私は少し笑ってから、付け加える。
「……ですが、女性に年齢を聞くものではありませんよ」
「あ……」
男の子が申し訳なさそうにする。
「ごめんなさい。……でも、お姉ちゃんが聞いてほしいって。ハツコイ?だからって」
「なるほど……?」
なんだそれ。ハツコイ?本当に私の知っている初恋って言葉であってるか?私に初恋なんて、惚れる要素が可愛さぐらいしかないだろ。
「……元気そうですね。良かったです」
私はそれ以上聞かないことにした。なんだこの質問。
その後も質問は続いた。
「犬井巡査、テレビってヤラせがあるって聞いたけど本当?」
「だからやめなさい!」
先生が頭を抱える。やはりこの年齢の子は、そうとうませているようだ。私は少し考える。
「えーっと……少なくとも私が出たテレビは無かったです。『ウルトラライダーDASH!』に出ましたが、全部実力ですよ」
「すっげー!」
子供たちが目を輝かせる。……あれは時間ギリギリで本当に大変だったなぁ。そんなことを思い出していると、また別の男の子が手を挙げた。
「この前、ドミネイ探偵団の切り抜きを見ました」
「……はい」
「犬井さん、犯人を確保していましたけど、怖くないんですか?」
私は少し考えてから答えた。
「もちろん、怖いですよ」
「えっ?こ、怖いんですか?」
「はい、当然です」
男の子が驚く。私は尻尾を触られながら、子供たちを見た。
「怖いから、どうすれば市民や他の人、あと自分も、怪我をしないか考えるんです」
子供たちが静かになった。そして、別の子が聞く。
「悪い人は、やっつけるんですか?」
私は少し考えた。
「……できれば、やっつけたくはないですね」
「でも、悪いことしてる人ですよ?」
「そうですね、それはそうです」
私は頷く。私だってそれは分かっている。犯人が反省するケースなんて、見てきたから分かるがほんの一握りだ。性善説なんてまやかしなのも。
ただ私は。できる限りそれを信じたいのだ。
「でも、その人にも家族や友達がいるかもしれません」
「じゃあ、どうするの?」
「悪いことを止めてもらいます。そのために、話をすることもあります」
「話を聞いてくれなかったら?」
「そのときは――」
私は少しだけ背筋を伸ばした。
「警察官として止めますよ」
子供たちは黙って私を見る。優しいだけではいけない。愚かに相手を信じるだけではいけない。必要なら、毅然として立ち向かう。それもまた、警察官の仕事だと思っている。
…なんて、柄にも無く真面目なことを言ってみる。見ると、小学生達はぽけーっとした表情だった。つまらない返事をしてしまったかな。
そう思った、そのとき。
「……かっこいい」
ぽつりと、女の子の一人が呟いた。
「え?」
「犬井巡査、かっこいい!」
今度は、はっきりとした声だった。
「怖くても、人を守るために頑張るんだ……」
「うん、すごいな!」
別の男の子が頷く。
「俺、警察官って怖くない人なのかと思ってた」
「私も!」
「でも、怖いのに犯人を止めるんだ!」
「すげぇ……!」
どうやら、想像していた以上に、警察官を評価してくれていたらしい。実は怖いだなんて、要らないことを言ってしまったかも。
「私、警察官になりたい!」
「俺も!」
「俺は犬の獣人!そんで姉ちゃんと結婚する!」
「種族が変わってるじゃないですか」
思わずツッコむ。すると、一番最初に質問していた真面目そうな女の子が、私をまっすぐ見つめていた。
「犬井巡査みたいな警察官になりたいです」
「……私みたいな、ですか?」
「はい!」
迷いのない返事だった。
「怖くても逃げないで、悪い人を止めて、人を助ける警察官」
「そう、ですか……」
私は言葉に詰まった。そんな立派な人間ではない。怖いものは怖いし、逃げたいときだってある。休日だってだらだらしたい。テレビに出れば恥ずかしがり、SNSを見れば頭を抱え、子供に尻尾を触られれば好き放題されている。威厳もまったく無い。
そんな私が。「警察官になりたい」と言われるなんて。なんだか、むずむずする。
「……ありがとうございます」
私は少しだけ照れながら笑った。すると、別の子が手を挙げる。
「犬井巡査、質問があります!」
「はい、なんですか?」
「警察官になるにはどうすればいいの?」
「勉強をして、体力をつけて、それから警察官採用試験に――」
「じゃあ俺、今日から走る!俺も筋トレする!」
「気が早いですね。まだ小学五年生ですよ」
いつの間にか、交番の中が妙に騒がしくなっていた。さっきまでの質問会とは明らかに違う。子供たちの目が、きらきらしている。
もしかして。私、ちょっと格好つけすぎた?改めて子供たちを見る。
「犬井巡査!俺、警察官になる!」
「私も!」
「私も!」
なんだろう。胸の奥が、ほんの少しだけ暖かい。
「……それなら、頑張ってください。いつか一緒に仕事ができるといいですね」
私は笑ってそう言った。元気な返事が、交番の中に響いた。