セレモニーの翌日、昼ごろ。さくら交番の中には、三人の警察官がいた。
私、犬井ハル巡査。軽井沢潤巡査。そして、佐藤正義巡査長。小さな交番なので、三人がデスクに座っているだけでも結構な人口密度である。
もっとも、さくら町は小さな町だ。その分、人と人とのつながりは強い。たとえば、こうして昼休憩の時間になると、
「はい、今日も差し入れです」
近所のお弁当屋さんが、三人分のお弁当を持ってきてくれる。
「いつもありがとうございます」
「いえいえ。警察の皆さんにはいつもお世話になってますから」
そんなやり取りをして、置かれたお弁当は三つ。一つは普通の幕の内弁当。一つは、魚がメインになっている軽井沢巡査用。
そして――。
「……なんで私のだけこんな感じなんでしょう。別に、私なんでも食べますけど」
私のデスクに置かれたのは、ささみ、野菜、リンゴなど、どう考えても犬が喜びそうな食材を中心にしたお弁当だった。
いや、嬉しいんだけどね?美味しいんだけど、どうにも犬として扱われている感がすごい。
「うーん……」
私は箸を置いたまま、目の前に置かれたものを見つめていた。
正確には、弁当ではない。その横に置かれているもの、警察功績賞の賞状と、メダル。昨日のセレモニーでもらったものだ。
なんだかんだで、このさくら交番が私は好きだ。だから、賞状もメダルも自宅ではなく交番に飾ることにした。キラキラしていて、眺めているとちょっと嬉しくなる。
……嬉しくなるのだが。同時に、ここ数日で私の生活を激変させた出来事の象徴でもある。
なんか唐突にSNSで話題になって、急に表彰されて、マスコミに囲まれて、そしていきなり広報担当に任命された。
ほんの少し前まで、私はただの地方交番勤務の警察官だったはずなのに。どうしてこうなったんだろう。
「ハル先輩なんかあったんすか?いらないならリンゴもらいますよォ」
「軽井沢、やめろ。あれは考え事をしてるときの一点見つめだ。お前も獣人だし結構やってるだろ」
「えっ、俺やってます?…てか正義先輩、よくハル先輩のことみてますねェ。好きなんすか?」
「うるさい。お前は勤務中にパチンコ打ってた反省文を早く書け。人手が足りてたら懲戒だぞ」
結局、昨日のセレモニーでは、もみくちゃにされながらなんとかマスコミの大群を捌いた。あんなに人から注目されたのは初めてだった。というか、人生であんなに喋った日はないと思う。途中から自分でも何を答えているのか分からなくなっていた。
そして、昨日のセレモニーの様子や、その後のマスコミ対応についても、SNSではまた何やら一悶着あったらしい。どうやらまた話題になったそうだ。そのことは、さっき佐藤巡査長から聞いた。
……もう嫌な予感しかしない。せめて自分で確認できればと思って、
「巡査長、私もツイッターのアカウント作った方がいいですかね?」
と聞いたところ。
「……やめておいた方がいいと思います」
と、ものすごくやんわり諭された。理由を聞くと、
「好き放題書き込まれていて、結構やばいです」
とのこと。見ない方がいいらしい。うん、彼が止めるということは、相応の理由があるはずだ。やめておこう。知らない方が幸せなことも、この世にはある。
そして明日。私は、その話題の余波もあってか、午後のワイドショー番組に一時間ほどゲストとして出演することになった。
……一時間、長くない?ずっと喋りっぱなしではないだろうけど、長くね?こっちはただの一般警察官なんだぞ。緊張してどもったり、頭が真っ白になったりして、盛大な放送事故を起こしても知らないぞ。
しかも、すでに軽井沢巡査が、私がテレビに出ることをさくら町の住民たちに言いふらしまくったらしい。絶対にやらかしたら町中でイジられる。この猫マジで許さん。
「ハル先輩、お散歩!ほら、お散歩!あっ見て下さい、耳だけこっち向いてますよォ。尻尾もふらふら、あれめっちゃかわいいっすよねェ」
「犬井巡査で遊ぶな。だからはよ書け」
「いて!げんこつは勘弁してほしいっすよォ」
私はそこで、ふと思い出した。
……お散歩、そうだ。私は今日、午後休なのだ。昨日のセレモニーを頑張ったということで、巡査長が特別に休みを入れてくれたのである。
せっかくだ。午後は少し町を歩いて、気分転換でもしよう。テレビのことを考えていたって仕方がない。
「……よし。午後、ちょっと出かけてきます」
私は立ち上がった。
「分かりました。気をつけて下さいね。あと、明日の出演については――」
「聞きたくないです」
「まだ何も言ってませんが」
「聞きたくないです」
「……分かりました」
佐藤巡査長は苦笑した。こうして私は、隅っこの更衣室で着替えつつ、気晴らしにさくら交番を出たのだった。
町を歩いていると、案の定。
「おーい、ハルちゃん!」
「犬井さん、昨日頑張ってたな!」
「明日のテレビ、録画しとくからな!」
「サインとかもらえるようになるのか?」
「ハルちゃん、テレビ出るんだって?」
「……はぁ」
元々、さくら町の人たちは元気だ。しかし今日は、その元気が四割増しくらいになっている。
「本当に勘弁して」
私は小さく呟いた。そのくせ、町の人たちはみんな楽しそうだ。私が注目されることを、まるで自分たちのことのように喜んでくれている。……そういうところが、嫌いになれないんだよな。
私は途中で買った甘いおまんじゅうを頬張りながら、公園へ向かった。そしてベンチに、ゆっくりと座る。
少し離れたところでは、放課後の子供たちがボール遊びをしていた。みんな笑顔で、すごく楽しそう。こういう何気ない光景を見るのは、結構好きだった。
警察官になった理由は、別に崇高なものではない。姉に憧れたのと、獣人の身体能力で一般人にマウントをとりたかった。そんな、しょうもない理由だ。後者は普通にカスの理由である。
でも、こうして町の子供たちが何事もなく遊んでいるのを見ると、まあ、警察官も悪くないな、と思う。
そんなことを考えていると――。
コロコロとボールが一つ、私の足元まで転がってきた。
同時に遠くから大きな声が飛んでくる。
「あっ!犬のねえちゃんじゃん!それ、こっちに思いっきり蹴ってくれよ!」
玄徳君が大きな声で手を振りながら言う。彼は体格こそ大きいが、うな丼が大好きな心優しい少年だ。この町の人はだいたいそうだが、獣人である私に差別的な目をむけることなく接してくれる。
私はボールを加減しながら蹴った。もし全力で蹴ると、ボールが破裂するかどこかへぶっ飛ぶぐらいするだろう。それぐらい力に差があるのだ。ぶっちゃけ自分でも化け物だと思う。
――ぽんっと、ボールが飛んでいく。
「サンキュー! 助かったー!」
相変わらず大きな声。子供が元気なのは良いことだ。玄徳君はそのまま、お友達とボールを蹴り合い始めた。
コロコロ、コロコロ。
なぜだろう。私はその光景から目が離せなかった。
さっきボールを蹴った足が、そのまま止まっている。顔だけがボールを追っている。尻尾もなんか、勝手にぶんぶん振れてるかも。
「ハルさんもボールで遊びたい?一緒にやる?」
声を掛けてきたのは、歩夢ちゃんだった。
私は目を瞬かせる。
「え?いいの?」
「うん。だってドイル君が強すぎて私じゃ相手にならないの」
「……じゃあ、遠慮なく!」
歩夢ちゃんは、以前は獣人である私に少し警戒した目を向けていた。でも、ある事件をきっかけに、すっかり懐いてくれるようになった。
……でもたまに、なんというか。妙に熱のこもった目で見られることがあるのだが。
まあ、そーゆーお年頃なのだろう。
ちなみに、今の私は柔らかな白いTシャツにオーバーオールという格好だ。姉が選んでくれた服で、私は結構気に入っている。スカートが嫌いなので、こういう服装の方が落ち着くのだ。
まあ、小学生に間違われる率はさらに上がるのだが。でも安心安全、何より動きやすい。
「じゃあ、ハルさん対ドイル君ね!」
「えっ、いきなり?」
歩夢ちゃんの言葉に、私は少し驚いた。
目の前には、ボールを鮮やかに扱う一人の少年。トレードマークの丸眼鏡と蝶ネクタイ。そして、幼いものの、妙に大人びた顔つき。
「……ドイル君?」
「げっ、犬井巡査。…ボクと勝負しよーよ!」
なんとなく芝居がかったような、妙に小学生らしい言葉。彼は最近、このさくら町に転校してきた少年だ。そして私は、彼について一つ気になっていることがある。
――事件現場に来すぎなのだ。
この前なんて、傷害事件の現場にまでいた。小学生がそんなところに来るな。いや本当に。私は毎回、心苦しいがかなりキツめに叱っている。
だが、それだけではない。どうやら最近は、グループで私人逮捕系の動画まで投稿しているらしい。メンバーはこの3人を含め、合計で5人。
……最近の子供、どうなってるんだ。私は警察官として、危ないことはしないように何度も注意している。せめて学校側も注意とかしてくれ。
そんないがみ合っている相手と、こうして一緒に遊ぶのは初めてだった。子供相手だけど、ちょっと緊張する。
「……よろしくね、ドイル君」
「はい」
ドイル君がボールを足元に置く。
「それじゃあ」
次の瞬間、――すっ、と。
「……!」
ボールが動いた。右、左、足の裏、反転。まるで、彼の足にボールが吸い付いているように。
「えっ、上手っ!」
思わず声が出た。私が想像していたより、ずっと上手い。私は彼を、危険な悪ガキだと思っていた。
「へへ」
ドイル君が少しだけ得意そうな顔をする。
なるほど、そういうことか。事件現場ではあんなに危なっかしいのに、こういうところでは年相応に得意げになる。
「じゃあ……」
私は少しだけ姿勢を低くする。
「本気で取りに行っていい?」
「もちろんです」
言ったな?
私は大人だ。大人だけど、こういうときに子供相手だからと手を抜くのも、それはそれで失礼というものだ。
「それっ!」
「うわっ!」
私はボールを追った。ドイル君が横へ逃げる。速い。
でも、私の方がもっと速い。当然、獣人の身体能力を舐めてもらっては困る。
「こっち!」
「なっ……!」
ドイル君が方向を変える。私も追う。ボールを奪う。ドイル君が取り返す。また奪う。いつの間にか、私は夢中になっていた。
「ハルさん、楽しそう!」
「うん!」
全力で身体を動かすのはすごく楽しい。前世ではそうでもなかったのに、今はのびのびと身体を動かせることが、何よりも楽しいと感じるようになっていた。
警察のことも、明日のテレビのことも、未だによく分からないSNSのことも。全部忘れて、ただボールを追いかけている。
――そのときだった。
「あっ」
ドイル君の足が、ボールを追った拍子にわずかに滑った。身体が傾く。
「危ない!」
彼が倒れゆく、視線の先。そこには公園の時計を支える金属製のポールがあった。
このまま転んだら、頭をぶつける。そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。
「危ない!」
私はドイル君に飛び込む。その身体を包み込むように腕を伸ばして、進行方向を変える。
そして――自分が下になるように、身体をひねった。
どさっと、砂埃が舞った。
「おい、大丈夫かよ、ドイル!」
「ハルさんも!」
玄徳君と歩夢ちゃんの声が聞こえる。私は地面に寝転がったまま、腕の中のドイル君を見る。丸眼鏡が少しずれている。そして、彼の手が私の胸元に触れていた。
「……あっ、す、すみません」
ドイル君が固まっている。普段は妙に大人びている彼の顔が、今だけは年相応の少年そのものに見えた。
「大丈夫だった?ドイル君?」
「は、はい。大丈夫、です」
私は彼の顔を覗き込む。
犬の獣人だからなのか。相手の表情や声、身体の微妙な変化から、なんとなく感情を察することができる。
今の彼は――照れている?もしくは恥ずかしがっている?
……なるほど。さては、ボールさばきを失敗したのが恥ずかしいんだな。きっと歩夢ちゃんにいいところを見せたかったのだろう。ませガキめ。仕方ない、お姉さんがフォローを入れてあげよう。
「大丈夫だよ。君のドリブル、格好よかったよ」
私は笑う。ドイル君の目が大きくなる。
「小学生であれだけボールを扱えるなら、すごいと思う」
これは本心だった。高校生くらいになったら、どこかのチームから声が掛かってもおかしくない。事件現場に顔を出したり、危ない動画を撮ったりするより、こうして友達と遊んで、好きなことを続けてほしい。
そんな気持ちも込めて。
「だから、あんまり危ないところには行かないようにね」
最後に、私はにこりと笑った。
「……はい」
ドイル君は、なぜか私から目を逸らした。なんだろう、やっぱり恥ずかしかったのかな。
「あー!」
突然、見ていた歩夢ちゃんが声を上げた。
「またハルさん、そーゆーこと言って!ドイル君をゆーわくしないで!」
「え?いや、そんなつもりじゃ……」
「ドイル、顔真っ赤だぜ!」
「うるさい玄徳!暑いだけだ!」
まくし立てるような玄徳君の言葉に、ドイル君はさらに顔を逸らした。
……子供って難しいな。私にはよく分からない。
ドイル君と私を余所に、子供たちはケラケラと笑った。私もつられて笑う。こうして遊んでいると、さっきまで明日のテレビ出演を怖がっていたことすら、少しだけ馬鹿らしく思えてきた。
やがて夕暮れのチャイムが鳴った。私は子供たちに声を掛ける。
「そろそろ帰る時間だよ。親御さんが心配するから、早くお家に帰りな」
「はーい!じゃあね、ハルさん!」
「また遊ぼう!」
「ハルさん、明日のテレビ頑張って!」
「……それは言わなくてもいい」
今日は最後までそれかぁ。
私は苦笑しながら、子供たちがそれぞれ家へ帰っていくのを見送った。全員の姿が見えなくなるまで確認する。そして、一人になった公園で小さく息を吐いた。
「……流石に遊び疲れた」
でも、不思議と気分はすっきりしていた。やっぱり身体を動かすのは好きだ。頭の中がさっぱりするから。
明日、テレビに出るなんて、やっぱり考えるだけで緊張する。
上手く喋れるかも分からない。変なことを言ってしまうかもしれない。もしかしたら、盛大に噛むかもしれない。いや、絶対一回くらい噛む気がする。
それでも、私が少しだけ頑張ることで、警察のことをより知ってもらえて、信頼してもらって。それで誰かが困ったときに警察を頼ってくれるようになるのなら。
今日みたいに、子供たちが普通に遊んでいる光景を守ることができるのなら。
「……まあ、ちょっとくらい、頑張ってみてもいいか」
私は夕焼けの空を見上げた。明日は、ワイドショー番組のコーナーで、一時間の生放送だと聞いている。
たぶん、地獄だ。きっとそう。
でも、今日見た子供たちの笑顔を思い出せば。ほんの少しだけなら、私は頑張れる気がした。