啓発動画の撮影が続く。最後は高齢者を狙った特殊詐欺が題材だ。
「では、こちらのウィッグをお願いします」
「……はい」
スタッフから渡されたのは、白髪のウィッグだった。ご丁寧に耳を通す穴まで作られている。
私はそれを手に取り、しばらく眺めた。
「……これ、被るんですか?」
「はい。今回は、騙されるお年寄りの役をお願いしたいので」
「え、私が?」
「はい!」
……まあ、いいけれど。私は言われた通りにウィッグを被った。
鏡を見る。そこには、白髪頭の小柄なおばあちゃんがいた。いや、顔立ちそのものは変わっていないので、何とも言えない違和感がある。
警察官の制服を着た犬獣人が、白髪のウィッグを被っている。客観的に考えれば、かなり奇妙な光景だ。
「……似合っていますよ!」
「本当ですか?絶対ウソですよね」
「はい、嘘です!でもかわいいですよ」
「……それ、褒めてます?」
スタッフは満面の笑みだった。私は鏡から目をそらした。もういい。早く撮影を終わらせよう。
電話で息子や孫を名乗り、事故やトラブルを理由にお金を要求する「オレオレ詐欺」。自治体職員などを装って、還付金があると偽り、ATMを操作させる手口。口座が犯罪に使われていると不安をあおり、キャッシュカードを預かろうとする手口。
いずれも、相手を慌てさせ、冷静に考える時間を奪うのが特徴だ。私だって、知識が無ければ騙される自信がある。
「今回は、電話でお金の話が出たら、一度切る、という点を強調したいと思います」
スタッフの説明に、私はうなずいた。
「それから、ご家族や警察など、信頼できる人に相談してもらうことですね」
「はい。短く、覚えやすい内容がいいと思います」
高齢者向けの啓発では、複雑な説明よりも、実際に行動に移せる簡潔なメッセージが大切なのだろう。私も、そこは理解できる。
「それでは、電話を受けるところからお願いします」
撮影が始まった。台本の通り私は電話を手に取り、耳に当てる。当然、耳は上だ。むしろ人耳は持っていない。
「もしもし、たかしかい?」
妙に自然な声が出た。前世のおふくろは、大体このぐらいの年齢だった記憶。今世のはもう知らん思い出したくもない。
それに対してスタッフが電話の向こう側から、犯人役として話しかける。
『そう、たかし。事故を起こしちゃって、お金が必要で。友達を家の近くに寄らせるから、お金を渡してよ』
「大変だねぇ。すぐに渡すよ」
……我ながら、迫真の演技である。もっとも、台詞を言っているだけなのだけれど。
電話の向こうのスタッフが、驚きに満ちた顔で一瞬だけ言葉に詰まった。
「……犬井巡査、すごく自然ですね」
「そうですか?」
「はい。なんというか、本当にお孫さんから電話が来たみたいで」
「……それは、どうも」
褒められているはずなのに、何だか微妙な気分だ。
しかし、ここからが重要な場面である。ナレーションが入り、画面には大きな文字でメッセージが表示された。
『電話でお金の話が出たら、いったん電話を切ってください』
『そして、ご家族や警察など、信頼できる人に相談してください』
私はウィッグを被ったまま、カメラに向かってうなずいた。
「慌てずにまずは電話を切る。みなさん、これを覚えておいてくださいね」
……今度こそ、自然な台詞だったと思う。
「はい、カット! ありがとうございます!」
スタッフの声とともに、撮影が終了した。私はゆっくりと電話を置いた。
「……これで終わりました?」
「はい! 三本とも撮影完了です!」
「……流石に疲れました」
思わず、素直な感想が漏れた。見ていた荒巻課長が笑いながら、労いの言葉をかけてくれる。
「お疲れさま、ハルちゃん。よく頑張ってくれたね」
「ありがとうございます。……警察官って、こんなに喋る仕事でしたっけ」
「ははは!広報も大事な仕事だからね。ありがとう」
「いえいえ、それは分かっていますけど……」
分かっている。
警察官の仕事は、事件を解決したり、犯人を捕まえたりすることだけではない。そもそも犯罪が起こらないようにすることも、被害を未然に防ぐことも、大切な仕事なのだ。
私はそんなことを考えながら、ようやく白髪のウィッグを外した。
「……あ、そうだ。ハルちゃん」
「はい?」
荒巻課長が、少しだけ遠慮がちにこちらを見た。
「実は、お願いがあるんだけど」
「はい、何でしょう?」
「……お耳、触らせてもらってもいいかな?」
「…………」
私は固まった。荒巻課長は、何とも言えない笑顔で続ける。
「い、いや!普段アキ警部とは仕事で顔を合わせることがあるんだけど、さすがに耳を触らせてなんて言えなくてね」
「……姉貴にも、そんなことを思って?」
「いや思ってるけど!アキ警部には言ってないよ!」
それはそうだろう。姉貴の耳を触りたいと言い出したら、どんな反応をされるか分かったものではない。
……いや、案外、姉貴なら平然と許すかもしれない。荒巻課長は信頼できそうな人だし。
でも、そういう問題ではない。
「……あの、仕事の話は終わりましたよね?」
「うん、これは仕事じゃなくて、私からのお願い!強制力なんて一切無いよ!」
「……でしたら、少しだけですよ」
「やった、ありがとう!」
荒巻課長の顔が、ぱっと輝いた。どんだけ触りたかったんだろう。
私は諦めて、頭を少し下げる。そっと耳に触れられた。
「……ああ、なるほど。これは確かに」
「……何ですか、その納得したような声は」
「いやあ、アキ警部が妹さんを可愛がる気持ちが、少し分かった気がしてね」
「姉貴はどんな話をしてるんですかね…」
結局、それからしばらくスタッフさんにも撫でられて、アラサーの自尊心はボロボロになって帰った。
それから数日後。私は再び、けやき市の警察署へ呼び出されていた。
「……また来ました」
「お疲れさま、ハルちゃん!」
出迎えてくれた荒巻課長は、相変わらず元気だった。
「今日は完成したものを見てもらおうと思ってね」
「もうできたんですか?」
「うん。動画もポスターも、なかなかいい仕上がりだよ」
案内された部屋には、印刷されたポスターと、完成した動画の確認用画面が用意されていた。
私はまず、闇バイトの啓発ポスターを手に取る。そこには、制服姿の私と、犯罪への注意を呼びかけるメッセージが大きく載っていた。
次に、SNS・ネットトラブルのポスター。最後に、高齢者向けの特殊詐欺対策のポスター。
……白髪のウィッグ姿の私が、にっこりと笑っている。
「…………これは」
「どうしたの?」
「……いえ。ちゃんとポスターになっているんだな、と。なんだか、感慨深いです」
「もちろん!」
私は少しだけ、感心していた。自分が撮影したものが、こうして形になる。それも、誰かの役に立つためのものだ。そう考えると、悪い気分ではない。
動画のほうも確認した。闇バイトの動画は、怪しい募集に応募する危険性を分かりやすく伝えている。SNS・ネットトラブルの動画は、最後の「ネットだから大丈夫、じゃないですよ」という台詞で締めくくられていた。高齢者向けの動画も、電話でお金の話が出たら一度切る、という内容が簡潔にまとまっている。
……うん。ちゃんとした警察広報だ。私の役柄については、いろいろと言いたいことがあるけれど。
「特に若者向けの二本は、SNSに掲載する予定なんだ」
「SNSですか」
「うん。せっかくハルちゃんの知名度があるんだから、活用しないともったいないでしょう?」
「……私が出ているだけで、そんなに見てもらえるんですか?」
「それが今回の狙いです」
荒巻課長は、迷いなく答えた。
「まずは、見てもらうこと。そこから内容を知ってもらう。警察の広報活動では、伝えたい情報を相手に届けることが大切だからね」
「……なるほど」
確かに、その通りだ。どれだけ正しい情報を載せたポスターでも、誰にも見てもらえなければ意味がない。どれだけ大切な注意喚起でも、誰の目にも留まらなければ、被害を防ぐことにはつながらない。
その入口として、私が役に立てるのなら。
「……公開されたら、私も確認してみます」
「ぜひそうしてね!」
私は、完成したポスターをもう一度眺めた。白髪のウィッグ姿の自分と、目が合った。
「…………うぅ」
……やっぱり、これは少し恥ずかしい。
そして、満を持して公開された翌日。さくら交番で書類仕事をしていた私のもとに、一本の電話がかかってきた。
「はい、さくら交番の犬井です」
『あ、ハルちゃん!広報の荒巻です!』
「荒巻課長。お疲れさまです。どうされましたか?」
『さっすがハル巡査、動画の再生数がすごいことになっているよ!』
「……え?」
思わず、手が止まった。
『若者向けの二本、かなり拡散されているみたい。コメントもたくさん付いているよ!』
「そ、そうなんですか……?」
『うん! やっぱり、ハルちゃんに協力してもらって正解だったね!』
電話の向こうから、荒巻課長の弾んだ声が聞こえてくる。私は通話を終えたあと、しばらくスマートフォンを見つめていた。
そういえば、最近になってSNSを見るためのアカウントを作ったのだった。佐藤巡査長に許可をもらい、軽井沢巡査に教えてもらいながら設定した、閲覧専用のアカウントだ。
……いや、閲覧専用といっても、何か特別な機能があるわけではない。ただ、私自身が投稿するつもりはない、というだけだ。
私はスマートフォンを操作し、動画を検索した。すると、すぐに見つかった。警察公式アカウントに投稿された、私の出演動画。再生数は、すでにかなりの数字になっている。
「……おお」
思わず感嘆の声が出た。コメント欄を開く。
『この警察官かわいいやん』
『警察功績賞とった人だけどロリすぎる』
『まーじでこの人かわいすぎる。首輪つけてほしい』
『エロあるよ(笑)』
『足舐めたい』
『ネットだから大丈夫じゃない、って言葉は覚えておきたい』
……おお。終わってる返信が大多数だ。これが佐藤巡査長が私にSNSを見せなかった理由なのだろう。
それでもちゃんと、内容まで見てくれている人もいる。そんな事実に私は少しだけ嬉しくなった。
自分の出演した動画が、誰かの目に留まっている。それだけでもありがたいのに、伝えたかったことまで受け取ってもらえているのなら、なおさらだ。私は画面を眺めながら、自然と口元を緩めていた。
しかし、改めてコメントを読んでいるうちに、段々と気になった。
「……ちゃんと内容まで見てくれてるんでしょうか。なんですかこのコメントは。9割やばいコメントです」
再生数が多いことと、内容が伝わっていることは、必ずしも同じではない。私の見た目が気になって動画を開いただけで、啓発の部分は飛ばされているかもしれない。
それでも、見てもらえただけで意味はあるのだろうか。そんなことを考えていると、近くで書類を整理していた佐藤巡査長が、こちらを見て笑った。
「それでいいんですよ」
「え?」
「犬井巡査をきっかけに動画を見て、その結果、誰か一人でも犯罪に巻き込まれずに済むなら。それが広報の仕事ですから」
佐藤巡査長は、穏やかな声で続けた。
「最初は、犬井巡査が出ているから見た。それでもいいんです。そのあとで内容を知って、少しでも気を付けようと思ってくれれば、意味はありますから」
「……そう、ですね」
私は、もう一度スマートフォンに目を落とした。
確かに、そうだ。最初から防犯意識の高い人だけを相手にしていたのでは、届かない人もいる。興味を持ってもらうきっかけが私で、それによって誰かが被害を避けられるのなら。
それは、警察官として十分に意味のある仕事なのだろう。例え、ネットでよく分からない扱いをされていたとしても。
「……それなら、よかったです」
私は、小さく笑った。
自分の知名度が役に立つ。そう考えると、少しだけ誇らしい気持ちになった。
……もっとも、あの台本については、いまだに納得していないけれど。
「そういえば、犬井巡査」
「はい、なんでしょうか?」
「もう一つ、荒巻課長から伝言が来ていましたよ。高齢者向けのポスターも評判だそうです」
「本当ですか?」
「ええ。『この犬のおまわりさんなら相談してみたい』という声が多いとか」
「…………」
私は固まった。犬のおまわりさん。その呼び名は、以前のテレビ番組でも聞いた。でもそれは若者にSNSだけで言われていたのではなかったのか。
子どもたちに尻尾を撫でられ、患者さんに頭を撫でられ、商店街の人たちから食べ物をもらう。そんな映像が流れたせいで、私はもうすっかり犬扱いされている。
……いや、犬獣人なのだから、間違ってはいないのだけれど。
それでも。
「……ついに、お年寄りにまで言われるようになったんですか」
「いいことじゃないですか。親しみやすいということですよ」
「……そうなんでしょうか」
「ええ。警察に相談するハードルが下がるなら、それも大切なことです」
佐藤巡査長は、真面目な顔でうなずいた。
正論だった。反論できない。反論できないのだが。
「……犬のおまわりさん」
自分でつぶやいてみる。何だか、妙にしっくり来てしまうのが腹立たしい。
その時だった。
「くくっ……」
隣から、笑い声が聞こえた。フラフラと巡回から帰ってきた軽井沢巡査である。
「いやあ、ハル先輩ィ。ついに全国のおじいちゃんおばあちゃんにまで人気が広まっちゃいましたねェ」
「軽井沢巡査」
「何です?犬のおまわりさん」
「……その呼び方、やめてもらえませんか」
「いやいや、親しみを込めてですよォ」
「親しみを込めれば何でも許されると思わないでください。貴方はおちょくってるのが丸わかりです」
「バレちゃいましたァ?ははは!」
軽井沢巡査は、楽しそうに笑っていた。私は、じとっとした目を向ける。この憎たらしい猫め。
佐藤巡査長は苦笑しながら、私の肩を軽く叩いた。
「まあ、いいじゃないですか。ハル巡査のおかげで、警察の活動を知ってもらえる人が増えたんですから」
「……分かってますよ」
分かっている。自分の仕事が、誰かの役に立つ。そのこと自体は、本当に嬉しい。だからこそ、これからも真面目に仕事をしていこうと思う。
……思うのだけれど。
「……せめて、もう少し賢そうな役にしてほしかったです」
「そこは、次回に期待ですね」
「次回があるんですか!?」
「さあ?」
「佐藤巡査長!」
私の声が、さくら交番に響いた。
それから数日後。私は、ある問題に直面していた。
「……どうして、バレたんでしょう」
「どうしてって……」
佐藤巡査長が、困ったように私のスマートフォンを見つめている。画面に表示されているのは、警察の公式アカウントが投稿した、あの啓発動画。そして、そのコメント欄。
私は、その動画と、そこに付いていた真面目なコメントのいくつかにいいねを押していた。
最初は、ほんの少しだけだった。自分の出演した動画に、どんな反応があるのか気になったのだ。
そして、ある人が気付いたらしい。
『このいいね、もしかして犬井巡査本人?』
……そこからは、早かった。
私のアカウントが、犬井巡査本人のものではないかと話題になったのだ。別に、何か悪いことをしたわけではない。ただ、フォロワーとか言うのがあり得ないほど増えて、もうそろそろで一万人に届きそうなぐらい。とれんど?にも、『ハル巡査の裏アカ』と載ってしまっていた
裏アカだなんて、そんなつもりは。閲覧するために作ったアカウントだったので、名前も適当に『ハル』だし、プロフィールなんて設定していない。
……いや、設定しなかったというより、何をすればいいのか分からなかったのだ。
「……軽井沢巡査に、見るだけなら簡単だって言われたんです」
「それで、いいねを押しまくったんですか?」
「……はい」
「いや、まあ……」
佐藤巡査長は、言葉を選ぶように口を閉じた。そして、優しく言った。
「次からは、少し気を付けましょうね」
「……はい」
私は、しょんぼりとうなだれた。
啓発はしたものの、どうやら私はSNSというものをまだまだ理解できていないらしい。
「……佐藤巡査長」
「はい?」
「SNSって、難しいですね」
「そうですね。でも、慣れれば便利なものですよ」
「……私、見るだけでいいです」
「それがいいと思います。きっと、また妙なトラブルが起きますよ」
即答だった。
「佐藤巡査長!?」
「いえ、すみません。つい」
佐藤巡査長は笑いをこらえながら、私の頭をぽんと撫でた。
……もう。最近彼も、遠慮が無くなってきたな。他のみんなの様に撫でたかったのだろうか。
そう思って彼の方をまじまじと見ると、その瞳には動揺、期待、羞恥といった感情が浮かんでいる。なんだ、私が噛みつくとでも思っているのだろうか。そんなことないから、もっと撫でても良いのに。
こうして私は、啓発動画を通じて犯罪への注意を呼びかけることには成功したものの、SNSの扱いについては新たな課題を残すことになった。私の広報活動は、まだまだ続く。
……できれば、次はもう少し普通の仕事がいいなぁ。