年も明け、世間の人が七草粥まで食べ終わった頃。
年末年始だって、警察は忙しい。飲酒運転の取り締まり、酔っ払い同士の喧嘩の仲裁。みんなが正月気分に浸っている間も、警察官はいつも通り働いている。当然、夜勤だってある。…まぁこんなの他のお仕事だって同じか。
佐藤巡査長とアキ姉貴は、警察の新年会にも呼ばれたらしい。本当は昨年不本意だがバズって大活躍だった私も招待されていたそうだが、二人がなんとか食い止めてくれたらしい。ありがたい話である。
私はただの交番勤務の巡査だ。普段から顔を合わせているわけでもない、年齢も階級も離れた上司たちと、何を話せばいいというのか。お酒を注いで回り、愛想笑いを浮かべながらありがたいお話を拝聴する。想像するだけで胃が痛くなる。ありがとう、姉貴。ありがとう、佐藤巡査長。
そんなこんなで年始のごたごたも落ち着き、ようやく、さくら交番の面々にも新年休暇が回ってきた。この期間はけやき警察署から臨時の警察官がさくら交番に来てくれるため、私たちもまとまった休みを取ることができる。ほんの数日だけど。
貴重な休みだ。それぞれ予定もあるだろうし、わざわざ全員で集まる必要もない。
……でも、私は気心の知れた人たちと一緒にお酒を飲むのが好きだった。普段の仕事ではできない話をして、くだらないことで笑い合う。そんな時間が、なんだかんだで一番楽しい。引き継ぎを済ませた、お休みに入る前の夜ぐらい、みんなと一緒に楽しみたいな。
…これはアルハラって言われないだろうか。断りづらいかなぁ。
佐藤巡査長とは、ここ数年一緒に仕事をしてきた。真面目で頼りになり、時にはこちらが恐縮するほど面倒見がいい。軽井沢巡査は口こそ悪いが、仕事はできるし、住民への気配りも忘れない。
そして姉貴。言うまでもなく、大好きな姉貴である。今回は私に合わせて休暇を取ってくれたらしい。提案をしてみたら、全然参加したい、とのこと。品定めをするらしい。何のだろう。
新年会はさくら町の駅近くにある、ちょっとお高めの個室居酒屋を予約した。費用も私持ちだ。昨年はテレビ出演や広報活動で何かと忙しかったし、お世話になった人たちへの感謝も込めて、今日は私がごちそうする。惜しむらくは、私自身がお酒に酔いにくいことだろうか。
かつての研究施設で投薬されまくった影響なのか、普通の人なら顔が赤くなる量を飲んでも、私の場合はせいぜいほろ酔い程度。みんなと一緒に酔っぱらって、気分まるごと最高にハイってやつにはなれない。
まあ、周りが酔いつぶれても、私だけはしっかりしていられる。みんなを安全に家まで送り届けるのも、悪くない役割だ。
……このときまでは、そんなことをのんきに考えていた。
新年会当日は、一回帰ってから着替えて集まることにした。予約したのは私なので、当然一番乗りである。落ち着いた雰囲気で料理の評判もいい。周囲を気にせず話せる個室は、私たちのような職業にはありがたい。
掘りごたつ式の座席に腰を下ろし、スマートフォンで予約内容を確認していると、開始十分前に扉が開いた。
「佐藤巡査長、こちらですよ」
「あぁ、先に来られていましたか」
最初に現れたのは佐藤巡査長だった。落ち着いた色合いのシャツにジャケット。靴まできちんと手入れされていて、いかにも大人の男性という格好だ。普段は制服姿ばかり見ているので、少し新鮮だった。
「今日はありがとうございます。わざわざ予約までしていただいて」
「いえいえ、いつもお世話になってますから。今日は私がごちそうしますよ。めずらしく年上のところ、見せちゃいますから」
「そうですか。では、お言葉に甘えさせていただきます」
佐藤巡査長は穏やかに笑った。こういう人が街を歩いていたら、普通の女性ならドキドキするのだろう。……いや、私は恋愛方面の感覚がいまいちなので、参考にならないか。
開始五分前、今度は姉貴がやってきた。
「ハルちゃーん!お待たせ!」
「アキ姉貴、全然待ってないですよ」
少し用事が長引いたらしく、服装はいつもより軽装だった。地味めな茶色の服に、動きやすそうな靴。それでも本人の美しさは隠しきれていない。左手の薬指には、もちろん結婚指輪。
……うん。いい。どれだけ美人でも、結婚した相手を大切にしている。そういうところが、私は好きなのだ。NTRアンチの私もこれにはにっこり。
「ごめんねぇ、ちょっと用事が長引いちゃって」
「大丈夫です。まだ始まってないし」
「ありがとう、ハルちゃん!」
姉貴は私の隣に座ると、さっそく肩に頭を寄せてきた。いつものことなので、気にしない。
「佐藤くんは本部の新年会ぶりだね。絶対こっちの格好の方が良いよ!」
「…そうですね、アキ警部。私もそう思います」
二人は軽く挨拶を交わし、小さく警察本部の新年会の愚痴を始めてしまった。なんか、結構偉い人の悪口を言っているような。…聞かなかったことにしよ。
そうしているうちに開始時刻が迫ってきたが、もう一人が来ない。スマートフォンを見ると、軽井沢巡査からメッセージが届いていた。
『すんませんあとちょっとで着きます』
相変わらずである。開始時刻ぎりぎりになって、ようやく扉が開いた。
「ギリギリになりましたァ、マジすんません」
「お疲れ様です、軽井沢巡査」
「なんとかセーフですよ」
軽井沢巡査は大学生みたいな格好をしていた。少し派手めの服に、きれいに整えた髪。一瞬、ホストかと思った。顔立ちも整っているし、服装もよく似合っている。普段の勤務中とはずいぶん印象が違った。
姉貴とは初対面だったので、簡単に自己紹介を済ませる。
「いつもハル先輩にはお世話になってますよォ」
「こちらこそ、ハルちゃんがお世話になってます!」
……なんだろう。初対面のはずなのに、妙に息が合っている。ここの仲だけはこの新年会で不安だったが、姉貴がノリノリで助かった。
私は三人を見てから、自分の服装を見下ろした。今日の私は、いつぞや姉貴とショッピングモールで買った服を着てきた。相変わらず背丈はちんちくりんだが、見てくれだけなら、まあ、場違いではないだろう。
そんなことを考えていると、店の廊下にいた大学生客からひそひそ声が聞こえてきた。
「うわ、見て。あそこの集団、作画が違いすぎる」
「交番組だ!ビジュ良すぎ!」
「やばい、隣の個室のおっさんとの対比で目が死んだ」
「あそこの近く通ると、問答無用で月とすっぽんになるの勘弁して」
……聞こえてるんですが。
姉貴と軽井沢は目立つし、佐藤巡査長も整った顔立ちをしている。そこに私が加われば、妙な集団に見えるのだろう。こうしてようやく全員が揃い、飲み物を注文した。
「昨年一年間、お疲れ様でした。みなさん今年もよろしくお願いします」
「「「乾杯!」」」
グラスが軽やかな音を立てる。こうして、私たちの新年会が始まった。
最初は、当たり障りのない世間話からだった。昨年の仕事や年末年始の忙しさ、それから、私がテレビに出演したときの話。
「いやあ、ハル先輩は本当に大変でしたねェ。バズっちゃってテレビに出るわ、広報に駆り出されるわ」
「本当だよねぇ。お姉ちゃん、ハルちゃんがテレビに出るたびに録画してたんだよ?」
「えっ、姉貴、そんなことしてたんですか」
「もちろん!だって、ハルちゃんが頑張ってるんだもん!」
……やめてほしい。いや、嬉しいんだけどね?
「ハル先輩、仕事中は本当に頼りになるんすよォ。愛嬌の塊でみんなに好かれてて、俺も獣人だけど仕事がしやすくて感謝です」
「そうですね。住民の方々への対応も丁寧ですし、昨年は本当に助けられました」
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで急に褒める流れになってるんです?」
私は慌てて両手を振った。こうも真正面から褒められると、どう反応していいか分からない。
「ハルちゃんは、もっと自信を持っていいんだよ?」
「そうっすよォ。先輩、自己評価が低すぎるんすよ」
「……そうでしょうか」
私は苦笑した。褒められるのは嬉しい。けれど、自分がそんなに立派な人間だとは思えないのだ。
そんな話をしているうちに、話題は軽井沢の滑らない話へ移った。素直に話が上手くて、姉貴が声を上げて笑い、私もつられて笑った。
普段の軽井沢は飄々としているが、今日はいつもより表情が豊かだ。佐藤巡査長も、次に家族の話になると少し照れたように笑っていた。
こういう一面を知ると、仕事仲間というだけだった相手が、少し身近に感じられる。私は、こういう時間が好きだった。見たところ、二人からは嫌そうな気配を感じない。アルハラで訴えられることはなさそうで安心した。
ただ、一つだけ気になることがある。姉貴が、やたらと二人の人柄や家柄について聞いているのだ。
「ところで、佐藤くんって、ご実家はどちらなの?」
「けやき市内ですよ」
「ご家族は、みんなお元気?」
「はい。おかげさまで」
「休日は何をしているの?」
「家事をしたり、運動したりですね」
「へぇー!真面目だねぇ!」
……何だ、この面接。続いて、軽井沢にも質問が飛ぶ。
「軽井沢くんは?」
「俺っすか?飲みに行ったり、友達と出かけたり。あと、ギャンブルとか」
「ギャンブル?」
「いや、まあ、ほどほどっすよ。ほどほど」
「ふぅーん……」
姉貴の目がきらりと光った。こわい。私に関わることになると、姉貴は妙な方向へ全力を出し始める。まさか二人の身辺調査でも始めたのだろうか。いや、いくらなんでも、それはないだろう。
そう思っているうちに、料理が次々と運ばれてきた。
刺身やサラダから始まり、焼き鳥、だし巻き卵、揚げ出し豆腐。湯気の立つ鍋料理まである。どれもおいしそうだ。
私たちは食事を楽しみながら、さらに話を続けた。そして、当然のようにお酒の量も増えていった。
……さて。三人の酔いが、思った以上に早く回っている。
「いやァ、正義先輩って、ほんっと堅いっすよねェ」
「軽井沢、あなたはもう少し節度を持った方がいいと思いますが」
「ほらァ、そういうとこっすよォ!」
「お二人とも、仲良くしてくださいね」
私は苦笑しながら、二人の間に皿を置いた。雰囲気的にはガチのケンカじゃなさそうだから安心だが、系統の違う二人だから、普段から思うところがあるのだろう。
普段なら絶対に見せないほど、佐藤巡査長の表情は緩んでいた。シャツの首元のボタンが一つ外れ、きっちり整えていた髪も少し乱れている。軽井沢は、いつも以上に感情が表に出ていた。私がちょっとしたことを言うだけで、けらけら笑ってくれる。
そして姉貴は、私にべったりだった。
「ハルちゃぁ~ん」
「はいはい、どうしました?」
「ハルちゃん、かわいいねぇ~」
「ありがとうございます、姉貴もかわいいです」
「大好きぃ~!」
「私も姉貴のこと、大好きですよ」
「えへへぇ~!」
……かわいい。姉貴は私の肩に頭を乗せ、腕に抱きついてくる。
「ハルちゃんはねぇ、お姉ちゃんの宝物なのぉ」
「はいはい」
「絶対にお嫁さんになんか出さないんだからぁ~」
「いや、私はそもそも、結婚できるかどうかも分からないですからね?」
「そんなことないもん!ハルちゃんが結婚できなかったら世界が間違ってる!」
姉貴は頬を膨らませた。もう33なのになんてあざといんだ。かわいい。
まぁ私の見た目は、どう考えても子供だ。前世込みの年齢はともかく、今の私を恋愛対象として意識する人がいるとは思えない。少なくとも、私の周囲にはそんな人はいないはずだ。
私は空いたグラスを集め、残った料理を片付けた。
「すみません、お水を三つお願いします」
そろそろ水を飲ませた方がいい。三人とも椅子に座っているだけなのにふらふらしているし、会話も同じ話を繰り返すようになってきた。
すると、片付ける私を眺めていた姉貴が、ふと顔を上げた。
「……やっぱり、決めた」
「はい?」
「ハルちゃんは、私のお嫁さんになってもらおう!」
「姉妹ですよ。ほら、お水が来るまで待ってくださいね」
「やだぁ~!ハルちゃんと一緒がいい~!」
「……もう一緒に住んでるわけでもないんですから、せめてそのくらいは我慢してください」
「むぅ~!」
私は苦笑しながら、姉貴の頭を軽く撫でた。すると、姉貴は満足そうに目を細めた。本当に犬みたいだ。
「いやァ、でもねェ……」
軽井沢が、妙に意味深な声を出した。
「この町には、ハル先輩を狙ってる輩が多いんすよォ。ちょうど、この辺にもいますし」
「……ほう?」
姉貴の目つきが変わった。先ほどまでの甘えん坊な姉の顔ではない。獲物を見つけた肉食獣のような目だった。なんかこわい。
「まあ、そうでしょうね。私にも心当たりがありますよ」
佐藤巡査長まで、妙に真剣な声で応じた。
……え?何の話?
二人は互いの出方をうかがうように視線を交わしている。姉貴も私の肩から頭を離し、二人をじっと見つめた。このままでは面倒なことになりそうだ。本当にケンカでも始まるのだろうか。私はテーブルに残っていた唐揚げを二つ手に取った。
「はい。お二人とも、食べてください」
「ん?」
「……え?」
有無を言わせず、二人の口に唐揚げを一個ずつ突っ込む。物理的に口を塞げば、とりあえず喧嘩にはならないだろう。
二人は互いをにらみ合いながらも、もぐもぐと口を動かし始めた。
……あはは。ふたりともかわいい。
先に唐揚げを飲み込んだ佐藤巡査長が、静かに口を開いた。
「では、まず一人。そいつはギャンブルが好きで、女性にもだらしない男です」
「へぇー……」
なんだか、ろくでもない人物の紹介が始まった。普通にカスじゃないか。
「仕事中も、よくサボります。ただ、なんだかんだで仕事はできますし、頭も回る。いざというときには頼りになる、信頼できるやつですが」
……なんだその、妙に評価の難しい人は。私は首をかしげた。佐藤巡査長とは系統の違う人だな、友人にそんな人がいて、しかも私のことを狙っているとは。
続いて、軽井沢が口を開く。
「じゃァ、俺からも。堅物で、融通が利かない真面目チャンがいますねェ。何をするにも、きちんと筋を通そうとするんすよ」
「なるほど……」
「でもまあ、理想の甲斐性って感じのヤツっすけどねェ」
……なるほど?今度は真面目すぎる人間の話らしい。私はますます首をかしげた。こちらも、軽井沢とはまったく系統の違う人だ。私はそんな人に狙われているらしい。
どちらも、私にはまったく心当たりがない。もしかして、二人は姉貴を安心させるために、適当な人物像をでっち上げているのではないだろうか。
佐藤巡査長は真面目な人だし、軽井沢だって、こう見えて人の気持ちを考えられる。行き遅れの私を哀れんで、きっと、優しい嘘をついてくれているのだろう。私はちょっとだけ感動した。
一方、姉貴は腕を組んで唸っていた。
「むむむ……。本気っぽいね。これは悩ましい~」
いや、悩ましいって何が。そんな人いません。私は水の入ったグラスを手に取り、姉貴の口元へ近づけた。
「はい、姉貴。お水ですよ」
「ん~?」
「飲んでください。お酒、飲み過ぎです」
姉貴は素直にグラスへ口をつけ、ちびちびと水を飲んだ。
……ハムスターみたいでかわいい。飲み終わると、姉貴は顔を上げた。
「……分かった」
「何がですか?」
「お姉ちゃんは、引き下がる!」
「はい?」
「でもね、二人とも聞いて。絶対に自分の力だけで振り向かせること」
「分かりました」
「もちろんっすよォ」
「……はい?」
何を言っているのだろう。自分の力で振り向かせる?
私は困惑しながら三人の顔を見た。佐藤巡査長は満足げに頷き、軽井沢はにやにやと笑っている。姉貴は私の肩を掴んだまま、決意に満ちた表情をしていた。
……うん。全員、相当酔っている。きっとノリだけで会話しているな。
そんなことを考えていると、私はテーブルの端に置かれたリンゴのタルトに目を向けた。居酒屋にしては珍しいデザートだが、有名なリンゴを使っているらしい。一口食べてみると、甘さがすっきりしていて、なかなかおいしかった。
せっかくなので、みんなにも食べてもらおう。私はフォークで小さく切り分け、まず姉貴の口元へ運んだ。
「あーん」
「んむ……」
姉貴は素直に口を開け、もぐもぐと食べ始めた。続いて佐藤巡査長、最後に軽井沢。ちょっとはしたないけど、彼らにも食べさせる。
「お、うまいっすねェ」
「でしょう?」
三人とも、素直にもぐもぐと口を動かしている。ふふ。やっぱり、愛おしいなぁ。
私は昔から、人に好意を向けられると、その相手のことを好きになりやすい。前世込みの年齢を考えれば、我ながら単純すぎる性格だと思う。けれど、誰かが自分に優しくしてくれると、それだけで嬉しくなってしまうのだ。
佐藤巡査長も、軽井沢巡査も、姉貴も。そして、さくら町に住んでいる人たちも。みんなのことが好きだ。これからも、こうして仲良く暮らしていきたい。
……ただ、酔っぱらいたちの会議は、まだ終わらなかった。
「ねえねえ、ちなみにさぁ。他の人は、どんな感じ?どうせもっといるでしょ?」
姉貴が二人に向かって身を乗り出した。
「……そうですね。八百屋の息子さん、饅頭屋のお孫さん、さくら小学校の先生。それから、近くの散髪屋さんも」
「ちょっと待ってください」
私は慌てて口を挟んだ。
八百屋の息子さんは、たまに店先で世間話をするだけだ。饅頭屋のお孫さんは、買い物に行くと元気に挨拶してくれる可愛らしい青年。小学校の先生は交通安全教室でお世話になった人だし、散髪屋さんは私の髪を整えてくれるだけである。
それがどうして、こんな話になるのだ。
「……女性ですが、あの散髪屋さんは本気だと思います」
「えっ、女性!?」
姉貴が目を丸くした。
「はい。ハルちゃんが来るたびに、ずいぶん楽しそうに話していますから」
「なるほど……!」
「いや普通にお客さんとして接してくれてるだけと思いますよ」
私は必死に否定した。
そりゃ、散髪屋さんも優しい人だ。髪型の相談にも乗ってくれるし、世間話もしてくれる。キミだけ特別だよ、と言って、めちゃくちゃ時間を掛けてセットしてくれるのだ。
でも、それだけだ。そもそも、どうして私は髪を切りに行っただけで、こんな話をされなければならないのだ。
そんな私の混乱をよそに、軽井沢がさらに続けた。
「そうっすねェ。
「……あの、この地域の子供達が可哀想ですよ。あんまり適当言ってると」
「えぇ、この地域の子供の性癖が可哀想です」
「佐藤巡査長も何を言ってるんです?」
どんどん巻き込まれる人が増えていく。
なゆた医院長?子供たち?
「私は、小さい内からハル巡査に出会わなくて良かったと思ってるんです。小さいときに会っていたら、一体どうなっていたことか」
「……はい、そっすねェ」
口々に適当な事を言う。別に変なことやってないだろ。毎朝横断旗をもってて、時々遊んでくれる距離感が近い犬耳チビ警官ってだけでしょ。
私は二人の顔をまじまじと見つめた。
「あの、いい加減に」
「いやァ、だって、ハル先輩って人気者じゃないっすか」
「それは、警察官としてですよね?」
「さァ、どうでしょうねェ」
「どうでしょうねェ、じゃないです」
私は頭を抱えた。
酔っぱらいの冗談だ。間違いなく冗談である。子供たちは、私のことを警察官として慕ってくれているだけだろう。制服姿が格好よく見えるのかもしれないし、交番で話を聞いてあげているから親しみを感じてくれているのかもしれない。
そういう気持ちを、勘違いしているだけだ。私はそう自分に言い聞かせた。しかし、姉貴はまだまだ聞き足りないらしい。
「ねえ、佐藤くん。ほかには?」
「そうですね。けやき警察署にもたくさんいると思いますよ」
「なるほどねぇ、やっぱりかぁ……」
「軽井沢も心当たりがありますよね」
「そりゃもう、いくらでも。この前けやきのヤツに、「俺たちのハルちゃん先輩も毒牙に掛けたのか!」なんて言いがかりつけられましたよォ」
「もはや何の話ですか…」
私の叫びを無視して、二人は話を続けた。姉貴は腕を組んで唸っている。
「むむむ……。これは、お姉ちゃんも油断できないねぇ……」
「姉貴、どうして油断できないんですか?」
「ハルちゃんを幸せにできる人かどうか、ちゃんと見極めないと……!」
「だから、そういう話じゃないですって!」
……ああ、もう。どうしてこうなった。
最初は、ただみんなで楽しくお酒を飲むだけだったはずなのに。気づけば、私の知らないところで恋愛事情についての会議が始まっている。
……何だ、この地獄のような会議は。
そうして、宴もたけなわ。
……というより、完全に限界だった。
佐藤巡査長は椅子の背もたれに体を預け、目を閉じている。軽井沢はテーブルに突っ伏しかけながら、何やら楽しそうに笑っていた。姉貴に至っては、私の腕を抱きしめたまま、すっかり眠たそうな顔をしている。
全員、完全に酔い潰れていた。もっと早く止めればよかった。そう思わなくもないが、楽しそうに話すみんなを見ていると、ついつい嬉しくなってしまったのだ。
……反省している。次からは、もう少し早めに切り上げよう。私はテーブルを片付け、会計を済ませた。忘れ物がないか確認してから、姉貴の旦那さんに電話を掛ける。数回の呼び出し音の後、すぐにつながった。
『もしもし?ハルちゃん?』
「こんばんは、旦那さんですよね。すみません、夜分遅くに。実は、姉貴がちょっと飲み過ぎちゃいまして……。迎えに来ていただくことってできますか?」
『ああ、分かった。今から行くよ』
「ありがとうございます」
電話を切り、三人を起こそうと試みた。
「佐藤巡査長、そろそろ帰りますよ」
「……ん、ああ……」
「軽井沢巡査、起きてください」
「んァ……?もう朝っすかァ……?」
「まだ夜です」
「そっすかァ……」
……駄目だ、こりゃ。しばらくして、店の前に一台の車が停まった。姉貴の旦那さんである。
「すみません、お待たせしました」
「いや、いいよ。……お疲れ様」
私と、私に支えられている三人を順番に見た。そして、何とも言えない顔でため息をついた。旦那さんは何も言わず、姉貴を後部座席に乗せた。姉貴は旦那さんの顔を見るなり、ふにゃりと笑った。
「旦那くん~……」
「はいはい。飲み過ぎだぞ」
「えへへぇ……」
旦那さんは慣れた手つきで姉貴のシートベルトを締めてやる。
その様子を見て、私はほっとした。よかった、純愛だよ。
やっぱり、夫婦というのはいいものだ。姉貴が幸せそうで、本当によかった。
「あの、旦那さん。佐藤巡査長と軽井沢巡査も心配なので、一旦、私の家まで送っていただけませんか?」
「……へ?いや、二人の家じゃなく?」
「こんな状態の二人を、そのまま一人にはさせませんよ」
姉貴は旦那さんに任せて、私は二人を介抱する。明日になって酔いが覚めたら、それぞれ帰ってもらえばいい。我ながら、なかなかいい判断だと思う。
……ただ、車に乗り込む直前、旦那さんがぼそりと呟いた言葉が、どうにも気になった。
「……よっぽど信頼されて。こりゃ、二人とも大変だな」
「……?」
だから、何が?私は首をかしげたが、旦那さんはそれ以上教えてくれなかった。
まあ、いいか。きっと、酔っぱらいの介抱が大変だという話だろう。そうに違いない。私はそう結論づけて、車に乗り込んだ。