自宅のソファでぐったりしている。というか、伸びている。
「はぁ~~~~~~~~……」
私の隣で、姉貴がぐったりしている。
「……アキ姉貴、帰らないんですか?」
「帰んない」
即答だった。
「なんでですか」
「ハルちゃんと一緒にいたいから」
「姉貴、結婚してますよね?」
「してるよ?旦那くんも大好き」
「して、その旦那さんは?」
「今日は仕事。ハルちゃんの仕事場に呼ばれたの、旦那くんだもん」
そうだったのか。さくら交番には月に数回、余所の警察署から応援がやってくる。これも、偏に人手不足で休みがとれないさくら町の警官たちを休ませるためだ。
今回の私の穴埋めは、お義兄さんだったというわけか。それに合わせて姉貴は顔を見せに来てくれたようだ。
「だから暇なの。かまってかまって~」
そう言って、姉貴は私の肩に頭を乗せてくる。おもい。
「……姉貴って、昔からこうでしたっけ」
「昔からこんな感じだったよ?」
「まぁ、そうでしたね……」
昔から、姉貴は私にべったりだった。研究施設にいた頃も、救出されてからも、家に帰れば私のそばにいることが多かった。
そして今、警察組織ではエリートとして名を知られ、部下からも上司からも一目置かれている警部様が。妹の家のソファで寝転がりながら、ダル着でテレビを見ている。
「……姉貴。その格好、威厳とか大丈夫ですか?」
「んー?なに~?ここは家だから大丈夫~」
「そういうものですか」
まぁ、いくら格好良くてみんなの憧れの姉だって、身内の家ではゆっくりしたいか。私が二度寝をむさぼっていたように。
テレビの内容が変わる。昼の情報番組で、芸能人が最近流行している料理について語っている。姉貴はそれをぼんやり眺めてだらだらしながら、突然こんなことを言い出した。
「そういえばさ」
「はい、なんですか?」
「最近、旦那くんと――」
「ちょっと待ってください」
なんとなく、嫌な予感がした。
「夫婦の話なんだけど」
「待ってください」
「ちょっと夜の――」
「待ってくださいって言ってるでしょうがぁ!」
私は姉貴の口を物理的に塞いだ。もがもがと苦しむ姉貴は、ちょっぴり犯罪的な香り。えっちだとは思っていない。
「むぐっ!?」
「そういう話は妹にしないでください!」
「むぐむぐ……」
「姉貴はもう少し、家族間のプライバシーというものをですね!」
姉貴は私の手を外すと、きょとんとした顔をした。
「えー。でもハルちゃんももう28歳じゃん」
「だからなんですか。貴方は33です、恥じらいは?」
「そういうことに興味があってもおかしくないでしょ?」
「私はありませんよ」
「本当に?」
「本当です」
「じゃあ、旦那くんの後輩くんとかは?ほら。佐藤さんだっけ?」
「……佐藤巡査長?」
姉貴がにやにやしながら私を見る。
「仲良さそうじゃん」
「ただの仕事仲間ですよ」
「でも、よく一緒にいるんでしょ?」
「そりゃ同じ交番勤務ですからね」
「夜遅くまで一緒に仕事したり?」
「ありますけど」
「二人きりになることも?」
「ありますけど……」
「へぇ~~~~」
姉貴の口角が上がる。嫌な笑顔だ。面白いおもちゃを見つけたときのような。
「何ですか、その顔」
「いやぁ、前途多難だなぁって」
「何がですか」
「ハルちゃんの恋愛事情」
「私にそんなのはありません!」
即答した。だってそうだ。今世ではもう28歳となり、男性だったという自認は限りなく薄くなってはいる。だからといって、恋愛対象が男性、というわけではない。今は、自分のそーゆーのはよく分からない。子供がほしいとも、あまり。
一応獣人には、
獣人差別の一端にこれの存在はあるっぽいが、現在では安価でこれを押さえる薬が開発された。これのおかげで、私にとって発情期はなんか股ぐらから血が出て、体調が死ぬほど悪くなる時期ぐらいの認識だ。研究所にいたときは、エグいストレスでそれどころではなかったし。
「えー、姉妹で恋愛トークした~い!」
「えーじゃありません。というか姉貴のは猥談に片足突っ込んでます」
姉貴夫婦は外では警官夫婦だが、家だとラブラブのようで。偶に相談としてとんでもない話を吹っ掛けてくるのだ。身内のそんな話なんて聞きとうなかった。かんべんして。
「ほら、佐藤さん、良い人だって旦那くんは言ってたよ!どうどう?」
「良い人ですよ。真面目だし、優しいです」
「それに、なんと佐藤さんには気になる人がいるんだとか!?獣人で、目が離せない人がいるって、旦那くんが聞き出してたよ!」
「それは軽井沢巡査だと思います」
頭の中で、パチンコ帰りの軽井沢巡査にカミナリを落としている姿が思い浮かんだ。
佐藤巡査長がしっかり監視しているのは、どちらかと言えばカス猫の方だと思う。…なんかこう言うとBLみたいだな。
彼らは系統の違うイケメンだ。私は腐ってなんかいないが、以前、交番周辺に┏(┓^o^)┓←こんなのが沸いていたから、需要はあるのだろう。
それに少なくとも、アラサーの小柄な犬獣人なんて、恋愛対象として興味もないことだろう。
「私みたいな行き遅れちびっ子なんて、きっと気にも留めていませんよ」
「…………はぁ」
姉貴が黙ったと思えば、こちらを向いて大きなため息を吐いた。なんだろう、姉貴の表情と目からは、酷く呆れが読み取れる。
「何ですか。つまんない妹ですみませんね」
「いやぁ…」
姉貴は私の顔をじっと見た。すっごく何か言いたげだ。まるで、全て分かっているかのように。
「これは佐藤さんは大変だなぁ……」
「だから何がですか!」
しばらくして。姉貴が突然立ち上がった。
「よし!ハルちゃん!」
「はい?」
「私、決めた!」
「何をですか」
「ハルちゃんを着飾る!」
「……はい?」
姉貴が家に来てから、何度目かの嫌な予感がした。
「前々から言ってたけど、もう我慢ならない!」
姉貴が私のクローゼットを開ける。
「ちょっ、勝手に開けないでください!」
「……うそ」
信じられないという表情で、姉貴が固まった。ハンガーラックに吊り下げられた私の服を見ている。以前姉貴が選んでくれたオーバーオールとかの私服、それと部屋着が少々。
「……ハルちゃん、服これだけ?前から増えてないよ?少なすぎない?」
「別に困ってませんけど」
「困ってるよ!こんなにかわいいハルちゃんなのに、おめかししないなんてもったいない!」
うるさく叫びながら、姉貴が振り返った。
「ハルちゃん、警察官だから制服着てる時間が長いとはいえ、私服これだけってどういうこと!?」
「必要な分だけ買ってます」
「しかもこれ……」
姉貴が一着の服をつまみ上げる。
「男女兼用のズボンじゃん!女の子なんだから、もっと女の子らしい服を着ようよ!」
「それは動きやすいやつです。仕事では制服ですし、休日は家で寝てます。外出は姉貴が前に選んでくれたやつで事足りてます」
「駄目だこの子!」
大袈裟にも姉貴が頭を抱えた。なぜだ、本当に困っていないというのに。そして何かを決意したように顔を上げる。
「よし。今日は買い物に行くよ!ハルちゃん改造計画、開始です」
「改造って言わないでください。私はロボットですか」
「大丈夫。素材は最高だから!きっと最高の改造ができる!」
「その言い方やめてください」
そう言いつつ、姉貴はさらにクローゼットを漁る。そして――。
「……あ、ハルちゃん」
「どうしました?」
「下着も少ない」
「やめなさい!妹の下着を漁るな!」
「これ……」
姉貴が私の下着を一枚持ち上げる。それはグレーのスポーツブラだった。動きやすくて、私の尊大な羞恥心でも、ギリギリ着ることのできるもの。いくら胸が無いとは言え、これをつけないととんでもない事になる。擦れて痛いし、そもそも私の制服は担当者の性癖でぴっちりボディラインがでるハーネスがついている。もし着なければ、その、浮き出て見えてしまうのだ。本当にやめてほしい。
「スポーツブラしかないの?」
「ええ。動きやすいので、気に入っています」
「全部?」
「はい」
姉貴の顔が、みるみるうちに驚愕へ変わっていく。自分の妹だというのに、まるで珍獣を見つけたかのような反応。失礼すぎる。
「ハルちゃん……」
「何ですか」
「もし『そういう』場面になったらどうするの!?」
「私にそんな場面は訪れません!」
「いやいやいや!」
「訪れませんったら!」
「二十八歳だよ!?いつまでも中学生みたいなスポーツブラだけって!」
「関係ありません!楽なんです!」
「そういう問題じゃないの!」
姉貴がまた頭を抱えた。話の通じない不審者を相手にするような、怪訝な表情。本当に失礼な姉貴だ。
「これは……お姉ちゃんが責任を持って何とかしなければ……!」
「しなくていいです。現状で満足しています」
「下着だって私が気合い入れたやつを選んであげるから!」
「下着は要らないです」
「駄目!」
「即答しないでください!駄々をこねない、部屋で暴れない!」
「大丈夫。ハルちゃんに似合うかわいいやつ選ぶから!」
「いやです。結構です」
「大丈夫大丈夫!」
「その『大丈夫』は絶対に大丈夫じゃないやつでしょう!」
結局、私は姉貴に連れ出されることになった。
「じゃあ、ショッピングデートに出発だ!」
「デートじゃありません」
「姉妹デートだね!お姉ちゃんと妹のデート!」
「言い方を変えても恥ずかしいです」
そう言いながらも、私は少しだけ楽しみだった。久しぶりに、姉貴と一緒に出かける。
最近の姉貴は仕事が忙しい。階級もどんどん上がって、今では警部。結婚もして、旦那さんとの生活もある。昔のように毎日顔を合わせることなんて、もうない。
だから――たまにはこういう日があってもいいのかもしれない。
「ハルちゃん!早く行こう!」
「はいはい」
……まあ、姉貴が暴走しなければの話だけど。
向かったのは、さくら町郊外にある巨大なショッピングモール。食料品から衣類、日用品、飲食店まで、ここに来れば大抵のものが揃う。そんな便利な場所を目指して、スニーカーを履いて二人で歩く。
昔は、この巨大ショッピングモールの進出を巡って、さくら町の商店街とかなり激しく対立したらしい。
商店街側からすれば、生活に必要なものが一箇所で全部揃う巨大施設は、まさに商売敵。一時期はかなり険悪だったそうだ。
しかし、ある時から両者が協力するようになった。モールで買い物をすると商店街で使える割引券が発券され、逆に商店街でもモールで使える割引券が発券される。お互いに客を奪い合うのではなく、客を循環させる。そうした取り組みが功を奏し、今ではショッピングモールも商店街も、さくら町の経済を支える重要な存在になっている。
……と、以前どこかのおしゃべり好きなおばちゃんから聞いた。
「ハルちゃんが一緒に来るの珍しいなって」
「そうですか?」
「うん。学生の時は、いつも勉強してるか寝てるかだったじゃん」
「否定はできませんね」
そもそも私は買い物自体、あまり好きではない。目的のものを決める。まっすぐ店に行って、買って、帰る。これでいい。
ところが――今日はなぜだか気分上々で。
「姉貴、食後の運動です。ひとっぱしり付き合ってください。先に着いた方が勝ち、よーいどん」
「え?ちょ、ちょっと待って!ハルちゃーん!?」
静止を聞かず、私は走り出した。すぐに姉貴も追ってくる。
さくら町の郊外。人通りの少ない道を、二人で全力疾走する。風が耳元を抜けていく。犬耳が後ろへ流れる。尻尾も勢いよく揺れる。
――気持ちいい。
誰かと一緒に、本能を解放して風を浴びる。こういう感覚は、やっぱり好きだ。前世ではこんな速度で走ることなんてできなかった。今の身体だからこそできること。それを姉貴と一緒に楽しむ。
「ハルちゃーん!待って~!」
後ろから姉貴の声が聞こえる。走るだけなら、いくつになっても私の方が速い。走りながら私は得意げに振り返った。
「遅いですよ!置いていきます!」
「ハルちゃんの方が速いだけだよ!」
全力疾走して数十分。巨大なショッピングモールの入口が見えてきた。
「ふぅ、いい汗かきました……」
「すぐついたね~」
「そうですね」
二人そろって立ち止まる。
「やっぱり、走るのはハルちゃんの方が速いなぁ。私も速いほうなんだけど」
「姉貴もいくつになっても衰えませんね」
「それ褒めてる?」
「褒めてますよ」
「ならよし!」
近づくと、自動ドアが開く。途端に、弱い冷房が肌に刺さった。汗をかいた後だからか、余計に寒く感じる。
「さむっ」
「……ぶるっ」
隣を見ると、姉貴も同じように身体を震わせていた。
「姉妹だね」
「ですね」
こういうところだけは、妙に似ている。
「……あっ!」
すると突然、姉貴が大きく声を上げた。周りの人たちが不思議そうに目を向ける。何人かは姉貴の正体に気づいたようで、ひそひそと話し始めた。
「ハルちゃん!見てみて!」
「はい?」
姉貴が指を差す方を見てみる。目を向けた私が見たものとは。
「あそこでコーヒーの試飲やってるよ。ちょっとだけ見ていかない?」
「あぁ……」
まーた始まった。姉貴は、そこそこショッピングが好きだ。いや、そこそこ、という表現では足りないかもしれない。
以前なんて、電池を一個買うためだけに出かけたはずなのに。
「電池買っただけなのに、なんで半日経ってるんですか」
「だって途中にお店があったから」
「目的は電池でしょう」
「でも、あのお店気になるじゃん」
「なりません。なんですかエスニック雑貨って」
「ハルちゃん、人生損してるよ」
「電池一個買うのに半日かける方が損してます」
そんな私と姉貴の買い物スタイルは正反対だ。
姉貴は寄り道する。私は一直線。
姉貴は店を見る。私はすぐに目的地へ行く。
姉貴は「せっかくだから」と言う。私は「せっかちなので」と言う。
――そんな私たちだけど。今日は、久しぶりの姉貴とのショッピングだ。
だから。
「分かりました」
私はコーヒーの試飲コーナーへ向かう。
「私も佐藤巡査長にコーヒー豆を買おうと思っていたところです。行きましょう」
「おっ、ハルちゃんもやるね~」
姉貴がニヤニヤする。先ほどみせた、おもちゃを見つけたときの、愉快そうな表情で。
「違いますよ。これは交番で豆が切れただけです」
「……」
「何ですか。何か言いたいんですか?」
「いやぁ。青春だねぇ」
姉貴が楽しそうに笑った。だるすぎる。もう、否定するのがめんどくさい。というか否定すればするほどだる絡みされそうな気がする。
それから、各所にふらふら吸い寄せられる姉貴についていった。コーヒーの試飲を終え、私たちはモール内を歩く。
「次はどこに行きます?」
「うーん……」
姉貴が周囲を見回す。そして。
「あ、ペットショップだ!行こう!」
「姉貴ちょっと待ってください」
「ん。なあに?」
「我々、犬ですよ」
「知ってるよ?」
「見る必要あります?」
「あるでしょうよ!」
なぜか自信満々だった。
ずんずんと進む姉貴について行き、さまざまな動物の匂いがする店内に入る。
犬、猫、鳥、ハムスター。色々なペット用品が並んでいる。
その中で、姉貴が一点を凝視している。
「姉貴、どうしたんです?」
「…………あれ」
指差した先には、犬用のおもちゃ。噛んで遊ぶための、丈夫そうなゴム製のおもちゃだった。
「ハルちゃん、見て。かわいい……」
「あれ、引っ張って遊ぶやつですよ」
「これ、絶対楽しいよ」
「犬用ですよ。我々、人間ですよ」
「獣人だよ?」
「そういう問題じゃないです」
姉貴はおもちゃを手に取った。裏面の説明を読む。
「大型犬向けだって。私達向けだよ。ハルちゃん、噛んでみる?」
「は?嫌です」
「絶対似合うのにな~」
「もし警察官が勤務中にこんなの噛んでたら通報されますよ」
「じゃあ家で」
「もっと嫌です。ほら、棚に戻しますよ」
名残惜しそうな表情をする姉貴から、おもちゃを取り上げようとする。だが、姉貴はその無駄に強い力でしっかりと掴んで反さない。
「姉貴、手を離してください。別に必要ないでしょう、これ」
「い~や~ヤダヤダー!引っ張らないで~」
その目は完全に犬だった。
力は完全に姉貴の方が強い。だが、私も妙に意地が張ってしまったのか。突如、ペットショップの一角でおもちゃの引っ張り合いバトルが勃発してしまった。犬か!……まあ、私も人のことは言えないけど。
バトルが終わる頃には、獣人二人のとんでもない力に負けてしまった、びろびろのおもちゃだけが残った。責任をもって、姉貴が買って帰ることになった。
次に入ったのは、女性向けの服屋だった。
「よし、ここから本番!」
姉貴が腕まくりをする。綺麗な白い腕がチラ見えした。人によっては、えっちだと捕らえる艶めかしさだ。私はそんなこと思わないが。
「そんな気合い入れることですか?」
「入れるよ!任せて、お姉ちゃんがハルちゃんの恋路を応援したげる!」
そしてあっという間に、私は着せ替え人形になった。
「これ着てみて」
「はい」
「次これ」
「はい」
「あとこれも」
「多過ぎです!これまだあるんですか!?」
「もちろん!」
試着室から出るたび、姉貴が腕を組んで私を見る。
「うーん……」
「どうしたんですか?」
「かわいいね!」
「それはどうも」
「でも、ちょっと大人っぽすぎるかも…?」
「そうですか?」
「ハルちゃんは無理に大人っぽくしない方がいい」
「まぁ、そうですね。服に着せられている気がします」
「競うな!持ち味を活かせッ!」
姉貴がビシッと指を立てた。
「誰と競ってるんですか、私は」
「世の中の女性」
「無駄に壮大ですね」
「ハルちゃんはハルちゃんでいいの」
姉貴が選んだのは、ゆったりした青のトップスに、丈は長いが動きやすい灰色のスカート。そして、子供っぽくなりすぎない程度の小物。低身長を無理に隠すのではなく、むしろ小柄さを活かしたコーディネートだった。
「……確かに、これなら」
鏡を見ると、まるで落ち着いた大学生のような少女が映っている。
確かに、悪くない。いや、かなりいい。世の中の女の子たちが着飾る理由の一端が、なんとなく見えたような気がした。
「どうどう?自信作だよ!」
「……はい、気に入りました」
「でしょ!」
姉貴が嬉しそうに笑う。
「ハルちゃんは、背が低いことをコンプレックスにして無理に大人っぽくするより、かわいさを活かした方がいいんだよ」
「私は別に、自分の身長をそこまで気にしてませんよ」
「知ってる」
姉貴は優しく笑った。まるで、私の性自認のうやむやを、見透かしているように。
「でも、ハルちゃんはもっと自分をかわいがっていいと思うよ」
「……姉貴」
こういうところだけ、ずるい。普段は距離感がおかしいくせに。たまに、こういう真っ直ぐなことを言う。
「じゃあ、これ買います」
「やったぁ!良い仕事したなぁ~!」
姉貴が喜ぶ。私は苦笑しながら会計へ向かった。
「これでいつ男の人とデートになっても大丈夫だね!」
…やっぱり買うの辞めようかな。
そして。
私は今、人生で最も来たくなかった場所にいる。
「姉貴。ここ、必要ですか?」
「必要」
「姉貴。私は帰ってもいいですか?」
「絶対ダメ」
姉貴はめちゃくちゃ真剣な表情で商品を眺めている。今となっては女性なのだが、ここは、このエリアは前を通る度になんとなく気まずい。私は目を合わせないようにしている。すると近くに、彼女と来た彼氏らしき男性が気まずそうにそわそわしている。その気持ち分かるぞ。本当にやましい気持ちなんてないのだが、いてはいけない気がしてやまない場所なのだ。
「これとかどう?」
「無理です」
「ちょっと?ハルちゃん見てないじゃん」
「声で分かります」
姉貴はこういうとき、一番最初はド派手なやつを持ってくる人だ。声色的に、おそらく情熱的な赤の、すごくえっちなやつ。
「じゃあ、これは?」
「それも無理です」
「こっちは?」
「もっと無理です」
我ながら、酷い対応だと思う。理由はどうあれ、姉貴はギリギリ善意で選んでくれているのだ。そんなことは当然分かっている。…分かってはいるのだが。
姉貴が笑う。
「ハルちゃん、恥ずかしがりすぎ」
「普通です」
「お姉ちゃんなんだからいいじゃん」
「お姉ちゃんだからこそ、もう少し配慮してください」
「えー」
姉貴が別の商品を手に取った。ちらりとそれに目線を向ける。ド派手なものではなく、控えめですっきりした空色の、可愛らしいものだった。
「じゃあ、これは!」
「……まぁそれなら」
「これも」
「え?」
「これも」
「増えてません?」
「全部かわいいよ?」
最終的に、私は少しだけかわいいデザインのものを1つだけ買うことになった。ワイヤーがはいってなくて、ナチュラルに見えるやつ。見上げた姉貴の横顔は、大層満足そうだ。
私は紙袋を持ちながら、遠い目をする。
「……たぶん」
「うん?」
「これ、タンスの奥で日の目を浴びることはないと思います」
「なんでぇ!?」
「使う機会がないので」
「ハルちゃん……」
姉貴が哀れむような目を向けてくる。
「本当に前途多難だなぁ」
「今日何回言うんですか、それ」
その後も、雑貨屋を見たり、本屋に寄ったり。食品売り場で試食を食べたり、姉貴が気になった店に片っ端から入ったり。私はほとんど姉貴に連れ回される形で、モールの中を歩き回った。
「ハルちゃん、これ似合いそう!」
「またですか。もう十分買いましたよ」
「でもかわいいよ?ね?」
「……分かりました、買いますね」
「よし!」
――弱い。
今日の私は姉貴に弱すぎる。気づけば両手には買い物袋。この一日だけで、普段なら一年かけても買わない量の服が増えていた。
「……姉貴、買いすぎじゃないですか?」
「いいのいいの」
「私、こんなに服必要ないですよ」
「必要だよ~!」
姉貴は笑う。そんな笑顔が、私の奥の疲れを解きほぐしてくれる。
「せっかくの休日なんだから。楽しまなきゃ」
「……」
そう言われると、何も言えなかった。
私は姉貴と並んで歩く。買い物袋が揺れる。耳も自然と揺れる。
「……まあ」
私は小さく笑った。
「たまには、こういうのも悪くないですね」
「でしょう?」
姉貴が嬉しそうに笑う。
「また来ようね、ハルちゃん」
「……はい」
そんなことを話しながら、一階の広場へ向かう。そこは、普段なら買い物客が集まり、子供たちが走り回っているような場所だった。
イベント用のステージもあり、休日には何かしら催し物が行われている。今日もかなりの人がいた。
「今日はやけに人が多いですね」
「休日だからね」
姉貴と並んで歩く。その時だった。
「きゃあああああああああっ!!」
突然、大きな悲鳴が響いた。
「……!」
反射的に足が止まる。姉貴も同時に止まった。
次の瞬間。人の流れが、一気に変わった。走って、こちら側に近づいてくる。
「何だ!?」
「逃げろ!」
「刃物だ!」
「警察呼べ!」
ざわめき、悲鳴と、泣き出す子供。一瞬にして大混乱に陥った。
人々が一斉に距離を取っていく。
私は耳を立てる。心臓が跳ねる。鼻腔に入ってくる、人の汗と恐怖の匂い。
そして――。
「……姉貴」
「うん」
私たちは、同時に広場を見る。
そこに一人の男が立っていた。手には、キラリと光る農耕用の鎌。持ち方的に、慣れているわけではなさそうだ。
そしてその腕で、一人の女性を拘束している。女性は怯えた表情で、必死に身体を動かしていた。周囲には、大勢の買い物客。当然、誰も近づけない。変に刺激したら人質が危険だ。
私は買い物袋をゆっくり床へ置いた。姉貴も同じように、手に持っていた袋を下ろす。さっきまでの休日の姉妹ではない。
私たちは、警察官だ。
「……ハル巡査」
「はい、アキ警部」
姉貴の声が、低くなる。
「行くよ」
私はゆっくり頷いた。
「――はい。ここからは、休日労働ですね」
さっきまで楽しかった休日が。一瞬で、仕事に変わってしまった。