それから、小学生達からの残りの質問に答えたり、楽しくおしゃべりしたりしていると。
奥から佐藤巡査長が戻ってきた。その後ろには、どこかしょんぼりした軽井沢巡査。どうやら、たっぷりしごかれてきたようだ。
「戻りました」
「お疲れ様です」
「……先輩、俺、悪いことしてないのにィ。しくしく」
「反省文一枚追加」
「まだ言いますゥ!?」
いつもの調子に戻ったところで、今度は個別の質問と交流の時間が始まった。ただ、私は先ほど一人で質問対応をすることになったので、追加で質問をしてくる子はほとんどいなかった。
その代わり。
「犬井巡査、また尻尾みせて!」
「…もう。いいですけど、引っ張らないでくださいよ」
何人かの子供が私の尻尾を掴み、コバンザメのようについてくる。
……まあ、これはこれでいいか。そう思いながら交番の中を見渡していたときだった。
ふと、視界の端に一人の子供が映った。交番の端に置いた椅子。そこに、さっきから一人だけほとんど参加していない男の子が座っている。
メガネを掛けた、青い体毛の獣人。珍しいな。
人間にアルビノの人がいるように、獣人にも大体100人に1人ぐらいの確率で特徴的な体毛の人が生まれることがある。差別がヤバかったころは、めちゃくちゃ狙われて高値で取引されたらしい。ひどい話だ。
彼はタヌキ……?いや、少し恰幅が良いだけの猫の獣人のようだ。ちゃんと猫の耳もある。その子は耳を伏せ、周囲を見ようともしない。
「……?」
私は少しだけ首を傾げた。そして、私の尻尾を掴んでいる子に聞いてみる。
「ねぇ、あの子はどうしたの?」
「あの子?」
子供が振り返る。
「五右衛門くんだよ」
「五右衛門くん?」
「うん。でも、なんとなく話しかけにくくって」
その言い方に、私は少し引っかかった。別に、他の子供は嫌っているわけではなさそうだ。
ただ、どう接していいのか分からない。そんな感じだった。
私は先生に目を向ける。私たちの会話を聞いてか、先生もこちらを見ていた。そして、少し困ったような顔をしてから、小さな声で事情を教えてくれた。
五右衛門くんは、最近この町に引っ越してきた転校生らしい。今の学年では、彼が唯一で初めての獣人。
以前の学校では、獣人だからという理由でからかわれていた。耳や尻尾を勝手に触られたこともあった。「青狸」と悪口を言われたこともある。何か問題が起きれば、「獣人だから」という理由で責められることもあった。そのため、転校してきた今も、人間の子供とは関わりたくないと思っているらしい。
私は五右衛門くんを見る。大きな身体を椅子に縮めるようにして、こちらを見ている。
今ここにいる子供たちが悪いわけではない。彼らには、五右衛門くんを傷つけようという意思はない。
ただ――。過去の経験が、今の交流を邪魔している。それだけなのだろう。
……ちょっとだけ、私が話してみよう。私は後ろにいる子供たちに声をかけた。
「ねぇ、みんな。あそこの猫警官のお兄さんの尻尾なら、代わりに触っていいですよ」
「えっ!?」
奥から軽井沢巡査の声がした。
「俺ェ!?」
「ほら、行ってきてください」
「先輩、俺は猫カフェじゃないんですけど!」
「普段から猫みたいなことしてるでしょう。フラフラ出歩いて」
「何のことっすかァ!?」
名残惜しそうに私の尻尾を離しながらも、子供たちは楽しそうに軽井沢巡査のところへ向かっていく。
……これでいい。
私は五右衛門くんの前まで歩いていき、ゆっくりとしゃがんだ。そして目線を合わせる。会話の基本だ。
私は、いきなり「みんなと仲良くしよう」なんて言うつもりはない。そんなことを言われたって、怖いものは怖い。だから私は、少しだけ間を置いてから声をかけた。
「……無理に仲良くしなくたっていいですよ」
五右衛門くんが顔を上げる。
「……え?」
「関わるの、怖いんでしょう?」
しばらく黙っていた。やがて、小さく頷く。
「……うん」
「だったら、今すぐ怖くなくならなくてもいいです」
五右衛門くんが私を見る。私は自分の耳に触れた。
「私も獣人ですが、あなたが嫌だったことが全部分かるとは言えません。私と貴方は違う人ですから」
私は、五右衛門くんの過去を知らない。だから、分かったふりはしたくなかった。
「怖いものを怖いと思うことは、悪いことじゃないですよ」
五右衛門くんは黙って聞いている。少ししてから、ぽつりと言った。
「……じゃあ、どうしたらいいの?」
私は交番の中を見渡す。そこには、先ほどまで私の尻尾に群がっていた子供たちと、現在進行形で軽井沢巡査の尻尾を弄っている子供たちがいる。
……あれはあれで、少し問題な気がするけど。
「この町の人たちは、子供も含めて、獣人をどうとか、あまり思っていないですよ」
「……本当?」
「ええ。ほら、あれを見てください」
視線の先。軽井沢巡査が子供たちに尻尾を掴まれている。
「ちょ、ちょっと君たちィ!ちょっと遠慮して!せめて触るなら優しくお願いします!」
珍しく慌てた表情の軽井沢。……普段からあれぐらい親しみやすい警官ならいいのに。五右衛門くんが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……ふふ」
その笑いを見て、私は少し安心した。
「友達、作らないといけないのかな」
五右衛門くんが聞く。
「…いえ、無理には作らなくてもいいですよ」
「え?」
「ただ――」
私は少し考えてから言葉を選んだ。
「一人でいたいのと、一人でいたくないのに一人でいるのは、ちょっと違います」
五右衛門くんが黙る。
「もし本当は、みんなと遊びたいなら。一人でいるのがどこか寂しいなら」
「……うん」
「一歩だけ、近づいてみてもいいんじゃないですか?」
私は微笑んだ。
「さくら町は、そんなに怖いところじゃありませんよ」
しばらくして。五右衛門くんが小さく頷いた。
「……うん」
私は立ち上がる。そして、子供たちの方を向いた。
「みんな、ちょっといいですか」
「なーに?」
「この子、まだこの町に来たばかりなんですよね」
子供たちが五右衛門くんを見る。五右衛門くんは少し緊張した様子だった。
私は続ける。
「だったら、さくら町のことを教えてあげたらどうですか?」
「う、うん」
五右衛門くんが、小さく頷いた。
「僕、この町のこと知りたいな」
その一言を聞いて、子供たちの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ学校の秘密教える!」
「俺は駄菓子屋さん!」
「給食のおすすめなら教えられる!」
「野球って知ってるか?近くに土管の空き地があるんだ!」
「そうだよ!五右衛門君、野球しようぜ!」
一気に声が飛び交う。五右衛門くんは最初、戸惑っていた。
けれど。
「……野球、やってみたい」
「じゃあ放課後集合な!」
「うん、よ、よろしく…」
その顔には、困惑の中に、ほんの少しだけ笑顔が浮かんでいた。
……これでいい。きっと、最初の一歩なんてこんなものだ。
私はそう思った。
そして、社会科見学も終わりの時間になった。
「今日はありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
先生と子供たちが帰る準備をする。私も見送りに出ようとした、そのとき。
「……犬井巡査」
後ろから声がした。振り返ると、もじもじと恥ずかしそうにした、五右衛門くんだった。
「はい、どうしたの?五右衛門くん」
五右衛門くんは、私の耳をじっと見ている。そして、少し迷ったように口を開いた。
「……僕も耳、触ってもいい?」
「え?触りたかったの?」
私は思わず固まった。すると、その声を聞きつけた子供たちが一斉に振り向く。
「僕も、最後に触っておきたい!」
「私も!」
「じゃあ私は尻尾!猫のお兄さんはもう触らせてくれないから!」
「いや、順番ですよ! 順番!」
軽井沢の方を見ると、佐藤巡査長の後ろに隠れて尻尾を逆立てて太く膨らませている。本当に猫みたい。
さっきまでの静けさが嘘のように、また私の周りに子供たちが集まってくる。五右衛門くんも、恐る恐る手を伸ばした。
私の耳に、小さな手が触れる。
「……あったかい」
「まあ、生えてますからね」
「ふふっ」
五右衛門くんが笑った。その笑顔は、交番に来たときとは全く違っていた。
「犬井巡査、ありがとう、ございます」
「……いえいえ」
私は少し照れくさくなって、耳をぴくぴく動かした。
「じゃあ、次の人どうぞ」
「はーい!」
「私も!」
「尻尾触りたい!」
「だから順番ですってば!」
そんな私たちの様子を、先生が少し離れたところから見ていた。
そして、
「はい、撮りますよー!」
カシャッと、スマホのシャッターの音が響いた。そこに写っていたのは、五右衛門くんを中心に、何人もの子供たちが私の耳や尻尾を触りながら笑っている姿だった。
「……これ、学校の広報とかに使いませんよね?」
私が恐る恐る聞く。先生は楽しそうに笑った。
「ふふ、どうでしょう」
「えっ、先生!?」
そして、少し真面目な顔になってから、先生が頭を下げた。
「それと、五右衛門くんの背中を押してくださって、ありがとうございます」
「……いえ」
私は五右衛門くんを見る。子供たちに囲まれながら、楽しそうに笑っている。
「これは、普通の人間が言っても響かなかったでしょうから」
「そうかもしれませんね。それでもです、ありがとう」
先生はもう一度、頭を下げた。子供たちが交番を出ていく。五右衛門くんも、その中に混じっている。
来たときは、隅の椅子で一人。誰とも目を合わせず、身体を小さくしていた。それが今は、他の子供たちと一緒に歩いている。
「五右衛門君、放課後忘れるなよ!絶対来いよ!」
「うん、うん!」
その声を聞きながら、私は少しだけ目を細めた。
そして、先ほど撮られた写真を見る。えあーどろっぷ?とか、そんなので共有された、大切な写真。
そこには、楽しそうに笑う子供たちと――
その真ん中で、少し照れくさそうにしている五右衛門くんが写っていた。
私は写真から顔を上げる。交番の前を、子供たちが走っていく。その中に、五右衛門くんの姿もある。最初にここへ来たときとは、大違いだ。
私は小さく息を吐いた。
「……よかった」
そう呟いた。
その直後。再び、子供達が近づいてきた。
「犬井巡査!」
「はい、何かありますか?」
「尻尾もう一回触らせて!」
「コラ!もう帰る時間ですよ!」
「えー!」
どんだけ触ろうとするんだ、この町の人は。別に面白いものでもないだろうに。先生も、今日何度目か分からない注意をしてくれた。
「それなら、また今度ですね。次に私に会ったとき、ちゃんと許可を取ってくれれば、触ってもいいですよ」
「やったー!約束ね!」
「……はいはい。気をつけて帰って下さいね」
私は苦笑しながら、子供たちを見送った。その隣には、無事に終わってほっとした表情の佐藤巡査長と、撫でられすぎて尻尾の毛量が少し減った軽井沢巡査。
今日もさくら交番は穏やかだった。