カズデルの空は、今日も灰色だった。
乾いた地面には風に削られた石が転がり、ところどころに古い壁や崩れかけた建物が残っている。いつ壊れたのかなんて、俺には分からない。子供の俺にとって、それはただの見慣れた景色だった。
「セラスティア、こっちに来て」
少し先を歩いていたテレジアが足を止める。
「どうした?」
「いいから。ほら」
呼ばれるまま隣まで行くと、テレジアは古い石壁の根元を指差していた。そこに、小さな白い花が咲いている。
周りにはろくに草も生えていない。それなのに、その花だけは乾いた土から顔を出していた。
「……花?」
「ええ。綺麗でしょう?」
テレジアがしゃがみ込み、嬉しそうに花を眺める。俺もその隣に腰を下ろした。
「こんなところにも咲くんだな」
「強い花なのよ」
白い花びらが風に揺れている。小さい。少し強く触れれば壊れてしまいそうなのに、それでもこの土地でちゃんと咲いていた。
「これ、なんて花?」
「夏雪草よ」
「なつゆきそう?」
「ええ。白い花がたくさん咲くと、夏なのに雪が積もったみたいに見えるんですって」
「雪なんて見たことないけど」
「フフッ。私もよ」
「じゃあ分かんないじゃん」
「想像するくらいはできるでしょう?」
楽しそうに笑うテレジアを見てから、俺はもう一度花へ目を落とした。
「それにね。この花には『幸福』って意味もあるのよ」
「幸福……」
口にしてみても、いまいち俺には似合わない言葉だった。そして、この花を見ていると別のことも気になる。
「……だから俺、こんな名前なのかな」
俺の名前は、セラスティア。この夏雪草に由来する名前だと聞いている。でも昔から、自分の名前はあまり好きじゃなかった。
「俺、この名前あんまり好きじゃないんだよな」
「どうして?」
「なんか……女みたいじゃないか?」
口にした途端、少し恥ずかしくなって花へ視線を落とす。笑われるかと思った。
けれど、返ってきた声はいつもと変わらず穏やかだった。
「そうかしら」
「そうだよ」
「私は好きよ」
「……え?」
思わず顔を上げる。テレジアは俺ではなく、目の前の夏雪草を見つめながら微笑んでいた。
「セラスティアって、綺麗な名前だと思うわ」
「……そう?」
「ええ。それに、この花もあなたに似ているもの」
「俺が?」
改めて夏雪草を見る。小さくて、白くて、風に揺れている花。どこをどう見れば俺に似ているのか、まったく分からない。
「どこが?」
「秘密」
「なんでだよ」
「いつか分かるかもしれないでしょう?」
「分からなかったら?」
「その時は教えてあげる」
「ずるい」
「そうかしら?」
テレジアは楽しそうに笑っている。結局、それ以上聞いても教えてくれそうになかった。
俺は諦めて、もう一度夏雪草を見る。さっきまで何とも思っていなかった白い花が、ほんの少しだけ違って見えた。
自分の名前も、ほんの少しだけ。
◇
日が傾き始めた。
「そろそろ帰りましょうか」
テレジアが立ち上がる。俺も服についた土を払いながら立ち上がった。
「……テレジアが帰るなら、俺も帰るよ」
「あら。私が帰らなかったら、あなたもずっとここにいるつもり?」
「たぶん」
「それは困るわね」
「なんで?」
「あなたまで帰ってこなかったら、心配する人が増えてしまうでしょう?」
「じゃあテレジアも帰ればいい」
「そうするわ」
結局、二人で並んで歩き出す。振り返ると、あの白い花だけが古い石壁のそばに残っていた。
◇
その日の夜、部屋の扉が小さく二度叩かれた。
「私だけど……入ってもいいかしら?」
「テレジア? いいよ」
扉が開く。入ってきたテレジアは、何かを両手で大事そうに持っていた。
「これ、あなたに」
「何?」
差し出されたものを見て、俺は目を丸くする。
昼間見つけた、あの白い花だった。形を崩さないよう丁寧に押された、小さな夏雪草。
「押し花にしてみたの」
「俺に?」
「ええ」
壊さないように、そっと受け取る。
「なくさないでね」
「なくさないよ」
「本当に?」
「テレジアにもらったものなんだから、なくすわけないだろ」
そう答えると、テレジアは少しだけ目を細めた。
「……そう。なら安心ね」
そのまま扉へ向かおうとする。
「あ、テレジア」
「なあに?」
「明日も一緒にいる?」
俺が聞くと、テレジアは少し不思議そうな顔をした。まるで、そんなことをわざわざ確かめる必要なんてないと言いたげに。
「もちろんよ」
「そっか。それならいい」
「ええ」
「じゃあ、また明日」
「ええ。また明日」
扉が閉じる。
俺は手の中の小さな白い花を眺めた。自分の名前は、まだそこまで好きじゃない。夏雪草が俺に似ていると言われても、その意味も分からない。
ただ、テレジアがこの名前を好きだと言ってくれた。それだけで、前よりは少しだけ嫌いじゃなくなった。
この頃の俺たちは、まだ知らなかった。この先、いくつもの争いを越えることも、数えきれないほどの別れを見ることも。
そして――
誰かが隣にいることも。
一緒に帰れることも。
明日になれば、また会えることも。
決して、当たり前ではないということを。
アークナイツを調べながらになるので設定のズレとかあったらごめんなさい