アキ姉貴を旦那さんに任せ、私は酔い潰れた佐藤巡査長と軽井沢巡査を連れて帰ることになった。成人男性を二人も運ぶというのは、思っていた以上に大変だった。
いや、二人とも警察官なのだから、普段なら頼もしいことこの上ない。けれど、今の彼らは自分の足でまっすぐ歩くことすら怪しい酔っ払いである。こちらが肩を貸しても、ふらふらと左右に揺れるものだから、なかなか前に進まない。
「ほら、佐藤巡査長。もう少しですよ」
「……すみません、犬井巡査」
「いえいえ。ほら、軽井沢巡査も頑張って」
「んぁー……ハル先輩、俺、まだ飲めますよォ……」
「もう飲まなくていいですからね」
新年会は楽しかったけれど、さすがに飲ませすぎたかもしれない。次からは、もう少し早い段階でお開きにしよう。そう心に決めた。
幸い、姉貴の旦那さんも手伝ってくれたおかげで、なんとか二人を私の家まで運び込むことができた。
「本当にありがとうございました、旦那さん」
「いやいや。ハルちゃんこそ、お疲れ様。あの二人の面倒は大変だろうけど、よろしく頼むよ。何かされたら言って、俺らでブン殴るから」
「あはは、そんなことは起こりませんよ。二人はお任せください」
旦那さんは苦笑しながら車に戻っていった。姉貴は無事に連れて帰ってもらえたし、これで一安心だ。
さて、問題はこっちの二人である。
私はまず、二人の様子を確認した。呼びかけには反応するものの、まだ足元がおぼつかない。念のため、二人とも横向きの回復体位を取らせて、吐いたものが喉に詰まらないように気を配る。
もちろん、呼吸や意識の状態にも注意する。単なる酔い潰れだと思っていても、油断は禁物だ。もし反応が悪くなったり、呼吸がおかしくなったりすれば、すぐに救急車を呼ばなければならない。
「……よし」
二人の状態を確認し、ひとまず落ち着いたところで、私は部屋を見回した。
まだ1月で普通に寒い。酔っ払ったまま冷えた部屋で寝かせるのもよくないだろう。エアコンの暖房を入れ、乾燥しすぎないように加湿器も起動させる。
次に、二人の上着を脱がせた。さすがに服を着替えさせるのは、いろいろと問題がある気がする。私だって一応、女性なのだ。相手が意識のはっきりしない男性二人となれば、なおさらである。
……まあ、上着を脱がせるだけでも、ちょっとした重労働だったけれど。
「お二人とも、明日にはちゃんと反省してくださいね……」
返事はない。返事の代わりは安らかな寝息だった。
私は小さくため息をついてから、台所へ向かった。コップ一杯の水を飲み、自分もシャワーを浴びることにする。
今日は私も、いつもより少しだけ多くお酒を飲んだ。酔いにくい体質とはいえ、まったく酔わないわけではない。さすがに疲れもたまっているし、早く休みたい。
シャワーを終えて、髪を乾かす。尻尾にもクシを通しつつ、音に気をつけてドライヤーを当てた。
そして、クローゼットから取り出したのは、姉貴がプレゼントしてくれたお気に入りのパジャマだった。もこもこした生地で、着ると全身が包み込まれるように暖かい。袖も裾も少し余るけれど、それがまたいい。
「ふふ。やっぱり、これ好きだなぁ」
姉貴は私に似合うと思って買ってくれたらしい。こういう何気ない贈り物をもらうと、大事にされているのだと実感できる。私には少しもったいないくらいだけれど、せっかくもらったものなのだから、たくさん着てあげたい。
さて、寝床をどうするか。私の布団と、来客用の布団が一組。酔っ払いは二人。
……うん。私はソファーで寝よう。
自分の家なのに少しばかり肩身が狭い気もするが、仕方がない。二人には布団を使ってもらい、私はソファーに毛布を持ち込む。
明日の朝、二人が起きたら事情を説明して帰らせよう。そんなことを考えながら、私は毛布にくるまった。
暖房の効いた部屋は暖かく、ソファーも思ったより寝心地がいい。
「……おやすみなさい」
誰にともなく呟いて、目を閉じた。こうして、私の新年会は、酔っ払い二人の介抱という形で幕を閉じたのだった。
何かが焼ける、じゅうっという音が聞こえた。続いて、鼻をくすぐる香ばしい匂い。
……何だろう。朝食だろうか。ぼんやりとした頭で、私はゆっくりと目を開けた。
「……うっ」
頭が痛い。ひどく痛むというほどではないが、頭の奥がずきずきする。口の中も妙に乾いていた。これは、間違いなく飲みすぎだ。
昨夜の記憶をたどろうとする。居酒屋での新年会。ハル巡査が楽しそうに笑っていて、軽井沢もいつも以上にうるさくて、それから……。
そこから先が、どうにも曖昧だった。私は軽く頭を振り、周囲を見回した。
知らない天井。見覚えのない部屋。そして、すぐ隣の布団には――。
「……軽井沢?」
「んぁ……?」
軽井沢が、寝ぼけた顔でこちらを見た。どうやら彼も状況を理解していないらしい。数秒ほど互いに顔を見合わせたあと、彼は再び目を閉じかけた。
「いや、寝るな。起きてください」
「……あと五分」
「ここはどこですか」
「知らねっすよォ……」
知らないのか。いや、私も知らない。
少なくとも、私の自宅ではない。家具の配置も、部屋の雰囲気も、見覚えがなかった。
では、いったい誰の家なのか。昨夜の記憶をもう一度たどる。居酒屋で飲んでいた。犬井巡査が水を頼んでくれた。その後、何かを話していたような気がする。誰かが私の口に唐揚げやタルトを突っ込んでいたような気もする。
……マジで覚えていない、いや、そこまで酔っていたのか、私は。
そのときだった。とてとて、と小さな足音が聞こえてきた。
顔を向けると、部屋の向こうから一人の女性が現れた。暖かそうなタートルネックにエプロンを着けている。少し寝癖の残った髪を整え、こちらを見て柔らかく微笑んだ。
「おはようございます、佐藤巡査長。こちら、お水ですよ」
「…………え」
犬井巡査だった。
普段は制服姿で仕事をしている彼女が、今はゆったりとした服でエプロンまで着けている。お盆の上にグラス二杯の水を持って。
そのあまりにも普段と違う姿に、私は一瞬、言葉を失った。小柄な体に、エプロンを身に着けた姿は、まるで……。
「……え?嫁?」
「それを言うなら夢でしょう。夢でもないですが」
即座に返され、水を渡される。どうやら、寝ぼけていたわけではないらしい。
……では、ここは彼女の家なのか。
私は改めて周囲を見回した。そして、ようやく理解した。
昨夜、酔い潰れた私たちを、犬井巡査が自宅まで連れて帰ってくれたのだ。しかも、布団まで用意してくれている。
……待て。つまり、この下に敷かれている布団も、彼女のものなのではないか?
「…………っ!」
思わず声にならない悲鳴が漏れた。
いや、落ち着け。落ち着くんだ、佐藤正義。これは介抱してもらった結果であって、何か特別な意味があるわけではない。彼女は困っている人を放っておけない性格だ。酔っ払いを家に連れ帰ることだって、彼女にとっては自然な行動なのだろう。
……自然な行動なのだろうが。しかし、いくらなんでも、男性二人を躊躇なく自宅へ上げるのは不用心ではないだろうか。
いや、我々を信用してくれているということなのだろう。それはありがたい。ありがたいのだが、ハル先輩は時折、こちらが驚くような天然な行動を取る。本人に悪気がないからこそ、余計に心配になるのだ。
「おはようございます。朝ご飯はできているので、顔を洗ってきてください。軽井沢巡査が起きたら、一緒に食べましょう」
彼女はそう言って、にこりと笑った。柔らかく、温かく、何の警戒心もない笑顔だった。……本当に、嫁なのでは?私の夢だったりしないか?
「どうかしました?」
「……いえ、何でもありません」
「そうですか?では、洗面所はこちらです」
犬井巡査は特に気にした様子もなく、洗面所の方を指さした。私は布団から起き上がり、軽井沢の肩を軽く叩いた。
「起きてください。朝食をごちそうになるそうですよ」
「……朝飯ィ?」
「そうです」
「ハル先輩の手料理……?」
軽井沢の目が、ぱちりと開いた。……現金な男だ。
ともあれ、昨夜の記憶を失っている部分も含め、まずは身だしなみを整えよう。私はふらつく頭を押さえながら、洗面所へ向かった。
ようやく、軽井沢巡査も起きてきた。どうやらかなり朝は弱いらしい。奇遇だな、私もおんなじだ。
顔を洗って、少しは目が覚めただろうか。二人とも、まだ少し眠そうではあるけれど、昨夜よりはずいぶんしっかりしている。
私は二人が食卓に着くのを待ってから、朝食を並べた。ふるさと納税でもらった玄米のご飯に、簡単なお味噌汁。卵焼きとウインナー、それからひじきの煮物。
特別に凝ったものではない。けれど、朝ご飯なんて、これくらいでいいのだ。
ご飯があって、汁物があって、おかずがいくつかある。朝から豪華な料理を作る必要はないし、寝起きに食べるなら、むしろこれくらいがちょうどいいと思う。
私は二人の前にお茶を置いた。
「どうぞ。お口に合うといいんですが」
「……ありがとうございます」
「うわ、めっちゃちゃんとした朝飯じゃないっすかァ!」
軽井沢が目を輝かせた。
「普通の朝食ですよ」
「いやいや、俺、昨日の夜に何を食べたかも怪しいんすよ?こんな朝飯が出てくるなんて、最高じゃないっすか」
「昨夜は居酒屋でたくさん食べていたでしょう」
「そうでしたっけェ……?」
覚えていないのか。まあ、あれだけ酔っていたのだから仕方がないかもしれない。
私は二人に箸を勧め、自分も席に着いた。手を合わせて、いただきますとつぶやく。
玄米を一口食べる。うん、いつも通りだ。
姉貴と一緒に暮らしていた頃は、朝早く出勤する姉貴のために、私も早起きして朝食やお弁当を作っていた。あの頃に比べれば、これくらいの準備は何でもない。……もっとも、今は一人暮らしなので、毎朝必ず作っているわけではないけれど。
そんなことを考えながら味噌汁を飲んでいると、目の前の軽井沢がおずおずと言い出す。
「…すんませんハル先輩」
「あれ、お口にあいませんでしたか?」
「いえ、そうじゃなくてェ。あんまり見えるところにブラジャーとか置かないでくださいよォ。見えちゃいましたよォ」
「…………」
私は箸を止めた。とんでもないノンデリ発言に、さすがの私も驚きを隠せない。
いや、私も悪い。おととい洗濯した下着を、風呂場に干しっぱなしにしていたのだ。それに扉も開けたままだった。新年会の準備とか仕事の引き継ぎですっかり忘れていた。
しかし、だからといって、わざわざ報告する必要はないだろう。佐藤巡査長までいるというのに。私は額に手を当てた。
そもそも、見つけたとしても黙っていればいいだけの話ではないか。いや、彼なりに気を遣って報告してくれたのかもしれない。そう考えると、怒るに怒れないのが困る。
「……私は何も言わなかったのに」
佐藤巡査長は何とも言えない表情でそう言った。気づかれてはいたんだ、それは申し訳なかったな。
「あの、犬井巡査。誓って、そのようなことはしませんが……我々も男性です。少しぐらい警戒してくださいね」
「……はい。すみません」
正論だった。ぐうの音も出ない。
「そうっすよォ。俺だって困るんすからねェ!」
「あなたは少し黙っていてください。あとデリカシーを学びなさい」
「ひどくないっすかァ」
佐藤巡査長にたしなめられ、軽井沢が大げさに肩を落とす。私は思わず苦笑した。
「……お二人とも、次からは気をつけますね」
「いえ、我々の方こそ、昨夜はご迷惑をおかけしました」
佐藤巡査長が、改まった様子で頭を下げた。
「いえいえ。お二人とも、楽しそうに飲んでいましたから。私も楽しかったですし」
「いやァ、ハル先輩は優しいっすねェ。俺、先輩の家で朝飯まで食わせてもらえるなんて思ってなかったっすよ」
「それはいいですけど、飲みすぎには気をつけてくださいね」
「うっ……はい」
さすがに反省しているらしい。
私は笑いながら、二人にご飯のおかわりを勧めた。結局、二人とも朝食をきれいに平らげてくれた。
「いやあ、本当においしかったです。ごちそうさまでした」
食後、佐藤巡査長が丁寧に頭を下げた。
「お粗末様でした。大したものではありませんけど」
「いやいや、十分すぎるくらいっすよォ。ハル先輩、料理もできるんすねェ」
「簡単なものばかりですよ」
「それができるのがすごいんすって!」
軽井沢が大げさに褒めてくれる。
少し照れくさいけれど、作ったものをおいしいと言ってもらえるのは嬉しい。二人とも、昨夜はあれだけ酔っていたのに、こうして朝ご飯を食べてくれたのだから、用意した甲斐があったというものだ。
さて、食事も終わった。二人とも体調は落ち着いているようだし、そろそろ帰ってもらおう。
そう思っていると、佐藤巡査長が立ち上がった。
「では、私はこれで失礼します。改めて、昨夜は本当にありがとうございました」
「いえいえ。気をつけて帰ってくださいね」
佐藤巡査長は、さっそく帰り支度を始めていた。
一方、軽井沢はというと。
「いやァ、ハル先輩の家って居心地いいっすねェ。もうちょっとゆっくりしていこうかなァ」
「軽井沢巡査」
「はい?」
「帰りますよ」
「えぇー!まだいいじゃないっすかァ!」
「駄目です。佐藤巡査長も帰るようですから、一緒に帰ってください」
「ちぇー……」
軽井沢は不満そうに口を尖らせた。まったく、子供みたいな人である。
私は二人が忘れ物をしていないか確認し、玄関まで見送ることにした。佐藤巡査長は靴を履き終えると、もう一度こちらを振り返った。
「犬井巡査。今後は、我々のような酔っ払いを安易に家へ上げないようにしてくださいね」
「……はい。気をつけます」
「お願いします」
真面目な人だなぁ。でも、心配してくれているのだろう。ありがたいことだ。
軽井沢も靴を履き、玄関の扉に手をかけた。私は、ふと大切なことを思い出した。
「あの!」
二人が振り返る。
「……言いそびれましたが。今年もよろしくお願いしますね」
少し照れくさくなって、私は頬を掻いた。
昨日の新年会では、乾杯のときに挨拶をした。けれど、こうして改めて伝える機会はなかった。
昨年も、二人にはたくさん助けてもらった。今年もきっと、迷惑をかけることがあるだろう。それでも、こうして一緒に仕事をして、くだらない話をして、笑い合える関係でいられたら嬉しい。
そんな気持ちを込めたつもりだった。佐藤巡査長は、少しだけ目を見開いたあと、柔らかく微笑んだ。
「こちらこそ。今年もよろしくお願いします、犬井巡査」
「よろしくっすよォ、ハル先輩ィ」
軽井沢も、いつもの調子で手を振った。
二人が玄関を出ていく。私はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
「……さて、片付けないと」
食器を洗って、布団を片付けて、ソファーの毛布も畳んで。
今日はまだ休みだ。せっかくだから、少しゆっくりしよう。
……まあ、二人とも元気そうでよかった。それが何よりである。
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