村の出入口で、ふたりは並んで立っていた。
ソルは腰に手を当て、胸を張った。
「今日から俺たちの伝説が始まる。俺は英雄」
マーニは照れながら口にした。
「ふふっ、私は歴史に名を残す考古学者……だったね」
胸元に手を当てた。
「私、ドキドキしてる」
「俺もだ」
互いに顔を見合わせ、頷いた。
同時に足を前に出す。
「せーの!」
一歩踏み出した。
ソルが走り出し、マーニが慌てて後を追った。
「急がなくても船は逃げないよ!」
「落ち着かないんだよ!」
「変わらないな」
マーニが笑った。
ソルの隣に並び、空を見上げると、二羽の白い鳥が羽ばたきながら飛んでいた。
「あの鳥も私たちと同じなのかな」
ソルは視線を上げ、息を吐く。
「そうかもな」
ふいに足を止め、踵を返した。
マーニも足を止め、ソルの横顔を見つめる。
ソルは目を細め、遠目に村を見据えた。
「何をしているの?」
「目に焼き付けているんだ。もしかしたら——」
二度と帰ってこられないかもしれない、と言いかけて、ソルは首を横に振った。
「いや、何でもない」
一陣の風が吹き、マーニは髪を手で押さえながら故郷をじっと眺める。
そして、頭を深々と下げた。
「エレナおばあちゃん、いつも美味しい野菜を分けてくれて、ありがとうございました」
「礼なら朝に伝えたんだろう?」
「うん。それでも、お世話になったから、改めてお礼を言いたくなったんだよ」
ソルもマーニに倣って頭を下げる。
顔を上げ、大きく息を吸った。
「ありがとうございました!」
マーニは苦笑いを浮かべた。
「声が大きいよ」
ソルは歯を見せて、にかっと笑う。
「俺は言いそびれたから、村の皆に聞こえるように言ったんだ」
「きっと聞こえているよ」
ふたりは頷き、船着き場へと足を進めた。
「船着き場まで、まだまだ時間がかかるよね」
「ん? そうだな」
マーニは咳払いをひとつ。
「これから、私が魔法に関する問題を出すから、ソルが答える。どう?」
ソルは口元を緩めた。
「そのやり取り、懐かしいな。あまり難しい問題は出さないでくれよ」
「第一問。詠唱が必要な理由は?」
「それは簡単だな。魔法には具体的な想像が求められる。そのために詠唱が必要とされている」
ソルは横目で、マーニの表情を確認する。笑顔だった。
「第二問。魔法が発動する原理は?」
「……確か、大気中に漂う魔素を消費しているが、空気のように循環しているので枯渇することはない。ただし、魔素が不足していると、たとえ詠唱しても規模の小さな魔法しか発動しない、だったか」
再び、ソルは横目で、マーニの表情を確認した。笑っていた。
「第三問。魔力とは何でしょうか?」
ソルは視線を彷徨わせた。
「俺が覚えている範囲だが、魔力は生まれた瞬間から決まっている。どれだけ修練を積んでも魔力は成長しない」
一拍置いて、続けた。
「魔力は、ある魔素を別の魔素へ一時的に変換する力だ。魔力が高ければ高いほど、魔素を変換する速度が上がる」
マーニがえくぼを作った。
ソルは胸を撫でおろす。
「第四問。四理と三象の違いは?」
ソルは剣を持ち直した。
「魔素の有無だ。三象の魔素は大気中に漂っていない。三象の魔法を使う場合、魔素を変換しなければならない」
「続けて」
ソルは鼻の頭を掻いた。
ふふっ、とマーニは笑った。
「及第点かな」
マーニは人差し指を立て、補足する。
「四理の魔素は、地相によって一定の割合で存在している。でも、例外もある。雨が降れば水の魔素が増えて、火の魔素が減る。そんな時、火の魔法を使うには、他の魔素を火の魔素へ変換して補う必要があるんだよ」
「そうだったな」
ソルが足を止め、剣を抜いた。
マーニも周囲を見渡し、ソルと背中を合わせる。
ソルが周囲に目を配りながら、小声で言った。
「囲まれているな」
その瞬間——草むらが揺れた。
三頭の狼が姿を現した。
「ソル、ここは私に任せて」
ソルは狼の出方を伺いながら、静かに頷いた。
狼たちが警戒しながらふたりを取り囲む。
間合いを測るように、じりじりと距離を詰めてくる。
すぐさまマーニが詠唱した。
「——疾風よ、刃となりて敵を切り裂け」
不可視の刃が狼たちを切りつける。
ソルが怯んだ一頭に追い打ちをかけた。
鮮血が飛び散った。
残る二頭が牙を剥き出しにし、マーニに襲いかかる。
だが、マーニはそれよりも早く、次の魔法を唱えていた。
「——迅雷よ、我が身を護りて散らせ」
バチバチバチッ! と、彼女の周囲の空気が激しく鳴動した。
青白い火花がマーニの身を包む。
頭から突っ込んだ二頭は、青白い火花に触れた瞬間、強烈な電撃に全身を硬直させ、突進の勢いのまま地面に転がった。
剣に付着した血を振り払い、鞘に収めながらソルが尋ねた。
「マーニ、怪我はないか?」
「私は大丈夫。早く行こう」
ソルは狼を一瞥した。
「肉はいいのか?」
「血の臭いにつられて他の獣が現れたら、船に乗り遅れちゃうからね」
ふたりは足早にその場を離れた。
「ソル、気づいた?」
「気づいたって何が?」
「私、雷の魔法を使ったんだよ」
ソルは狼たちを振り返り、聞き返した。
「三象の魔素はないんじゃなかったのか?」
「ふふっ、答えは静電気だよ」
「そういうことか。だから、例外の話をしたんだな」
「正解!」
マーニは満足げに笑った。
*
——風に乗って潮の香りが漂ってくる。
波音を聴きながら、船着き場へ入った。
倉庫に積み荷を運んでいる船員に、ソルが話しかける。
「おっちゃん、船に乗りたいんだけど」
「それなら船長に言いな」
「ありがとう、おっちゃん」
ふたりは船員に指示を出している男に近寄った。
マーニはいつの間にかソルの背後に回っていた。
「あんたが船長?」
「おう、坊主と嬢ちゃんは船に乗りたいのか?」
「うん」
「出航するのは積み荷を降ろしてからだな」
船長が手を差し出した。
「一人、銀貨一ルミナだ」
ソルが目を丸くした。
「えっ、金がいるのか?」
「人数が増えれば船足が落ちる。余計な燃料がかかる分、相応の金をもらわないと割に合わんからな」
ソルがぽかんとしている隣で、マーニが静かに船長へ代金を支払う。
船長は満足げに笑い、前歯の抜けた隙間を覗かせた。
「乗りな」
船長が目を細めて警告する。
「船の備品を壊したら弁償してもらうからな」
「わかった」
ソルが笑顔で振り向いた。
「行こう、マーニ」
マーニはこくんと頷く。
木製の渡り板を渡って乗船し、適当な場所に荷物を置いて腰を下ろした。
マーニが声を落として言った。
「怖かった……」
「そうか?」
「だって、父さんよりも背も声も大きいんだよ」
ソルは特に気にした様子もなく答える。
「ああ、強そうだよな」
マーニはため息をつき、硬貨を床に並べて数え始めた。
「金貨一枚、銀貨五枚、銅貨十三枚だね」
「これだけで足りるのか……?」
「わからないよ。お金を使ったのも今のが初めてだったし」
マーニは気を取り直して提案した。
「水都アクアレインに着いたら、お金の価値を調べましょう」
「ああ」
ふっ、とソルが笑う。
「急に笑ってどうしたのよ」
「せっかくの機会だし、楽しまないと損だろう?」
「父さんはそういう意味で言ったんじゃないと思うけど——」
マーニは硬貨をしまいながら、小さく笑った。
「そうかもしれないね」
船長が乗り込み、ふたりを一瞥して通り過ぎた。
船員が次々と持ち場につき、やがて蒸気船が煙を上げ、ゆっくりと動き出す。
波が船体を叩く音。
潮風がふたりの髪を揺らした。
遠ざかっていく船着き場を眺めながら、マーニはぽつりと口を開いた。
「ねえ、ソル。なぜエレメンティアは滅んだのかな」
「さあな。魔法が暴発でもしたんじゃないか」
蒸気船に揺られながら、ふたりはしばらく黙って波音を聴いていた。