潮の香りと金属のにおいが混ざり合う。
鉄を打つ音が響き渡る。
街の一角にある鍛冶屋『跳水工房』の店内には、鋼の剣や槍、さまざまな防具が並んでいた。
ふたりが店内を見渡していると、茶髪の男性店員が近寄る。
顎にそっと手を当て、ふたりが手に持った剣を見て、目を細めた。
「いらっしゃい。ベルトが壊れたのかい?」
ソルは首を横に振った。
「この剣は父さんからもらったけど、ベルトがなかったんだ」
「剣を見せてくれるかな」
ソルは店員に剣を手渡した。
店員は剣を抜き、刀身を見て、息を吐く。
「剣は研げばいいってものじゃない。脂を塗って錆を防がないと意味がない」
ソルは苦笑いを浮かべた。
「農具と同じ感覚でやってしまった」
店員は優しい口調で続けた。
「見たところ、この剣は数年前に製造されたものだ。見た目に問題がなくても、劣化している可能性がある」
ソルは一歩前に出た。
「狼を斬ったが、大丈夫だった」
「キミが大丈夫でも、剣は悲鳴を上げている」
ソルは返す言葉を失う。
店員はマーニの剣に目をやった。
「キミの剣も同じだ。確認させてもらうよ」
マーニは店員に剣を預けた。
「お願いします」
店員は刀身を一目見て、首を横に振った。
「キミたちにとって、この剣が大切なものであることは理解している。それでも、剣を買い直してほしい」
ふたりは黙り込んだ。
「ベルトの件だったね。すぐに用意するとしよう」
店員は工房へ向かう。
「マーニはどう思う?」
「剣のこと?」
「ああ。父さんの性格からして、剣の手入れをしていなかったと思うんだ」
マーニは小首を傾げた。
「ソルは、新しい剣がほしいの?」
ソルは沈んだ表情で息を吐いた。
「剣が折れて、マーニのことを守れなくなるくらいならな」
マーニはソルの肩に手を置いた。
「ソルは勘違いしているよ」
ソルは顔を上げ、マーニを見つめる。
「勘違い?」
「うん。私もソルを守るために戦っているんだよ」
ソルは思わず微笑んだ。
「そうだったな。俺は自分のことばかり考えていた」
マーニは手を離し、柔らかく笑う。
「後学のために剣の値段を見ておきましょう」
「おう」
ふたりは店内で装備の値段を調べた。
ソルは大剣の前で足を止め、目を輝かせる。
マーニが横から声をかけた。
「立派な剣だね」
「格好いいよな!」
「私は無理だけど、ソルなら使いこなせそう?」
ソルは首を横に振った。
「今は、まだ無理だな」
「今は?」
「ああ、俺が英雄になる頃には使いこなしていると思うぜ」
店員がふたりの剣を持って戻ってきた。
「柄巻が傷んでいたから交換しておいたよ。鞘だが、ベルトの固定具がなかったので取り付けておいた。代金は銀貨一ルミナと銅貨十ルミナ」
マーニは代金を支払った。
「固定具は使っていると緩んでくることがある。鍛冶屋に言えば、すぐに修理してくれるよ」
店員はソルの古びた胸当てを一瞥した。
「装備に金を惜しまないことが長生きする秘訣さ」
マーニはソルの胸当てに目をやった。
「ソルの防具を新調したいです」
「それなら革製品をオススメするよ。軽い上に多少伸縮する。柔らかい材質だから衝撃を吸収する」
ソルは展示品の鎧に目をやった。
「鎧はないのか?」
「あるにはあるが、オーダーメイドになる上、製造に時間がかかる。その分、料金もかかる。とてもじゃないが、キミに支払う能力があるとは思えない。剣を見ればわかるからね」
「オーダーメイド……?」
「キミの体に合わせた一点ものって意味だよ」
ソルは肩を落とした。
「憧れる気持ちはわかるけど、身の丈にあったものを選んだほうがいいよ」
マーニが一歩前に出た。
「革製品の防具一式と脂の値段を教えてください」
「胸当て、股当て、肘当て、膝当て、靴、脂二つで銅貨八十ルミナ」
店員はソルを見た。
「彼女を守るのなら盾もあったほうがいいと思うが、どうする。慣れないうちは軽い木の盾がオススメだよ。銀貨一ルミナ」
ソルは一拍置いて答えた。
「この先、盾が必要になるかもしれない。買うよ」
「まいど。すぐに用意するよ」
店員が装備一式と木の盾、それから布で包んだ脂を持ってきた。
装備一式と木の盾をソルに、脂二つをマーニに手渡す。
「奥に試着室がある。身に着けて違和感があれば、すぐに交換するよ」
ソルは木の盾を見て呟いた。
「これがあれば……」
「ソル……?」
ソルは顔を上げて笑った。
「マーニ、盾があれば安心できるよな」
「えっ、まあそうだね」
「そっか。マーニがそう言うんなら、きっとそれが正解なんだろうな。俺の勘もそう言ってる」
マーニは思わず笑った。
「変なこと言ってないで、早く行きなよ」
ソルは試着室へ向かい、分厚い布を引いて入口を仕切った。
荷物を床に置く。
古い胸当てを外し、胸当て、股当て、肘当て、膝当てを身に着け、靴を履く。
腰に剣を下げ、左手に木の盾を持ち、体を動かして異常がないか確認した。
問題なし。
カバンを背負って試着室を出た。
マーニの元へ行き、親指を立てる。
「身が引き締まったぜ!」
マーニは笑顔で頷いた。
店員が咳払いをひとつ。
「脂は少量でいい。使い古した布で広げれば十分さ」
「ありがとな、おっちゃん」
マーニが代金を支払い、跳水工房を出た。
「これ、ソルの分だよ」
マーニはソルに脂一つを手渡した。彼はそれをポケットに突っ込む。
「よしっ、次は口入屋だな」
「うん。行こう!」
マーニはソルの右手を掴み、口入屋へ向かって走り出した。
ソルは苦笑いを浮かべながら、歩幅を合わせる。
*
街の中央には、ひと際大きな噴水が設置されている。
その龍を模した噴水は街の護り神——水龍として人々に崇められていた。
その一角に口入屋があり、ふたりは中に入った。
口入屋には数名の旅人がおり、受付の列に並んでいた。
ふたりは背後に人の気配を感じ、振り向く。
黒い頭巾と外套を身に纏い、右手にハルバードを持った二十過ぎの大女が、緑色の瞳でふたりを見下ろしていた。
その瞬間、ソルは一歩後ろへ下がっていた。
女は口元を緩め、受付に告げた。
「例の依頼だが、こいつらを使う」
ふたりを一瞥し、壁際へ向かう。
「ついてこい」
ソルは乱れた呼吸を整えながら声を振り絞った。
「マーニ、言う通りにしよう」
マーニはソルの顔を覗き込んだ。
「ソル、どうしたの?」
「わからない。あの女と目が合った瞬間……呼吸できなくなった」
ソルの手が震えていたのをマーニは見逃さなかった。
「早くしろ」
女の声が飛んできた。
ふたりは女の元へ近寄った。
「アタシはツェーン。十二聖徒の一人だ」
マーニが恐る恐る尋ねた。
「十二聖徒とは何ですか? 私たち、孤島村から来たばかりなので何も知らなくて」
ツェーンは笑みを浮かべた。
「教会は知っているな」
「はい。浄光教の方々が祈りを捧げているので、世界から争いがなくなった、と聞いています」
「表向きはな。だが、いつの世も悪党はいる。そいつらを裁くのが、教会から派遣された十二聖徒の役目だ」
ツェーンはため息をつき、続けた。
「この街には水龍に纏わる伝承が残っている。ただの水を聖女様の力が宿る聖水と偽って、旅人に売りつけているバカがいる。聖女様の名を出した以上、十二聖徒であるアタシが派遣されたってわけだ」
「それと、私たちにどういう関係があるんですか?」
「お前らはバカな旅人のフリをして水を買うだけでいい。そいつから話を聞くのはアタシの役目だ」
マーニは半歩前に出た。
「これは、正式な依頼ですよね?」
「報酬の話か。バカを捕まえることができれば金貨三ルミナ、報酬で支払ってやる。悪い話じゃないだろう」
ツェーンが不敵な笑みを浮かべた。
「先に言っておくが、お前らに拒否権はない」
黙って聞いていたソルが割って入った。
「何でだよ!」
「お前、名は?」
「ソルだ」
「ソル、お前は鼻が効くな。一目でアタシを強者と見抜いた。だから、お前は今も震えている。お前は強くなる。だから、アタシの欲求不満を解消するのに使える」
ソルの額から大粒の汗が流れ落ちた。
「俺たちを痛めつけるつもりか。そんなこと許されない!」
ツェーンは面白おかしく笑った。
「それは、お前らが決めることじゃない。外野からすれば、十二聖徒がお前らという悪を裁いているように映る。お前らが何をしたか、そんなこと気にする奴はどこにもいない」
「くっ」
マーニがソルの肩に手を置き、首を横に振った。
「マーニ……?」
「ツェーン、依頼の件、お引き受けします」
「賢明な判断だ」
マーニは咳払いをひとつ。
「ツェーン、どこへ向かえばいいですか?」
ツェーンは肩を竦めた。
「場所を変えているからわからない。バカはバカなりに頭を使っているようだな」
マーニは手をポンと叩いた。
「そっか。水入れだけ持ち運べば場所を変えることができる」
「なるほどな。この街は噴水が多い。バカの居所が特定できないのは、そういうことか。お前、名は?」
「マーニです」
「よしっ、ソル、マール。バカを探してこい」
マーニはため息をついた。
名前を訂正する気すら起きなかった。
「ツェーンは来ないんですか?」
「アタシは目立つから、お前らを尾行する。バカも現行犯で捕まえれば言い逃れできないからな」
「わかりました。行こう、ソル」
「おう」
口入屋を出ると、潮風が頬を撫でた。
にぎわう街並みが広がっている。
どこにでもいる旅人のように見えるふたりの後ろを、あの女が尾行している。
ソルは小声でマーニに言った。
「マーニ、本当に大丈夫か?」
「大丈夫じゃないけど——やるしかないよ」