ちょうど昼時だったので、食堂は賑わっていた。
忙しそうに働くメアリーが三人に声をかけた。
「こちらの席へどうぞ」
三人はイスに腰を下ろし、ツヴォルフはメアリーに料理を注文した。
「水都アクアレインは魚介料理が美味しいと聞いたのだけれど、オススメをくださいな」
「ふたりも同じものでいい?」
「ああ」
「うん」
メアリーは厨房へ向かう。
ツヴォルフは微笑んでいた。
ソルと視線が合うとマーニは笑顔を作った。
「何?」
「いや、別に……」
突如、食堂内が静まり返った。
全員の視線が出入口へ注がれる。
ツェーンは鋭い目つきで周囲を見渡し、三人の元へ近寄った。
そして、ツヴォルフに耳打ちをする。
ツヴォルフの表情が沈み、静かに席を立った。
「ふたりとも、ごめんなさい」
それだけ言って、食堂を後にした。
ツェーンはふたりを一瞥した。
どこか優しい目をしていたことに、ソルは違和感を覚えた。
声をかける間もなく、ツヴォルフの後に続く。
ソルは追いかけようとしたが、マーニが手を掴んだ。
「マーニ?」
マーニはポケットから紙切れを取り出し、ソルに差し出した。
「ツヴォルフが書いた手紙だよ。読めばわかるから」
ソルは手紙を手に取り、目を通した。
そこには、聖女の身分を隠し、十二聖徒のツヴォルフと名乗ったことへの謝罪が書かれていた。
「……マーニは、知っていたのか?」
「うん。お金を取りに戻った時に、打ち明けられた。時間がないから断片的なことしか言わなかったけど、私たちに悪魔化現象のことを伝えるためだけに、巡礼の旅の最中に抜け出したんだって」
ソルは手紙を握り締めた。
「何で俺に言わないんだよ!」
マーニはソルの目をまっすぐ見つめた。
「言っても何も変わらないからだよ」
ソルはマーニの手を振り払い、後を追おうとした。
マーニが強い口調で制止した。
「ソル、ダメだよ。私たちが聖女様を唆した重罪人になる」
「くそっ」
ソルはイスに座り直した。
マーニは息を吐いて、続けた。
「ツェーンは初めから知っていたんだよ。だから、ソルに突っかかったし、さっきは何も言わずに立ち去ったんだよ」
ソルは髪をくしゃくしゃにし、頭を抱えた。
「一緒にご飯を食べるんじゃなかったのかよ!」
しばしの沈黙。
「聖女様は言っていたよ。ソルには運命を変える力があるって」
ソルはマーニを横目で見た。
「マーニは何も言われなかったのか」
マーニは目を伏せた。
「私は……」
顔を上げ、笑顔で答えた。
「同じことを言われたよ!」
ソルは思わず笑った。
「変な間を作るなよ。普段から冗談を言わないから何かあったのかと思っただろう」
マーニは顔を伏せる。
耳まで赤くなっていた。
「空気を変えようと思ったんだけど、慣れないことはしないほうがいいね」
「悪い。少し感情的になってしまった」
マーニはこくんと頷いた。
メアリーが料理を並べながら、ふたりに尋ねた。
「急用でもできたのかな。紅色鯖の香草焼き、温かいうちに食べてもらいたかったんだけどな」
「俺たちで食べるよ」
メアリーは笑顔を作った。
「ありがとう。他にもあるから、足りなかったら言ってね」
メアリーは注文を取りに行ってしまった。
ソルはフォークを突き刺し、頭から食べ始めた。
マーニは周囲を観察し、ソルに言った。
「頭と骨は残しても大丈夫だよ。食べているのはソルだけだよ……」
ソルは口の中にものを入れたまま言った。
「それ、早く言ってくれよ」
「大丈夫?」
「骨が刺さって痛い」
マーニはクスッと笑った。
「ありがとね、ソル」
ソルはコップの水をぐいっと飲んで、口の中のものを胃袋に流し込んだ。
「マーニが笑ってくれたのなら、痛い思いをして正解だったな」
ふふっ、とマーニは笑う。
ふたりはナイフとフォークで料理を切り分け、口に運んだ。
香草の香りが紅色鯖特有の臭みを消し、程よい塩味が口いっぱいに広がった。
ソルが咀嚼しながらつぶやいた。
「この味とも、もうすぐお別れか」
マーニは小骨を皿の端へ避けながら言った。
「骨がなければ丸かじりできるんだけどね」
「そうだな」
ソルは聖女の言葉を思い出していた。
——運命を変える力がある。
胸の高鳴りが止まらなかった。
*
——食事を済ませ、代金を支払ったふたりは、すぐに旅の支度を始めた。
ソルが情報収集し、マーニは楽市露店で不要品を売り払った。その後、ふたりで必要なものを買い揃えた。
*
——翌日。
朝食を済ませた後、街の外へ向かう。
ソルは地図と方位磁石を重ね、地平線の彼方を指さした。
「次の目的地は、レイ・ドランの故郷——ヴェントクレアだ!」
セルメア大陸の中央からやや南に位置するヴェントクレアは、小麦粉の産地として有名な村だった。
石造りの巨大な風車が建ち並び、その中には粉引きをするための空間がある。村全体から小麦のいい香りが漂っていた。
*
——水都アクアレインから移動を開始した四日後の昼過ぎ。
ふたりはヴェントクレアに到着した。
「ソル、三日で着くんじゃなかったの?」
ソルは地図に視線を落とした。
「地図と方位磁石なんて初めて使ったからな。方角だけだとわからないって」
マーニは息を吐いた。
「地図をくれた警備兵の人が親切で良かったね。あのまま風車が見つからなかったら、今頃どうなっていたことか」
ソルは笑って誤魔化した。
「こうなると思って、食料をたくさん買っておいて正解だっただろう」
マーニが横目でソルを見る。
「それは、ソルが食べたかっただけでしょう!」
マーニに言い当てられ、ソルは返す言葉が見つからなかった。
一陣の風が吹き、広大な小麦畑が揺れる。
ソルは小麦畑の前で屈み、耕された土を手に取り、匂いを嗅いだ。
少量の土を口に含み、飲み込む。
「この村は気候に恵まれているな」
「ソル、その妙な癖、直したほうがいいよ」
ソルは立ち上がり、土汚れを手で払った。
「悪い。雨のにおいがしなかったから、つい気になってな」
マーニは小首を傾げた。
「雨なんか降らなかったよ?」
ソルは腕を組んだ。
「アクアレインでメアリーが言っていただろう? 小麦の質が落ちたって」
「そんなこと言っていたね」
ソルは首を縦に振った。
「だから、気になったんだよ」
「まさか、調べるなんて言わないよね?」
ソルが歩き出し、マーニは隣に並ぶ。
「それが、障害になるようならな」
ふたりは周囲を見渡した。
「マーニ、先に宿と食事ができる場所を探そう」
「うん」
ふたりは通りがかった男性に声をかけた。
「この村はヴェントクレアで間違いないか?」
男性は微笑んだ。
「そうだよ。宿と食事ができる場所を探しているのなら、この通りを歩いた先にある」
「ありがとう。ついでに尋ねるが、レイ・ドランの家族は、どこに住んでいるんだ」
男性は肩を竦めた。
「キミたち、大口叩きのレイに騙されたのか?」
「大口叩きのレイ?」
男性は首を縦に振った。
「ああ。あいつはいつも嘘ばかりついていたからね。大口叩きのレイと言えば、この村で知らない奴はいないよ」
ソルは冷静な口調で言った。
「俺たちは、レイ・ドランについて何も知らない。それでも、残された家族に伝えるべきことがあってやってきたんだ」
男性は言葉の意味を考えた。
「残された家族……?」
ため息をついた。
「そういうことか。高台の大きな家に、あいつの家族は住んでいる」
立ち去ろうとして、足を止めた。
「レイはいつも嘘をついていたが、どこか憎めない奴だった。この村も静かになるな……」
男性の背中が遠ざかった。
「先に、レイ・ドランの家族に会いにいこう」
マーニはソルの服を引っ張った。
「本当に、それでいいのかな」
「じゃあ、このまま次の街を目指すのか?」
マーニは首を横に振った。
「わからないよ」
俯き、そのまま続けた。
「ここへ来る途中、父さんが母さんのことを話さなかった理由を、ずっと考えていたの。エレメンティアの話を聞いた時、もしかしたら、生きているかもしれないと思ってしまったんだよ」
顔を上げ、ソルを見つめる。
「楽市露店で遺品が見つからなければ、母さんは何か事情があって帰ることができない。――そう考えるようになってしまったの」
ソルはマーニの肩を掴んだ。
「レイ・ドランは嘘つきだったかもしれない。だが、手記を書いた本人がそれを望んでいる。マーニの言いたいことはわかるし、間違っていない。だが、俺には死を覚悟したレイ・ドランの気持ちを踏みにじることはできない」
しばしの沈黙。
「……そうだね。この問題は私たちだけで決めていいわけじゃない。高台だったね、行こう」
ふたりはレイ・ドランの家へ向かった。
ひと際大きな家の前で足を止め、ソルはドアをノックした。
ドアが開き、中年の女性は不審な表情でふたりを見た。
「レイ・ドランの家族ですか?」
「はい。母親のケニーです」
ソルは手記を取り出し、ケニーに手渡した。
「これを届けに来ました」
ケニーは首を傾げて手記を見た。
「あの、これは……?」
「レイ・ドランの手帳です」
「まあ、それはご親切にありがとうございます。一カ月前に家出して帰ってこないので、心配していたんです。レイは元気でしたか?」
ソルが言い淀んでいると、マーニがまじないをかけた。
彼の口が勝手に動く。
「偶然道端に落ちていたのを見つけたので、知り合いではないんです」
ケニーは手記を胸元に当てた。
「そうだったんですね」
「俺たちは急いでいるので、これで失礼します」
ふたりは一礼し、足早に立ち去った。
ドアが閉まった。
高台を下りようとしたところで——ケニーの泣き声が背中を打った。
声を押し殺そうとして、押し殺しきれない、そういう泣き方だった。
ふたりは足を止めなかった。止められなかった。
「マーニ、これでよかったんだよな」
マーニは無言のまま、俯いていた。
「俺はレイ・ドランの気持ちを優先したが、残された家族の気持ちを深く考えないようにしていた。喜ばれるとは思っていない。だけど、残された家族の顔を見た瞬間、マーニの言う通り、あれが正しい行いだったのかわからなくなってしまった」
「でも、ソルは決断した。私は……」
マーニはしばらく黙って、ドランの家を振り返った。
それから、ソルに微笑んだ。
「あれでよかったと思うよ。残された家族は、ずっと忘れないだろうから」
ソルは口元を緩めた。
「少し気が楽になった。ありがとな、マーニ」
「うん」
マーニは前を向いた。
「宿で部屋を取ったら、次の目的地を決めよう」
「ああ」
ふたりは宿へ向かった。