——翌朝。
いびきをかいて眠っていたソルは、ドアをノックする音で目を覚ました。
「起きて、ソル。朝だよ」
ソルはベッドから降り、目を擦りながらドアを開ける。
カバンを背負い、手に剣を持ったマーニが立っていた。
「マーニ、今起きた」
大きな欠伸をひとつ。
「ここで待ってるから、二度寝しないでよ」
ソルのまぶたが半開きになった。
マーニは腰に手を当て、頬を膨らませた。
「ねえ、ソル。聞いてるの?」
「わかってるって。昨日は寝付けなかったんだ」
「それはわかるけど、しっかりしてよね」
「ああ。顔、洗ってくる」
ドアを閉めた。
洗面所で顔を洗い、布切れで拭いた後、台に置かれたハーブスティックを一本手に取る。
殺菌作用があり、いい香りがした。
枝の端を噛み潰し、ブラシ状にしてから歯を磨く。
使い終わったものはゴミ箱に捨て、口を濯ぎ、布切れで口元を拭いた。
トイレで用を済ませた。
昨夜洗って部屋に干した旅装束に着替え、衣類をカバンに詰め込む。
壁に立て掛けた剣を手に持ち、鍵をポケットに入れ、部屋を出た。
マーニは古びた紙を広げて、目を通していた。
「お待たせ。何を見ているんだ?」
ソルはマーニの後ろへ回り、古びた紙を覗き込む。
それは、魔法の設計図だった。
「寝癖を直す魔法……?」
「うん。メアリーから借りたの」
ソルは首を傾げた。
「これは、本当に魔法なのか……?」
「一応ね。今は『まじない』だよ」
「まじない?」
「今と違って、四百年前は魔法という言葉が珍しかったんだよ」
一拍置いて、続けた。
「賢者ヴェルナートが魔法を再定義した。この設計図は、『賢者の落書き』と呼ばれているの。当時は魔法だったけど、時代の流れとともにまじないと呼ばれるようになった」
「それで、まじないか」
「うん。寝癖は櫛があれば十分だからね。賢者の落書きは他にもあるけど、今じゃ銅貨一ルミナの価値すらないんだって」
マーニは賢者の落書きを四つ折りにしてポケットに突っ込んだ。
振り向き、ソルの寝癖を見て、笑みを浮かべる。
「何笑ってんだよ」
マーニがソルの髪を指さす。
「寝癖ついてるよ」
「ほっとけば直るだろう」
「ダメだよ。私たちはもう子どもじゃないんだから」
ソルは手櫛で強引に髪を整えようとした。
「ちょうどいいや。ソル、じっとしてて」
「ん? ああ、まじないか」
マーニは両手をパンッと叩き、まじないをかけた。
すると、ソルの髪型が元通りになる。
「これでよしっと。寝癖を直したよ」
ソルは無造作に髪を摘まんだ。
「確かに、寝癖が直っているな」
自身の髪をいじりながらマーニを見つめる。
「どこで手に入れたんだよ」
「歩きながら話すよ」
ふたりは食堂へと向かった。
「昨日、洗い場で服を洗っていると、メアリーに話しかけられて旅の目的を聞かれたの」
マーニは階段を一段飛ばして降りた。
「よっと。メアリーは私の話を笑わずに聞いてくれたよ」
「それで、メアリーが賢者の落書きを貸してくれたのか?」
「うん。魔法のことを
ほんの少し、と聞き、ソルは思わず乾いた笑いを漏らした。
マーニは魔法に強い関心を持っている。
ほんの少しが、常人にとっては苦痛となってしまう。
ソルは疲れ切ったメアリーの表情を想像し、同情した。
ふたりは階段を下り、受付で鍵を返却して食堂へ向かった。
メアリーがどこか疲れ果てた笑顔で出迎える。
「ソルも苦労したんだね」
「二人して何の話?」
マーニはソルとメアリーの顔を交互に見た。
二人は笑って誤魔化す。
マーニは小首を傾げ、メアリーに尋ねた。
「メアリー、朝ご飯を食べに来たので、賢者の落書きは約束通り私がもらってもいいんですよね?」
「構わないよ。ウチには必要ないからね」
「やった!」
くすっ、とメアリーは笑ったが、死んだ魚のような目をしていた。
「こちらの席へどうぞ」
ふたりは足元に荷物を置き、イスに腰を下ろした。
「魚介スープと丸パンでいいかい?」
ふたりは頷いた。
「少し待っててね」
メアリーは厨房へ向かう。
マーニはソルに顔を向けた。
その瞳が輝いていた。
ソルは姿勢を正した。
「さっきの続きだけど、賢者の落書きは、所有者じゃないと使えない。でも、変だと思わない?」
「マーニはメアリーから借りているのに使えたことか?」
「そう。本来なら私はまじないが使えないはずなんだけど、この場合、持っている人が所有者として扱われるようだね」
昔は貴重な品だったんだろう。盗まれないように誰かが言った嘘が広まったんだろうな、とソルは内心で思った。
「よかったんじゃないか。話は変わるが、食べた後はどうする?」
マーニは座り直した。
「物価に関しては、私たちが旅に慣れてくればわかることだから、アクアレインを見て回らない?」
「ああ。いい考えだな」
マーニは手を合わせてお願いした。
「その前に口入屋へ行きたいの」
「今から金の心配か?」
マーニは首を横に振った。
「口入屋は仕事を斡旋しているんだけど、依頼人と交渉して報酬を変えてもらうこともできるんだよ。だからね——」
上目遣いでソルを見る。
ソルは大きな息を吐いた。
「賢者の落書きを集めたい、か」
マーニはこくんと頷いた。
「ソルもまじないには興味があるよね?」
「歴史のことになると、俺以上に熱くなるよな。別に構わないが、旅の目的を忘れるなよ」
マーニは満面の笑みを浮かべた。
「わかってるよ。ありがとう、ソル」
メアリーが料理を並べ、苦笑いを浮かべる。
「最近、小麦粉の質が落ちてね。丸パンは魚介スープに浸してから食べるといいよ」
ソルはメアリーに話しかけた。
「メアリー、食事と宿の相場はわかるか?」
「食事は一食、銅貨五ルミナ前後が目安だよ。他の宿だと一泊、銀貨三ルミナかな。昨日、マーニにも伝えたけど、この街のことしか知らなくてごめんね」
「いや、十分だ。引き留めて悪かった」
「気にしなくていいよ。他の客が呼んでいるからまたね」
すぐに注文を取りに行ってしまった。
「さっさと食べて、口入屋に行くとするか」
「うん!」
ソルは丸パンを一口食べて顔を顰めた。
マーニも同じだった。
「何かパサパサしてるな」
「スープと合うようにしているんだよ。でも、匂いが良くない」
「そうだな。小麦の香りがしなかった」
マーニは丸パンを一口の大きさにちぎって、魚介スープに浸してから口に運ぶ。
「魚介スープを濃厚にして、丸パンの香りを誤魔化しているね」
隣を通りがかったメアリーが頭に手を当て、苦笑した。
「やっぱりわかっちゃうか。雨が続いたから小麦がダメになる前に収穫したって話だよ。食べられるだけ、まだマシだけどね」
厨房から女将の視線を感じ、メアリーは慌てて仕事に戻った。
ソルはスープに浸した丸パンを口に運びながら、マーニに尋ねた。
「口入屋に寄る前に、鍛冶屋へ行かないか。剣を持ったまま歩くのも腕が疲れるしな」
「それもそうだね。装備の相場も知る必要があるね」
「よしっ、決まりだな」
*
——ふたりは食事を済ませ、代金を支払った。
宿の店主に鍛冶屋と口入屋の場所を聞き、鍛冶屋へ足を運ぶ。
鍛冶屋へ向かいながら、ソルは手に握った剣を何気なく眺めた。